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聖書に聴く
        


心から主をほめたたえよ
    
平尾 輝明



 皆さんも結婚式などで讃美歌に触れる機会があるかと思います。この讃美歌きれいだなあ、このメロディーすてきだなあ、歌っていると落ち着くなあ、いろいろな思いがあることでしょう。そもそも、讃美とは、神様をほめたたえることを意味します。神様のすばらしさをほめたたえるのです。讃美の主人公は讃美している自分自身ではなく、讃美する対象である神様です。讃美する人の声の良し悪しはあまり問題ではありません。もちろん、神様に最高のものをささげるという点で備えていくのは当然ですが、讃美はその人の歌や演奏のうまいへたが重要なのではありません。
 
 讃美するうえで最も大切になるのは、讃美する人の心の状態です。それはいったいどんな心なのでしょうか?

 新約聖書コロサイの信徒への手紙3章15-16節に「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」
とあります。

 心が自分ではなく、イエス様に支配されることが大切です。讃美をするためには、キリストの支配によってひとつとされることが求められます。こころの一致がなければ、讃美はばらばらになり、死んだものになります。教会にはいろいろな人が来られています。せっかちな人、のんびり屋の人、さまざまな得意なものをもっている人がいます。
キリストに従うという一点を除けば、クリスチャンの価値観は、さまざまです。キリストに支配されなければ、皆がばらばらで、平和を保つことはできません。従って、こころから讃美することができなくなるのです。キリストの平和こそ、私達をキリストの体として一つにし、感謝する土台を与えます。キリストの平和が支配するために、キリストの言葉、聖書の言葉が私達の内に豊かに宿ることが求められています。

 祈りと聖書を通して、神様がどれほど一人ひとりを愛してくださったか知り、私達はキリストによって一つにされて、はじめて神様を讃美する備えができます。私達を愛し、イエス様が十字架にかかり、私達の罪を赦し、三日後に復活し、私達に永遠の命を約束してくださっている、そんなすばらしい神様に感謝して心から讃美しましょう。




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