osama bin laden

オサーマ・ビン・ラーデン

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オサーマの思想

オサーマの思想についてはあまり知られていない。これは、ひとつにはかれが自分の哲学について体系的に述べていないということがある。あるいは、口の悪い人によれば、オサーマには思想がないともいう。しかし、かれの考えを大枠でみた場合、すぐに大きな特徴があることがわかる。それは、「自分たち」と「自分たちでない」ものの峻別である。これは単にオサーマのみならず、他のサウジ人思想家、宗教家たちにも多かれ少なかれ観察される要素といえる。かれらのなかでは「ムスリム」と「非ムスリム」というもっとも外側の枠組のなかに、「サウジ人」と「非サウジ人」、「敵」と「味方」などの二元論が重層的に構造化されている。オサーマの場合、「自分たちでない」イコール「敵」というきわめて単純な図式を大前提としているため、思想、哲学的にはとてつもなく底の浅い体系にならざるをえない。しかし、この単純さは、逆に多くの若者たちの心をつかみ、熱狂的な支持者を集めることになる。さらにここにオサーマの財力が加わり、後述するような武力を容認する、わかりやすいジハード論が出てくると、テロを含め、かれらの行動は、少なくともかれらの価値観のなかで宗教的に正当化されることになる。


サウード家について

オサーマは基本的にはワッハーブの徒である。したがって、サウード家の統治そのものに反対しているわけではないようだ。しかし、たとえば、1995年8月にオサーマは、ファハド国王への公開書簡を発表している。このなかでかれは「われわれは、あなた(ファハド)の体制が非イスラーム的であることを証明してきた。腐敗が横行し、商法などに非イスラーム的な法律が適用されている」と述べ、辞任すべきであると主張した。ただ、ここでかれは、ファハドにかわる選択肢を提示していない。しかし、マァムーン・ファンディーによれば、オサーマは、アブドゥッラー皇太子批判を避けていたという。つまり、アブドゥッラーが国王になれば、オサーマの対サウジ政策は変わる可能性があるということだ。
またオサーマの出自を考えた場合、ビン・ラーデン一族とサウード家とのつながりは非常に重要になってくる。ビン・ラーデン・グループが現在の莫大な富を築くことができたのは、とりもなおさずサウード家のおかげであり、かれ自身にもサウード家のメンバーとの直接的な友好関係があるといわれている。
父のムハンマドが死んだとき、当時の国王ファイサルが涙を流したという逸話を語るときのかれにはサウード家そのものに対する敵対感情は感じられない。なおそのファイサルの息子、トゥルキーとオサーマは仲がよかったともいわれている。トゥルキーは現在、サウジアラビアの総合諜報局の長官、つまりサウジアラビアの対外諜報機関の最高責任者であり、またサウジアラビアの対アフガニスタン外交でも長いあいだ重要な役割を果たしていた。そのほか、リヤード州知事のサルマーンとも関係があるといわれている(サルマーンはアフガニスタンやパレスチナなどへの財政支援の中心的人物の1人)。
サウジアラビアに対する決別の直接のきっかけはもちろん湾岸危機である。イスラーム・アラブの国であるイラクが同じイスラーム・アラブの国であるクウェートを侵略し、占領する。こうした未曾有の事態に直面し、オサーマは動揺する。
かれは、自分たち、つまりアフガン・アラブ(アラブ人義勇兵)が一般のサウジ人を訓練し、みずからの家業である土木工事でイラク・サウジ国境に大規模な塹壕を掘るとかのアイデアを10ページほどのレポートにまとめ、サウジ国防省にまで乗りこんでいったといわれている。むろん、ここでかれの意識にあるのは米国を中心とする多国籍軍がサウジアラビアの地に駐留することは絶対に許されないという断固たる信念である。オサーマは、スルターン国防相と直談判を行い、持説を主張したが、空からの攻撃からどう守る、化学兵器の攻撃をどう防ぐとつっこまれ、窮してしまった。オサーマの最終的な答えは「われわれには信仰があるから、負けるわけはない」というものであったといわれている。
この逸話が事実かどうかはわからない。しかし、かれの直情的な正確がよく現れているといえよう。なにしろかれは、1979年12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、その数日後にはもうアフガニスタンに飛んでいたのである。

