osama bin laden

オサーマ・ビン・ラーデン

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英国の役割

ここで重要なのは英国の存在である。英国にはかつての宗主国ということもあり、アラブ諸国とくに旧植民地あるいは保護国から多数の移民、亡命者などが集まっている。アラビア半島からも、イラクやバハレーンなどの反体制派がロンドンなどに本拠地を置いているし、クウェイトの反政府勢力もかつてはロンドンを拠点に活動していた。しかし、そうした国ばかりではない。英BBCによれば、英国が政治亡命者の避難場所になったのは、トルコから左翼が逃げ出してきてからだという。とくに1979年のイラン革命の際には亡命過激派の集結地点のひとつとしての名声が高まり、多くの活動家やその同調者たちが祖国を追われ、英国に政治亡命を求めた。

大英帝国の遺産でもともと多民族、複合文化的な要素を色濃くもつロンドンはまさにその拠点であり、移住者、亡命者にとっては言論や結社の自由、人権が保障されたうえで、反政府活動までできるという天国であった。かれらは比較的自由に募金活動を行い、それをもとに自分たちの政治活動を展開する。

ロンドンにはかなりの規模のアラブ人コミュニティーが存在している。クウィーンズベイなど一部の地区では新聞スタンドで英語の新聞以上にアラビア語の新聞が幅をきかせているし、不動産屋の広告ではアラビア語の宣伝文句が並べられ、アラブ料理屋が軒を連ねる。われわれアラブ研究者にとっては、世界でもっとも質の高い中東関連書籍が入手できる場所の1つがロンドンである。カシュクールとかサーキー、ホダーといった専門書店にお世話になった人は少なくないはずだ。ムハージルーンの指導者の1人、Anjem Choudrayは「いつの日かイスラームの黒い旗がダウニング街にはためくであろう」と述べているが、かならずしも冗談に聞こえない。

サウジアラビア政府と英国は歴史的にも政治的にも、そして経済的にも強いつながりをもっている。そうした両国にとって反体制組織が英国で公然と活動するのは頭痛の種である。実際、CDLRのムハンマド・マスアリーの英国亡命をめぐって、英国では行政と司法のあいだで大きな論争が発生した。

英国とアラブ反体制派、米国とアフガン・アラブの関係はそれぞれにとって皮肉である。英国はかつての植民地から流入する大量の移民をその異文化とともに受け入れなくてはならない。そのなかには英国そのものを敵視する過激派すら存在し、英国とアラブ諸国などの関係を危機にさらす。米国はかつてソ連という共通の敵を倒すため、連携していたはずのアフガニスタン人、アラブ人義勇兵からテロの対象とされている。

一方、サウジアラビアの反体制派は、イスラーム国家たるサウジアラビアを追われ、キリスト教徒の植民地主義者のもとに亡命する。かれらイスラーム過激派たちがもっとも自由に活動できるのは、プルーラリズムを保証する英国であり、米国なのである。かれらは自由を賦与し、人権を保証してくれる西側政府を、まさにそのお膝元で攻撃する。

米国の役割

10月22日付ニューヨーク・タイムズ紙は、米捜査当局がニューヨーク・ブルックリンにあるキファー難民センターAlkifa Refugee Centerがオサーマ・ビン・ラーデンなどのイスラーム系テロ組織網の在米拠点になっていることをつきとめたと報じた。

同センターはエジプトの人移民のムスタファー・チャラビーによって設立されたが、当初、アフガニスタンへの義勇兵派遣の役割を果たしていたとされる。世界貿易センタービル爆破事件の犯人の1人、マフムード・アブーハリーマがここを経由して義勇兵としてアフガニスタンにいったことが判明しており、さらにアブーハリーマはペシャワールの訓練施設でムハンマド・オウダというパレスチナ人と知り合い、かれとともにムジャーヒディーンとしてソ連と戦った。ムハンマド・オウダという同じ名前の人物は、8月の米大使館爆破事件に関連してニューヨークで告発されている。

ただし、同センターにおけるオサーマの役割については不明とされている。


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