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この記事はThe Internet Archive(米国)の保管に拠ります


言い訳
皆様こんにちは。 このところ更新が鈍って、失礼しております。

私にとっては下記にrositaさんが書いて下さったような、「リャマの子の立つ
のを待つような時間」がないと、本当の機械人間と化して、’こなすべき’を
こなすだけのような生き物になってしまいます。 散歩をしても周囲が視界に
入らなくなり、学術論文を読んでも批判能力が無くなっていることが自分で
わかるほどです。

この「リャマの子の立つのを待つような時間」は、ボリビアの素朴な土地で
しか流れ得ない訳ではありませんよね。 少し深呼吸して、また、ぼちぼち
行くとします。


Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月5日<火>05時53分)


自己レス
下の投書の「愚劣」云々のくだり、ちょっと、自分で気に入らないので補足を
してみます。

=====
だいぶ以前のことになりますが、私は、「実験・体験」と自称して匿名掲示板
に固定ハンドル(投書をする際に自分のハンドル名を変化させないこと)で
参加してみたことがありました。 主張することや口調は当所でのそれらと
変わりなく、ただ、話題は、その匿名掲示板でのものに沿ったものにして、書
き込みをしてみていました。

「愚劣ではない」ことが解る反応が稀であったというのはその時の記憶で、
私の主張の内容に関わらず、大概は、「何をクドクド言ってる?」とか、
「世の中そんなに甘くないよ」から始まる罵倒の内容の反応が付いたのです。
ところが可笑しいことに、私が投書をすると、その投書の後に罵倒が何通も
連なりました。 連なるくせに、「お前もう黙れ」とは一度も書かれなかった。
懸命の?皮肉を書いて来た者はかなりありましたが。

この匿名掲示板での「実験・体験」における一連の出来事は概ねパターン化
出来てしまい、「ああ、またか」と繰り返し思うようになったところで「実験
・体験」はお終いにしました。

ただし、「愚劣ではない」ことが解る反応は稀であっただけで、皆無なわけで
はありませんでした。 罵倒が浴びせられる私の投書に「共感できる」とか
「他にも投書があったら読んでみたい」と反応した人物もいました。 ところが
このような人物が投書をするや、その人物へも罵倒が向けられ、何だか気の毒
に感じました。

=====
余り関係ないのですが、ロンドンへ行ったとき、街に居るホームレスと見受け
られるような姿の者から恐怖を感じました。 同様の姿の者はパリにも居るの
ですが、パリの者に恐怖を感じたことは不思議に、私にはありませんでした。
それで、一緒にいた者に「ロンドンでは、あれらの人々が暴力的にみえる」と
申しましたら、「この地(ロンドン)の人々には、やり場のない怒りが蓄積
しているのだ」とのことでした。

匿名掲示板での皮肉と罵倒の投書にも、このロンドンの人々から感じられた
と同様の(恐怖、とは言い難いが)ものを感じます。 やり場のない怒りのよう
なものの蓄積が、ヒトの「知」を痛めつけてしまうのかも知れません。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月3日<日>17時45分)


如切 如磋 如琢 如磨
当所を読んでくれた日本の大学生の方から、メルを貰いました。 すごく、
嬉しかったです。 当所の記事を「読んでいて面白く、楽しかった」と、感想
を下さいました。

この方が当所の書き込みを読んで楽しんで下さったことは勿論嬉しいのです
が、とにかく、若いひとから反応があったことが私には頼もしかった。 日本
の若い人々が愚劣な者ばかりではないことは頭では承知しているものの、この
メルを呉れた人物のような、「愚劣ではない」ということが解る反応は(残念
なことに)稀です。

自分のことを表現する、とか、自分の感想を送りつけるということは、実に
勇気の要ることであると思います。 何故に勇気が要るかといえば、これらの
行為は、自己を切磋琢磨することに等しいからです。 切磋琢磨などと書けば
学校の教師のたれたがる美事なる教訓のようですが、実行動に移してみると、
自分が「切」られ(切=骨を切るという意)、「磋(みが)」かれ(磋=ざら
ざらのものを砥石にかけて、玉石にまで磨く意)、更に「琢(みが)」かれ
(玉に対しては琢を用い、石に対しては磨を用いる)、またしても「磨
(みが)」かれる(手でみがく際に摩を用い、石でみがく際に磨を用いる)
わけで、自分が大変な思いをするのは明らかだからです。

多少の大変な思いに躊躇せずに、このメルをくれた人物をはじめとする若い
人々も当所での自分の表現に御参加下さることを願っております。 そして、
この場所が、ある時は熱気に溢れ、またある時は「リャマの子の立つのを
待つような」落ち着いた暖かみのある場所となればよいな、と思っています。

当所をご訪問下さる皆様、どうもありがとうございます。 そして、今後とも
ドウゾ当所と宜しくお付き合い下さいますようお願いいたします。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月3日<日>07時20分)


