ライン

聖書に聴く
        


復活のイエス様に出会う
    
平尾 輝明



皆さんもご存知の通り、教会のシンボルとして十字架が用いられます。

イエス様は、私達の罪の赦しのためにあの十字架にかけられました。それは私達を心から愛しているからです。その愛の印として十字架は大切な意味を持っています。しかし、もしイエス様が十字架によって死なれ、葬られただけならば、罪を赦されている人たちは十字架にかけられたイエス様を思うたびに、ただひたすら過去のその悲しみにひたる日々を過ごさなければならないでしょう。
イエス様が私の代わりにあの十字架にかかられたという愛を感じることはできたとしても、現在、そして未来に希望をもつことはできません。
イエス様とともに生活をしてきた弟子たちでさえも、イエス様が捕らえられた時には、全員逃げ出してしまいました。また、イエス様が死んで復活されると言われていた三日目が過ぎても、弟子たちは自分たちもイエス様の仲間として捕らえられるのではないかという恐れから、鍵をかけた密室にこもっていたようです。
 
十字架によってイエス様を失った弟子たちが、その後、どうして喜びと希望に満たされ、大胆にイエス様のことを宣べ伝えるようになっていったのでしょうか?それは復活されたイエス様に出会ったからです。人はいつかは死にます。例外はありません。イエス様も十字架によって死なれました。しかし、神様によって三日目に復活させられました。誰も越えることのできない、誰も打ち勝つことのできない死を打ち破られたのです。そこに現在、そして未来の私達の希望があるのです。


新約聖書のローマの信徒への手紙6章23節には「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」とあります。

イエス様の十字架によって罪が赦され、神様によってイエス様が復活させられ、私達にも永遠の命が与えられていることを知っているものは、自分が罪を犯した過去だけに縛られて生きるのでもなく、また、将来必ずやってくる死を恐れながら死に行く人生を送るのでもなく、現在、たとえ私達の目に苦しく辛いことがあっても、イエス様がともにおられる今を希望と喜びに満たされて生きていくことができるのです。

 
今年のイースターは4月16日です。イースターはイエス様の復活を記念する日です。あなたも聖書を通してイエス様の十字架と復活による救いを受け入れ、ともに喜びと希望に満たされた人生を歩んでみませんか?


 



 


ライン