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「トロイ戦争」の舞台トロイ遺跡 Troy/トルコ


トロイ遺跡・「東の塔」
エーゲ海沿岸地方/2004年・夏

 
  長編叙事詩・《イリアス》は、今から2,750年ほど前の紀元前8世紀後半に活躍したと言われる古代ギリシアの詩人ホメロスによって書かれた壮大な作品の一つである。その中で語られている「トロイ戦争」の「木馬」で余りにも有名になった古代エーゲ海文明の重要な場所が、トルコ西海岸地方に残るトロイ遺跡である。
  「トロイ戦争」とは、3,500年ほど昔、このトロイの地に栄えた都市国家・「イリオス」の王プリアモスの時代、イリオスとエーゲ海を隔てた宿命の敵であったギリシア連合軍(アカイア軍)との戦いを言う。
  伝説による戦争の発端は、イリオスの王子パリスが許さざることか、スパルタの王メネラオスの王妃でギリシアきっての美女へレンに恋して、彼女を自国へ連れ去ったことから、ヘレン奪回に大義名分を掲げ、ギリシア連合軍が宿敵イリオスへと侵攻して行く。神話と現実の国家政治とが融合した壮大な物語である。
  戦いは一進一退で10年の長きに及び、最終的にはメネラオスの兄のミケーネ王アガメムノンを総大将としたギリシアの大軍は、10万の軍勢1,100艘を数える舟を動員してイリオスへの総攻撃をかけた。プリアモス王の強き息子ヘクトルを倒すアキレウスの大活躍を初め、オデュッセウスの発案と言われる複数の兵士を忍ばせた 「トロイの木馬」 での策略により、プリアモス王の統治する繁栄の都市国家イリオスを陥落させてしまう。「木馬」に隠れて功績を挙げた戦士の中に遠くクレタ島から遠征してきたミノア王イドメネウスがいた。
  当時「イリオス」と呼ばれエーゲ海域に勢力を誇っていたトロイはこの戦いで負け、街には激しい大火災が起こり、凄惨な殺戮が行われ、それ以降、王国イリオスの名はギリシア世界の神話から消え去り、歴史と人々の記憶から遠ざかって行くのである ・・・
  現在見ることのできる遺構群は、ギリシア・ミケーネやティリンス宮殿遺跡なども発掘したドイツ人・シュリーマンが、本来実業家であり考古学の専門家ではなかったこともあり(財宝目当ての盗掘者とさえ言われている)、重なる時代のレイヤー(時代地層)の重要性を殆ど認識しない状態での発掘作業を行ったことから、その多くは判別が難しい状態で保存されている。
  従ってこのトロイ遺跡を訪れたツーリストの殆どはそれなりの考古学、特に古代エーゲ海文明やギリシア・ローマ文化の基本知識を得ていなければ、複雑に重なり合っている遺構群は意味のない単なる石材の散在であり、この世界史の重要な遺跡はただ破壊された混乱の場所としか映らないかも知れない。
  期待して訪れる時間のないツアーツーリスト達は当然のこと、時間や行動範囲に余裕のあるはずの個人ツーリストであっても、このトロイ遺跡の滞在時間は1時間程度であろう。近年、多くの出版物や映画で盛んに評判され、3,500年以上前の「トロイ戦争」への人々の関心が高まったにも関わらず、いざ訪れてみると、現実のトロイの遺跡は予想外に狭くインパクトに欠ける遺跡と感じるはず。
  特に映画を通じてトロイに対して「壮大なイメージ」を描いて訪れた人のある意味で落胆は大きい。アメリカ映画特有と言える、莫大な費用を注ぎ込んだ映画の中の圧倒されるほど高い城壁、きらびやかで豪華壮麗、海岸沿いの丘に繁栄するあのイリオス宮殿と街の姿、それと現実に自分の目の前に散在する3,500年前のイリオスの街の遺構を即座に合致させる想像力は、残念ながら普通の人は持ち合わせていない。
  遺跡見学の入口にあたる「東の塔」付近に立つ時、「あの美しいトロイの街がコレなの? エッ本当に? まさか・・・ だってこれじゃ、ブラピ(ブラッド・ピット)のアキレウスの活躍がウソみたいじゃない。美人のダイアン(ヘレン役ダイアン・クルーガー)はこんな所に居たの・・・?」という具合で、はるばる日本からやって来た美しき女性グループから声が上がるのは珍しいことではない。それはまるで出来過ぎたテレビドラマの「続き」を暗示させるシーンのように、多くの人の心には期待に比例する大きな感動ではなく、驚きと落胆が同時にやってくる。

