archives/7---01/10/2002-30/12/2002
古い記事が下方にあります


life proliferates
武田徹氏の掲示板にあった氏の投書*を読んで考えたこと
http://162.teacup.com/sinopy/bbs
(*12月29日付け、『はじめにみことありき』)

=====
ちょうどひと月くらい前に、現在 verbe intransitifで表現されているもの
は、現実ではあっても目的 objectの無い(無くても済む)ものなのでは?
などと考えていて、いつ頃からintransitif/transitifの区別が出来たかと
疑問に思い、武田氏の掲示板に引用されていた岡倉氏の序文のように、
(神?)-logos-wordの変遷について考えていた。

因みに、その時の考えにあった動詞とは、以下のもの
migrate (emigrer, immigrer): verbe intransitif
adopt (adopter): verbe transitif
integrate (integrer): verbe transitif
proliferate (proliferer): verbe intransitif
(私は特に、proliferate は無目的なのかどうか、納得/理解したい・この
ことに関しては以下に書かない)

=====
「ロゴス(ΛΟΓΟΣ・logos)」は、仏語版では「parole」である。
「mot(s)」でも(signeでも)ない。

「既存の言葉の体系から離れた」「外部の思考」は、wordsだのmotsで構成
される「体系」あってこそ「外部」たり得ている。 もしかしたら、
logos/paroleで構成される世界には、「体系(=規則・structure?)」が
存在しないのかも知れず、従って、その場には独自も保守も無いのかもしれ
ない。

もしも、生命/生き物には自分が独自である/他とは異なる存在であると認識
したい傾向があるのだとしたら、「体系」を与えて/見出して、独自も保守も
ない世界に限界を作って、自分のその傾向を満足/達成したくなるのだろうか
と思う。

自分が独自である/他とは異なる存在であると認識したい傾向をその生命が
持っているかどうかが、XXXXXを分ける。 「分け」て考える(生命とは何か
と考える)必要は無いのかもしれない。 XXXXXには「それはintelligentな
生命かどうか」と書こうと思ったが、どうもそれとは異なるという気がする。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月30日<月>00時31分)


文殊の知恵へのみち
生命科学の学術論文にも”ディスカッション”部分を付すことになっている。
しかし、この部分で、読むに耐えるものはこれまでに、殆ど無かった。 これ
らの論文では、実験の結果を報告することはできているから、学術論文の体裁
が整っているように見えているだけである。

ヒト一人の能力は、自分達が想像しているよりも低いのだと私は考えている。
つまり、実験結果を丁寧に報告したり、緻密に構築した理論を披露するくらい
がヒトの能力の限界、それも、高等教育を受けたことになっている者の(時に
はそれらの学者さま何名かの)能力の限界であると思う。 同様に、手を動か
す実験操作をしたことのない者が書く文章は、実験結果の報告のように的確に
表現できていない分、巧妙な言葉遣いと構文になって当然なのだとおもう。

互いの能力の低さを罵り合って、何を生もうというのか?
「ここまではよくできました」て、誉められるところだけ誉めたらどうか。
私は、低い能力をうまく集めたらどういうことができるのか、に興味がある。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月29日<日>07時14分)


追悼 Joe Strummer
つい先日、最近のパンク模倣バンドの米国での出現について書こうと思って、
「やはりクラッシュ、カッコよかったよなぁぁぁ」と独り感慨深く過ごして
いたところであった。 そうしたら、そのクラッシュのStrummer氏が亡く
なったというではないか。 人は死ぬ。 生き物は死ぬ。 人は死ぬなぁ!!

=====
酒すら飲めないオコチャマの頃に聴いたStrummer氏の歌唱によるClashの曲
は、英国英語が楽曲に乗っていた。 その曲調は明るいのに、歌いはラリって
いたし、珍しく眺めることができた写真に見る彼等も、ロカビリイの連中を
腐らせたみたいであった。 ドラムがドンドコと(tomy gun/I fought the
law)打たれるのも、腹に重かった。 英国では、こういう連中が音頭をとる
かたちで、若者が社会に対して怒っているのだと聞いた。 Clash自体に秩序
というものがカケラも備わっていないと感じたので、ロンドンというところ
は、こういうラリった人々が群れてデモなぞ行う、妖怪街なのだろうと想像
していた。

ものごとの評価とは、それらが終了・完了した時点で下せるようになると
思う。 その点で、パンクを評価することを可能にする合図ともいえる終了・
完了を未だに我々は感知していなかったのではないかと、Strummer氏が
亡くなって、考えた。 Strummer氏は、この2002年にもコンサアトを行っ
ていた。 「ex-Clash」と必ず言われる彼のコンサアトは、あっけらかんと
していて楽しめた、と聞いた。 どうやっても二度と同じ調整ができないと
言われていたあの頃のロンドンの連中の鳴らすギタアの音はやはり、妖怪の
出す音であったのだろう。 you fought the law. 何が勝った(won)かは、
未だ、判らないよ。 これからだ。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月24日<火>23時07分)


