|
|
|
年初にあたり、今回のコラムは、未曾有(みぞう)の大不況を背景に「年齢と実務」、「仕事のやりがい」、「派遣社員問題」などを織り交ぜて、 『自分の仕事人生、今後は、いったいどうなるのか、そして、何をしたいのか』をテーマとして、思いつくままに、とりとめもなく書いてみようと思う。 私事だが、2009年は不惑の40代最後の年だ。 進歩の速い「ドッグイヤー」と呼ばれるIT業界の時間軸では、既に枯れ木のような存在だろうか。 会社に採用面接に来る入社希望者も、ほぼ全員自分の子供世代になって久しい。 更に言えば、子供の頃、おじいさん世代だと思っていたプロ野球の監督にも年下が居るし、オジサンばかりだと思っていた相撲取りなどは100%次世代の人間だ。 もう少しすれば、顧客企業の社長さん達も、同世代か、それ以下の年代になってしまいそうな勢いである。 しかし、だからといって、『もう、全て若い世代に任せた。あとは邪魔せんように後ろで見守ろう』などと言うには、チト半端過ぎることも自覚している。 特に我々のような中小企業の場合は、『歳とったので実務はやらないで管理だけ』などとは言ってられないため、良きにつけ悪しきにつけ、まだまだ「現役」であることが要求されるのだ。 我社はソフトウェア開発の会社なので、開発するシステムの打ち合わせにも行くし、詳細な仕様書も書く。 最近は少なくはなったが、昔取った杵柄でプログラムを作ることもあるし、中国正月などでローカル社員が居ないときは、トラブル対応で他人の書いたコードを修正することもある。 正直云えば、『私は、プロジェクトの進捗管理と損益管理、所謂PMO的役割のみを担っています』などと、カッコ良く言いたいところだが、 実際は、上記の他にシコシコとデータ入力や、電卓叩いてテスト結果のチェックなどやっちゃったりもする。 中小企業の経営者と同列に語るのは乱暴だが、テレビで文楽の人間国宝(80歳代後半)がこんなことを言っていた。 『普通の会社であれば、とっくの昔に引退している年齢だが、この世界では、まだ現役で若いモン達と一緒に勉強していられる、一生勉強ですよ』、と。 ん〜、なんとも勇気付けられる良い言葉ではないか。 我社の属するIT業界は、一般的には、若者中心で年配者の居る場所は無いような印象を持たれているが、システム基本設計等の「上流工程」と呼ばれている部分は、 けっこう奥が深く、かえって経験や知識のある年配の人の方が実力を発揮できる場面が多々ある。 そういう意味では、自分などはまだまだ未熟者なので、経験や知識をつける努力をしつつ、脳の老化抑止の為にも「現役」にへばり付いて行ければと考えている。 話は飛ぶが、私の父親の話などを聞くと、昭和の高度成長の頃は、ブルーカラーとホワイトカラーの区別がかなり明確で、且つホワイトカラーの中でも、実務担当と管理者では地位や特権意識が明確に違っていたようだ。 もちろん、今でも、『アンタその年で、まだ実務やってるのか?』的に、実務者を卑下する風潮は、古い世代の人達には残っている。 確かに、人望や器が無いため、年齢と共に実務能力も落ちる一方なのに、実務者に留まらざるを得ない人達は、年功序列で給料が上がってしまう会社が多い日本では、ある意味悲劇だ。 ただ、もっと悲劇なのは、実務能力はピカイチだが管理能力が無く、年功序列という理由だけで管理する側にまわってしまった中間管理職達だ。 こうした人達は、実務の喜びを奪われただけではなく、上層部が求める組織管理や目標管理と、部下達が求める人心把握や上層部への説明責任等々の狭間で、神経と胃袋を削って行くことになる。 こうしたミスマッチを放置したままでは、健康的でヤリ甲斐のある仕事人生を送れない人達が増えてしまう。 『とにかく定年まで堪えれば、後は開放される』などと考えながら、指折り数えて会社生活を送っている人は、けっして幸せとは言えないだろう。 心身ともに充実した40代、50代を、ただ定年まで堪えて生きるなんて、私は嫌だし、その人を抱える企業だって、モチベーションや収支の観点から言っても、はっきり言ってムダである。 今後は、日本企業にもマイスター制度的な人事体系が必須だと思うのだが、組織と意識はなかなか変えられるものではなさそうだ。 