06年 8月  伸一激動の中で日々考える      TOPページ    06/09/05
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9月1日  金曜日 月が変わって何かまためまぐるしい動きになってくる。地方分権は各自治体でも自治体間競争であるし(例えば企業誘致、人口増対策)格差社会は知恵の格差にも繋がる、行政議会も知恵の競争である、スピードの競争である。変化の時代はスピードが遅いことが命取りになる、サービス化社会は遅れたサービスは受け入れない。大変ではあるが、時代の変化を受け入れなくてはいけない。
 
8月31日 木曜日 9月定例会開会、市長提出議案説明、監査委員決算審査報告。

2つの問題点があった。市長提案の区画整理特別会計決算報告の原稿が昨年の原稿だったそれを口頭報告した点。(文書管理、情報意識)結果として、電子メールの送信ミス、みずほ証券による株式売買注文の大規模な誤発注と同じと言うかもしれないが問題の本質は違うと私は思っている。もう一つは監査報告書の地方自治法施行令第150条

第150条 普通地方公共団体の長は、次の各号に掲げる事項を予算の執行に関する手続として定めなければならない。
1.予算の計画的かつ効率的な執行を確保するため必要な計画を定めること。

 

及び蓮田市予算事務規則第12条による、「予算に関する執行計画」が作成されていない、同規則第25条「予算の執行状況」が実施されていない。

第12条 課長は、第10条の規定による通知を受けたときは、財政主管課長の指示する様式により、年度間の予算執行計画を作成し、財政主管課長を経て市長に提出し、その決裁を受けなければならない。

第25条 市長が必要と認めるときは、課長に配当を受けた予算の執行状況について報告させることができる。

増永昇前代表監査委員と私が監査の時もこの問題は「予算はつくりっぱなし、後はそれぞれの部署でお勝手にではだめですよ」とズーと指摘してきたことでもあるが。歴代の財政担当、私が記憶でも20数年以上全く条例違反と言うことだ。曰く、先例主義に習っていたという。生き残れるか蓮田市!

「市役所経営改革」、全職員の奮起(甦生)を願う。議会共々に努力したい、従って指摘を了ととされたい。況や大先輩元職員も。

 
8月30日 水曜日 負担増の問題がある、何故負担が増えるか元々の仕組みが現役世代中心で社会全体を支える仕組みから長寿社会、少子社会に移行してこの流れが変わらない。長寿社会は生涯現役でありたいと言う願いと現役を半分にして、半々生活に移行すると言うことか。介護保険も医療保険も年金も国全体が同居家族だという仕組みで成り立っている。次の若い世代が負担の奴隷になってもいけない、楢山節考の姥山になってもいけない。これが崩れると日本社会全体が崩れる、一番困るのはいつも本当のまじめな働く生きる弱者である。政治は一貫してこの弱者に光を当てなかったではないか。権力の側の保守政治、現役労働者側の革新政治に利益を代表して二分されてきた。その時代どの政党も福祉など叫びはしなかったただ公明党だけが結党の原点に「大衆福祉の公明党」と高くその政治理念を掲げてスタートした、それが歴史の事実である。高齢社会、少子社会はまさに大衆という人生の政治の原点に立脚しなければならない、それ以外に問題解決の新しいスタートはない、そこに公明党の存在意義があるまたその存在意義はいや増すはずである。パート労働者に労働組合は階級さえも与えなかった歴史が厳然とある。汗して働く中小企業に下請け臨時の扱いしかしなかった保守政治。格差社会と言うが、かっても今も政党の本質的のDNAの中に組み込まれている。政治もメディアも支える庶民大衆を睥睨したときから敗退がおきている。大衆が歓喜する政治をその人生を謳歌する政治を果敢に挑戦すべきだ。おごれる政治、対案さえ出さぬ批判勢力政治の激突では国力を消耗させる。ヨーロッパは歴の中で学習している、日本の学ぶべき方向はアメリカ型ではなくヨーロッパ型であるはずだ。ヨーロッパは宗教政党が支えている形になっている。
 
