
聖書に聴く
「復活の本質」
平尾 輝明
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マタイによる福音書28章5-6節「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」これは、イエス様の墓に来た女性たちに天使が語った言葉です。
聖書には、イエス様の復活について、その遺体が生き返り、起き上がったということはどこにも語られていません。語られているのは、イエス様の遺体が納められ、大きな石で蓋をされ、封印がなされ、番兵まで置かれていた墓が空であったことと、生きておられるイエス様が多くの人々に出会ってくださったことだけです。これは、聖書が語るイエス様の復活が、弟子たちの心にイエス様の思い出が残り続けただけとか、イエス様の魂だけが戻ってきたというようなことを意味するわけではありません。ただ聖書はイエス様がどのように復活されたかということに触れていないだけです。なぜならば、それは復活の本質ではないからです。イエス様は墓の中にはもうおられない、生きた方として私達に出会ってともに生きて下さっている、それが復活の本質です。
イエス様の復活によって、私達にも復活の命が与えられる希望が示されているのです。
イエス様は、私達の罪の代償を払うために、私達の身代わりとして十字架で死なれました。神様はそのイエス様を復活させて下さったことによって、私達にも新しい命が与えられる恵みを示して下さったのです。イエス様の復活は、私達の復活の希望なのです。
墓についた女性たちには、天使の言葉によってイエス様の復活を聞かされただけで、実際に彼女たちが見たのは空の墓です。彼女たちは告げられた言葉を受け止め、それに従って走り出しました。信じて走って行く途中で、イエス様が彼女たちに出会って下さったのです。私達もイエス様の復活について、自分が納得できたら信じようと思っているならば決して信じることはできません。まず、神様から与えられた言葉、聖書を信じて受け入れ、信じて歩み出す中で、生きておられるイエス様と出会うのです。イエス様と出会ってはじめて復活が自分にとってどのような意味を持っているのかを悟ることができるようになっていくのです。
主は私とともに生きておられると。