一方、そんな会社の理不尽さに見切りをつけたのか、それとも、あまり人生を深く考えてないのか、組織に縛られずに、ある意味気ままに働いている人達がちょっと前までは多かった。 今、社会問題化している「派遣社員」である。 会社によっては正社員が派遣社員のことを「ハケンさん」などと呼び、学生アルバイト並に軽く見ている場合も多いが、他方では、不況の真っ只中の現在でも、『派遣社員が居なくなったら本業がまわらない!』 などと、本来は不安定な筈の労働力に頼りきった本末転倒会社もかなりあるようだ。 2009年1月現在、サブプライムローンに端を発した金融不安、原材料価格の高騰、そして、個人消費の冷え込みからくる需要減退などで、ほぼ世界中の企業が厳しい局面に立たされている。 ついこの間までの好景気・人材不足はなんだったのだろうか、と思うほどのマインド低下である。 我々の属するソフトウェア開発の業界でも、顧客企業のプロジェクトが中止されたりや延期になったりで、ウチみたいなところにまで『ヒトが余ってるので使ってくれませんか?』などというメールが来るようになってしまった (こういった事態を想定したかは定かではないが、2007年末あたりから大手ソフトウェア開発企業は「国内のヒト減らし」と「海外プロジェクトの獲得」にチカラを注ぎだしていた)。 ソフトウェア開発会社に限らず、「大手」と呼ばれるところは、バブル崩壊の頃に学んだ為か、雇用調整の簡単な派遣社員を多く抱えている。 そして、歴史的大不況の入り口である今、まさにその調整弁をフル活用して、不要となった労働力を工場やオフィスから締め出そうとしている。 比較的好景気だった頃に、諸々の不満から、勤めていた会社を飛び出して、派遣会社に移った人も多くいると思うが、今彼らはどんな心境なのであろうか。 私は、世の中が不景気になることは、そんなに嫌いではない。 常日頃、『なんで企業や国の経済は、常に拡大成長し続けなければイケナイの?』と疑問に思っていて、且つ、そんな中で、『なんか自分だけ乗り遅れているみたいで嫌だなぁ・・・』と感じているからだ。 不況になると、無駄なモノや不要不急なサービスへの需要は減り、真に必要なものだけが取捨選択される。 当然のように無駄なモノの生産数は減り、エネルギー使用量も減り、輸送や梱包に必要な資源の消費も減ってくる。 一部の分野(医学や新エネルギー等)を除き、「拡大成長」より「持続可能性」こそが産業界最大のテーマだと考える私にとっては、好景気より不景気気味の方が、関連産業の人達には申し訳ないが、妙にシックリくるのである。 だから、テレビで麻生さんや御手洗さんが、『景気の回復が急務』などと言っているのを聞くと、『なんで、また、実体経済とかけ離れた、以前の投機的な経済状態の水準に戻したいのか?』、 『何かが間違っていたから、今の事態となったんじゃないの?』と、素朴な疑問を抱いてしまうのだ。 原油の価格が短期間に3倍や4倍になったり、トレーダーのサラリーが億単位だったり、石油が出る国というだけで、他国の資産を買い占めたり、自家用ジェット機でカネの無心に奔走したり・・・。 ちょっと常識を持てば、そんなことは長く続くワケは無い、どこかで自然に調整が働く筈だ、と考えられる。 『会社をやったことがある人だったら分かると思うが、会社なんて、そんなに儲かるもんじゃない。トレーダーに数億円なんて給料を払えるのは、何か悪い事やってないと有り得ない!』 と、ある雑誌で誰かが言っていたが、そんな状態に官民あげて必死に戻したって、また同じことになるだけだ。 借金漬けでも浪費癖が抜けなかったアメリカ人達が、『このままじゃ、俺達ヤバイよ!』と、我に返ってしまった今、 新たに新興国需要を掘り起こすか、生産を減らすしか、喫緊の課題を解決する選択肢は思い浮かばない。 古い方法論なら、中国やインド、そして未開のアフリカまで行って、モノを売ってくれば良いのだろうが、有限な資源や環境の問題を考えると、 生産を減らしていく方が賢い選択であると思わざるを得ない。トヨタが、(拡販より)減産しても利益の出る体質に変革する、と判断しているのは流石だ。 