峯相記(みねあいき)について

 

峯相記(みねあいき)」は(みね)相山(あいさん)鶏足寺(けいそくじ)の僧の語りを、この僧坊を訪れた著者(名前は残っていない)が筆録したと言う形式をとっている。時代は鎌倉時代に播磨西部に住んでいた一人の僧がみた当時の世相が描かれている。

(みね)相山(あいさん)鶏足寺(けいそくじ)(みね)相山(あいさん)山中にあった。(みね)相山(あいさん)は兵庫県の西部、JR姫新線龍野駅の北東五キロにあり、播磨国風土記では「(いな)種山(だねやま)」と呼ばれていた。鶏足寺(けいそくじ)は秀吉の命により黒田官兵衛によって焼打ちにされたので当時威容を誇った大伽藍や僧坊など三百以上もあった建物は、今は何ひとつ残っていない。
  鶏足寺(けいそくじ)は神功皇后が新羅から連れ帰った新羅国(しらぎのくに)の王子によって開祖されたと「峯相記(みねあいき)」は述べている。即ち、まだ仏教が本格的に倭国に輸入されていない頃、ここで始めて千手(せんじゅ)陀羅尼(だらに)を誦えたのは新羅国(しらぎのくに)の王子であった。王子は生涯をこの地で僧侶として過ごし、故国に帰ることなく入滅したようだ。

峯相記(みねあいき)」については私の知る限り現代語の訳文は無い。それで定年退職後のヒマにまかせて現代人が読み安い文章にしてみようと思い立った。理由はこの地はわが郷里と近く、今、東京に住む身なれば懐かしく、まだ多少とも土地勘もあるからである。