芸が身を助けているよ
彼等が2001年にダブリンにやって来ていたことは知っていた。 出掛けて行く
べきであった。 彼等とは、Tenacious D という二人組。 先に断っておく。
この人達は誠に「お品」がよくなくて、かなりイイ。 自称、「史上最高の
バンド」である。 経歴としては俳優という品のない野郎ども(こういう書き
方をした方が彼等を語るには似合い)が喋りまくるアルバムも出している。
イングランドとかパリでは受け難いだろうが、ダブリンくんだりへ出掛けて
行ったことは納得できる内容になっている。 非常に真っ直ぐな米国風漫談
とロックの融合であり、歌詞は、Frank Zappa の系統に乗りそうな品の無さ
で、笑うしかない。 「第二のS & G を狙った」と本人らが主張するだけの
ことはあって、ギタアも歌唱も、アルバムを出すに耐えるどころか、かなり
巧みである。 曲も、これは世の名作を聴き込んでいるなと思わせられるもの
が続き、質の高い笑いを振りまくアルバムとなっている。

作品として質の高い笑いを提供することは、真面目で手堅いものを作り上げる
ことよりも人々の感動を巻き起こすものを見せるよりも難しいとおもう。 笑
いは、可笑しいものが現れることを予想しておいた上になおも引き出せる類の
反応ではない。 難しそうなことを難しいと感じるよりも、感動的なことに
感動するよりも、可笑しそうなものを笑うことのほうが、反応を引き出す際の
threshold/閾 が高いところにあると感じる。 実際、このように駄文を綴る
にしても、彼等のことを書くのは難しい。

品のないものに耐えるという御仁は、「D」の笑えるアルバムを御一聴あれ。
人間の芸の産物である。 泥臭く一生懸命、かつ直線的に四文字言葉が迫る。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月22日<日>01時18分)


薄っぺら
フランス人は自分勝手で協調性がないなどとよく言われる。 確かに的を射て
いるのだが、その性質に加えて、誠にドライに他人と関わる術も知っている。

この世の万事は変化するということだけを疑いようのない事実として据えた
場合、生き物もその変化に対応する/対応させられることになる。 生産・
創造・改変といった「対応」を生き物が協力して遂行することは、効率(単位
時間の中で成功した仕事がどれだけ為されたか、を指す・成功とは、何事かを
維持することを指す)を高めることに役立つ。

=====
欧州人の知人・友人をみていると、彼等が現代の人間社会でチカラを持って
いる理由を感じる。 a priori(元々から備わっている)なもの、というか
下積み、というか、そういうもの(記憶?)が欧州人の生命に同居している。
アフリカの豊かさを眺めていた時に、また、イスラムがチカラを持っていた
時代にそれらを蓄積したのであろうか。

私には下積み層が皆無だと感じる。 薄っぺらである。 まぁ、これからかな。
チカラというものも、経済バブルの女神のように、地球を舐めてまわるもの
なのだと思っている。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月21日<土>00時01分)


「癌」が原因の一つで命を落とす人間の数が増えている。 死因を知らされて
は、また癌か、と思う。

それにしても、癌の基礎研究の、これまでに何と長くしかも集中的に(取り組
んでいるつもりで)続けられてきていることか。 そう考えては、イライラと
している。

癌に限らず、貧困とか憎悪とかが人間社会の表面に現れてくるのは、それを
ヒトが理解する必要があるからだという気がする。 これらは広大な球面みた
いなもので、現在は、そのほんの一部を眺めて、「これは水平面なのではない
か?」などと議論しているのだろう。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月18日<水>21時43分)


(下記への追加)
これのすぐ下の文章の次に来るつもりで書いてあります。

=====
先の「日本人に読んで欲しいからではない」という言は、こんなところの事を
気にして読んで下さる方に余りに失礼と思うので、非礼を謝るつもりで何を
どう考えて私が先の駄文を綴ったかをもう少し、添えておく。 自分が綴った
ものを読んで貰えることは、相手が日本人だろうがフランス人だろうが、とて
も嬉しい。 前言は、「日本人にだけ読んで欲しいからではない」と書いた方
が精確であった。

日本人に向かって日本人が色々を主張し続けたことによって、日本は独自の
発展を遂げたのかもしれない。 しかし、その独自な発展の模様は、日本以外
の地域において、日本人が国外の様々を知っていると同様に知れ渡っている訳
ではない。 日本に批判だの自省が欠けていることの原因は、ここ、つまり、
日本のことを知っているのが日本の者だけであることだと私はみている。
江戸期のように、世界からやって来る者を物理的に拒絶する鎖国というものも
あれば、現在のように、一億(が)総(じて)内向(的)であることに気が付
かずに形成される鎖国状態というものもあるのだと思う。

非自己に認識して貰い評価を受けることが、自己のみで改革・変革を遂げる
よりも効率がよい。 今の日本は、非日本に曝されていないことから、変化も
進展も鈍っている。 恐らく、それらが鈍っていて「悪い」とは言えない。
どうも万物が流転する現実のみが私にとっての信じられる事柄であるので、
日本人が外向的になったら、今の日本の停滞に変化が現れるかもしれない、と
だけ、思っている。 或いは、私は100-500年単位の変化に我慢できない急進
派なのかもしれないとも思っている。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月15日<日>02時28分)