8月29日 火曜日 難しいことを分かり易く話すことは難しい。まず自分がわかっていなければならない。
 

8月28日 月曜日  もう一度藤原正彦氏の「国家の品格」を読み直す。なるほどと思う箇所が多い、私が一番感じるのは美しい日本の風土が、世界に誇る 日本の文化文明を築いたことである。

人が生きていくために大事なことは押しつける。重要なことことには理屈はいらない。人に迷惑をかけない、人を殺してはだめ。今の世の中、だめなことをだめと言わないので犯罪が増える。

黒浜の田圃が色づいてきた。まもなく来月9月初旬には刈入れが始まり、新米が供給される。

 
8月27日 日曜日  伊奈町のJA運営の農産物直売所が盛況である、蓮田市のお客さんも多い。年間営業日数が310日、お客285704人、売上高375903924円/310一日120万円ほどの販売額であると伊奈町の同僚議員から教えてもらった。蓮田市の農産物直売所の努力はまだ遠く及ばない。平成7年の売り上げからすると昨年度実績は倍になっている。
 
8月26日 土曜日 蓮田踊り。同時刻残念だが会議で日程があわない。 さいたま桜区研修センター、太田昭弘幹事長代行来県講演の研修会。インターネットの社会普及に驚かされる、8割の世帯に普及し企業ではもはやビジネスに欠くことができないという調査結果がある。どう個人も社会も企業も政党もネット社会の変化の中で暮らしていくか生き残るかが課題である。アメリカでは老舗のレコードソフト会社大手タワーレコードを運営するMTSは連邦破産裁判所破産を申請したという。アップルコンピュータの携帯プレーヤー「iPod」などによるネット販売の普及や安売りに押されているためという。時代は変わってしまっている。
 
8月25日 金曜日 事務仕事は人と接する機会が少ないがデスクを離れて外の空気を吸うとまた世の中いろいろ見えてくる。NPOの友人と語り合う、意識の高い活動は社会を潤す。第3の公共空間はNPOによって組み上がるアメリカの退職者組合も一つはそのイメージになるか。日本には元々NPO的精神と活動はあったと思っている。「結」の活動や、地域における協働作業などなど。今高度経済社会の中で経済至上主義がこれらの意識や活動を希薄化させてしまった、その責任は官僚機構の肥大化も一因している。何でも役所、何でも税金でという考えが底流にある。我が家のことは自分たちで、地域のことは地域でそれでもだめなら御上(公共の税金で)でと言うことではなかったか。教育問題の底流にはこの精神がかけてきた。ものを大事にするということにも通じてくる問題だ、お金ですぐ手に入る、すぐ捨てるからお金が必要になる、身の回りにもので大事なものが少なくなってきた。この傾向は家庭よ社会絆や心までも儚いものにしようとしているのではないか。もっと大事にもっと丁寧にもっと心を込めてそれが物事の本質に迫る課程であろう。匠の技はそうして精神から受け継がれてきた。消えようとしている匠の技に今注目があたりだした。真っ黒に日焼けしたそごうデパート総合案内の女性には驚いた、価値観が変化してきているのか。そごうの故か大宮の故か。驚いた私の価値観やサービス意識が低いのか。視覚的に変わったなということだけは確かだ。

