雨乞い礼拝

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アブー・アイユーブの墓

預言者ムハンマドの教友、アブー・アイユーブはイスラーム軍によるコンスタンチノープル包囲に参加した672年、死亡した。その遺体は遺言により、コンスタンチノープルの壁のしたに埋葬されたといわれている。ビザンツの人びとは旱魃のときに彼の墓に詣で雨乞いの礼拝を行ったとされる。なお、かれの墓はオスマン朝によるコンスタンチノープル征服時に、有名な聖者のアク・シャムスッディーンによって発見されたといわれている。

アラブの著作家、イブン・クタイバによれば、

雨が降らないとき、(コンスタンティノープルの人びとは)かれの墓を開ける。すると雨が降る1)

と述べている。似たような話がもうひとつある。アラブ軍の将軍のアブドゥッラフマーン・バーヒリーは7世紀中ごろ、中央アジアでハザル族に敗れ死亡した。このときハザル族は彼の遺体を保存して、雨乞いの礼拝に使用したという。

雨乞いの礼拝に使われる墓は軍人ばかりではない。バグダードにマァルーフ・カルヒーという聖者の廟があり、多くの巡礼者を集めていた。カルヒーは9世紀はじめになくなった有名なスーフィーである。ここもやはり雨乞いの礼拝に使用されている。また16世紀のスーフィー、サヌーシーの廟(トレムセン)でも雨乞いの礼拝が行われるといわれている。2)

雨乞いの礼拝

今述べたのは特定の場所、あるいは人(聖者)が雨を降らせる力を有している例である。しかし、雨乞いの礼拝はイスラーム世界のほとんどすべての地域で行われており、こうした地域性とは無関係のケースも見られる。とくに現代のようにメディアの発達した時代では、雨乞いはしばしば国家単位で行われることも少なくない。もともと雨乞いは、農業と直接的に結びつき、また広範な地域に関連するため、個人的な祈願というより共同体全体の祈願という色彩が強い。したがって雨が少なく、旱魃の恐れのあるとき、あるいはすでに旱魃になってしまったときには国家規模で雨乞いが行われる。


ダマスカスでの雨乞い礼拝


イスラーマーバードでの雨乞い


エルサレムでの雨乞い


ジャカルタでの雨乞い


カーブルでの雨乞い


--note-- (←本文にもどる)
  1. ابن قتيبة، المعارف، القاهرة، دار المعارف، 1981 (ط.4)، ص.275.
  2. 聖者による雨降らしの奇跡については、私市正年『イスラム聖者』講談社現代新書、1996年参照。とくに北アフリカの事例にくわしい。

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