(下からの続き)
(下からの続き)

一部の経済学者は、いわゆる
物質文明の進歩―富の増殖― のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども、
余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至る事をもってのみ、真実の意味
における文明の進歩と信ずる。しかも一経済学者たる自己の現在の境遇に安ん
じ、日々富を論じ貧を論じてあえて倦むことなきゆえんのものは、かつて孟子
の言えるがごとく、恒産なくして恒心あるはただ士のみよくするをなす、民の
ごときはすなわち恒産なくんば因って恒心なく、いやしくも恒心なくんば
放辟邪侈、ますます道に遠ざかるを免れざるに至るを信ずるがためのみで
ある。ラスキンの有名なる句にThere is no wealth, but life(富何者ぞ
ただ生活あるのみ)ということがあるが、富なるものは人生の目的 ― 道を聞
くという人生唯一の目的、ただその目的を達するための手段としてのみ意義
あるに過ぎない。しかして余が人類社会より貧乏を退治せんことを希望する
も、ただその貧乏なるものがかくのごとく人の道を聞くの妨げとなるがため
のみである。読者もしこの物語の著者を解して、飽食暖衣をもって人生の理想
となすものとされずんば幸いである。
 著者経済生活の理想化を説くや、高く向上の一路をさすに似たりといえど
も、彼あによくその説くところを自ら行ない得たりと言わんや。ただ平生の志
を言うのみ。しかも読者もしその人をもってその言を捨てずんば、著者の本懐
これに過ぐるはあらざるべし。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月14日<土>23時32分)


私は外を向いている
日本人に向かって真っ当なことを主張した日本人は過去に居た。 日本という
ところはそうやって、自身に語りかけることをこれまで延々と続けてきた。
私もこの掲示板にブツブツとものを書き始めた頃は、日本語で書いていること
もあって、日本人に向かってものを言っている気で居た。 だが、今は少々、
心境が異なる。 日本語で書くのは、他の言語よりも綴りの間違いを確認せず
にそれを使えるからであって、日本語で書きたいから・日本人に読んで欲しい
からではない。 むしろ、綴りの間違いを確認することで時間が掛かっても、
私は、日本語以外の言語を使う人々に向かって、この内容を伝えねばという
気がしている。 日本語で真っ当なことを主張してくれた先人の言を受けた者
が私であるなら、私は恐らく、その先人とは異なることを為すことが求められ
ている(どこから求められている?とは野暮な疑問)のだと考えている。

=====
河上肇・貧乏物語 (1916) 「序」より
(以下は下記サイトからの転載)
http://www.ksky.ne.jp/~hatsu/hajime/

人はパンのみにて生くものにあらず、されどパンなくして人は生くものに
あらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。思うに経済
問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問とな
るも、全くこれがためであろう。昔は孔子のいわく、富にして求むべくんば
執鞭の士といえども吾またこれを為さん、もし求むべからずんばわが好む
ところに従わんと。古の儒者これを読んで、富にして求めうべきものならば
賎役といえどもこれをなさん、しかれども富は求めて得べからず、ゆえに
わが好むところに従いて古人の道を楽しまんと解せるがごときは、おそらく
孔子の真意を得たるものにあらざらん。孔子また言わずや、朝に道を聞かば
夕べに死すとも可なりと。言うこころは、人生唯一の目的は道を聞くにある、
もし人生の目的が富を求むるにあるならば、決して自分の好悪をもってこれ
を避くるものにあらず、たといいかようの賎役なりともこれに従事して人生
の目的を遂ぐべけれども、いやしくもしからざる以上、わが好むところに
従わんというにある。もし余にして、かく解釈することにおいてはなはだしき
誤解をなしおるにあらざる以上、余はこの物語において、まさに孔子の立場
を奉じて富を論じ貧を論ぜしつもりである。一部の経済学者は、いわゆる

(上に続く・切りどころがいい具合でないのは承知)

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月14日<土>23時29分)


欧と米
最近買ってしまったディスクは、英国モノ Coldplayの新作だ。 透明ケエス
に白い外装、ディスクのタイトル面が黒い。 最近のロンドンやパリに出来る
”カッコイ”店はどれもこれも、業種を問わず、このディスクの見かけと共通
の様子をしている。 ディスクをかけて聞こえてくる曲も、外装と一致して、
さっぱりとしたものだ。 感傷的で単純な曲調と歌詞であるので、”カッコ
イイ”として、売れるのだとおもう。 たとえばがパリに新たに開店したこの
手のカフェでも、可でも不可でもない飲食物を提供している。 そこに、客が
常時、入っている。

最近出掛けて唸ったコンサアトは、米国人 Ryan Adamsのものだった。 殆ど
の曲はギタアを弾きつつ、歌われた。 天井からはスポットライトのみ、上着
にタイ、ジインズとハンチング(帽子を脱いで汗を拭うたびに観客は大喜び、
本人は「コレを被っていると自分が何を考えているかワカラナイだろうから
被っていたい。」と。 しかし、最後まで被って居られなかった。)姿。 どの
曲も大切に歌っていた。 演奏に没入して、ずっと観客に背を向けていること
すらあった。 拡声装置の類は勿論用いていたのだが、Ryan 独りのチカラの
届く範囲でのコンサアトであったので、会場は、当日の規模で正解とおもう。

