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Yeu島とNantes・2002年2月

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冬も二月というのに何とも暖かなパリを抜け出し、島に出掛けるのそのそ見聞録、2002年2月。
デヂタル装備にしたお陰で、オモチャのかさは減ったもの、電気屋さんのような持ち物と出発。
モンパルナス駅からTGVに乗り込む。 欧州の大きな都市にある
電車の駅は、電車がその駅へ入ってきて行き止まる形になっている
ので、電車の到着し、出発してゆく様子がよくわかる。 電車の
車両終点部分がこうして並んでいると、いかにもこれらの車両
がこれから目的地へ向かって動いて行く感じがするものだ。

電車とバスとを乗り継いで、「今日
の海は酷い荒れ具合だ。」と人の集う
海辺のカフェを後にして、車も積める
大型連絡船にて大西洋に揉まれること
一時間半程。到着してから見える島の
風景は、漁船の沢山停泊している港と、
そこからすぐにある島民の住まいでは
ある。 これは後日に撮った風景。
島の北海岸には長く砂浜が続くのであるが、南岸は岩と断崖とが波に洗われている。 その岩場へ
出るにも、茨の藪を通り抜ける必要がある。 車の行き交う道路から少し逸れるだけで波打ち際に
出る北岸とは大違いだ。

散歩の出先は専ら南海岸になる。 寝泊まりしているところから比較
的近いということと、南海岸のヒトを拒むような存在が好きである
ことの結果。 この時期の岩場には、沢山のカモメがツガイを作って
点々と白かった。 潮の引いた後の岩肌には海藻がテラテラしていた。
仏国本土から連絡船で渡るその日には大荒れだった海も、散歩に出掛け
たくなるような時にはさすがに静かで、珍しく自分の映像を残す気になる。
これは、やはり南海岸の、断崖上にある平地に自転車を停め、背丈くらい
の高さまで鬱蒼と絡まった茨藪の絨毯を切り開いた細い道を下り、岩場を
更に降りていって達した砂地での撮影。

夏の終わりに来た時には、この砂地に昆布があちこち、打ち上げられて
いた。 冬のこのとき見たものは、人間が切りそろえて船に乗せていたの
であろう、立派な丸太であった。 この島には材木にできそうな質の高木
が大量にないので、きっとどこからか流れてきたのであろう。 砂場から見
えるところにぷかぷかと浮かんでいる一本も見えたが、なかなか陸には上
がらなかった。 浮遊丸太も楽ではない。

パリへの帰路、電車を捕まえる土地で時間をつぶした。 ”新教も旧教もエエじゃないか”、ナント
という町。 勅令もバロア王家も吹っ飛ばす、この日は欧州クラブチイムの蹴球試合がある日で、町
には英語を喋る人々が溢れていた。 古い城塞の隣にあったレストランへ入ったら、いやに高飛車な
態度のおかみさんの居る店だった。 ナントは14世紀ごろから水運業の拠点として栄え始め、今も
遠方から運んできた原料から砂糖を加工する
工場が稼働している。 砂糖の他には珈琲豆
自家焙煎の店も点在し、エキゾチクな家具を
売る商店もあって、不思議なところであった。
なかなかの料理を供しながらも態度のよくない
食事どころでがっかりしたが、やはり城塞の
周囲にあった古本屋は温かく、店番をしていた
女性も素敵な笑顔であった。 彼女に免じて、
ナントの様々は忘れるとしよう。 最後の一こまは、その古本屋の前の道路。