甘い? 
夏ごろ録画したにもかかわらず、まだ見ていなかったビデオを、昨日みました。アンデス塩の道 というその番組は、もんたよしのりというミュージシャンが、ボリビアの高地(4000メートル)の塩湖の塩を、リャマの背にのせて2900メートルの村へ運び、物物交換でとうもろこしや果物をえる隊商の旅をリポートしたものです。
途中、リャマ一頭ようやくとおれるがけっぷちの道をとおったり、地面の上で野宿したり・・・そんなにつらい旅をしなくても暮らしていけるのに、なぜそれをするのか、という問いにこの高地の村の住人は、「喜んでくれる人がいるし・・・好きだからかな」とこたえていました。このおじさん、すばらしい人だなあと思いました。
番組のなかで、生まれたばかりのリャマの子どもを見に行くシーンがあり、おじさんはリャマの子がひとりで立てるようになるのをまっている間に寝てしまうのですが、その寝顔がまたよいのです。
じつはこのビデオ、語学を教えている学校の授業でみたのですが、どこまで伝わったかなあ。これから社会に出て、働いて、家族をもったりして生きていく若い人たちに、ときにはリャマの子の立つのを待つような時間をもってほしいです。
掲示板削除の話、わかりました。やりとりの内容は、当事者たちの記憶にはしっかり残っているわけですから、無駄になったわけではないでしょう。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/6875/index.htm

Name : rosita Time : (2000年12月2日<土>21時00分)


私見(アタリマエか)
私が幾ら違和感を抱いたところでこれら二つの事柄を明確に分離することは
不可能であるとは思います。 しかし、なるべく分離して考えたほうがよいのではないか、と、私が思っている事があります。 「政治」と「科学」です。

全世界へのエイズの蔓延や遺伝子組み替え食品の普及が世界経済に何事かを
もたらすようであることは明らかです。 が、世界経済に影響を及ぼすからと
いって、エイズを、感染症というよりも冷戦によって失われた「敵」の代わり
であるもの(=自国に脅威を与えるもの)として扱ったり、遺伝子組み替え
食品を企業繁栄(=自国に利益をもたらすもの)の源泉として位置づける
こと、つまり、「政治」と「科学」とを混同させて扱うことに、私は違和感
を感じます。

武田さんのご投書では、「食の安全」というものに興味を抱くようになった、
という動機を記載してはいるものの、ご主張の内容は、「政治」と「科学」が
混同されたものに読めます。 「政治」と「科学」は、そもそもが、乖離し
がたいものではありますが、乖離しがたいということを認識した上で敢えて
分離して議論しなければ、その議論からは何も生まれないと思います。

遺伝子組み替え食品には「政治」と「科学」とが絡むのだと切実に認識できて
いる者でなければ、そのものに関する事実を報道することもできないだろうし
ケンケンガクガクの議論を実名で闘わせることもできないでしょう。 ですから、日本でのこれに関する報道が少なく、責任ある発言の出来る者が少ない
という武田さんのご指摘は、尤もであると思います。

=====
私は、エイズ・遺伝子組み替え食品・狂牛病・原子力利用などの事柄に
ついて、「政治家」は政治的側面を、「科学者」は科学的側面を、庶民大衆
に向かって解説すべきであると思います。

庶民大衆としては(私は、遺伝子組み替え食品に限らず、「科学者」である
と同時に庶民大衆であると自分では思っています)、これらの解説を理解した
気になることなく、自分が納得できる理解を求めたいと思います。 自分の
納得できる理解が自分にあれば、自分が遺伝子組み替え食品とどう付き合うか
の回答は、自らの手で得られるはずです。 ただ、庶民大衆にあっては「如何
にして自分の納得する理解を得るか」という方法論が自己の内に備わって
いない場合がありますので(私のことを考えれば明らか)、この方法論に
ついて自説のある者が自説を披露するべきであると思います。

ただ、上記のような気長な理屈を並べている内に、現代社会においては物事が
前倒しに前のめりに転がってしまいます。 自分がじっくり考えている時に
起こる様々な変化を変化するがままにしないためには、本当に、生きている者
のひとりひとりが自分の意志を表明する必要があると思います。 ヒトの意志
が表明されなければ、「(現状や関係者の身元を)知らぬ者相手に何をやっても構わない」という者が台頭します。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月2日<土>04時16分)


遺伝子組換え食品について
まいさん、こんにちは。

10年ぐらい包丁を握ったことがないのですが、ローズマリーポテト
に挑戦してみようかなと思いましたら、たまたま、生産・流通・消費段
階での「食の安全」というものに興味を抱くようになりました。

 少し前に、アメリカの遺伝子組換えトウモロコシ「スターリンク」が
輸入トウモロコシに混入していたことが判明し問題となりましたが、日
本では、スターリンクの混入について独自調査した市民団体が10月末
に、菓子などの原材料のトウモロコシ加工品からスターリンクが検出さ
れたと発表し、厚生省も検査の結果、スターリンクの混入を確認してい
ます。

 来年4月からは、安全性の確認が義務化され、未承認の組換え作物の
輸入・販売が禁止されますが、個人的には、政府の対応が生ぬるいよう
な気がします。与党には、89年9月にブッシュ大統領の強い要請で始
まった日米構造問題協議の裏舞台を熟知している議員が少なくないので、
いずれは、遺伝子組換え作物の輸入を中止する、遺伝子組換え食品の新
規の承認を中止する、これらの措置を執っていくようになると思います
が。(消費税アップのスケープゴートになったりしてはいかんが)

 が、なんせ日本では遺伝子組換え食品に関する報道がまだまだ少ない。
実際、食品衛生法の抜本的改革を求める声に対して、実名で喧喧諤諤議
論を戦わせることができる研究者は少ないし、規制する法的安定性の見
地からの根拠そのものにしても、市民にとってはずいぶん難しいものに
感じます。そもそも食品の安全行政に関する施策についての情報公開に
不備があるし、故に、報道する側には透明感のある議論に見えない点が
あるのでしょうね。

 そういう意味では、厚生・農水大臣に対して、市民と専門家が協力し
て運動を進めていることはもっと評価しなければいけないと思う。これ
は、あくまでも私見ですが、まいさんの遺伝子組換え食品の問題に関す
る考えも教えてほしいです。

