以前勤務していた会社の友人と飲みたくなって立ち寄った。この会社は伝統ある大会社の子会社である。行ってみると、社長の退任が確定したというニュースが流れていた。社長は65歳であった。「まだまだ、後10年はやるぞ」と社長は意気軒昂であったのだが・・・。
社長の退任は、社長自らの自発的な意志によるものではなく、全グループ会社のリストラの流れの中で、新しく出来た最高意思決定機構がグル−プ会社を含め「すべて社長は62歳を定年」としたのである。私は社長の為に喜ぶけれども、社長の心は何処にあらんやと心配だった。
社長などという地位にあると、そのことが前提となって存在の基盤が出来上がってしまっているところがある。社長は月例の部次長会でごく簡単に自己の退任について述べたそうだ。ただその説明は簡単過ぎたので、その会議の出席者の誰も部下には公式には伝えていないという状況であった。従って、社長の退任はほぼ確定していながら、誰も口にしない状態が今月に入って続いている。
先日、社内のゴルフコンペがあって、参加した40代の人事課長が社長への記念品の送呈について、社長の面前でコンペのメンバーに向かって話をしたそうである。これにより一般社員も公式に知ることとなった。人事課長は先走ったわけではなく、多分、忠実に任務を遂行しただけである。
この会社は終身雇用を標榜してきた会社であった。が、もはやその維持は出来ない状況に来ていた。終身雇用といっても、決して職場の人間関係が良かった訳では決して無い。むしろ、人事の長期固定化からくる陰湿な人間関係の呪縛の中で人々は喘いでいたと言う方が妥当であろう。
私は、何か落ち着かない気分だった。
ある年齢に達すれば、身分の上下を問わず、退場命令が発せられる前に、優雅で名誉ある退却をしたいものだと思った。