ロンドン・パリの白々しくて味わいのない格好良さは、自身の停滞に対する
解決策としては非力である。 内股気味になってギタア弾き込んでしまう者を
抱えているニュウヨオクに、今は、勢いがあるように感じる。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月13日<金>02時47分)


円周率
「産学」共同研究の成果が世界一のケタ数をはじき出す計算機を生むだけの
ことはあって、日本は、ものの利用が得意な人間が揃っている。 が、利用
するだけが得意で、そのものの背景・歴史や発展については余り考えないよう
に見える。 日本語で書かれている円周率に関するサイトには、式とか文章
とか数値は書かれていても、図が載っていない。 四角形二つと円を一つ書い
た線画の一枚が、何行もの文章で説明するよりも効率よく人目を惹くだろう
し、その線画こそが、世界一のケタ数への感心を集めそうと思うのだが。

ものの背景・歴史や発展を余り考えないでそれを利用する、という点は、何も
円周率に限らないことなのかもしれない。 人間、つまり、人材についても、
日本での多くの権力者や雇用者は、その者の背景・歴史や発展を考えずに利用
しているように感じる。 中学生の頃に、学級運営のためにクラスの人材を
様々に動かそうとする教師が居て、その学級はうまく運営されているように
見えたが、運営維持の為に嘆く級友が出た。 それで、「人材は使い捨てを
する対象か?」と歯向かってみたが、人間の背景・歴史や発展を考えない利用
が止む気配はなかった。 学級などという組織に属さずに居ても、似たような
ことを、日本での人使いの様子から感じる。

日本での現行の権力者や雇用者は自らがのし上がったタイプであって、育て
られた末に現れた者ではないのかもしれない。 自分が周囲に育てられたと
いう実感もしくは、特定の教義への信仰を下敷きにでもせねば、あらゆるもの
の使い捨てを止めて、そのものの背景・歴史・発展を考えた利用をしようと
いう気になぞ、人間、なれぬのだろう。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月7日<土>01時28分)


雑にいろいろ
考えることをしなかったり体調が今ひとつの具合であると、ここに書き込む
ものを仕上げることが出来ない---とはいえ最近では、書かずに過ごしている
と、ストレスを感じるようになってきた(愚)。

*傘
権力て雨降り時の傘みたいだ、とつくづく思う。 下に入っていれば濡れずに
過ごせ、入っていなければ雨には打たれ放題。 この傘を、「本来は無くても
過ごせるものである」とする意見がある。 自分でもそう書いたことがある。
確かに、傘が無くても雨の中を歩いて行くことは出来る。 しかし、傘をさす
のを止めたところで雨が同調して止むわけではない。

水滴の雨を人間が止ませることはできない。 人間社会の「雨」も同様に、
人間には止めることが出来ないものであると感じる。 その雨を避ける努力を
権力と考えたなら、他人をずぶ濡れから守るという点において、権力の存在を
肯定することが出来る。 ただしここで、傘自身は雨に打たれていることを
忘れている者が多いことを書き添えておく。

*「ガラスを拾うペスタロッチ」
そういう説明書きの付いた画を、幼い頃に観た。 何かの挿絵であったように
思う。 詳細は何も覚えていない。 裸足で歩く者のことを考えてはガラス片を
拾う人間が居たということが当時、衝撃であった。 自分が不調であるとき、
この、何の詳細も覚えていない画のことを想う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年12月5日<木>03時38分)


伯林に漂うもの
ベルリン(伯林、と漢字に変換するのだ)という土地は、突出した創作物を
形にする人間を擁し続けているように思う。 突出、というのは、様々な面に
おいて他に類を見ない、という意味である。 あれほど寒いことを考慮せず、
愛用の靴を揃えに出掛けようと思っていた伯林を、先日往復してきた。 靴は
そもそもパリで見つけたのだが、デザインと機能の融合点が高い位置にあると
いうことで他に類を見ないものと思えるので、愛用している。

このように頭中に靴のことを詰めて降り立った伯林で当方は、森鴎外の下宿
跡なる場所へも出掛けてきた(同行者に、そういう趣味の者が居たのだ)。
鴎外のことなぞ知らずに出掛けたその下宿跡で、どうも森氏は「heartが無
い」人物であったように思えた。 ”文豪”ゆかりの下宿跡であるから、地元
大学の日本語・日本文化科の出張先にもなっていて、ちょっとした日本文化
紹介・交流の場になっていたようであったし、そこを過去に訪れた者の残した
感想文--訪問帳を読んだ--も、展示してあった実子への手紙が愛に満ちて
いるとか異国で立派に生き抜いた同郷人を誇りに思う等と、好意的であった。
恐らく、あの場での日本文化紹介や感想文がお節介なものに感じられると
言っては、”文豪”支持者でなくても眉をひそめることだろう。 が、当方は
お節介と感じた。