Name : 武田亨 Time : (2000年12月2日<土>00時19分)


PICの話
ぴっく、と、そのまま発音される会合があります。
Programme Incitaif et Coopratifの略で、英語で言えば、
incitetive (?) and cooperative program、日本語では、
(先進的)奨励・協力的研究計画、などと直訳できるのですが、私としては
「ヤル気で協力して推進する研究計画」と、自分の内では考えています。

PICの会合はつまり、「ヤル気で協力して推進する研究計画」に携わる者の
集まりで、そこに集う者はかなりの少人数です。 この研究分野でのこの
「ヤル気で協力して推進する計画」は、計画実行から今年が三年目。 昨年
まではこの会合は対して外部に宣伝することなく行われていたのですが、今年
は関連機関に電子メルを送りつける宣伝が、ずいぶん前から行われました。

幾ら宣伝をやってみたところで、かなり狭い研究分野を対象としているため、
そうそう沢山の参加者が会合に集まったわけではありませんでしたが、私には
この小さい会合は実に「ヤル気で協力して推進」されている、という手応えの
あるものでした。 私が参加を誘った人物も、同様な感想を述べていました。

精力的に宣伝をしても会合への参加者が急増しないような研究分野を
「計画」の対象にしていることは確かなのですが、この狭い分野は自然科学
界のあらゆる部門において無視することの出来ない分野でもあります。 その
ため、この狭い分野での研究を推進することはかなり人間にとって重要なこと
だと私は信じているのですが、何せ多岐に渡る部門にまたがっている’お題’
を扱うため、異分野の者が「協力」しないと、研究などできやしない訳です。
そこで、ヤル気を出して一生懸命に協力してその研究を推進しようという事に
なって、このPICという計画が練られ、実行されています。

=====
会合に出てみて実感できたのですが、ホントウに、「協力」という行為は
難しいのです。 皆が皆それぞれの主張を通したがるし、それらの主張が必ず
しも同じ方向を向いているとは限りません。 それでも当地の者はPIC、PICと
連呼してはその困難なところを直視しています。

我々は何のためにこのPICを推進しているのだろう、と、ふと、会合の席で
考えてみました。 自分の業績を積むためなどというセコいことを考えていたら、このように面倒な「協力」によって積まなくてもある程度は積めるし、
今や、自然科学の研究を国益のために推進するのだとすら言い難い。 勿論
何かのために研究は進められているのだけれども、このフランスという
理屈と論理が大好きな人民の多い国にあって、研究の目標は何だ?と問われて
意外ともぞもぞした答えが返ってきそうなところに触れると、私は、何という
か、「これならヒトの存在を肯定できるよ」などと思うわけです。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月1日<金>23時12分)


***先の削除の件について***
私はメルマガジンというものを発行していて、あるサイトからマガジン購読者
として登録した人へ電子メルを利用して読み物を送るという仕組みを利用して
います。 このサイト(紙印刷物でいえば出版物配送会社にあたるのかな?)
の管理者が、あるとき、自サイトへアクセスして来ている者の居場所を、その
サアバへのアクセスログから解析してみたことがありました。

大学や研究機関、各種団体などの”公的”組織からのアクセスが半数以上
であった、と、その管理者が報告していたように私は記憶しています。
アクセスログを大衆に公開しないサイトになら、”公的”マシンや”自家”
マシンから幾らでもアクセスするわけで、恐らく、IPを大衆に向かって公開
しない掲示板には”公的”機関のマシンからでも書き込みが、何のためらいも
なく為されるのでしょう。

この話は、「匿名掲示板の存在は是か非か」という話と同根であり、ひいては
「大衆に身元が知れなければ、何をしてもよいのか」という疑問が根底にある
と私は思います。 私は、大衆に身元が知れなければ何をしても構わないとは
思いませんので、大衆に身元を知られなくても、知られていると同様の行為を
自分は為すべきであると考えています。 つまり、大衆に身元を知られている
か否かという仮定は私には無効なのです。 ですから、身元を知られても自分
が堂々としていられることならば、”公的”機関からだろうが、ためらわずに
やってはどうかと私は思います。

先の削除関係で腑に落ちないことがある、という方は多いことと思いますが、
文句や意見を言う際に、残念ながら、言い甲斐のある相手と甲斐のない相手が
あることを(渋々)、ご承知頂きたく思います。 甲斐のない相手をも相手に
することを「教育」と言うのでしょうけれども、 残念ながら、一個人が世の
全ての甲斐性のない者をを相手に出来るわけではありません。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年12月1日<金>19時53分)


一言
 掲示板でイヤガラセを受けたくない場合はリモートホストを
利用して、そうならないように自分で対処すればいいわけです
し、IPアドレスを利用してパソコンを壊されたくない場合も、
そうならないように自分で対処すればいいわけです。

 ここに書き込んだ方々のメールアドは、ネット上のあっちこ
っちに組み込まれている業者の自動収集プログラムによって既
に回収されていると考えたほうがよいです。この点については、
国から研究費が出ている研究機関であれば、どのような分野の
方でもネット上の常識として知っています。

 そういう詳しい人たちと一般の人たちの間には、パーセプシ
ョン・ギャップがあると思いますけれども、一般の人で漏洩の
心配をしている方がおられましたら、ここへは国から予算が出
ている研究機関の方々もたくさん来ていらっしゃったみたいで
すので、一度、そのような詳しい方に聞いてみてはいかがなも
のでしょうか。