そんな経済環境のなか、仕事を失った元派遣社員達が、『元の職場に復帰させろ!』と、言ったところで、作ったモノが売れないのだから無理な話だ。 契約違反での「派遣切り」は絶対許せないが、契約満了で次の契約はしないという行為は、なんら恥ずべきところも無いと思うので、企業もコソコソやる必要はない。 そこに文句を言うのであれば、製造現場への派遣を認めた法律と、人材派遣を生業としている派遣元会社に詰め寄った後にしてほしい。 というか、そもそも、自分でリスク承知で派遣社員になることを希望した若い人達には、『今更ナニ言ってるの?』と、冷たいが、あえて、私は言ってしまいたい。 なぜなら、私の知っているなかでの派遣社員像は、 『自分の実力は、こんな会社では生かせない。そして、人生をひとつの会社という組織に縛られたくない。だから自由な立場で働きたい!』と、思っているキャリア志向型、 『色々な種類の苦労をしたくないので、職場での責任が軽く、且つ、人間関係も希薄で問題ない、楽な立場でなんとなく働きたい!』と、考える逃避志向型、 そして、『とりあえず家計の足しにもなるし、外で働く刺激も維持したい!』と、いった主婦のパートタイム型の3タイプがほとんどだからだ。 たまたま、製造現場への派遣では、社員寮等の住居込みの場合が多いので、『仕事とともに住居も失って、寒空に放り出された・・・』と、悲劇的な面が強調されているが、 『これは、最初からの契約なので仕方が無い、厳しいが次の仕事を探そう』と考えるのが、派遣社員というリスクを選択した者のとるべき態度ではないだろうか。 労働力を求めているところはあるのだから、無銭飲食したり、六本木ヒルズで包丁を振り回したりせず、ネットで人材募集サイトを検索したり、職安に足を運ぶことが先だ。 ゼロからのスタートだって出来るじゃないか。厳しいのはアナタ達だけじゃない。 現時点では、話題性のある「派遣切れ」に関する極端な問題ばかりが目立っているが、本当に壊滅的な被害を被っているのは、請負で大企業を下支えしてきた外注下請業者達だ。 外注下請業者は、経費を圧縮し、知恵を絞り、様々なリスクをとり借金して、極限まで努力しながらも、発注元の大企業に、『元の発注量に戻せ!』などとは言えないのだ。 仕事が無くなれば、他業種に参入するか、苦渋の廃業決断、ザッツ・オール・・・なのだ。当然、廃業すれば負債が無いなんて有り得ない。 下請業者は、派遣切りされた人のようにゼロからのスタートさえ許されないのだ。 こんな極端な変革期なのだから、政治はモタモタせず、セイフティネット的な緊急避難的対策と同時に「仕事も住居も失った人達」や「苦渋の廃業決断」した労働力を、 超人手不足の介護や医療支援、そして食料自給率向上の為に農業生産に、シフトして行く政策を早く明確に打ち出し、雇用のミスマッチを調整すべきだ。 簡単な話でないのは承知しているが、この千載一遇のチャンスを生かさないと、永久にミスマッチは解消出来ないと思うのだが。。。 海を渡って、マレーシアの状態はどうだろうか。世界経済が混乱の極みであるので、当然大きな影響を受けている筈なのだが、少なくとも2008年末頃までは国民はいたって冷静だった。 我社では、全体ミーティングの最後に雑談タイムを設けているのだが、『日本は大不況だけど、マレーシアはそうでもないの?』と、スタッフ達に問うと、 『マレーシアは金融危機の影響を受けづらい国』、『世界経済危機の影響は2009年3月頃』等々現地では報道されているようで、 『日本では、派遣社員の契約継続がされないのでホームレスが増えていて・・・』とか、『あのトヨタも赤字に転落するみたいだ・・・』などと現状を伝えても、 『へ〜、そうなんだ〜』と、いった程度で、話題は、『JUSCOでメガセール(大安売り)が始まった』とか、『社長、今度の火曜日は州の休日だから、忘れないでね!』 といったイージーな方へと流れて行ってしまう。 確かに地元の新聞のトップ記事は、『○□△で崖崩れ発生、管轄している役所を糾弾』とか、『クリスマスの酔客街を汚す』みたいな、世界経済とは関係無い報道が目立つようになっている。 「報道統制」とは言わないが、悲観的記事一色で消費者マインドを凍りつかせる日本流よりは、実効性がある経済対策なのかも知れない。 