中野重治が「鴎外にはぬくい心が欠けている。けだものが二匹くっついて温め
合うような心が欠けている」と評したことを引いて、森鴎外の作品について、
人生や世間に対する確信があって高貴であるとした書評を読んだ。 「ぬくい
心」の欠如とは、当方が友人の言うのを聞いて気に入って使っている「heart
が無い」ことと一致すると感じる。 ジンセイや世の中に対する確信故に
「ぬくい」表現を生まなかった森氏の高貴さ/孤高さに対応するには、愛情
とか同郷とか交流という事柄は最適ではないのだ。 大方の場合のこれらは
感傷的であるが故に、お節介なのだ。 森氏の確信を評することなぞ並大抵
では出来得ない。 しかし、”文豪”という定評や、ジンセイにまつわる感傷
に安易に流されずに読むことで、森氏の作品は読者の血肉となる。

先出の書評子氏は、森氏の作品から読めるジンセイや世の中に対する確信は、
「たとえ明治の昔にはあっても、いまはほとんど失われている」としている。
森氏の下宿跡を訪問することで現代では他に類を見ない高貴を味わえるとは、
あの施設は、実は如何にも伯林風であったのかもしれぬという気がしてきた。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月26日<火>00時47分)


書庫の手入れしました
当掲示板の過去ログ書庫を手入れして、遺物を放り込んでおきました。 かなり
長い間プロバイダ側の調子がおかしかったため、これまでちぃとも手を入れる
ことができませんでした(言い訳)。

ハリキッテ過去ログ保管場所なぞ作ってみたはよいのですが、下手に読み返す
と恥ずかしい思いをしますねぇ。

過去ログ書庫
http://pws.prserv.net/maiban/bl_arch.html

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月25日<月>02時40分)


移民・移民輩出国
中国出身の自称「中国系アメリカ人」と話をする機会があった。 中国系の
移民は世界各国の中国料理屋に居るもので、お互いに東洋人であることを根拠
に会話を交わすことはあっても、先日のように話をしたことはなかった。

移民という語が指す対象には、自分の生き残りを懸けて貧しい国から他国へ
移り住む者が含まれ、そのため、移民と聞くと、社会的身分が低い者や半ば
浮浪者のような人間を先ず想像する。 実際、想像通りである場合も多い。
それから、当の移民は、自分に帰る所があるとすればそれは移住先であると
考えている。 生まれ育った祖国は移民にもあるのだが、移民にとって祖国と
は、自分が帰り着く場所を指していない。

駐在だの留学の場合の外国(祖国以外の場所・国を指す)暮らしは、期間が
短いことが明らかであるから、外国で暮らしている本人はまさか自分が移民で
あるとは思うまい。 それ以外に所謂「在外邦人」は多いのだが、これらの
人々の間でも、自分は移民であるという意識は希薄であるという気がする。
何十年日本以外の場所で暮らそうと、日本で生まれ育った最近の人間には、
自分はいつか日本に帰る--灰や骨としてであろうと精霊としてであろうと--
という考えが強い様子にて、移民を自称する日本国出身者には出会したことが
ない。 実に日本というところが魅力的な場所だから人間の気持ちを惹き付け
ることに成功しているのか、はたまた、土地という物理的存在に依存せねば
自分が何者か解らないのが日本というところで育まれた人間の特色なのか。

移民を輩出した/輩出している国の状況は、間違っても豊かとは表現できない
ものである。 しかし、その豊かとは表現できないところから出てきた移民の
連中は、移住先に同化することなく自分達に暮らしよい環境を構築しているの
であるから、移民輩出国は、自らの出自を強く意識できていて、かつその意識
に忠実で生命力の強い人間を育んだ/育んでいると云えまいか。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月22日<金>05時05分)


貧乏人に暇は無し
よくぞ言った、とはこういうことを指して言うべきだ。 ちょっと、異なる角度
から発想を得たい気になって、少し前から周辺諸国を動いてみることにした。
動いてみる気になったら、動く用事ばかり入ってくるようになった。 気のせい
かも知れないが、時運に騙された?とでも思って、動き回ることにする。

ということで、周辺諸国の見聞に出掛けてきます。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月9日<土>10時16分)


I have no heart
負担を背負い込む者が居なくては、物事は変動しない。 また、通常、人は、
自分が佳かれと思って行ったことが受け入れられない状況に納得することが
できない(不寛容に対して寛容であることは簡単ではない)。

その環境にあって、負担を背負い込んで、かつ不寛容に対して寛容であろうと
すると、「heart が無い」人間として存在する以外に路はないと思う。 ここ
でいうheart とは、自分が他人にかける期待を指す。 我が友人の言った
「他人には何も期待しない」という態度は、非自己(他人)は自分に対して
不寛容でもあり得ることを承知して、そのことを受容しているから表明できる
ものなのだ。

