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2004年7月8日から6日間、私はメキシコのユカタン半島に行ってきた。日記に記載されている時間はすべて現地時間
1日目
大宮駅で12:13に高崎線に乗り、上野駅で12:39の山手線に乗り換え、日暮里駅で12:45の京成スカイライナーに乗り換えた。そして、午後1:40に成田空港に到着した。そこで午後3:45発のコンチネンタル航空ヒューストン行きに乗った。現地時間の午後1:40にヒューストンに到着した。飛行機の座席にはテレビゲームが付いていたので、暇をつぶすことができた。
ヒューストンの空港内のインターネット施設で、ビルボードのホームページを見た。そのときの
Billboard Hot 100 のチャートでは、48週チャートイン中のニッケルバックのサムデイが、46位にランクアップしていたので、長期間チャートインしている曲を応援している私としてはうれしかった。ほかにもTBSラジオの野球のホームページを見たが、日本語の文字が正しく表示されていなかったので、何が書いてあるのかわからなかった。
それから午後7:15発のコンチネンタル航空メリダ行きに乗り、午後9:22にメリダの空港に到着した。
そして、午後9:50にタクシーに乗って、メリダ市内の Hotel Montejo Palace に行った。タクシーの窓から見えるメリダの町には、キリスト教文化圏であることを感じさせる建物が立ち並んでいた。
2日目
朝、メリダの観光案内所に行った。そこで Xkichmook 遺跡の写真を見せて、Xkichmook
に行けるかどうか尋ねた。そしたら、そこに行く公共の交通機関がなく、車を運転しないとそこには行けないと言われた。私は自動車の免許を持っていなかったので、そこに行くのはあきらめた。そこで、Mul-Chic
と Sabacche の遺跡に行きたいと言ったら、 Ticul に行けば行き方がわかると言われた。また、Chunhuhub
の遺跡を見るツアーがあるかどうか尋ねたら、カンペチェに行けばツアーがあると言われた。
それから、Libreria Dante という書店に行った。そこで、ジョン・ロイド・スティーブンスの「ユカタンの旅の出来事」(英語版)や、メキシコのさまざまな地図を買った。そして、バスターミナルに行った。書店からバスターミナルに行く道の途中に時計屋があったので、目覚まし時計を旅行に持っていくのを忘れた私はそこで目覚まし時計を買った。
バスターミナルで Ticul 行きのバスに12:00ごろに乗り、午後1:30ごろに
Ticul に着いた。そして、Ticul の町の Hotel San Antonio を予約した。一泊175ペソだった。そのホテルで、私は
Mul-Chic の遺跡の行き方について聞いたが、そしたら Santa Elena に行けばわかると言われた。それから、コレクティーボに乗って
Santa Elena の村にいって、村の人に Mul-Chic の遺跡について聞いて、遺跡を探したが、結局遺跡を見ることができずに
Ticul に戻った。ホテルに戻ってから、備品のコップを少しだけ割ってしまったので、新しいのに取り替えてもらった。
3日目
7時ごろに Santa Elena 行きのコレクティーボに乗り、Santa Elena で7:25にカンペチェ行きのバスに乗り、7:50に San Antonio Yaxche 付近の十字路に着いた。途中、バスの車窓からは Kabah の遺跡が見えた。今回の旅行で初めて遺跡を見た。到着した十字路からは徒歩で、10時ごろに Chunhuaymil の村に到着した。
歩いている途中の森の中で大きなサボテンを見た。野性のサボテンを見るのは生まれて初めてのことだった。そのサボテンには実がなっていた。実や茎の形から、クジャクサボテンの仲間だとわかった。プウク地方にもクジャクサボテンの仲間は自生しているのだな、花が咲いていたらさぞかしきれいだろうなと思った。その場所にはウチワサボテンの仲間も生えていた。
![]() 森の中に生えていたサボテン |
![]() サボテンの実 |
Chunhuaymil の村には、ソーラーパネルのある家があった。こんな場所でも太陽光発電は普及しているのだなと感心した。村人に、Sodzil
の遺跡に行きたいとたずねたら、村人たちが50ペソほどで遺跡に案内してくれた。
私は、案内人たちの自転車の後部の荷台に乗せてもらった。その道のかなりの部分は藪になっていたので、彼らはマチェーテ(現在のマヤ族が使うなた)で藪を切り開いてくれた。そして1時間ぐらいして私たちは
