考えてみれば、この世に生を享けてから、学校、就職、結婚、子育てと会社生活をひたすら一生懸命にやってきた。よくよく考えて見れば、ただ「皆がやっているから」という理由に過ぎなかったような気がする。あるいは、そうするのが当然という風潮の中で、自然にそうなったということであろうか。そして、人間は環境の中に入ってしまえば、後は勝手に走り出すように仕掛けられているようだ。本能的に競争心理が働いて、兎に角一歩でも前に出ようと頑張るものだ。
私は、40代の終わり頃、同僚たちとグアム島に4,5日遊んだことがある。その時、夕方からドッグ・レ−スを見に行った。ドッグ・レ−スとは電気仕掛けの玩具のウサギを犬たちの眼前で走らせると、犬たちは本能的にその後を追うという習性を利用したものである。人間はお金を賭けて、1,2着の犬を予測するのだ。競馬には何かしら優雅な趣があり、緑の芝生の上を走る競走馬の姿は力強く、優美である。ところが、ドッグ・レ−スの犬たちはただ、負けないようにガムシャラになって、大声で吠えながら、とても優美とは言えない恥丸出しの姿で、ただひたすらに電気仕掛けの決して捕まえることは出来ないウサギを追い掛けて走るのだ。
サラリ−マンの世界も、今振り返って見れば、概ねこのドッグ・レ−スと何処か似たところがある。いつの間にか走ること自体が目的となってしまって、走りも走ったり、ただひたすら走り抜いた40年間である。
定年退職とは、一応それらが終わったことの高らかな宣言である。これからは自分でル−ルを作ってゲ−ムを楽しもう。
家族に対する責任を無視して、この人生を考えることは出来無かったのは当然である。だが、定年を迎えた今、子どもたちは既に成人しているわけだから、今や自由の身、開放の世界の中にある。
生涯現役といって、六十歳を過ぎても、まだ会社生活を延長して頑張っている人たちも多い。それはそれでまた各々の理由があると思われる。ただ、六十歳になれば「こうあらねばならない」という世界とは縁を切りたいものだ。精神の自由、行動の自由を大事にして時間と付合う方法を考え出さねばならない。
私は退職して二週間の時間が経った。とりあえず何もまだやる気が起きない。「定年後はテニスをやります」と見栄を張って、同僚から貰ったテニス・ラケットはまだ一度も握っていない。物置の隅で鎮座している。
とりあえず、朝起きて背広・ネクタイで会社に行かなくても良い、という幸せを楽しむようになりたいものだと思う。