今日は京都をぶらぶらである。01/7/28
12:22
用事があって関西に出かけた。半日ばかり、京都で過ごす時間がある。世界中を旅するのも良いが、日本には千年の都、京都がある。
京都駅は国際都市として流石に立派でモダーンな建物になっている。ただ、中に入って見ると、まるで迷路のようだ。自分が何処にいるのかを掴みきれない。
以前の京都駅は木造の駅舎とプラットフォームがあっただけの単純構造で分かり易かった。駅とは本来、切符売場と改札とフラットフォームがあれば、それが全ての筈だ。
今の京都駅は土産物店やレストランや、ホテル、百貨店などがひしめいていて、本来の駅の機能が埋没しかかっている。
これは、京都駅を作る時、商業主義が人々の心を虜にした結果に依るのであろう。この世に何か事件が起ころうとすると、会社人は其処に金儲けの種を見つけなければならない宿命の中で生きている。会社にいる営業という職種の人はすべてを会社発展の為に結びつけて考える。そして、物事はすべてビジネスとして評価され、それがこの世の最高の価値となる社会に我々は住んでいる。その結果、出来上がったのが京都駅だ。
「総合案内所(Information)」と看板が掲っているオフィスがあったので、入って
「京都市内の地図をください」
と私は言った。
「ここは外国人の方だけを案内する事になっています」
と中年の女性事務員は不愛想だった。
私は206番のバスに乗って、祇園まで行った。そして、八坂神社に入り、円山公園を左に抜けて、知恩院に行った。私は何故か知恩院にしばしばやって来る。あのどっしりとして、単純な木造建造物の重量感が好きなのだ。
今日は温度が37度以上もある真夏日である。ここ数日間は、日本全国太陽が照りつけて、熱中症で倒れた人達も数人出たという。
御影堂では、僧侶がよく響く声で経をあげていた。私は本殿に上がり、そのお経を聞いていたら、汗がすーっと引いて、気持ちまで落ち着いて来た。大伽藍は吹抜けになっているので、風がよく通り、爽やかであった。外国人も熱心にお経を聞いている人がいた。
その後、鴬廊下と言われる廊下を歩いた。昔、高校生として卒業旅行に来た時と同じ様に廊下は歩くたびにキュッ、キュッと鳴った。
知恩院から八坂神社に戻り、それから四条大橋まで歩いた。そして、先斗町の喫茶店に入った。この店内には置屋と芸奴名の書かれた団扇が何十本も壁に飾ってあった。
私には八坂神社については思い出がある。
35歳の桜の頃、東山大通りに面した八坂神社に花見に来ていたのだが、いざ帰ろうとして八坂神社の階段を降りた所で、二つのグループが喧嘩で大立ち回りを演じている場面に遭遇した。私も見物している野次馬のひとりに加わった直後のことであった。頭に異変を感じたので、顔を触ると手にはべったりと真っ赤な血がついていたのだ。私は当初事情がよく飲み込めなかった。左目の上の部分から血が吹き出して、顔面が血だらけになっていた様だ。興奮していた所為か痛みは感じなかった。後で、分かったことだが、喧嘩をしていた二つのグル−プの内の一人が折りたたみ傘を投げつけ、それが運悪くも私の左頭部を直撃したのだ。
私は救急車で清水寺の近くの病院に運びこまれて、5針ほど縫った。
医者は「もう5センチ下に当たっていたら、左目は失明していた」と言った。
その後、京都四条警察署に行った。調書を取ると言うのである。私は、単なる被害者なのだがそういう手続きが必要というので真夜中も過ぎていたが、行ったのである。私は、折りたたみ傘が当たった時の状況を述べたり、告訴しますかとか尋ねられたりしていた。
その時である。
「人を殺した」
と大声で叫びながら、一人の男が署内に乱入して来た。ナイフで人を刺したようだ。服装は乱れ、裸足である。警官が付き添っているが、この男はつい先程犯した殺人という重大事に自分も舞い上がってしまっており、興奮状態がピ−クに達して大声で叫びながら暴れていた。私の気分としては、古都京都の真夜中は殺伐としていて、この世のものとは思われない修羅場であった。
京都にはいろいろ思い出がある。