  歴史の経過の中で、かなりの部分が周囲の農耕地に紛れてしまったと想像できるが、現在トロイの「遺跡区域」として確保されているのは、一辺がおおよそ400mx500mx650mほどの「不等辺三角形」をした東西方向に細長い敷地であるが、実際に目で見ることのできる遺構が展開されている区域はその内の半分程度である。残りの部分は、かつての発掘時に捨てられた土砂の山積みと荒れた区域、そして幾らかの未発掘エリアで、しかも遺構群のほとんどは一般の人には判別が難しい基礎部分だけである。正しく、ここはアテネのあのアクロポリスの丘に残る壮麗なパルテノン神殿や圧倒されるエジプトのピラミッッドなどとはまったく異なる遺跡なのだ。
  それぞれの国の方針と充当できる文化系予算にもよるが、東地中海のキプロスに見られるように、考古学博物館だけでなく、ほとんど全ての古代遺跡を徹底的に整備して、多くの遺跡では常駐スタッフを置き、その研究と管理に力を入れている国もある。が、ここトロイでは世界遺産の登録遺跡にもかかわらず、現地ではかなり努力して頑張っているが、「人気の高い観光」という分野への対応に関しては、隣りのギリシアやキプロスに比べ、若干その管理と「見せる」という当局の策とパワーに不足と遅れがあるのは確かかもしれない。
  またそうだとしたら、言ってしまえば、ほとんど混乱に近い雑然としたトロイの遺構群を見る時、その歴史の本質を理解するためには、相当量の予備知識とかなりの考古学の発掘現場での「見る経験」を重ねなければ、古代へのタイムトンネルを進むことは難しいということでもある。トロイ遺跡のUNESCO世界遺産登録は、物理的な遺構の規模や世間好みの単純な歴史のイメージからではなく、トロイがもつ長い歴史とその混沌とした複雑で深い意味と史実内容の重要性からの判断であったと考えても良いであろう。

  トロイの歴史は非常に古く、そしてこの都市国家は戦争と平和、地震や火災による崩壊と新たな建設と繁栄をその長い歴史の中で何回も繰り返してきたことが分かっている。古代と言わず、人類の歴史は正に安穏な平和と戦争による破壊、そして再生の交互連鎖の積み重ねと言える。
  エーゲ海にほど近い「ヒサール・ルック」と呼ばれるこの地に、研究者が「トロイ第1市」と呼ぶ最初の都市が築かれたのは、5,000年ほど以前の紀元前3000年頃である。この期が約500年間続いた後、「トロイ第2市」へと引き継がれる。それはエーゲ海クレタ島に興ったミノア文明・初期ミノア第T期の繁栄と殆ど同じ時期に相当する。
  約200年程続いた「第2市」は小さいがほぼ円形の城壁に囲まれた街であった。ちなみに発掘者シュリーマンはこの「第2市」に属するレイヤーから金製カップ、ネックレスなど「プリアモスの財宝」と呼ばれる5,000点以上の多くの宝飾品類を掘り出した。続く「トロイ第3市」から「第4市」・「第5市」は雑な発掘方法やレイヤーの複雑性から、現在でもその内容の詳細は殆ど解明されていない。
  「東の塔」の右脇の立派な通路が紀元前1700〜1250年頃と断定される「トロイ第6市」の入口であり、その後方の見事に石組みされた長い壁面は、やはり「第6市」の時代に属する城壁である。この「第6市」と断定できるレイヤー、特に頑強な城壁は半円形状態で残され、トロイ遺跡で最も大規模でかなり広範囲に渡って確認されている。専門的には、「トロイ第6市」とそれに続く上層である「トロイ第7市」のどちらかが、叙事詩・《イリアス》に書かれた「トロイ戦争」の舞台になった都市国家・「イリオス」ではないかと理解されている。ただし「第7市」に属する遺構はそれほど多くはない。
  その後トロイはギリシア人の植民都市である「トロイ第8市」、そしてアテナ神殿、音楽堂や議事堂など比較的良好な状態で残されている遺構に代表されるローマ人の都市「トロイ第9市」へと引き継がれる。ローマ帝国はテオドシウスT世が最後の皇帝となり、紀元395年に東西に分裂され、皇帝の長男と次男がそれぞれ東と西の領域を治める新たな皇帝となる。当然トロイは東ローマ帝国支配下の町となり、それ以上の発展を見ることはなかった。その後トロイは紀元600年頃に起こった火災が原因となって、3,500年の間連綿と続いたその波乱と輝かしい歴史に終止符を打ち、1870年以降にシュリーマンによる発掘が行われるまで、伝説のまま地中で静かに眠り続けるのである。

  かつて繁栄を極めたトロイの遺跡は、現在なだらかな丘陵と平原が果てなく続くトルコ西部のエーゲ海沿岸地方に広がる整備された農耕地の中に佇んでいる。3,500年以上にわたり都市国家トロイが繁栄し続けた理由はその地の利にあったと考えられる。
  長い年月の間に海岸線後退が進み、現在では穏やかなエーゲ海は直線距離で約5kmに遠ざかってしまったが、かつてトロイが繁栄した文明の時代には、映画の設定のように、エーゲ海がトロイの街の目の前まで達していたことから、海上交易の優位性は申し分なかったであろう。そして今でも遺跡区域から200m西方と北東側に小川が流れる平原地帯を見る時、ここでは間違いなく豊かな農産物が収穫され、街には活気が溢れ栄えていたに違いない。
  またトロイの王国は大都市コンスタチィノポリス(イスタンブール)へと続く最狭幅約1kmの戦略的な要衝ダーダネルス海峡を通過する交易の舟からの通行税を初め、豊かな周辺耕地からの税収入、そしてエーゲ海を隔てる西方のライバルであるギリシアの都市国家が、その存在を軽視できなかった強力な軍事力を背景に大いに繁栄したことを疑う余地はないだろう。しかし、いみじくも歴史は、トロイのようにどのような強力な国家であっても、誰も考えも付かなかった「木馬」の策略があったか否かは別として、時代の経過の中で「いつか滅びていく」ことを証明している ・・・
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