議会が始まる議事日程が決まった。一般質問の日程も決まった。

8月31日開会、4,5日一般質問11名2日間。8日本会議質疑。11日から22日まで各委員会。

 
8月24日 木曜日  臨時議会、9月議会議会運営委員会。臨時議会議案3案全て可決、2議案共産党3人を除く議員賛成で可決。子供に朗報、高齢者には負担という内容であるが財政負担の世代間格差や福祉の自助の考えによるものであるが3世代以上の同居では 心情的には、理解できる仕組みであろうがしかし、核家族化、老齢世帯構成が増える社会ではなかなか理解されにくいが、現実には現実で対応する以外にない 、世代間負担、全ておカネの問題。心をおカネに変えて、あるいは他を思う行動に変えてということだろうか。激変の時代の政治は、世代間の利害が対立する中でいっそう難しくなるが故に 、理解を生むための情報開示、議論の開示が大事である。安易で短絡的な判断には後につけが回る。後悔先に立たず。優秀という官僚の政策では後追いとなりつけが増える。行政組織を変える部設置条例が提案された。頭だけ多くなる、仕事は下がやるものだが頭だけ増やしても?マネジメントが問題なのだが。いつも官僚組織は肥大化だけはする。見えないところで行政コストは増えるしくみだ。中央省庁は組織を統廃合したのに、地方行政組織は事務が国県から降りてはくるが故に大変ではあるが正念場であると私は思っている。予算も組織もスクラップできない仕組みが行政には内在している、だから見直しが必要であるのだが。
 
8月23日 水曜日  会社が休日我が家に1年になる孫が来た。テレビはシュレッダーで指を切断された幼児事故のニュースが流れている。あのかわいい小さな指がシュレッダーで切り刻まれるとは胸が痛む。何故おきたのだろうと思うが事務所には小さな子供はいないという前提で設計され製品が作られていたという。では何故事故が起こったか理由は前提が崩れたからだ。前提とは崩れるものである。soho社会ITか社会は家庭もオフィスに変化したことにキイインしている。子育て世代の女性も家庭で働いているそこにはシュレッダーがあると言うことだ。災害も事故も前提が崩れることによることも多い。パロマの事故も改造がないという前提で成り立っている。政治 の対応はどうか、崩れた前提の中で大きく変化している、大阪の集中豪雨も時間100mmを越えた、ゲリラ豪雨とも言うそうだが過去の経験からは想定外の雨だ、しかし去年は中野区、練馬区でも時間100mmを越えた。少子化も高齢化も同じである。蓮田市では交付税の交付額が大幅減額になった。想定外、前提が崩れる 事件が多いそれは大きく変化しているということである、自然も社会も。政治はそのときの決めごとの役割を多く持っている、単に利益分配、利害調整ではない。政治家の質が問われる時代である、市民の幸せを 、安寧を願う政治家でありたい、そのための自己研鑽と行動がまさに問われるのだろう。

 私の主張が実ったものに子供の安全に関するものがある。ふれあいねっと21へ子供たちには安全を確保したいものだ。

 
8月22日 火曜日 午後、議会代表者会議。9月議会がスタートする。一般質問通告書を作成。
 
8月21日 月曜日  夏休みが終わりに近くなり社会が動き出した。昨日は夏祭りもあちこちで行われていた。浴衣と団扇は日本の風景だ、暑い中でも涼しくみえる。幼子などはいやまして好い。傍らのおじいちゃんもおばあちゃんもまた好い。
 

8月20日 日曜日 午前10時、地域防災訓練に参加、防災の日が近づく、災害の危機が叫ばれている今日も消防職員がとにかく3日間は地域住民で助け合って生きて欲しいといっていた。初動は地域で命を守りあっていく意識が必要である、高齢世帯や単身世帯昼間地域に人がいない現象ではどんな対応があるかは地域で考える以外にないだろう。助け合う精神の醸成が必要である。

NHK日曜美術館で大地の芸術祭を放映していた。

 

 
8月19日 土曜日  暑い夏がつづく、夏休みも終わりいよいよ後半戦のスタートがなされ動き出していく。自民党総裁選、じわっときているエネルギーの高騰による家計への影響、インフレの流れが出てくるか。しかし負担増で家計は2極化がますます進むだろう、インフレの不景気では最悪になりかねない、寄り添って生きるか庶民は。政治は庶民の幸福の生活のためにある、社会を支える人の暮らしを護る政治にしなければならない、財政破綻と背中合わせの行財政改革の舵取り苦悶はつづく。
 