ファハド国王は、米軍のサウジ駐留が暫定的なものであり、戦争が終われば、すぐにサウジを去ると約束していたが、いまだその約束は果たされていない。米軍はいまだにサウジアラビアに駐留している。サウジ指導部はこれを容認するだけでなく、戦争に敗れたイラク国民が飢えて苦しむのを座視し、あまつさえイラク国民の苦痛を増進する米国の政策を支援している。オサーマは、預言者ムハンマドの伝承を引用、ある女性が猫に餌をやらずに、死に至らしめたため、地獄に落ちたという逸話を紹介している。猫1匹でさえ、こうなのだから、数百万のイラク人を飢えさせているものはどうなるのか。
オサーマによれば、サウジアラビアの指導者たちは、イラク人を苦しめ、またユダヤ人とキリスト教徒の側につき、2つの聖なるモスクを放棄したものであり、いつの日か、イランのシャーのように、消滅するのである。


ビン・バーズについて

昨年死亡したビン・バーズはサウジアラビア宗教エスタブリッシュメントのなかでももっとも尊敬される人物であった。しかし、オサーマは、このビン・バーズをもはげしく攻撃する。とくに、ビン・バーズが、現行の中東和平プロセスを承認するファトワーを発したことはオサーマのみならず、他のイスラーム主義者たちの逆鱗に触れた。かれらの目には中東和平プロセスは、イスラエルへの屈服と映ったのである。
オサーマの中東和平批判の論点は次のようになる。
現行の和平プロセスは、ムスリムとその敵のあいだの合法的な契約に関してシャリーアで規定された条件を満たさない。こうした契約の当事者は、ウンマ(国家)のコンセンサスによって合法的なムスリムの指導者として承認されたものでなくてはならない。ムスリムとその敵のあいだに合意ができることは理解できる。しかし、和平プロセスでムスリムを代表している側はムスリムではない。オサーマによれば、かれらは、信仰を棄てた世俗の指導者なのである。世俗主義者とは、かれの文脈では無神論者であり、異教徒であった。こうした合意は枠組としてイスラームではなく国際法を用いており、結果としてイスラエルに土地を与えることになる。国際法の基礎は、国民国家のシステムにおける主権の概念だという。この枠組のなかではムスリムはエルサレムを獲得できる可能性は少ない。
オサーマはさらに、ビン・バーズにはこうしたファトワーを出す資格はないと主張する。なぜなら、この種のファトワーを出せるのは、その問題についてくわしいムフティーでなければならない。ビン・バーズがたとえばイスラエルとエジプト、イスラエルとヨルダンの和平条約を読むわけもなく、また国際法に関する知識もない。オサーマは、ビン・バーズが、ムスリムの利益を犠牲にして、為政者たちを喜ばすためにファトワーを出していると述べる。このことは、イラク軍がクウェートに侵攻したとき、ビン・バーズが、米軍を中心とする多国籍軍のサウジアラビア駐留を認めるファトワーを出したことを指している。


米国について

オサーマは、米国に対する聖戦を宣言しているので、当然米国は、かれの敵という位置づけになる。この点で重要なのは、かれが、米軍のサウジアラビア駐留を「聖地の占領」とみなしていることである。かれは「われわれの主要な問題は米国政府であり、サウジアラビアは米国の支部にすぎない」とか、「米国政府は、直接あるいはイスラエルの占領を支援することで間接的にきわめて不正な、犯罪行為を犯してきた」と述べている。また米国は、サウジアラビアに圧力をかけ、高価な米国製武器を多数購入させ、その一方で石油を低価格に維持している。
米国は、たとえば1996年のジハード宣言では、イスラーム世界を蹂躙した十字軍であり、モンゴル軍である。この宣言のなかでかれがイブン・タイミーヤという13世紀のイスラームの偉大な思想家を引用しているのは興味深い。イブン・タイミーヤは、モンゴル軍の征西に直面して、住民を鼓舞し、モンゴル軍を倒すための聖戦を唱えた人物なのである。
したがって、オサーマにとって米国はつねに聖戦の対象の筆頭であり、米国人に対するテロこそがオサーマの思想の中心的位置をしめているといえるだろう。しかも、聖戦の本来の対象は、サウジアラビアすなわち聖地に駐留する米軍だったが、のちには軍人であり、民間人であれ、米国人であれば、誰でもかまわないというところまでエスカレートしている。1998年2月の米国に対する聖戦ファトワー(教令)では次のように述べられている。

