たつの市・揖保川町半田の堤防から北の方向を眺めると、土地の人々が言う「寝釈迦」が見える。連なる山々がお釈迦様が仰向けに寝ている形に見えるのである。頭は鶏籠山、腹部は的場山連山であろうか。お釈迦様はまことに堂々とゆったりして、仰向けになって天空を眺めていらっしゃる。
この寝釈迦を眺めるていると、気持ちが安らぎ、不思議に落ち着いた気分になる。日常の些細な事を悩み、苦闘する人々に「そんなことはどうでもいいのだよ」と語りかけているように見えるのである。
寝釈迦を構成する山々は揖保川下流の馬場辺りからでも見えるが、それは見る角度が違うので、最早、寝釈迦ではなくただの山である。即ち、寝釈迦として見るには、寝釈迦として見える場所に行かねばならぬ。その場所は決まっている。
私たちが見る「真実」も、それが見える場所があり、そこに行かないと見えないらしい。私は若い時、「真実」が真実であれば、それは何処からでも見える筈だと思っていた。 しかし、「真実」はそれを見る為の場所というお膳立てが整った時、始めて姿を現すのである。
そして、その場所ーお膳立というのは、ある程度の歳をとるということかも知れない。