8月18日 金曜日 出発の会議がつづく。9月議会ももうじき始まる、その前に8月24日、臨時議会の招集がされた。福祉関連の条例改正案である、実施が10月1日であるので市民への徹底と理解をいただくために0月定例議会前に臨時議会を開くものである。
 
8月17日 木曜日  大地の芸術祭の反響が出てきているようだ。忘れかけていた日本の良さ、美しさの何かが感動を呼んでいるようだ、現代アートの作家と地域住民とボランティアがいったいとなった大地との絆ではなかろうか。私も感動を記した。美しい日本を覚知し抱かれたとき新しい自己の出発の糧になるのではないか。
 
8月16日 水曜日 休養から出発へ蓮田にてあすからの仕事準備。
 
8月15日 火曜日 終戦記念日 。やはり小泉首相は靖国参拝を決行した。靖国参拝を総裁選挙の公約にしてはならなかった。靖国参拝そのものが個人の思想信条の自由の立場であるならばそもそも公約と掲げた出発が国益に反していた事を詫びて反省すべきである。
 
8月14日 月曜日 一族9人連れだって墓参り、蝉が一緒に唱和する。父母ありて自分そして紅葉の手を合わせる孫。報恩感謝。
 
8月13日 日曜日 草いきれのする夕暮れの丘の能楽堂で、我が家族、旧友と野村万作、万斎の薪狂言を堪能。 今年で10回目である、関係者に深い感謝をしたい。同級生の十日町市議は入り口で出迎えてくれたありがたいことだ。小野塚松之山支所長にも再会する、大地の芸術祭と併せて行政のご苦労にも頭が下がる。
 
8月12日 土曜日 ふるさとへの帰省ラッシュが始まる。ふるさととは何か、親か、育った地域かはたまた・・・。ふるさとという言葉には癒しの響きがある。膨らむイメージがある。ふるさとはゆっくり動いていて 自分の少年の時代を包みながら待っている。この夏はゆっくりと少年へと帰りたいものだ。
 
8月11日 金曜日

政治家とゴリラ

京都大学の山極寿一教授は教える、ゴリラは本音と建前を使い分けるという

その最たるものは200キロもあるオスのゴリラのドラミングだという

ドラミングは2本足で立って胸をたたく、その迫力で相手を圧して自己主張する、しかしドラミングは戦わずして互いに分け合う行為だと言う。ゴリラの中では、本音と建前の使い分けができている。

政治家も好んで大げさな振る舞いをするが周囲がそれを理解してこそ通用するものだが、建前の振る舞いと本音はだんだん通用しなくなったようだ、それだけコミュニケーションが少なくなったのか、人が明示的なものしか反応しなくなったのか、身近な行為を誤解するようになっている。ドラミングのゴリラは100年間好戦的だと誤解をされ、動物園でも頑丈な鉄のおりに入れられるようになる。森を肉食もするチンパンジーが謳歌し、草食のゴリラは絶滅の危機に及ぶ。

 

 
8月10日 木曜日  昼、さいたま市議と懇談。政令市の今と明日を語り合う。何でも語れるともがいることのうれしさが自分にある。いいやつだ。

 ifを忘れた行政対応は行き詰まると私は思う、全てマニュアル、マニフェストどおりには行かない、自然や生き物にはifがつきものである。危機管理は経営の鉄則である、マニュアルやマニフェストの対応はイロハであるが問題はif対応である。役所はif対応が苦手だ 、だから政治家がいる、政治家は現在と未来の生き物を扱う、だからif対応の連続である、だから官僚とは違う、官僚社会の最大の欠点はマニュアルにないことには対応できない し、しないで済む、済んできたということだ、ifこそは政治家が命をかけるべき課題である。政治屋はいても政治家がいないといわれる所以か。自民党総裁選が近づく 、小泉首相は公約を守るのが政治家だという、そうだろう、しかしif対応考慮にあったかのか。総裁に一番近い安倍氏のif対応能力はどうか。国民有権者が選ぶ選択はマニフェストプラスif対応能力である。ifに対しての受発信は常に「私はこう思う」である、選択できる主役 有権者の選んだ結果責任が全てといえる。それは国家国民でも県民市民ではない「私が選んだ結果責任である」従っていま国民が必要なのはif察知能力 の研ぎすましであるといえるかもしれない。食料、高齢・少子社会、環境異変、軍事・安全保障、エネルギー全て人類の歴史の中で取り立てて新しいことではない いつも同じだが、いつの時代でもif対応能力は為政者の十分条件ではないが必要条件である、つまりみんなが選べばリーダーである 、しかしみんなが選んだリーダーにif能力があるとは限らない。if能力は帝王学を学する者の日々極めるところの内発的な利他能力といえるのではないか。豊かさの中で帝王学が失われて久しい感じがする、帝王力は民衆の幸福、福利安全力と比例するものであるはずだが。