民間人であれ、軍人であれ米国人およびその同盟者を殺害することは、いかなる国のムスリムにとっても、もしそれが可能であるならば、個人的な義務であり、これは、アクサー・モスクおよび聖モスク(メッカ)を米国の手から解放するためであり、その軍をすべてのイスラームの地から追放し、ムスリムの脅威にならないようにするためである。

オサーマによれば、米国は第2次世界大戦後、より攻撃的、より抑圧的になってきた。とくにムスリム世界においてその傾向が強いという。おそらく、かれは中東における2つの重要な事件を念頭においているものと思われる。すなわちイスラエルの建国と湾岸戦争である。


中東和平プロセス

当然のことながら、オサーマの頭のなかにあるのはメッカとマディーナというサウジアラビア国内の2つの聖地だけではない。もう1つの重要な聖地、すなわちエルサレムの解放もきわめて重要なテーマになっている。
イスラームの聖地であるエルサレムを、そしてムスリムの土地であるパレスチナを占領するイスラエルはむろんオサーマにとっては存在そのものが許されない。したがって、イスラエルを一方の当事国とする中東和平プロセスは、たとえ直接関係する国や地域の政府、組織が認めようが、絶対に容認できないものである。
米国はオサーマの敵ナンバー・ワンであるが、オサーマの認識では、米国の背後につねにイスラエルがおり、米国は中東におけるイスラエルの権益を守るために行動していると考える。

米国政府は、米国内のイスラエルを代表するエージェントである。米国政府の重要な省庁、たとえば国防総省、国務省、中央情報局CIAを見てみれば、米国政府のなかでユダヤ人が大きな発言権をもっていることがわかるだろう。これは、ユダヤ人たちが、世界とくにムスリム世界においていかにかれらの計画を実行するために米国を利用しているかということである。米軍の聖地駐留はユダヤ人を支援するものであり、かれらを守るためである。(米ABC)


中東諸国

かれはまたサウジアラビア以外の中東諸国も非難する。たとえば、多数のムスリム同胞団メンバーを虐殺したシリア政府は、異教徒体制であり、アルジェリアも専制政府である。またPLOのアラファト議長も当然、「世俗主義者」であり、ハマースなどイスラーム勢力を抑圧しており、サウジアラビアがそれを支援することは許されない。
またイラクについてのオサーマの見かたは錯綜している。イラクの現体制に対する評価はほとんど述べられていない。しかし、前述のとおり、イラクによるクウェート侵攻時には、イラクと戦う用意があったわけだから、おそらくイラク政府とイラク国民は、かれのなかではきちんと峻別されているに違いない。たとえ、イラク政府がどんなに悪くとも、ムスリムであるイラク国民が、米国などキリスト教徒中心の多国籍軍の攻撃により、また国連の経済制裁により殺されていっているのは確かである。イラク国民を救うというのも、オサーマの聖戦のなかで重要な位置をしめている。


宗派

オサーマの思想のなかでは、イスラーム内部の対立はそれほど大きな問題ではないのかもしれない。マァムーン・ファンディーは、オサーマのレバノン認識からシーア派に対する差別意識、敵対意識が他のワッハーブ教徒よりも小さいと述べている。
ただし、これはイスラーム世界がおかれた非常事態ゆえかもしれない。たとえば、1996年のジハード宣言で、オサーマは、イブン・タイミーヤを引用、