 書き込みの削除依頼はそれからでも遅くないと思いますし、
そのほうが他の方々にも迷惑がかからないと思います。

Name : 武田亨 Time : (2000年12月1日<金>02時38分)


表示時間について
そうそう、当掲示板の投書に付されている日付並びに時間は、掲示板を設置
しているサアバが投書を受け付けた時間のようで、日本時間で表示されて
います。 世界のどこから投書されても、投書時間が日本時間で表示されます。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月29日<水>18時23分)


チト回りくどい書物
当所を御覧の皆様、こんにちは。

先にじぶ さんから、私の「理想」は何だとお尋ねがありました。 本当はイイ
気になって書きまくりたいところなのですが、当所は私の書きまくりだけを
連ねる場所ではないと私は思っておりますので、適度に、しかも、今後を期待
して貰えるように(?)、以下を続けたいと思います。

以下に挙げる書物の話は、自分で削除した投書に書いたことなのですが、何と
いっても私は自分が主張したいことを自投書に書いていますので、本稿でも
同じようなことを繰り返します。 また、先の「理性」投書シリイズに自分の
過去の投書を参考として付しましたように、私が主張したい事柄はそう多く
なく、いつでも根底には変わりばえのしない似たようなことを考えていますの
で、とにかく、こうやって同じようなことを繰り返すことになります。

=====
何かと回りくどい、と他から評される私でさえ「結構回りくどいな」と思え、
しかも、読後に何の「答え」も与えない(従って、この論文は思想哲学書と
して扱われないのだろう)、それなのに多くを考えさせられる書物がありま
す。 この書物は私が自分の「理想」を表現しようと思うときに頭にのぼって
くるもので、しかも都合が悪いことに、なんだ、この作家もcartesien
(かるてしあん・デカルト的考えを持つ者、の意)なのじゃないかと言われ
そうでもあります。

夏目漱石にしろ志賀直哉にしろ、文豪などと呼ばれる作家の作品には、作家の
愚痴やツブヤキを得意の芸文(文芸と呼ばれるような対象となり得る文章を指
しているつもり)に込めたようなものが多く、「そんなものを世に発表して、
作家は羨ましいナ」などと私は思います。 この作品も同様な個人の叫びであり、一冊の書物に収まっている事実が不思議に感じられるほどの生々しさを
持っています。

だらだら書いていたら書物の紹介になってしまいました。 ここでの書物と
は、有島武郎の『惜しみなく愛は奪う』(1920・大正2年刊行)です。 何か
の機会にご一読下さい。 「理想」については追々書いて参りましょう。 皆様
もどうぞ、自分にとっての身近な「理想」や、身の回りの「ちょっといいはな
し」をご披露下さい。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月29日<水>18時12分)


依頼主さんへ
悪質なメールであれば、たとえば警視庁の生活安全課のような
ところへ相談するのも一手かもしれませんよ。
今月22日に護国寺まで所用があって足を運びましたが、某ビル
の3階で関係者がネット犯罪についてさまざまな視点から防止策
に取り組んでいました。
是非とも、ご相談してみることをお勧めいたします。

Name : 武田亨 Time : (2000年11月28日<火>22時18分)


***該当部分全削除について***
削除依頼を私が受け入れるという場合、依頼主の希望である「私はこれ以上の
被害を受けたくない」という考えに私が荷担することになります。 前にも
書きましたが、依頼主の希望通りの削除を行っただけでは、私程度の鈍い者に
も依頼主の特定ができると私は考えます(=依頼主の自己防衛が甘い)。

そのため、依頼主の希望に私が荷担するという場合は、私が考える最適な
荷担の仕方をしようと思い、その結果、該当部分の全投書を削除するという
判断を下しました。 繰り返しますが、削除の対象になっている投書の中には
私が消したくないと思っているものが沢山入っていますし、投書をして下さっ
た方が貴重な時間を費やして書き込みをして下さったことも、私は認識して
いるつもりです。

投書削除の依頼主さんは、ご自分の「不注意」の後始末をなるべく徹底させ
ようとするとこのくらいはやらねばならないこと、また、折角の投書が消さ
るであろう方々は、ご自分の使った時間を惜しむだけではなく、顔見知りが
集まっているわけでもないこのような掲示板に集っているだけでも、同じ場に
集っていた者の「不注意」の責任は「不注意」な者だけが負いきれる訳では
ない、つまり、「不注意」だった者一人を責めても解決にはならないことを
考えてみて下さい。

この一件で、投書の削除依頼や自分が使った時間を惜しむという自己防衛に
ばかり走らないで、「自分のために半分、他のために半分」という私の
「理想」的主張を考え直してみて下さると、私は幸いに思います。

=====
尚、削除依頼人さんからの釈明は、ご本人が「是非とも」といって私にメル
でもよこさない限り、私は要求しません。 釈明を出せるような状況にあれば
初めから削除依頼は出してこなかっただろう、と、私は考えています。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月28日<火>21時55分)


本人からの説明は一切ない状態で削除するのですか
掲示板への書き込みにためらいがあるのであれば、
まいさんへ本人からメールを送り、その内容を公
開するようなことはできないのでしょうか。

本人の不安な気持ちもわかりますけれども、関連
する投書もすべて削除するということであれば、
その書き込みに費やした時間がすべて無駄になり
ます。

削除要請があった投書に関連する投書を全て削除
する場合は、依頼者のお考えを聞いてみたいもの
です。

いまひとつ釈然としないですね。

Name : 武田亨 Time : (2000年11月28日<火>20時21分)