以上は、私が夜更けに一人思う雑感である。

 桜区役所で身体を水に浮かべて外に出ると会社の社員とばったり会う、「家内と孫です」そうだここは桜市役所のプールである、変な所で人は会うものだ、お孫さん2人と奥さんとhapyなプール光景がうれしい。幸せはきわめて身近にある。

 
8月9日 水曜日  防災の日が近い、台風は被害が少なく去っていったようだ。ふじみの市のプール事故に象徴されるように安全が脅かされている時代である。蓮田市には安全点検の本格的体制が整っていないと私の友人H氏が話されていた、氏は民間企業で安全を中心に仕事をされてきた経験を持つ、安全のプロの目で市内の各公共施設を点検すると考えられないような危険があるという、蓮田市の財産でもある人材の知識経験を生かす仕組みが必要である。安全は心がけが大切だ、安全点検審議会などもあってしかるべきだと思う。
 
8月8日 火曜日 暑い日が続くが暑さが吹っ飛ぶ身の毛が立つような話しがある。それは鳥インフルエンザの脅威である。

20世紀に人類が新型インフルエンザに襲われたのは3度で、スペイン風邪、アジア風邪、香港風邪ある。最後の香港風邪は1968年ですから、40年近く新型は出て来ませんでした。ところが今、世界中がこの鳥インフルエンザの感染の状況に神経をとがらせて注目している。それは、これまでのウイルスは弱毒性で呼吸器系しか感染しなかったが、今度の「H5N1」というウイルスは強毒性で血流を通じて全身感染するという。患者の写真を見たら、とてもインフルエンザの患者とは見えないほど悲惨な姿である。現在の致死率は57%という驚くべき数値である。今度のインフルエンザは人類が初めて立ち向かう脅威なのだ。ミサイル発射や、核開発など愚かな戦争をしているいとまはない。人類とインフルエンザの戦いである。負ければ人類は滅びるか。

以下参考文書

<公明党 参院議員 東京都選出 澤 雄二 氏 メルマガ>
去年の11月、厚生労働省は新型インフルエンザ対策の行動計画を発表しまし
た。流行を6つの段階に分けて、それぞれのフェーズごとに対策をまとめたも
のです。その対策の前提に被害想定があります。厚労省の想定によりますと、
感染率は25%で2500万人が感染し、最大で64万人が死亡するとしてい
ます。"64万人"、信じられないような事態です。厚労省は新型インフルエン
ザは必ずやって来ると見ています。

これ以上の試算もあります。

カナダの「ロウイー国際政策研究所」は、日本での死者は200万人と見てい
ます。全世界ではどうでしょうか。国連では1億5000万人と推定していま
す。こんなことが本当に現実になるのでしょうか。残念ながら可能性は極めて
高いと見られています。


 

 
8月7日 月曜日 長野県知事選挙で田中康夫知事が敗れる。有権者は時々に変化する、変化する有権者の心を政治家はどうとらえるか、始まりは終わりでもある、ただつじつまの合うのは業というべきか借金残高である。

何か時代がまた一つ代わり始めてきた感じがする、自己本位の保守主義か、核家族化の影響か。絆社会が崩れた、保守化社会は危険きわまりない、独裁者やファッショの台頭を許しかねない。

