或5月の夕暮れ時、玄関に、塵取りと紙袋が置かれていた。この紙袋は百貨店の買物袋で、大きくて丈夫だ。その中には、かき集められた玄関のゴミが入っている。
前屈みの痩身の老人が先程から慣れない手付きで長い箒を持ち、玄関周りの掃除をしている。動作は緩慢で、まるでスローモーション映画を見ているようだ。玄関のゴミを箒でかき集め、塵取りを使って紙袋の中に入れるという作業を続けている。
「あなた、じっとしていないでもっと身体を動かしたら・・・」
奥様のアドバイスでもあったのであろう、本人はやりたくてやっている様にはとても見えない。頭には乳白色のゴルフ帽、足元には茶色の年代ものの靴を履いて、顔には表情が無く、全く生気がない。
「急にすっかり老人になってしまった」
近所の人びとの印象である。
昨年迄、毎朝、会社差し回しの黒塗りの車が玄関前に止まった。白い手袋の制服の運転手は最敬礼をして彼を車に迎え入れた。
「行ってらっしゃい」
奥さんが手を振って見送るというのが毎朝見られた風景だった。
颯爽と車に乗り込んでいた彼は大会社の役員であった。
この情景をイソップ物語風に締めくくるならば、「エネルギー(または元気)を全部消耗してしまうまで、会社に留まってはいけない」と言うことを説き明かしていることになろうか。
会社・仕事が存在しなくなって、始めて見えてくる新しい世界と言うものがあるかも知れない。或いは仕事がなくなった後の人生の時間も、それまでの時間と同じように貴重な時間であり、その時間を活用するだけの幾何かのエネルギーを残しておくべきだと思う。
会社勤めは元々経済的目的達成の手段に過ぎなかったのであり、過度に其処に、人生そのものの価値を期待するのには無理がある。
02/3/2019:15