***投書削除依頼のこと 他/2***
===
先日の私の書き込みで「個人情報が一部漏洩」とは如何なる状況を指すのか、
関心がなかった方も考えたことがなかった方も、ある程度は理解できたこと
と私は思います。 当掲示板でメルアドレスを収集して「中傷」メルらしい
(私にはそのメルが「中傷」と呼べるものなのかは、解りません・これは、
投書削除を依頼して来た方の言い分です)ものを出している方も同様に
「個人情報」について学べたことと、私は思っています。

勿論、他人を恐怖に陥れる者に、新たなる威嚇のための材料を私は提供したく
て先日の「個人情報」の解説をしたのではありません。 不必要な事故は
起こって欲しくないし、恐怖を感じている人が安らげる方が、どれだけ私に
とっても気分がよいか、知れません。

しかし、「個人情報の漏洩」について知っている者は武装をし、「知らない」
者は丸腰で、しかも、自分の武装について先に言及しておきながら、丸腰の者
への配慮が何もないという状況を、私はよしと思えません。 農薬がたっぷり
かけられた野菜を、農薬がかかっている事を知っている者は散々に洗浄して
食べ、その事実を知らぬ者は適当に洗って口へ入れろと言っていることと、
この「個人情報の一部漏洩」について知っているか否かを根拠に投書の削除
をせよと要求していることは、同じ精神に基づいていると、私は考えます。

「知」の共有が必要であると私が主張するのは、上記のような、「知らない」
がために虐げられる者があってはいけないと思うことと、何でも「知」って
いさえすればよいと思わないことに根拠があります。

=====
最後に、私のこの投書を読んでいるかどうか解りませんが、当掲示板での
書き込みを読んで、その書き込みをした方へ意見その他のメルを出している
方へ(かなりのお節介ですが、書きます)。

こう言うと高飛車なのですが、ご自分の折角の「意見」は、ぶつけ甲斐のある
相手とぶつけ甲斐のない相手がいると、正直(つまり、余り喜ばしくない
事実として私が認識しているのだ、ということ)、私は思っています。 忠告
や意見を言い渡してあげるという行為は本当に他人思いで、私にはなかなか
出来ない事なのですが、相手をみてからそれらを行った方が、意見をする方の
お気持ちも尊重されるに至るのではないかと私は思います。 勿論、この
「意見」を「中傷」に置き換えても、私は同じように考えます。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月28日<火>20時11分)


***投書削除依頼のこと 他/1***
皆様こんにちは。 投書の削除について、書きます。

本投書の後から5時間以内に、削除要請があった投書に関連する投書を全て
削除します。 削除依頼があった投書のみならず、私が消したくない投書も
全て、関連投書とみなし、消去します。 折角に投書をして下さった方々、
申し訳ありません。 一部の削除では投書削除の依頼主も特定できるため、と
考えての関連投書の全削除です。

先日の私からの「相談」に対しては、以下のような意見が寄せられました。
*嫌がらせメルの類は、プロバイダに依頼して受信拒否が可能である
*余計な波風を立てぬために、削除したらよいのでは?
*「個人情報の漏洩」について説明したのはマズイとおもう
*自分の「不注意」の後始末のような削除依頼にて、釈然としない
*一般的な掲示板管理とは、投書者の希望通りに削除/管理者が無断で削除
をするものだ
*まいの「相談」投書で、自分も身の危険を感じたという者がいたらしい

=====
自分自身を他者・他事から保護する為に様々に手を尽くしたくなる気持ちや
実際に自己保護に躍起になる行動の根拠は、私にでもよく解ります。 私は
自分で思うのですが、自己保護の感覚がやや欠如しているところがあり、何と
(愚か・恰好つけ・理想を追いすぎなどと)言われようと、自己保護にばかり
走れないのです。

私が自己保護にばかり走らないのは、自分としては、自己保護にばかり走って
いると他者の気持ちが解らない、と考えているからと思っています。 そのため、掲示板での投書者の「不注意」にも、あたかも「自分で責任をとれ」と
いうような態度に出て、「不注意」による投書の削除という、投書者の自己
保護に荷担する気にならないわけです。

=====
当所での個人情報の漏洩にからめて、あることを「知らない」者を相手にする
ということについて、以下、少々説教じみて書きたいと思います。

以前に当所に為された書き込みの中に、「この掲示板は個人情報が一部漏れる
ので、今後は自分は投書を行うつもりはない」という内容を含む投書がありました。 この投書は私には、「個人情報が一部漏れる」という事実に触れ
ながらもその漏洩の詳細を説明せずにいたので、「情報漏洩が怖いので、自分
は書き込みをしない」という、自己保護の宣言に読めます。

上記の書き込みを読む前までは掲示板での個人情報漏洩について考えた事が
なかったという人物が、「あれはどういうことだ?」と、その投書を引いて、
私に尋ねてきましたので、私は、先の自投書(***チョット相談***/2
)にて、当所での「個人情報が一部漏れる」とはどのような状況なのかを
説明しました。

その後、同一の「個人情報が一部漏れる」事実から自分が何らかの攻撃や嫌が
らせを受けるのではないかと危惧した人物が私に、過去の投書の削除を依頼
してきました。 しかしこの人物は何度か投書を行っており、ご自分の
「不注意」によるマシン利用での書き込みのみを削除して欲しいと希望して
きていました。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月28日<火>20時08分)


Re:チョット相談
 こんにちは。

 いやがらせの迷惑メールは、加入しているプロバイダーに連絡すれば、
受信拒否ができることもあるそうです。詳しいことは、当事者自身が所
属のプロバイダーへ確認してみたらいかがでしょうか。