 
8月6日 日曜日 亀田親子のボクシングはパフォーマンスか実力か。格闘技は勝たなければならない、負けても応援してくれる人はまれだ。リングの上ではルールがある、ルールーには裁く人がいるし、判定をする人もいる。

あれくれた言葉もパフォーマンスと想へばわかるがマスコミで扱うと問題が起こる、非礼かどうかは、感じる人が非礼と感じれば非礼である。礼とは相手を思う仕草であるはずだ、相手をたたきのめそうとする真剣勝負に礼があるか。

騎士道も武士道も、礼を道としているであろうが、ボクシングにそれを望むべくもないのであろうか。日本の若者が非礼をまねしては社会が荒む。それを取り上げる、報道は非礼の最たるものかもしれないことを もっと社会も知るべきではないか。多くの人が取材ということで、言葉の暴力を受けている事実が、名誉毀損訴訟の損害賠償で明らかになってきた。裁く側は大変だ、裁かれる側の弁護士も来年からだぶついてくるという、就職難で金儲け弁護士が増えないことを祈る。

 
8月5日土曜日 世界太鼓フェステバル。古来人は、洋の東西南北を問わず太鼓を打ち続けてきた、このリズムと響きの喜怒哀楽の表現に共鳴してきた。美しくあって欲しい、豊かであって欲しい、感謝を忘れないで欲しいこの舞台は2度3度となかろう。あまりにも装置が大変だ、かつ利には合わない。

会場は広い音が届くまでに時間がかかる。

 

 

 
8月4日 金曜日 新潟大地の芸術祭。甥と友人で鑑賞する感動はふれること自然も人もそうでなければ語れない。机上とバーチャルはコピーできる。感動のコピーは難しい。だから現地視察が必要である感動しないと人は貧しくなる、できれば感動の貯金を若い人、子供たちに、この夏はしてもらいたいものだ。世の中はそんないいそがなくてもいい、山を登ってみたいと堀江貴文氏は釈放されたとき語っていた。

大地の芸術祭作品「ぐるぐる」

蓮田市公明党機関紙「ロータス」8月号リンクアップ

 

8月3日 木曜日 東京で勉強。研修会2カ所、朝9時から夜8時まで、結論は変わると言うことだ。変わりたくないのも変わると言うことだ、そうしないと生き残れない。現場で汗すること、みなが目的を共有して美しい個性を発揮しながら社会を創るために協働することだろう。その意味で真剣勝負の時代だ、勝負であるが故に負けたところは終わる。人に会う刺激を受ける、学ぶ、自己を見つめな おすことからスタートである。」

双方向介護システム説明を受ける(左が自分)

新潟県知事と懇談、ほか多くの人と語る。埼玉大教授と地域と大学について話す、もっと埼玉大学は埼玉の地域にはいって欲しいといったが、教授は是非一緒にテーマを見つけてやりましょうと答えた、やる気になれば変わる。日経副編集長と地域情報とソフトウエアーの共通性がはかれないか 、大事なソフトは皆が必要ではないか、あまりにもソフトが高すぎる、教育の現場のソフト環境は貧しすぎる、教育現場のパソコンソフトはウインドウズ98の環境にある、もっとキャンペーンを張って子供の教育環境に格差をつくらせないで欲しい 日経に期待したいといった。

北川正恭早稲田大学院教授講演、国政地方行政の政治(三重県知事)の現場で活躍した人の話は感銘するローカルマニフェスト運動の創始者だ。そういえばシャープの三重県亀山工場は液晶パネルの生産を3ヶ月?早めたと報道されていたかな。