アッラーを喜ばせ、その言葉を唱え、その教えを制度化し、その使徒に従うという究極的な目的はあらゆる側面において、完全な方法で敵と戦うことである。戦わないことによる宗教への危険は、戦うことによる危険よりもはるかに大きい。したがって、一部の戦士たちの意図が、たとえば高い地位を得るためとかのように純粋ではなくとも、またかれらがイスラームの規則や義務の一部を守らなくとも、敵と戦うことは義務なのである。

と述べている。非常事態のまえには大同小異というのはよく理解できるが、ここでは、ジハードを行う連中の規律が低くてもかまわないという考えかたになっている。


テロリズムとジハード

宗派のところで述べたように、聖戦を完遂するためには、少々の問題には目をつぶるという考えかたは、聖戦に参加するものの規律を弛緩させるだけでなく、武力行使の容認というきわめて危険な思想と積極的にむすびつく。事実、オサーマは、1995年のリヤード、1996年のホバルでの米軍施設における爆弾テロについて、犯人を「大いに尊敬している」と述べ、英雄であるといっている。

われわれは、かれらを「アッラーのほかに神なし」の旗を掲げ、不信仰者や米国のもたらした不正に終止符を打とうとするものとして尊敬する。かれらの行ったことは偉大な業績であり、大きな名誉である。わたしも参加したかった。(米CNNとの会見)

さらにオサーマは、テロの結果、聖戦の対象となるもの以外にまで被害がおよぶことについても次のように弁明している。

米国は、イスラームの国を攻撃し、盾として用いるため、わたし、オサーマ・ビン・ラーデンの子どもたちを誘拐し、レバノン、パレスチナ、イラク、ボスニアでムスリムたちを殺害しはじめている。イスラームの法律によれば、われわれがこれら(人質になっている)ムスリムを殺さないように、米国人を殺害することを躊躇し、その結果、被害がムスリム全体におよぶならば、そのムスリムたちを殺してしまうのもやむをえない。もし米国人を攻撃しなければ、かれらを追い出すことができないとするならば、たとえムスリムに犠牲が出ても、イスラームでは許される。(米ABCとの会見)

また軍人だけでなく、民間人をも対象とすることについてはさらに米国の例を引き合いに出して、次のように述べている。

米国の歴史は軍人と民間人を区別しないどころか、女性や子どもも区別していない。米国は長崎に原爆を落とした。このような爆弾では子どもも軍人も区別できるわけがない。米国には、すべての人を破壊しないようにする宗教はない。パレスチナにおけるムスリムと米国との関係は恥ずべきものである。もし米国に恥という概念が残っているとするならばだが。パレスチナでの虐殺において、シオニストとキリスト教徒の協力で子どもたちの頭の上に家々が壊された。またイラクにおける援助当局者の証言によれば、米国は、100万人以上のイラク人が死んでいる経済制裁をリードしている。これらはすべて米国の権益の名のもとに行われている。われわれは、米国こそが世界最悪の強盗、テロリストであると考える。われわれにとってこれらの攻撃を阻止する唯一の方法は同じ方法を用いることである。われわれは軍服を着たものと民間人を区別しない。かれらはすべてわれわれの(聖戦)ファトワーの対象である。

アラビア語のジハードは、本来は「努力」という意味であり、イスラームの文脈では、「アッラーの道のために努力すること」を指す。日本語の「聖戦」(あるいは英語のHoly War)という語感からくる勇ましさは、この語の一面しか表現していないことになる。言葉本来の意味では、信仰のための努力全般を指しており、異教徒をイスラームに改宗させるため、説得するというきわめて平和的なこともジハードのなかに含まれるのである。しかし、ワッハーブ派においてはより戦闘的な意味をもつことが多い。ワッハーブ派の始祖、ムハンマド・ビン・アブドゥルハッワーブしかり、またワッハーブ派の思想に強い影響を与えたイブン・タイミーヤしかりである。
オサーマは「アッラーは、みずからを賞賛させるために、われわれを創造し、その宗教によりわれわれを祝福されたもうた。そして、アッラーは、アッラーの語を不信仰者の頭上に掲げるため、聖なる戦い(ジハード)を実行することを、われわれに命じられた」と述べた。かれによれば、ジハードは、ムスリムが従わねばならない、アッラーに対する崇拝の一形態なのである。

基本資料


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