「他人には何も期待しない」と聞けば、そのようなことを発する人間は、
何とも自分勝手で自己中心で自己愛に溢れた者であるかのように、また、この
世の何事も信用しようとしない哀れ/寂しい者であるかの如くに感じてしまう
ものである。 しかし、この一言を、自分のことは自分で責任を持つという
前提とともに、この世のどれだけの人間が口に出来ようかと私はおもう。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月7日<木>00時16分)


追悼 Jam Master Jay
コンパクトディスクというものが世に出て、音楽がプラスチクに収まって出回
るようになって久しい。 私が初めて入手したプラスチクのディスクは、
Run DMC とStyle council とであった。 "Run"をディスクで揃える野暮も
あろうかと思ったが、彼等の作品は、プラスチクに収めてdistributeする
ことに耐える最初の 'profile' musicであるとの確信のもと、購入することに
したのであった。 improvisation はノリの産物ではなく、創作能の産物なの
であると世に知らしめるには、演奏会を何度も開くか会の様子を記録する必要
がある。 当時の米国音楽に、これまでになかった種類のものが出現し始めて
いたことは確かであった。 "Run" の世間への露出が、その出現を確定した。
分野(genre)のひとつを打ち立てるpoineerは、居る。 Jam Master Jay ことJason Mizel氏は、pioneerの一人であったと思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年11月5日<火>02時49分)


火曜日
toleranceは理想として留まっている、という主張や態度は、やはり、pain
だのhatredだのを非自己から与えられたと感じる自分の姿を観ていない者
から発されるのだとおもう。 また、表面的でしかない寛容・受容ならば無い
方がよいと感じるが、未熟な情を佳しとする人間は未だ多い。 そしてまた、
この不要なものに起因する心身の消耗は激しい。

I want to live, I want to give
I've been a miner for a heart of gold
It's these expressions I never give
That keep me searching for a heart of gold
And I'm getting old
Neil Young / heart of gold

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月29日<火>19時28分)


(下の書き込みの間違い)
結婚式云々の項、「市長」「市庁舎」ではなくて「区長」「区役所」。

Name : ばん まい Time : (2002年10月28日<月>18時02分)


市井、に関する雑なこといろいろ
在野という語は、在朝という位置があってこその語であるという気がするもの
で、exactに同じものを指すとは思えないが、似たものを表す際に、市井と
することを好む。 それで、市井のthinktank を形成できないものかと考えて
いる。 随分長い間考え続けているようにも思う。

権力の在処は、thinktankを抱えている。 権力を得ている現状を維持する
ための事柄を画策するためでもあり、また、その権力の行使のしかたを検討
するためでもあろう。 ところが、権力の影響を受ける者がthinktankを持っ
ているという例は無いに等しい。 自分達の現状を受け止め、その後のあり方
を検討することを担う者の組織が、非権力者には無い。 世のための
thinktankはあっても、人のためのそれは無い。 理屈に忠実に、権力とは
人間の意識に依存した架空の存在であると考えれば、架空でないものを支える
ためのthinktankこそ、在って然るべきではないか。 勿論、現存する各種の
団体のように、権力を否定するためのthinktankではない。

=====
先日出掛けたフランス式結婚式は面白かった。 市庁舎の一室で行われた。
市長と助役みたいな人物が正面に居て、結婚する二人と証人に対面しており、
隣席者はその四名の背後に控える。 市長は、フランス国の定める婚姻に関す
る法規に言及し、それに則って目前の二人の結婚が証人の存在の下で成立する
ことを宣言し、その宣言を是とすることを結婚する者が口にした後に婚姻者と
証人とが婚姻届書類にサインし、結婚の成立となった。 成立の場に列席して
いて、Le contrat socialという大著を想った。

何に依存して婚姻という関係が成立するのか、明らかにする「式」であった。
宗教心の強い者にとっては宗教の立脚する事物こそ権力の在処であり、その
事物に依存して婚姻が成立することを、結婚「式」で知る。 何も考えては
いない所では、婚姻という契約が、愛とか好きとかいった心情以外の如何なる
根拠で成立するのかが明らかにならぬまま成立するのだろう。

何も考えずに目出度く生きているところを荒立てる必要はなし、という気も
する。 が、ある者が考えること、が、恐らくヒトにおいて唯一その者の存在
を証明する(=明らかにする)ので、考えて、自分が存在することを認識でき
たほうがよいように思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月28日<月>01時16分)


書き込み多謝!
ろしーたサン、書き込みをして下さってどうもありがとうございます。
復活の黒ひょう亭、楽しみにしてます。

このところ本は積んであるだけ、時事モノ雑誌だけ目を通し、なぁんか貧しい
生活しています。 で、ものを考えないからここに書くことも無し、、、。
腐る前に動け! というわけで、そのうち拙宅で物品大安売りでもやるかなぁ。
カサが在っては動きにくいからさ。 、、、て、売れるようなモノあったかな。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月25日<金>20時45分)


復活
またHPを再会しようと思っています。
ゆっくりペースになりそうですけれど・・・

ゲストブックの書きこみ、掲示板がわりにお使いくださいませ。
お知らせまで・・・
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6875/

Name : ろしーた Time : (2002年10月24日<木>22時00分)


