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クレタ島 フェストス宮殿遺跡 Phaestos/ギリシア


フェストス宮殿遺跡・「南西翼部」
クレタ島/1982年
  クノッソス宮殿と同様に、この宮殿は紀元前1900年頃最初の旧宮殿が造られ、300年を経過しない時期に火災、又は地震で崩壊されるがすぐさま再建された。現在見ることのできる遺構の大部分は、この再建された新宮殿の基礎部分である。
  フェストス宮殿では、他の大宮殿には確認できない旧宮殿時代に属する舗装された大きな広場(西中庭)が残存していることも特徴的である。この宮殿の役目は間違いなく目の前に展開するクレタ島最大の農耕平野メッサラを管理することであった。
  宮殿の構成はクノッソス宮殿やマーリア宮殿などと同様に、ミノア時代の伝統に従ったスタイルで中央中庭を設けているが、サイト全体が丘の頂上付近で若干の斜面も利用していることもあり、主に中庭の西側と北側に儀式・宗教的な重要施設や王と家族の生活区などが集中している。また、丘の上に建造されたということから、丘の端面付近では、残念ながら一部分崩落が起こっている。

                         
                             フェストス宮殿遺跡・「大階段」周辺
                                   クレタ島/1982年

  見学者は受付入口からまず大階段と呼ばれる区画へ向かう。現代なら豪華な劇場の入口階段に匹敵する12段のステップを登ると、大型石柱が並ぶ儀式用の大広間や王の居室などの区画となる。また大階段ステップの最下部にある深い変形ピットからは、何らかの儀式に用いたと推測できる動物の骨などが出土している。

  中央中庭に面している宮殿南西翼部は非常に複雑で、その用途と機能に関しては専門家でさえも確実に断定するのが難しいと言われている。ただその一部は、間違いなくクノッソス宮殿西翼部の神殿宝庫の周辺に区画されているのと同様な宗教関連の目的に使用されたと考えられている。
  石膏石製ベンチを設けた小部屋には円柱礎があり、凹みの付いた低いテーブルも置かれている。この小部屋の南側には複雑な造りの部屋があり、長方形の石碑が残されていることから、支柱を配置した聖所であった可能性がある。もしそうであるならば、聖所とベンチの部屋とは深い関係があったはずである。
  ベンチのある部屋の更に南西の区画には儀式的な行為を行なう2ケ所の聖なる浴場があり、この部屋には宮殿崩壊の際の大火災で焼けたと考えられる 石膏石の円柱と背の高い石製ランプ・1個が残されていた。またベンチの部屋の西側には、壁面にミノア時代の重要な聖なる記号である両刃斧の印が付けられた4つの小部屋が配置されている。発掘時に、いずれも室内から祭祀・儀式に使うと思われる用具が出土していることから、聖所的な部屋であったと断定できる。
  この宮殿遺跡からは未解読文字・「フェストス円盤」や多彩色の台座が付き、白色の大型花弁の立体装飾を施した「カマレス様式クレテール」など、ミノア文明を代表する極めて貴重な品々が数く発掘されている(イラクリオン考古学博物館在)。宮殿遺跡の発掘はイタリア考古学チームが担当している。

  なおフェストス宮殿の西方4kmには「準宮殿様式」のアギア・トリアダ遺跡が、南西約2.5kmには円形墳墓のカミラーリ遺跡が発掘されている。
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