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1980年代初め・ブカレスト Bucharest/ルーマニア
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ブカレスト野外農村博物館 首都郊外/1982年・冬 |
| 1980年代初めのブカレスト滞在: 1980年代初めのルーマニアは政治も経済も、社会も、何もかも正に本当に厳しい状況であると感じざるを得なかった。 秋が終わり冬が始まろうとしていた時期、私はブルガリアの民族野外博物村のエタルや古都ヴェリコ・タルノヴォなどを回り、北部ルッセからドナウ川に掛かる鉄道と道路が上下に走る長い鉄橋を歩いて渡りルーマニアへ入国した。ドナウ川がブルガリア・ルーマニア両国の国境線の殆どを形成し、当時、このポイントの上流・下流共に250km以内には国境ポイントはなかった。 この時代、国際社会は東西が激しく対立する冷戦の時代であり、社会主義の優等生と言われた東ドイツのみならず、東欧の多くの国が国境線に軍隊を駐屯させる厳しい緊張状態にあったのだ。ルーマニア側の出入国業務は国境警備軍と思われる兵士が担当していた。首都への列車時刻も迫り、渡したパスポートは3時間経過してやっと返却されてきた。「早く入国したければ・・・」と小声で「ワイロ」を仄めかす担当兵士もいた。 この国境ポイントから鉄道駅まで3kmの道のりを重いリックを背負い駈け足で進む。何とか間に合い飛び乗った首都行きの列車の車掌は、はっきりとワイロと分かる言いがかりを付け、強引にエキストラ料金を要求して来た。乗車券を買う際に確認した駅の担当者から、私が購入した切符には座席指定料金など全てが含まれていると言われたに拘わらず。もし列車の車掌が正しいとすれば、私は駅の切符販売の担当者へ余分な料金を払ったということだが・・・ 軍人も公務員も含め、どこでも役回りの良い立場を最大限に活用し、事実としてワイロが当然のような社会が存在していた。乱れ過ぎた社会の縮図、その負の現実の状況に遠い日本から来た単なる旅行者である私も確実に巻き込まれていた。 私がドナウ川の国境ポイントで乗った列車はブルガリア・ソフィアとルーマニア・ブカレストを1日1往復する国際列車であった。乗客が殆どいない列車は、夜20:00、首都ブカレスト・ノルド駅に到着する。ノルド駅はブカレストの「中央駅」であり、遠くはイスタンブール、キエフ、ブダペスト、ウィーンなどから国境を越えてやってくる国際列車の終着駅であった。その国際列車を迎い出る首都の中央駅の構内は、かろうじて切符売場だけが暗い裸電球で照明されている以外に照明は全くなかった。誰も彼も黙って真っ暗闇の中で家路を急いでいた。唖然とする驚きと事前に滞在したギリシアで得た「厳しい」とする東欧情報が、ほとんど間違っていないことをはっきりと知らされた。 大通りの街路灯も全て消され、時折通るタクシーか軍用車のヘッドライトで周辺が明るくなり、歩道を歩く無数の人々のシルエットが急に浮かび上がるという、どうしようもなく暗い市街であった。かつて「東欧の小パリ」と呼ばれた首都ブカレストでさえも、悲しくなるほど見る影もない状態であった。 冷たい小雨が降り始めた暗い首都の市街を歩き回り、やっと見つけたホテルの部屋には20wの暗い裸電球が一つだけ細々と点灯していたが、電圧の不安定からか明るくなったり暗くなったりしていた。入室後30分でその電球が切れフロントへ連絡したが、手持ちのスペア電球もなく、しかたなく真っ暗の部屋で手探りでベッドやトイレを確認する。記帳の時にフロントで「お湯が出る」と言われたシャワーは、結局冷たい水が細く流れ出るだけで、もう黙って寝る以外に術がない始末であった。 ソビエトを除く東欧諸国で唯一「産油国」であったこの国ルーマニアは、国際収支の支払代金として「大切な原油を輸出せざるを得ないほど困窮にある」、という情報が堂々と流れ、東西冷戦下のこの危険な時期にあえてリスクを覚悟で東欧を旅する旅行者なら誰でも知っていた。結果重油を原料とするルーマニア国内の火力発電所は燃料切れで役目を果たせず、国民は暗い照明の下での厳しい生活を余儀なくされていた、とするのが現地を旅する人の常識的見解であった。 もはや「正規の旅行者が普通の旅行をする」という当たり前のことができない程乱れ過ぎた首都で、唯一気分転換ができたのが、市の北方にあるこの野外農村博物館であった。 寒く厳しい冬が始まった11月という時期柄なのか、あるいは生活に追われ博物館を訪れて民族の伝統や歴史などの知識を得ようとする向上の気力さえも生まれない 暗く厳しい社会状況のためなのか、ここを訪れる首都の人々も、海外からの観光者も誰もいない。 博物館の広い敷地には、かつて18〜19世紀頃に地道な繁栄と伝統と文化が確立されていたルーマニア各地の農村地帯で、実際に居住されていた家々や教会などが数多く再現されていた。ゆっくりと回り、数時間の滞在の後、私は博物館ショップでこの国の伝統的な笛を1本だけ買った。白のブラウスで黒のパンツ姿、ショップで働く笑顔が綺麗な若い担当女性スタッフの明るい対応は、混乱の社会とはまったく異なり、私にとり「清楚な花」であった。それは何年経っても忘れ難い好印象を私に残した。 いつか、1990年代になり幾多の困難と努力と犠牲の上で民主化された新生のーマニアを訪れたいと思う。その時、1980年代初期にこの国を訪れ、「暗い想い出」だけが脳裏に焼き付いた私の記憶のファイル棚から、厳しい状況と嫌悪の経験を払拭できるのでは、と思っている。いつか、間違いなく素晴らしい国であるはずのルーマニアを訪れ、普通の旅行をしてみたいと思う ・・・ ブカレスト観光局URL: http://www.romaniatourism.com/bucharest.html
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