東西
「これは効き目がある。 ただし、毒性がないことは調べたから安心しろ。
まぁ、ごじょごじょ言っていないで、とにかく効くんだ、試してみろ。」と
東洋では言う。

「このものの効き目はこの成分によるもので、その成分の毒性は考慮しなくて
好い程度と判断されている。 効き目自体も、有効と判断してよいと考える。
だから使え。」と西洋では言う。

この間ダブリンで、面白そうな本を買ってきた。
A History of Irish Thought 、という。 何時になったら内容を報告できる
か判らないが。 こんな表題を付けられるような事柄を自分に於いて理解した
いと思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月18日<金>17時41分)


二題
*constance
DNAチップというものの末端販売価格は、1000ユウロに届くようなところに
設定されている。 実験室で使う物品の一個がこの値段では、バイオ研究に
投入される予算額が膨らむのは当然である。 昨今の生命科学研究界での所謂
qualite/prixを数値化したら、十年二十年前よりも低い値を示しそうだ。
物事の効率が低下する動きは止められないのだと思う。 卵細胞形成(非効
率、ということで思い浮かんだ)の効率というものはどのようになっているの
かと考える。

*「人間味を拒絶する感じ」の家、に関する続考
人間の感傷(=sentiment)によって機能や効果の鈍る何か、というものが
ある。 sens 、かも知れないと思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月15日<火>20時38分)


(余所からの続き)--下からの続き!
(下の書き込みからの続き)

=====
クドいついでにもう少し。

やはり武田さんの書き込みにあった「どこか人間くささを拒絶する感じ」の
部屋、に、大いに心当たりがある。

他人の実験台を見たり住まいへ踏み込んでみると、「人間くささ」を感じる。
確かに、実験台や住まいが散らかっていると、より平易に「人間くささ」を
感じるものだが、逆に、きれいにかたづいていても「人間くさ」い場合がある
と私はおもう。 とにかく私は「人間くささ」を感知できているような気が
自分で(薄々)していた。 武田さんの書き込みにあった「人間くささを拒絶
する感じ」の部屋、というところを読んで、自分が他人の「人間くささ」を
感知できている気がするのは、自分に「人間くささ」が欠けているからでは
ないか、と思ってギクリとした。 このギクリにも心当たりがある。 余所を
眺めて自分のところへ戻ってくると、「人間くささ」が欠けているのはマズい(これが、武田さんの仰る「寒々とした思い」と同種の感覚なのかは不明)と
感じるのだ。 この「マズい」が、先の「ギクリ」と同じものなのである。
マズいと感じて、わざと部屋を散らかして「人間くささ」を演出してみた
ものだが、どう足掻いても何らかの「人間くささ」が自室に漂うことはなかっ
た。 自室を他人にみせたら、「寒々とした思い」を抱かせるのだはないかと
自分で思う。

また、自分のものに対して感じた「ギクリ」だの「マズい」感じを沸き起こす
友人にも心当たりがある。 これらの「ギクリ・マズい」気がするのは、確か
に、武田さんの指摘するように、「どこか深い部分で人間嫌いのところ」があ
るからかも知れないと思う。 ところが、その「どこか深い部分で」の「人間
嫌いのところ」は嫌悪すべき性質のものではなく、これらの人物は、やたら
愛おしいところも備えていると感じる(人間嫌い=愛おしい、ではない)。
「寒々とした思い」を抱かせようとWittgensteinの建築を人々が眺めるの
も、絶望的なMahlerを人々が聴くのも、この、「やたら愛おしい」部分が
あるからこそではないかと思う。 「愛」という文字の使用は適切ではなく、
人間の性善説ともやや異なり、しかし、この「やたら愛おしい」ことをうまく
記述できれば、「生命とは何か」を言葉で表現できたと同じであると私は考え
ている。

当初に戻り、武田さんにしろWilson氏にしろ、自分が観察したことに対する
感想の記述と、その感想の分析がよくできていると思う。 ものを表現したい
という時、それも、的確に自分以外の者に伝わるように表現したかったら、
自分の感想に対する「分析」の部分がしっかりできているとよさそうだ、と、
この二者に触れて、考えた。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月13日<日>21時54分)


(余所からの続き)


この掲示板を開設した頃から時々しゃしゃり出ていた掲示板が、下記、武田
さんのところ。 彼のところにまた続けて書き込むのはクドいので、ここに
続きを書いておく。
http://162.teacup.com/sinopy/bbs

=====
武田さんの書き込みにあった引用のことを「信じてよい」かどうかは、嫌味
な顔をしつつ考えるとして、その「スコラ哲学者」の言葉は面白い。 ヘッセ
という作家も、Steppenwolf という作品のなかで次のように(英訳)書いて
いるという(C. Wilson が著書 『The Outsider』の中で引用している)。
武田さんの紹介してくれた一節に照応するものがあると思う。

Instead of narrowing your world and simplifying your soul, you
will have at last to take the whole world into your soul, cost what it may.

