或日、突然「金は要らない」のではないかと思うようになった。

一応、生活周辺の金が有れば事足りるに違いない。即ち、外出した時、食事をする金、しかし、これも別に贅沢する必要はない。贅沢な食事は健康にとっては害悪なことが多い。贅沢を繰り返していると、栄養過多となって様々な成人病を誘発する。世に言う粗食こそ、六十歳以後の食事と言うべきであろう。食い物を調理という加工によって美味に変化させ、無理矢理、胃の中に流し込むのは自然の道理に反している。素材の持つ美味を小食の習慣の中で味わって食べることこそ王者の食事と言うべきである。

生活周辺の金と言えば、映画を見る金、これもシニア割引などあって割安だ。

本を買う金も必要だが、装丁の立派な流行の本など、大抵の場合、内容にはがっかりしてしまう事が多いものだ。むしろ、文庫本に古典の名作が揃っている。例えば、三木清の「人生論ノート」など現在八十六刷版が書店に並んでいるが、これなど価格も280円と牛丼並みの安さである。

時々、旅に出たいものだ。旅も安く仕上げる方法はいくつかあるが、旅は癖になって何回行っても切りがないようなところもある。何十回、何百回と旅に出ても、この世の全てを見ることは到底不可能であろう。

私にとって「金を使う」と言う場合、以上に述べた事以外には思いつかない。従って、以上に述べた事以外用に金が出来たとしても、只途方に暮れてしまうだけだ。

ましてや、今さら退職金を注ぎ込んで新規事業を起こそうなどとは考えた事が無い。その場合、精神と身体の維持に大変なエネルギーを必要とするであろうし、一文無しに転落する危険もある。仮に、六十歳を過ぎた後に、大儲けをしたとしても、一体それらの金を何に使うのか、皆目イメージが湧いて来ないのだ。

01/4/30:26

60歳と金