現に、この時期ですら、新規採用した社員が、出勤開始日の2日前に、『自宅から事務所までの距離が遠いので、両親が反対した。』などと、 はなから分かっていることを理由にして、入社を断って来たりする。 現地の日本人ビジネスマン達は、『受注が半減した。先が見えない。人員を減らしている。』と、深刻な状態であるのに、ウチ(CSL)は、逆「内定取消」にあってしまった。。。 しかし、同じ世界経済危機をとってもみても、国や地域によって見方が違うもんだ。 危機発生の原因を「他山の石」としようとする日本と、危機自体が「対岸の火事」のようなマレーシア(実際は1997年の通貨危機以上に大変な事態なのだが)。 日本に視点が近い筈のマレーシアでさえ、意外にもノンビリ構えているのだから、アフリカあたりに行けば、金融危機自体が存在していなかったりするのではないだろうか。 ひょっとしたら、騒いでいるのは先進国と一部の新興国だけで、それも、日本では「ケイダンレン」とか「なんとか同友会」とかの企業経営者側が、『賃上げ対策に利用しちゃいましょ』 といったノリでメディアを煽っているなんて空想も面白いではないか。 話を我がソフトウェア開発業界に戻そう。 今の状態は、私にとっては2000年のネットバブル崩壊時より、1990年代のバブル経済崩壊のときに近い。 90年代前半は、まだ汎用機やオフコン(オフィス・コンピュータ)というメーカー独自のコンピュータが当たり前で、 下請構造も、大雑把に言っても、大手メーカー⇒メイカー系ソフト会社⇒独立系大手ソフト会社⇒中小ソフト会社⇒個人事業主、のようになっていた。 当然、大手メーカーのSE(システムエンジニア)達は、実務は殆どせず、管理や指導および営業サポートがメインタスクであった。 が、しかし実態は殆ど下請へ丸投げしていたと思う。 当時は、ハードもソフトもメーカー別のアーキテクチャであったので、金融や防衛といった顧客以外は、特別にセキュリティに関しては意識せずに仕事が出来た。 現在は、SEやプログラマの派遣者をワンフロアーに集めて、プロジェクトメンバーの円滑なコミュニケーションを図りながら、セキュリティを確保する現場が多いが、 その当時は、プログラム開発の仕事は、自社への持ち帰り方式も多かった。今思えば、開発対象のヴォリュームが、開発の生産性を遥かに上回っていて、人海戦術で対応していたため メンバー全員を集めるなどといったことは不可能だったのであろう。 元請大手メーカー(IBM、富士通、NEC、日立、等々)のソフト開発組織は、官公庁、流通、生産、金融といったような分類方法で縦割りになっていて、 実質的には各組織が独自に下請業者を抱えているようなカタチであった。 バブル崩壊前に、元請企業の系列会社のマネージャは、『案件はいくらでもある、俺の目の黒いウチは、他社に浮気せずついて来い。絶対に仕事の空きは作らせないから!』 などと豪語していたのをハッキリ憶えている。特に金融機関が投資する額は大きく、「他行より1秒でも早いディーリングのシステム」に、莫大な投資をしていたらしい。 そして、その一秒で、コンピュータ投資額を回収してしまった、といった後日談も嘘か誠か雑誌に出ていたりした。 (しかし、当時は、その一秒で、会社が傾く可能性に目を向ける人は、あまり居なかったと思う) そんななかで、突如としてバブル景気に浮かれていた日本経済が崩壊してしまい、それまで意欲的な投資対象であった情報システムが、一瞬にして「カネ食い虫」に変身してしまったのだ。 プロジェクトは凍結または中止され。SEやプログラマの派遣社員は余剰のため削減され、派遣元企業に帰される。 元々、IT企業というよりは、人材派遣業的要素の強かった有名大手某社などは、派遣先から戻されて来た社員は、自分の机もスペースもない為、出社してタイムカードをパンチしたあとは、 近くの公園(今の都庁近く)で待機をさせられていたそうだ。その人数があまりにも多いので、近所では○○○(アルファベット3文字の社名)公園などと揶揄されていたらしい。 