=====

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月13日<日>XX時XX分)


行かなくっちゃ、観なくっちゃ


Ben Foldsは、ナマに限る。 先日ノコノコ出掛けていったライブでは「いい
から今夜は support actも見逃すな!」という対象がBenであった。 大混雑
という程の客の入りではなかったというのに会場に熱気が満ちていたと感じた
のは、出掛ける前に腹に流し込んだ黒いビイルのせいではなかったと思う。
鍵盤を押さえつつ立ち上がっては歌い語り喜ぶ姿は愉快だった。 それで大い
に感銘を受け、同行者と「Ben Foldsのディスク買う!」と頷き合った通りに
アルバムを買って聴いたら、断然、ライブ時の方がよいと感じたのだ。 アル
バムは、ダブリンで歌っていた本人が「あーあ、こんなプラスチクに収まっ
ちゃって」というところだ。 どうも近頃のポップ・ロック音楽においては、
プラスチクを売ることが重要視されている様子にて、ライブは、生身の音楽人
を眺める記念の会と化している。 Benの演奏は、そういう音楽商法とか販売
戦略とかいったものを寄せ付けていなかった。 音楽はプラスチクの記録媒体
に依存した存在ではない、と主張していた。

パリ観光も大方のライブと同様だ。 既にテレビや写真でお馴染みのエッフェ
ル塔を眺めたという行為を記念として捉えることが昨今の人々にとって重要
なのであって、その行為に記念という雰囲気が濃厚であればあるほどよいと
されているように見える。 近年の観光においては記念を蓄積することが重要
なのであり、眺めたものは実は、塔だろうが門だろうが美術館だろうが、そし
て恐らく訪問先はパリでない場所であろうが構わないのだ。 記念とは、たや
すく忘れてしまうことを忘れないようにする行為であるから、記念事物の多さ
は、欲の多さのようにも見える。 ヒトの記憶は、写真だのヴィデオといった
記録媒体に依存した存在ではないと私は思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月12日<土>XX時XX分)


考えごと


権力を持つということにした存在(組織の時も個人の時もある)の権力を後ろ
盾にして、ある関係(組織間・組織-人間・人間の間)の確実を約束するため
に取り交わすものを契約と呼ぶ。 契約を交わすこととは即ち権力に拘束され
ることを認めることでもあり、その拘束と引き替えに、権力の定める範囲に
おける特典が自動的に与えられる。 このように人間の社会における契約というものを捉えるには、そもそも頭中
に人間は平等という考えが無くてはならないという意見を聞いたことがある。
「近々結婚することにした!」と言って大はしゃぎの者と、共通の知人が結婚
したと知らせたら「なんでまたそんなことを!」と言って半ば落胆した者とに
短時間の内に接し、成る程、これらの者では権力とか平等とかについての考え
に割いたこれまでの時間が異なると感じられた。 どちらが高尚でどちらが幸
せとは判らない。 ただ、手放しではしゃげたならば楽しいだろうし、また、
考え事の末に自分というものの社会における位置が把握できるのもいいなと
思う。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月7日<月>XX時XX分)


ぽちぽちと


今の世の中には mess という語がぴったりだ。 「とっちらかっている」と
いう感じ。 現状・状況・存在というものは秩序とか整頓という状態から逸れ
てゆくばかりであるということを実感する。 秩序や整頓からは遠のきつつも
総体(それなぁにと聞かれると困る)と呼ぶべき存在は不変なのだと思うが。

それにしても、mess である。 自分が荒れているから周囲も荒れているよう
に見えているのかもしれない。 荒れている、というのは、崩壊寸前とか破損
汚染という感じではない。 やはり、mess という語が私の考えに最も近い。
というのも、先日に仏人と話をしていて、「ところで、日本語は大丈夫なの?
不自由なく使えるの?」と尋ねられた。 その心配には及ばず、仏語英語の方
がよっぽど使うに不自由、、、というところが事実と私は認識しているのだ
が、この問いかけが発された事の根拠は思い当たる。 mess、である。

黙った状態での自分の考えというものは、独り言を発するとは異なって、特定
の言語を使っていないように感じる。 喋るなり書くなりする段になって言語
が脳裏に舞う。 喋るなり書くなりしている時について考えてみると、その際
の使用言語は、仏語と英語とが42%ずつ、残りが日本語であるように思う。
あのとき私は仏語しか使っていなかったが、先述の仏人にはもしかしたらこの
割合が臭ったのではないか。 そしてこのような混合状態は、まさしく mess
と呼ぶにふさわしいものなのだ。

言語とはtribal 即ち所属に依存した出力である。 巷に存在している語学力
試験なぞ受ければ私は日本語が母国語レヴェルであり、仏語英語ではそうは
行かぬという結果になろう。 しかし私の気分では、こうして自分の思うこと
を文章にする場合、文法だとか綴り違いを全く気にせず、英語の骨格中に英仏
日の単語や図画記号を好きに使って、文字はアルファベで綴りたい。 mess
とはこういうことを云う。 混沌というものが組み合わせの材料の宝庫である
ことを願う。 この世に有るという解読不可能文章を残した人間のことを理解
できるような気がする。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2002年10月1日<火>XX時XX分)


SHIROITA_archives/7ここまで