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1970年代のデルフィ遺跡 Delphi/ギリシア
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デルフィ遺跡 「アテナ・プロナイア聖域」 中部ギリシア地方/1972年 ![]() |
| デルフィ遺跡はその殆どが中部ギリシア・パルナッソス山脈の険しい岩山の斜面に残されている。「ギリシア神話」によると、かつてデルフィには大地の神ガイヤの象徴である大蛇が占拠していた。その後光明の神・理想の青年神アポロンが大蛇を退治して、自分の神殿となるアポロン神殿を建て、神託(神のお告げ)を行なっていたと言う・・・ 神域の最も東側には正確に設計された円形神殿などが残るアテナ・プロナイアの聖域があり、その西側には遺跡の中心となるアポロン聖域が広がり、60mx23mの基盤をもつドーリア様式アポロン神殿、上方の急斜面に造られた5,000人収容の円形劇場、そして複数の宝庫や奉納像・記念碑などが連続的に配置されている。 神域の最も西側は岩山を掘削して建造された6,000人分とも、7,000人分とも言われる観客席が当時のまま残るローマ時代のスタジアムとなる。このスタジアムではオリンピック競技と同様な「ピュティア祭」が4年毎に開催された。 デルフィの最盛期は紀元前6世紀頃であった。当時デルフィは「世界の中心」と考えられていた。この地は遠方からの巡礼者が大挙して訪れる重要な神域であり、奉納された貢物を収容した宝庫のみならず、整然とした敷石の聖道脇で宝物を並べたと想像できる無数の奉納台などの存在が、今なおデルフィの富と力を代弁している。 栄華と繁栄を誇ったこのデルフィであったが、 アレキサンドロス大王のヘレニズム時代の後、紀元4世紀になると古代ギリシアの政治と経済の中心がコンスタンティノポリスに移り、急速に発展したビザンティン(東ローマ)帝国の異教徒迫害により、神域は完全に破壊・閉鎖され衰退して行った。 遥か下方のコリント湾のイテーア方面には、 かつて「聖なるオリーブ林」と謡われた緑銀色のオリーブ林が海のように広がっている。 ギリシア政府文化省URL: http://odysseus.culture.gr/index_en.html
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