 プロバイダー組織のテレコムサービス協会が発行した「自己防衛マニュ
アル」によれば、その際、「メールの本文とヘッダー部分を保存」したうえ
で届けることになっています。

 当所管理人に対する削除依頼は、その後のほうがよいのではないでしょうか。

Name : 武田亨 Mail : t-takeda@cronos.ocn.ne.jp Time : (2000年11月28日<火>15時06分)


***チョット相談***/2
=====
本件によって、これまで「掲示板での個人情報の漏洩」といいうことに関心
がなかったり、考えてもみたことがなかった方がお出でと思いますので、
少々、私の解る範囲で解説をしておきます。

この掲示板に書き込みをすると、どのマシン/サアバ経由で書き込みをしたか
も同時に記憶されます。 この記憶情報は通常に書き込みを読む画面では見え
ませんが、最近のブラウザには日本語文章だけではなく、その投書に付随する
記憶情報も閲覧できる機能があります。 この記憶情報が、誰にでも閲覧でき
るという当所のような掲示板もあれば、掲示板管理者のみがその記憶情報を
閲覧できるという仕組みになっている掲示板もあります。 どちらにせよ、
掲示板が設置してあるサアバの管理者は、この記憶情報の全貌を把握して
います。

この記憶情報とは、投書の書き込みを行った特定のコンピュウタを表示する
住所のようなもので、住所がわかれば手紙が出せるように、その特定の
マシンに侵入することも可能になります。 侵入のためのソフトウエアと
いうものが、この世にはあります。 個人情報が漏れて心配、という方は、
この「住所」が誰にでも閲覧可能であるが為に自分のマシンに侵入者が来る
ことが心配、と言っていると同様と私は考えています。

ここから先は私の見解

ただ、この侵入のためのソフトウエアは誰でも簡単に操作できるという類の
ものでもありません。 また、侵入行為を行った者の逆探知も可能ですから、
愉快犯的に余所のマシンへ侵入する事は決して楽なことではないと思います。

よほどの恨みを感じたとか、侵入に値するほどのよほど興味のあるマシンで
あれば侵入者も来るかもしれないし、無差別的に手当たり次第に侵入して
みる、、、という侵入者が侵入行為を行うのでしょう。 また、侵入されては
困るような所のマシンには、ある程度、外部からの侵入対策が為されている
べきであると思います。

私は、このような外部からの侵入について、自分の利用するサアバの管理者と
話をしたことがあります。 サアバ管理者によれば、「侵入者があれば当方で
は特定ができるから、特定してやるまでよ!」と、威勢はよかったです。
勿論、この威勢で安心しきっているわけではないのですけれどもね。 先ずは
恨みをかわない程度のネット活動をすること、万一の侵入に日頃から最低限
備える(侵入に限らず、マシンの故障への対策と同じ備え)ことを心がける
くらいを、私はしています。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月28日<火>00時55分)


***チョット相談***/1
皆様こんにちは。 当所をご訪問下さってどうもありがとうございます。
また、最近の「理性」ネタにもお付き合い下さって、ありがとうございます。
チョット、話を遮るのですが、掲示板への投書の削除について、相談したい
ことがあります。

=====
当所へ、ご自分のメルアドレスを添えて書き込みをして下さった方が、その
投書を削除して欲しいと言ってきたのです。

なんでも、その書き添えたアドレス宛に、何処の誰からかを特定できない者
から、投書者宛てに「中傷」のメルが繰り返し届くのだそうです。 当該投書
に書き添えられたメルアドレスは、当所においてのみ公開したものではない
様子にて、ますます、どういった経緯で「中傷」のメルが届くのか解らない
といった様子です。

削除を要求してきた方は、当掲示板で投書者の投書元のマシンを特定する
つもりになればその特定のために利用できる情報が閲覧できるままであるため
に、その情報を、上記「中傷」メル同様の攻撃の対象にされては困ると
主張してお出でで、そのため、他人によるご自分の特定経路を絶つために、
自分の投書を削除してくれと私へ連絡を下さったのでした。

=====
私としては、二つの、全く相反する考えが浮かんでしまい、どうしようかと
思っているところです。 どうしようかと言いながらも、削除は行わないと
いう気がするのですが、他の方の意見も聞いてから、削除実行・削除止めを
要望を出してきた方にお伝えしたいと思うのです。

私の考え/1・希望通りに削除をする
投書元の方に何かの被害が(まだ被害があったわけではないようではある)
ふりかかると予想でき、被害の予防には指定投書の削除が効果的であると
いう場合、被害の予防のためには希望通りに投書を削除するべきである。

私の考え/2 ・削除の希望を受け付けない
個人情報の漏洩に対して「不注意であった」と、削除希望を出して来た方も
言っている通り、本掲示板から収集可能な個人情報から何らかの被害が出ると
予想できても、投書者の「不注意」に対応するための削除行為を、当所では
行うべきではない。

=====
投書者の希望通りの削除を行わないとしても、「悪意を持つ人が(当所から
収集した個人情報をもとに、マシンの)破壊行為をするのではないか」と、
投書者が心配になる気持ちを踏みにじるために削除を行わないのではありま
せん。

自分に降りかかる被害が心配になる気持ちはよくわかります。 しかし、
投書者の不注意の全てに私は対応できません。 「この人のこの不注意は
対応するに値するが、この不注意は放っておく」というようなことを私は
やりたくないし、不注意からの被害なのであったら、それはやはり不注意
だった本人が責任を持って対応して欲しいと私は考えます。

自分の不注意から起こる/起こるであろう事柄に収拾を付けるべしとの判断
からの削除要請であると私は思いますが、当所はそこまで個人への面倒見が
よくない、と、私は考えてしまいます。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月28日<火>00時50分)


