![]()
| ホームページ ⇒ アルジェリア写真紀行 ⇒ オアシス・ガーダイア サイトマップ |
1970年代のサハラ(砂漠)オアシス・ガーダイア Ghardaia/アルジェリア
![]() |
サハラの夕暮れ 1973年・冬 |
| 1973年 冬のサハラ(砂漠)へ向かう: 冬・2月、首都アルジェからサハラ(砂漠)への移動は厳しい状況が続いた。砂漠行きのオンボロバスはアルジェ発・早朝5時30分であった。砂嵐を避けるためか、中長距離バスは早い時間の出発が常である。 前夜、疲労困憊から安ホテルを探す気力もなく、危険に対する幾分かの意識は感じてはいたが、それより何よりもどうしようもない眠気に勝てず、港に近い通路に続く薄暗い階段で強引にシェラフ(スリーピングバック)を広げ熟睡していた。そして夜中に私を揺する中年のアラブの男がいた。目を覚ました私に、男は何事か私の理解できない言葉でささやき、右手で首を払うしぐさ(殺される)をした。そして「Gare、gare!(駅へ)」と言った。 薦められたままに、眠気を押さえ荷物をまとめ鉄道駅へ向かう。夜勤の駅員は英語は理解できなかったが、状況を理解し親切にも大理石のベンチに寝ることを勧め、入口ドアーには鍵を掛ける(しぐさで)と言った。 その後安心の中で、バスの出発時間ぎりぎりまで目が覚めることはなかった。 ![]() バスターミナルは左手モスクの近くのカスバであった 首都アルジェ/1973年・冬 顔も洗わず飛び乗った古い型式のバスは、UNESCO世界遺産(1982年登録)の旧市街・「カスバ」から定刻通り出発した。 その内、アルジェリアの遅い冬の朝が明け始め、ホコリに汚れきった窓から、遠く東の彼方に色鮮やかな朝焼けが見えた。その日の幸運はその朝焼けが唯一最後であった。バスはガタガタと始終揺れ、僅かに粉雪が積もったアトラス山脈をツルツルと滑りながら越え、スッテプ気候地帯に入って行った。ここでは公共交通とて「危険」という言葉など、さほど重要ではないらしい。雪であろうと、雨であろうと、乗客を運ぶ使命感は確かだ。その後、終日、激しい砂嵐の中を走ることになる。鼻から耳から咽喉から首もとから、目にも、あらゆる個所から超微粒のガラスと同質の砂が入り込み、現地の乗客さえも激しく咳き込むほどの砂嵐・・・ サハラへの旅は最初から予想もつかない厳しく波乱ぶくみであった。 時折休養を兼ねた町に止り、揺られ、また走り、新たな砂嵐の中をさらに走る。そうして荒れた岩だらけの平原の中に突然と巨大なくぼ地のようなワディ(峡谷)が現れる。それが地中海から650km内陸のサハラのオアシス・ガーダイアである。UNESCO世界遺産に登録(1982年)されている「ムザブの渓谷」の中心的な役割を果たすオアシスである。 南北に走る幹線道路から西側へ外れ、ワディへ2kmほど下るとオアシスとなる。ワディの中で発達したオアシスの旧市街は、頂点に尖塔ミナレットが立つ丘のような場所を中心に泥レンガの住宅が密集している。700〜800mの横幅があるだろう旧市街は、「カスバ」と呼ばれる古い造りの迷路(モロッコやチュニジアなどではメディナと呼ばれる)で、狭い路地は至るところで袋小路となり、非常に複雑な構成だ。ただ周辺にはエンジンポンプで汲上げた水を使ったナツメヤシなど栽培林が展開しており、かなりの規模で新市街も広がり、サハラにあっては洗練された大型のオアシスと言えよう。 ガーダイアから岩砂漠を抜ける幹線道路をさらに1,300km南下、途中エル・ゴレーアとイン・サラーのオアシスを経由すれば、遥か彼方のニジェールとの国境に近いタマランセットに至る。その東方へ直線で500kmには雨の降らないオアシス・ジャネット。車に乗り換え、さらに岩の荒野を徒歩で半日かけなければ達することができない、古代からの岩絵の残る世界遺産タッシリ・ナジェール山地が広がる。サハラの砂漠は広い、途方もなく広大な乾いた荒地だ。距離もスケールも人の想像を遥かに越えている。このサハラの別世界を認識できるのは、地図を眺め想像力だけで捉えていたのではまったく用をなさず、あくまでも現実にこの厳しい砂漠を訪れた者だけがその権利を持つことができるのだ。 オアシス・ガーダイアの旧市街カスバを歩き回り、ミナレットの近くの店で乾燥肉を仕入れ、プラボトルへ2Lの水を分けてもらった。その後、私は幹線道路まで歩いて戻り、偶然に通りかかった石油開発のフランス人の車に拾われ東方へ向かった。オアシス・オアグラまで150kmほど便乗させてもらい、このフランス人と別れ、砂丘の上でシュラフを広げ、粉々に割れたガラスをばら撒いたの如く輝く満天の星に守られながら眠りに付く。疲労が激しく投げやり的に「サソリも毒虫も何でもいいや・・・」と思いながら熟睡の世界に入って行く・・・ さらに歩き、再び砂丘で眠り、あるいは時折通るトラックに便乗しながら先へ進む。その後、なおも距離を稼ぐ私は広大なサハラの砂漠で、アルジェリア軍MPによって「スパイ行為」として拘束されてしまう。ジープに乗せられ基地へ連行された後厳しい尋問を受ける。時代は1954年に勃発した長いフランスとの紛争で独立を勝ち取ってから10年しか経過していない緊張が色濃く残る時期、フランス側に味方した「アルキ」と呼ばれるアルジェリア人を筆頭に、10万人とも14万人とも言われる戦死者を出し、人々の支払った犠牲と辛い記憶が完全に癒えない頃であった。 ここは歴史的にフランス語圏であり、英語のまったく通じない軍事基地での軍による尋問は長時間続けられ、何が何だか分からないまま、色々な書類にサインをさせられ、そして半日過ぎて、理由も分からず「スパイ行為」から一転して「釈放」が言い渡された。その間、拘束とその後の予想できる自分の身の上を考えた時、経験したことのない恐怖感が増幅され、私の大腿部はブルブルと震え、それが止ることはなかった。自身の「生命の終り」を初めて考えたあの1973年の冬の出来事を、今後も可能ならば想い出さずに済むことを祈りたい。誰しも人は、想い出したくない人生の時間がある。このサハラの砂漠での連行と基地での尋問は、どれ程の時間の経過があっても、なおも鮮明のままである私の記憶のファイルが、早く劣化してしまうことを願いたい ・・・ 個人ツーリスト向け/首都アルジェのホテル検索と予約: JTBの海外ホテル予約 |
| ホームページ このページのトップへ |
カスタム検索
海外ツアー(チャオ)/エイチ・アイ・エス 世界のミネラルウォーターのセレクトショップ・「水広場」
マイルがたまる 「JALカード」