詳しくは後日編。

 
8月2日 水曜日 全員協議会執行部説明に対して白熱した質疑、議論は、大事だがしかし、この全員協議会の議論は全く市民には公開されず見えない。調整会議であるがゆえんである。高齢者医療保険制度の改正に伴う地方自治体の条例改正である。負担に対する説明を誰もが知りたいはずである私は公開の議論を早くすべきと主張した。市長も臨時議会の招集で議論することも視野に入れると答えた。議論できない議会は形骸化する、詰めるといらないということになるが議論討論あって初めて議会といえることは明らかである。その過程で市民は2元代表制の(市長を選び托す、議員を選び議会を構成させて議決する議決機関ももつ)分権の時代は長の権限が強まるだから議会が大事になるその議会で議論しないのは自らが首を絞める自殺行為である。蓮田議会の真の活性化が図れなければならない。
 
8月1日 火曜日 昨日のふじみの市プール事故は本当にやるせない7歳の少女の冥福を祈る。事故の時は何で、どうしてといつも悔やまれるが人類史の中ではいつもそうだったのだろう、そして生き残ったものが命を繋いでいることを想うとき人は自らの危機管理を身体で発しなくてはいけない。いざというときは誰も教えない、現代社会の欠点は安全神話である、パロマ事件、松下事件、トヨタ事件、安全神話が万円しているから危険だ。
 
7月31日 月曜日 月末。 ガソリンがあすから値上げだという。今年の夏の景気は地方では相当落ち込みかねない、おかしな景気の動きが出てきているように感じる。景気が良いといっているのは 人口と経済が一極集中している東京を中心とした大都市だけではないのか。
 
7月30日 日曜日 東京研修会終日。夕張破綻の研究と予算のあり方(夕張市が明らかにした普通会計(一般、住宅)の赤字額九億八千百七十三万円は、出納整理期間後の不適切な会計処理を、適正化したために生じたとのこと。同市の会計ごとの実質的な資金不足額は、道が週明けにも、これまでの調査を踏まえて正式に公表する。まだ本当の借金額が明らかになっていないという、100年かかってもかえせないだろうとのことだ、責任は誰がとるのか議会は役割を果たしていたのか、夕張市議会は、夕張市が財政再建団体入りすることを受けて《1》議員定数を現行の18から道内の市で最少の11に減らす)、議会のチェック機能と政策提案能力についての 話とフリー討議と研修が午前、午後とつづいた、明年また会おうと約束して、終了と同時に全国に散っていた。楽しく学ぶところの多い2日間の研修会だった。 改革が進む千葉県我孫子市の事例も報告される。
 
7月29日 土曜日  東京研修会終日。橋場利勝さん(北海道栗山町議会議長)のまちづくり基本条例の努力の経過を伺った、努力することはすばらしい。大学の地方自治の専門家大森 彌さん(東京大学名誉教授)、今村都南雄さん(中央大学法学部教授)の話も自治改革の中で議会のあり方を論じておられた。学ぶことばかりである。集まった全国の議員、市民代表も勉強している方が本当に多いのに関心した.学ばなければ市民納税者に申し訳ない思いがする、自治体職員も多数研修に参加していたが皆さん問題意識 が高い。懇親会ではよく大森先生と話してみた、楽しい方だ先生は「蓮田もしばらくほかの方にお願いして といっておきました」とのこと。首長が代わっても市政はつづく、議会も市民もいい街を作って欲しいといっておられた。
 
7月28日 金曜日  カネボー化粧品は、何を売るか化粧品か、お化粧の仕方か。化粧品は工場で作れるが、お化粧の仕方は工場では作れない。人が相手てである、美容部員の顧客人脈や販売ノウハウが会社を支える、この財産がカネボー再生の鍵だと再生を手がけた御仁がいう。地方財政の再建は、顧客満足度の向上とや管理ができない行政職員のリストラが入り口か、まずは行政職員に希薄なコスト意識を教育、徹底することだろう。加えて組織をネットワーク型にすることだ、現在の行政組織は、高齢化によって二等辺三角形の底辺が短いタワー型になりすぎている、倒れる組織は重心が上にある、重心が下であれば倒れない、結論は上に上がりすぎた重心を下に下げること、ネットワーク型に近づけることだ。