Sodzil の遺跡に到着した。日本人でこの遺跡を見たのは、私が初めてかと思えてくるほど、この遺跡への道のりは大変だった。まさに冒険という感じだった。このとき、私のリュックサックが破れてしまった。
そこの建物から30分ほど自転車で行ったところに、また別の建物があった。その建物は、Chunhuaymil の村に行ったときの道に面していたが、私が最初にその道を通ったときにはその建物を発見することができなかった。その建物の入り口には蜂の巣があって危険だったので、案内人が巣に火を近づけて蜂を追い払ってくれた。
![]() Sodzil 遺跡の建造物 |
![]() Sodzil のような無名の遺跡でも、天井がしっかりと残っている。このことは、マヤ文明が高度な技術力を持っていた証である |
![]() Sodzil の建造物は、半分ほど土の中に埋まっていた |
![]() 蜂の巣があった建造物 |
それから案内人は、シュバルチェ(Xbalche)の遺跡に案内してくれた。それは私が今までに聞いたことのない名前の遺跡だった。プウク地方のマヤ遺跡について、インターネットなどで何度も調べたこの私が、まだ知らない遺跡があるとは、プウク地方には未調査の遺跡がまだまだたくさんあるのだなと思った。
Xbalche の建造物 |
![]() Xbalche の別の建造物 |
それから、San Antonio Yaxche に行きたいと私が行ったら、案内人たちはその村に連れてくれた。そこで案内人たちと別れた。
途中、何回か案内人たちにお金を払うことがあって、結局合計200ペソほど払うことになった。
12:00ごろに San Antonio Yaxche の村に到着して、そこの村人たちに
Chunhuhub の遺跡に行きたいといったら、村人たちは、200ペソほどでその遺跡に案内してくれた。そのときは自動車に乗せてもらった。
Chunhuhub は、今までに見た遺跡よりもはるかに規模が大きかった。Chunhuhub
の遺跡には2つの建物があって、向かって右側の建物は、150年ほど前にキャザーウッドが描いたときと同じくらいに保存状態が良好だった。その建物の後部は少し崩れていて、左端は最近修復されたみたいだ(このことは昨日買った「ユカタンの旅の出来事」に載っている
Chunhuhub 遺跡の挿絵と見比べて分かった)。高温多湿でハリケーンが多く来襲する、風化が起こりやすい気候であるにもかかわらず、この建物が1000年前とほぼ同じ状態で残っているとは、マヤの建築技術のすごさを感じた。
左側の建物は、表面の切石がかなり剥がれ落ちていて、その部分はユカタン半島の壊れた現在の建物の壁にそっくりだった。現代建築にも、マヤの建築技術が応用されていると私は感じた。現代の建築物にもマヤ遺跡に使用されていたのと同じ種類の石材(石灰岩)が使われているから、応用が利いたのだろう。
どちらの建物も、部屋の入り口には網が張られていて、人が入ることによる遺跡の劣化が防止されていた。
マヤの遺跡と同じような石造建築物を有する、クメール文明やローマ帝国の遺跡からは、高度な道具(たとえば車輪や鉄器)が見つかっているが、マヤ文明の遺跡からは、そのような道具は今まで出土していない。そのことについて私は、それらの道具を古代マヤ人は使用後に破壊したり燃やしたりしたと考えた。また一般的には、マヤ文明では鉄器の代わりに黒曜石の石器が使用されていたと考えられているけれども、私の考えでは、黒曜石のほかに、巨大なダイヤモンドの原石を道具にして、マヤの建築物に使われている石材を切断や加工したであろう。そして、そのダイヤモンドは主にギアナ高地付近の人々との交易によってもたらされたものだっただろう。マヤの遺跡をもっと発掘すれば、高度な道具を使用した痕跡や、ダイヤモンド(巨大なダイヤモンドの原石で石器に適した形のものは、数が極めて少ないので、発見される可能性は低い)が発見されるかもしれないと私は感じた。
午後2:30に Chunhuaymil の村に戻って、村人たちに Tantah の遺跡の写真を見せて、Tantah
に行きたいといったが、その遺跡には行けないと言われたので、結局そこに行くのはあきらめた。
Chunhuhub 遺跡では、建物の奥行きを定規ではかり、建物の裏側の写真も撮っておけば良かったと後悔した(行く予定だった Tantah の写真を撮るためにフィルムを節約したので、写真のほうは撮らなかったのだが)。
![]() Chunhuhub 遺跡の右側の建造物 |
![]() Chunhuhub 遺跡の左側の建造物 |
San Antonio Yaxche の村で、帰りのバスを待っている間に、激しい雨が降ってきた。1時間ほどしてバスが Santa Elena に着いたときには雨が上がっていた。それから、コレクティーボで Ticul に戻った。

ユカタン半島のプウク地方の地図