Re:「なんと言ったって漱石だよ、君。」
 まいさん、みな様、こんにちは。

 >漱石のような知識人が妙に高い(ハズはないのだが)
 まいさんの言いたいこと、なんとなく伝わってきます。

 「こゝろ」は、漱石の自費出版ですが、当時駆け出しの岩波茂雄(岩波書店
創業者)が漱石のものを出したいと願ったとき、他からもうるさく頼んでくる
ので、漱石は一つ自費で岩波書店から出してみようかという気になったそうです。

 当の岩波茂雄は「こゝろ」の出版にはすっかり感激してしまって、なんでも
かでもいい材料を使って立派なものを作ろうとしたのを、漱石はその行き過ぎ
を戒めて、よく小言をいったそうですが、そのうちに漱石も自費出版に興味を
持ち、支那古代の石鼓文の石擢から取った装幀を自分で試みたそうです。漱石
自身の装幀は、この「こゝろ」と「硝子戸の中」だけです。

 阿部能成著「岩波茂雄傳」に、<「こゝろ」を出した頃のこと、岩波が御禮心に
三尺四方位の卓を持って来たのを、漱石がつけつけとそれの悪口をいったので、
岩波はそんなら持って帰りませう、とあっさりでた處、漱石はいやそれに及ばな
い、とすましていひ、ぐるりのみんなが笑ってしまったといういふ事もあった>、
というエピソードが掲載されています。

Name : 武田亨 Time : (2000年11月27日<月>22時44分)


りそう
まいさん、さっそくありがとうございました。
 
 私も、いや、私は、自分の中の自分および、自分の周りを気づきたいと思っていましたので、まいさんの書き込みに、時々「ふう、ふう」と、うなづきなが、読んでから、はたして、「わかったのか」と思いながら、楽しんで、苦しんで読ませてもらっています。

 高校の現国にでてくる漱石なども、全く難しくて理解できなかったことが多いのですが、漱石の言う「理想」は、単に、「目標」のように感じました。フランスの「理性」は、さらに私にとっては、難しく感じてしまいました。一時期、フランス人は、日本人を敵対視しているような報道が、日本にあったと思いますが、基本的には、人共通の感性のようなものは違いないものもあると思っています。もちろん取り巻く分文化から全く異なることもあるのでしょうが、同じものも違うものも、理解できても理解の範疇からはずれていても、そのまま、知りたいと思っています。よいとか、悪いとか言わず。

 日本人とは、言わず、まいさんの「理想」について、知りたいなあと思っています。

 ここに来て、まいさんとは、時間差がないように感じてしまいました。この下の書き込みの一番下の
 <2000年11月27日(月)13時58分>とこちらのモニターには表示されているのですが、これは、こちらのパソコンの時間あるいはプロバイダーの表示の時間なのか、あるいは、そちらではもしかしたら、フランス時間で表示されているのか、どちらかというしょうもないことを考えてしまいました。

Name : じぶ Time : (2000年11月27日<月>20時21分)


理性 - 続々/2

=====
日本人に共通の「理想」があるかどうかは私には解りませんが、それでも、
私にも’様々な場面で、コピーがあれば、便利’、即ち、様々な場面に対応
した「理想」は日本にもあると思えるわけで、そのような様々な「理想」を
表す語から抽出・普遍化できるものがなにかあれば、その、抽出・普遍化され
たものは日本人の「理想」というものにより近いものであると言えるように
思うわけです。

それで、このような掲示板にも、様々な場面での「理想」、つまり、色々な
人物にとっての「いいこと」が書き集まると、そこから何かが抽出できるの
ではないかと思っているわけです。

=====
あと、日本語との対応、という点ですが、これも、私の考えの傾向である
「いくつかの例から、何かが抽出可能」ということに基づいています。 フラ
ンス語の書物にあった言葉を日本語に対応させて理解することには多くの困難
があると思います。 しかし、フランス人にも日本人にも共通のものもある、
と、私は考えています。 デカルトの言い分に私が納得できるということは、
私は、その共通部分で彼の言い分を理解しているのだろうと思うわけです。

”理”性という語には良いとか悪いとか言う内容が入っていないと私も思い
ます。 それを「理想」という、あたかも”良い”ものと結びつけるのは適切
ではないのでは?というご指摘(でしょうか?)は、もっともです。 確かに
「理想」ときけば”良い”(良し悪しの、”良”による)と考えがちですが
私は、「理想」とは、人間がめざしているもの、と単純に考えており、
人間がめざす”良い”ところ、とは考えていません。 その点で、漱石の指摘
(下記)には納得できたわけです。

理想とは、
「いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答え」
でもあり、人間には理想が必要であり、理想の実現こそが(人間の)人格
の実現である

ここで漱石が、よき、という語を、良き・好き・佳き・善きなどと書かな
かったことは、私には感心なことなのです。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月27日<月>19時58分)


理性 - 続々/1
じぶ さん、書き込みをして下さってどうもありがとうございます。
他の方が書き込みをして下さると、私がぶっ飛ばして書いているところや
うやむやに書いていることに気づけるので、ありがたいのです。

=====
私も哲人の名を挙げる割にはテツガクには疎いのです。 それで、自分が理解
している範囲の、しかも自分で文章に書ける範囲のギリギリのところを書いて
いますので、テツガク書の解説は、私にはできません。

