大学を卒業して四十二年という長い時間が過ぎて、ほぼ誰もが現役を引退して、来し方、行く末に思いを馳せる年齢となった。概ね、誰もが六十四、五歳である。誰言うともなく
「同窓会をやりましょう」
と言うことになった。
同じ専攻学科に在籍した同窓生は僅か二十名である。しかし、誰もが同窓会を待ちわびていたのであろうか、半数以上の十三人が母校のある懐かしい神戸に集まって来た。担当の教授は五名だったが、既に他界されていた。
私は幹事だったので、その日になると、少し早めに東京の自宅を出て、新幹線で神戸に向かった。途中、静岡在住のK君と名古屋駅で、合流する手筈になっていた。
名古屋駅に列車は到着したけれども、K君はなかなか現れなかった。列車が動き始めてから、ようやくK君らしき男が通路を歩いてやって来た。四十二年前の記憶を辿れば、やや細身になっているが、何かしらK君らしき風情を漂わせている。
「K君ですか」
私が訊くと、その男は頷いてにっこり笑った。四十二年ぶりの再会であった。
同窓会は神戸港がよく見える「ハ−バ−スカイ」という17階にあるレストランで十二時半の開始であったが、十二時を過ぎるとぼつぼつ皆が集まり始めた。
四十二年ぶりに見る面々は最初、見分けがつかない。しかし話し振り、表情など眺めていると、結局、昔の面影が蘇って来た。むしろ、二十二、三歳の頃と何も変わっていないと言う印象の方が段々強くなって来た。結局、この人生をどれだけ長く、それぞれに異なる環境で生きたとしても、人間は生まれた時から持っている根本のところはなかなか変わらないものの様だった。一生涯きっちりと業の様な、何か根深いものを引きずって人間は生きている。
同窓会では私が忘れてしまっていた事でも、皆が覚えていて思い出させてくれる。私の場合は、「卒業論文ギリギリ間に合った事件」がある。私が依頼していたタイプ屋の遅れで、大学が設定していた卒業論文の提出期限日の〆切時間が来たにも拘らず私だけは未提出になっていたのだ。これは私自身が甘かったのだが、依頼していたタイプ印刷所の仕上がりが遅れていたことも原因のひとつだ。大学の事務局員がドアを閉めようとするのを、友人たちが強引に阻止をして、私を待っていてくれたのだ。ギリギリ私が駆け込んで、メデタク卒業出来た事件である。私はすっかり忘れていたが、今思い出しても冷汗が出てくる。
仮に卒論提出が〆切に間に合っていなかった場合、私はもう一年、大学に留年することになり、人生は今と随分に異なったものとなっていたであろう。案外、もっと真っ当な人生を送っていたかも知れない。友人たちの行動は私の人生を大きく変えたのだ。
02/8/26 7:45