osama bin laden

オサーマ・ビン・ラーデン

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テロの疑惑

1996年8月14日、米国務省は、オサーマをイスラーム過激派への資金提供者とするファクトシートを出している。国務省が個人名をあげてテロリストを非難するのはきわめて異例であり、1997年の国務省のテロ白書、Patterns of Global Terrorismでも並み居るテロ組織と並んで堂々個人名で登場している。さまざまな資料から、オサーマが関与したとされるテロ事件をまとめてみると、次のようになる。

1992年12月  アデンのホテルでの爆弾テロ事件(ソマリアに向かう米軍兵士を標的)
1993年2月  ニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件
1995年5月  エジプトのムバーラク大統領暗殺未遂事件
1995年11月  リヤードでの国家防衛隊施設爆破事件
1995年11月  エジプトの在パキスタン大使館爆破事件
1998年8月  タンザニア、ケニア米大使館爆破事件

重要な問題は、これらの事件のどれ1つとってもオサーマの直接的な関与を示すハードエビデンスがないことである。たしかに、貿易センター爆破の主犯格、ラムジー・ユースフは逮捕されたとき、オサーマの名前と住所の書いてあるメモを携帯しており、またパキスタンではオサーマのゲストハウスに滞在していたとされている。リヤードの事件の犯人は全員逮捕され、処刑されているが、そのうちの何人かはオサーマの忠言と改革委員会のパンフレットを読み、思想的な影響を受けたことを告白している。オサーマは、リヤードやホバルでの事件について犯人を賞賛する発言をしているが、「残念ながら(事件には)参加できなかった」と述べている。米国務省や司法当局の考えかたはわからないが、少なくとも部外者にはこれだけで関与を云々するのは難しいと感じられる。事実11月4日付のクウェイトのシヤーサ紙では、サウジアラビアのナーイフ内相が「(ホバルでの)爆弾事件が(オサーマ・)ビン・ラーデンの仕業だと報じられているが、これは正しくない。攻撃がかれの思想を受け入れたものによって行われた可能性はある」と述べている。

米国は1997年にすでに世界貿易センタービル爆破事件に絡んでオサーマを告発しているといわれている。告発状は公開されていないが、ニューヨークの連邦地裁はオサーマに関する証言を聞いているという。告発の理由は明らかではないが、かれの「宣戦布告」が大きな位置を占めているのはいうまでもないだろう。同じ世界貿易センタービルでの事件で告訴されているエジプト人のオマル・アブドゥッラフマーンと同じ容疑、米国の権益に対する攻撃の共同謀議である。かれが米国を攻撃せよと呼びかけたことは、かれの支持者にとっては命令に等しいというわけだ。

9月6日付の米ニューヨーク・タイムズ紙によれば、米当局は春ごろからオサーマ連行作戦を練っていたという。計画を作っていたのは米中央情報局CIAと米軍特殊部隊で、アフガニスタンの隠れ家からオサーマを連れ出し、米国で裁判を受けさせるというものだった。しかし、米国人およびアフガニスタン民間人から多くの犠牲者が出ることが予想され、危険すぎるとして結局お蔵入りになったといわれている。


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