私の考えでは、物事を論理的に考え、判断する能力という意味での「理性」は
デカルト以前に既に発見(=気づくこと)されており、恐らくラテン語以前の
古代言語ででも表記すると具合がよさそうに思います。 デカルトは、物事を
論理的に考え、判断する能力に「感性」を付加したものを「理性」と定義し
直したのだと思えます。 つまり、

le bon sens (「感性」)+ raison (従来からある「理性」)= la raison

として、自分流の解釈によるla raison(=デカルト式「理性」)を打ち出し
たのがデカルトであったと思えるのです。

また、私が途中から持ち出した「理想」は、このデカルト式「理性」と同一
と私は考えていて、そのため、

le bon sens(「感性」)+ raison(従来からある「理性」) =「理想」

として「理想」という語を使っています。 デカルトが「理想」にあたる言葉
を自著で使っているかも知れませんが、その利用と私による「理想」の語の
利用は必ずしも同じ観点からの利用とは思えません(検証してもいない)。

=====
あと、私はフランス人ではないのでフランス人の気持ちは外から見て推測
するしかないのですが、彼らの「理想」は、従来からある「理性」に則して
いる状態を指しているのではなく、ヒトの「感性」も含まれたデカルト式
「理性」に則している状態を指しているように見えます。

つまり、論理的に考え、判断する能力だけが完璧に備わっているだけでは
彼らはそのものを「理想的」とは呼ばないように思うのです。


Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月27日<月>19時55分)


理性 - 続
まいさん こんにちわ

 また、言葉遊びの部分がおもしろいまいさんの掲示板に引きつけられてきてしまいました。哲学的な部分のほとんどが難しくて、私にはわからず、的はずれなことを書くかもしれません。

 申し訳ないのですが、またもう少し「理性」について書いていただければ、ありがたいです。

デカルト
 le bon sens (感性) = la raison (理性) なんでしょうか?
 あるいは
  le bon sens + la raison = 理想
  「豊かな感性と豊かな理性を持ち合わせていると言うことが、理想」 という意味でしょうか?

 あるいは、フランス人にとっては、純粋に理性的なことが理想的なんでしょうか?

 ○○性という言葉は、どれもそれ自身が物差しであり、それ自身に、良いとか悪いとか言う内容が入っていないように思っていました。私は、フランス語(?)も全く知らないのですが、そう言う意味でも、日本語との対応は、適切ではないのでしょうか?

 個人主義ではなく、同じでないと不安になる日本人に、はたして共通の「理想」は、あるのでしょうか?個人主義でなくても、理想は、一言で言う必要はないと思いますが、様々な場面で、コピーがあれば、便利ですね。

 多分、疑問文(?)は、私の口癖ですから、あまり気にしないで下さい。

Name : じぶ Time : (2000年11月27日<月>18時22分)


(古い投書の再録、他少々)
「なんと言ったって漱石だよ、君。」
(文書作成・3/9/2000)

近頃の日本では、夏目漱石は読まれているのだろうか?

日本に居ないお陰で、日本語絡みのことをやろうとすると必然的にコンピュ
ウタネットワークの世話になります。 先頃、版権の期限が切れた文学作品を
ネット上にて公開しているサイトから、漱石の『文芸の哲学的基礎』を入手
して、妙に縦書きに表示してくれるソフトウエアを使って読みました。

=====
もう、かなり以前になるのですが漱石を読んだときには、粋なところが
欠如した知識人の言のように感じて、どこが日本を代表する文筆家なのか
理解できずに居ましたが、この『文芸の哲学的基礎』には、苦笑いと共に
共感するところが多々ありました。 世の愛文家の「なんと言っても漱石」
という主張も、こうなれば、成る程と思えるものです。

漱石は同作のなかで、世のあらゆるものを、先ず「物」と「我」に分け、
「物」とは、自然・人間・超感覚的な神のようなもの、「我」を構成する
精神活動には、知・情・意があるとしています。 そして、この精神活動
の向かうところ(=理想)は、美・真・善・荘であると指摘しています。

理想とは、
「いかにして生存するがもっともよきかの問題に対して与えたる答え」
でもあり、人間には理想が必要であり、理想の実現こそが(人間の)人格
の実現であるということが力説されています。

論者の好みであったのか、本郷三丁目の菓子屋「藤村」の羊羹が登場して
思い出しましたが、何年か前の東京大学の入学式の総長の演説が話題になっ
たことがありました。 革命的な演説であったとの大方の評価でした。
演説の内容を読みましたが、これを「斬新」「革命的」として満足して
いては、日本の「理想」はたかが知れている、と感じました。 時々、
「理想」という語の指すものとは、現実性が恐ろしく乏しいものである
かのように考えられている場面に遭遇します。 先の漱石を読んでいても、
冒頭から頻出する「理想」の語に違和感があったのも事実です。 しかし、
ヒトの精神から沸く「理想」は、ヒトの現存という事実に寄り添ったもの
なのだから、ヒトには身近なものであるはずです。 「斬新」で「革命的」
な演説よりも、現代の学生には、この漱石の作品(土台は講演の速記)の
ように、「当たり前すぎると思われて取り上げられないこと」をクドクド
述べる演説が必要なのかも知れません。

=====ここから先は付け足し部分=====

漱石の指摘による「理想」(=美・真・善・荘)は成る程と思えるものですが
これらを、漱石のような知識人が妙に高い(ハズはないのだが)所であるとか
俗世から隔離されたところから単語として振りまいているだけでは、これらは
日本の「理想」とはなり得ないと思います。 これらをより多くの人々が体感
できるとよさそうなものです。

Name : ばん まい Mail : ima19@bigfoot.com Time : (2000年11月27日<月>08時30分)


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