当然、その会社のみならず、同業他社でも、売上のなくなった社員の人件費を長期間維持出来る筈もなく、「退職勧告」や「首切り」が横行し、この業界に嫌気がさして転職して行く若者が大量に発生してしまった。 ただ。今考えるとラッキーだったのは、まだその当時は、IT派遣業界を去った者達を吸収してくれる業界が少なからずあったことだ。 自分が担当していた顧客のIT部門に潜り込んだり、派遣をやっていない同業他社に採用された人達はけっこう居た。 今のように世界的な不況でもなかったので、探せば必ずどこか好調な会社があったのだろう。 ただ、その頃の実体験もあり、私は「人を集めて顧客に送り出せばナンボ」という派遣に頼る商売は、とてもリスキーで怖いと常に思っている (たとえ、それが上手くやればボロ儲けの商売であったとしても、だ)。 また、自分自身も、叩き上げキャリアの出発点は、コンピュータオペレータ(操作員)として、今は亡きIT派遣会社(バブル崩壊で他社に吸収された)から 大手顧客企業に派遣されていたので、派遣者の心の中に芽生えてくる問題もよく理解出来るつもりだ。 所属会社へ積極的に関わりたいのに、関わる機会がなく、薄れて行くだけの「帰属意識の問題」とか、 派遣先の従業員との「格差問題(待遇というより差別感)」とか、 こういった働く側としての「金銭では解決出来ない満足感の薄さ」を、自分の会社の人間には味わってほしくないと願っている。 要は、ちょっとキザだが、1ヶ月の派遣料と派遣者の人件費の差額×人数=粗利、といったビジネスをやるために、そこで発生する問題で悩まされるより、 システムを作る過程での問題や、良いチームワーク(人間関係)を作るために出てくる問題について、限りある脳ミソを使いたい、といったところだ。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 日本では、この期に及んで、『今の不況は自分とは関係ないところで起こっている』と、言い切れる人は、温室育ちのエリートサラリーマン以外は、あまり居ないと思う。 厳しいところでは、中小企業の経営者などは、先の見通しがまったく立たず、途方に暮れている人の方が多いのではないか。 いくら国が融資の枠を増やしたり、審査を甘くしようが、借金は借金であり、後々金利とともに返済しなきゃならぬ金など一時シノギに過ぎない。 もちろん当座のカネはノドから手が出るほど欲しいだろうが、本当に欲しいのは、借りたカネを返すアテ、つまり先行きの見通しなのである。 もう「右肩上がり」や「倍々ゲーム」なんて贅沢は言わないが、せめて、現状を維持できるくらいの受注残が欲しい、といったところではないか。 それと、私の年代、もしくはそれ以上の年齢の人達は、一度失職すると次の仕事を探すのは非常に骨が折れる。 まして、元中小企業経営者となると、採用を渋る会社は少なくない。 だから、『自分は、何がしたいのか?!』などと、哲学的なことをコラムで書こうとしても、自分の子供が大スターにでもなって養ってくれない限りは、 結局のところは「今の会社を死守する」しか選択肢は無いのである。 競合他社より安い価格で、スピード感をもってサービスを提供し、最終的には、お客様とWin-Win関係を築く。 まったく夢の無い話で申し訳ないが、それらを「粛々と継続する」が、私の不況下サバイバルの基本なのである。 『人間のカラダには、氷河期や飢えを耐えて来たDNAが生きている』と、サッカーの岡田監督がインタビューで言っていたらしいが、 今年は、そのDNAを活性化させないといけない年なんだな、とシビアに気持ちになってしまった2009年元旦だ。
【追伸】 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ コラムの話題とは、関係ないが、年末年始ということもあり2008年に読んだ本をリストアップしておこう。 【[恒例]2008年読書記録】(2008/12/31) 目標未達成。。。(100冊まで、あと5冊足りない)12月に変なオジサンに将来のアイドル歌手のバックバンドを頼まれて、ラストスパートの予定が狂った。。。(イイワケ)
1.[日本人の神はどこにいるか/島田裕巳] (59. 不況を生きる おわり) |