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備忘録



10月21日(月)     牛を踏み潰す

職場で 「ソラミミスト」 と命名されてしまいました。

つい先日も、同僚がある仕事のことでなのですが、「うしをペットに含めるかどうか」 の話をしていました。 「そりゃあ、含めないでしょう」 ということで、そのおふたりは納得していたんです。つい、そこに口をはさんでしまった私。 「じゃあ、馬はどうなの?」 と聞いてしまったのが間違いの元。
「馬はいいんじゃない」 とふたり口をそろえて言う。
なんで馬がよくて牛がだめなのか、ちょっと牛に同情してしまった。。。それで、「牛だってペットに出来なくはないでしょうが、、、」 (できたとしても、するかどうかは別として。。。) と、また余計なことを言ってしまったのです。

「できないことはないけど、、、、」
「そうはいっても、うしはうっかり踏んじゃう事だってあるだろうし。。。」 と憮然としているではありませんか。

「うしを踏んじゃう???」
そこで、自分はなにか勘違いしているんじゃないかということに、やっと気づきました。

「今の話、うしのことでしょ??」 と念をおしたら、返ってきた答えは 「虫のことだよぉ、」。。。。

※ここでの「ペット」は普通で使うペットより狭い範囲に限定した意味のペットです。虫がペットにならないということではなく、その「狭い範囲」に虫を含めるかどうかを話していたところです。なので、虫をペットにされてる方、気を悪くされないでくださいね。

10月20日(日)     寒さに向かう日

昨日のニュースで、リストラとかの影響で、新しくホームレスになる人たちが増えているというようなことを言ってました。
寒さに向かう季節、なんだか哀しいニュースでした。

ホームレスとはちょっと違うのかもしれませんが、私がまだ小学校に入る前の記憶にこんな場面があります。

季節をはっきりとは覚えていないのですが、冬が近づき寒くなりつつあったような印象が強く残っています。
ある日の夕方、汚れた黒っぽい衣服に洗っていない髪、そして大分色が変わっているけれど最初は白かったと思える大きな布袋を持った人が家を訪ねてきました。
その人を見ると祖母は台所に行き、白米を持ってきてはその布袋に入れ、残りご飯で作ったおにぎりをたくさんあげていました。たぶん、その間何かしらの会話があったと思うのですけど、私の記憶の中では無言の静寂の世界になっているいます。

その人がお米とおにぎりを持って去っていったあと、今の人は誰なのかを祖母に訪ねました。
「家もないし、食べるものもないけど、神様の子どもだから、ああして訪ねてきた時は食べるものをあげんだわ」
祖母はそういう感じのことを言いました。
祖母の話を聞きながら、よその人のこととはいえ、帰る家もなく食べるものもないということに、漠然とした寂しさを感じたのを覚えています。

私の家は食べ物だけでしたが、母方の祖母は、そんな時、寒かろうとお風呂に入れてあげて、お酒もだしてあげていたということを、従兄弟から聞きました。

その人は、いわゆる乞食さんと言われる人で、私の故郷だけでなく、あちこちにそういう人たちはいたのだと思います。
そして、大人たちは、決して乞食さんの存在を蔑んだり見下したりすることはなかったように記憶しています。

私が小学生になってからは、各家を回って歩く乞食さんを見かけることはなくなりました。
東北は高度経済成長の影響をあまり受けなかったという見方もあるそうです。それでも、乞食さんが姿を消してしまったところなどは、やはり高度経済成長の影響だったのでしょうか。



10月19日(土)     O美術館にて

今日は、大崎のO美術館でKojiさんの絵を見る日です。

朝から、なにやらバタバタしていたので、出かけるころに、足首が痛み出してしまいました。よりによって、なんでこんな日に〜と、ちょっとショック。

でも、無事に待ち合わせ時間の2時より前にO美術館に到着しました。
みおさん、おーちゃんと合流。みおさんは、しっとり和服姿、おーちゃんはすらっとミニスカートで、とっても素敵でした。
そのあとすぐにGOさん、上原さん(初対面)、anriさん(同じく初対面)とも合流。とりあえず美術館の外で、祝杯をあげましょうということで、ロッテリア前の野外テーブルとベンチを確保してKojiさんとGOさんがロッテリアにおつまみ(???)の買出しに。

Kojiさん出資、みおさん手配のシャブリを注ぎわけているところ、みおさんの携帯にかこさん、nobukoさん、すずめさんから次々とかかってきてました。
その間、みおさんは上原さんの似顔絵をさらさらっと描いてました。で、わたしはそのみおさんを。
KojiさんとGOさんが買出しから戻り、nobukoさん、かこさん&Aちゃん、すずめさんも無事到着しました。
そのあとお話が盛り上がって、あやうくO美術館に来た目的を忘れてしまうところでした。

Kojiさんの母校青山学院大学の美術部OBの方々の作品展で、絵画ではKojiさんは最年少とのこと。KojiさんのBBSで、制作過程を紹介してくださっていた「大正池」の現物、絵の具の垂れ具合や、Net上では分かりにくい筆の勢いをじっくりと拝見しました。

途中、sho3さんがふわりと微風のように現れて、ふわりと帰っていかれました。

そして、、、、、な、な、なんと、会えるなんて全く思っていなかったタラちゃんこと如月はるかさんが、「どもでちゅ」という感じで現れたではありませんか。テレやさんのはるかちゃん、なんか初対面のような気がしない。で、見詰め合ってしばらく笑いころげてました。

私はかこさん&Aちゃんといっしょに4時半頃に失礼してしまったのですが、あの後も盛り上がったんだろうなぁ。


10月12日(土)     気分の切り替え

今日から3連休です。特に出かける予定も無いんですけど、やっぱりうれしいな。

まだ若かった頃なんですが、演劇に出演したことがあります。
友人が社会人の演劇集団に入っていて、公演のときに受付のお手伝いとかをしていたのですが、あるとき、人が足りないから出演してみないかと誘われたのです。

稽古は夜6時半位から9時頃までです。それと土・日のどちらか1日でした。

私は、不良中学生の役 (中学生というところに多少無理があるかな) で、主人公の女子中学生に 「いじめられたくなかったらお金持ってこい」 というようなことを言うのです。出番はほんの一瞬なんですが、主人公が自殺にいたる物語の導入の部分にあたり、ここで、私がちゃんといじめ役をまっとうしないといけない。
というか、どんな端役でも、意味の無い役はないんだということにその時はじめて気づきました。

演技の上手い下手といったら、演劇ははじめてだったし、下手というしかありません。ただただ、自分の「役割」を果たすために一生懸命でした。

ある日、稽古のあとに、演出の人から、「平日と休日の演技が全然違う」と言われました。どういうことか聞いたら、平日の稽古のときは演技がとても固いということでした。
朝から「稽古だぞ〜」という気分で望むのと、お仕事気分を引きずっているのとの違いなんだろうと。。。
他のメンバーはそれがない。とにかく、稽古をはじめたらすぐに、気持ちは自分自身の役に切り替わっているように見えました。
慣れもあるんだろうけれど、私は「気分の切り替えがへた」だということなんだろうな、とその時思いました。
でも、やっぱりそういう問題じゃなかったんだと、今になって思います。
意識の差、というか、真剣さ。自分では真剣だったつもりだけれど、他の人たちとはその度合いが違ったんじゃないかと。

アマチュアといってもみんな上手い人たちばかりです。そんな中に混じって、足をひっぱってるんじゃないかとヒヤヒヤものでした。でも、無事 (だったのかな) 1回目の公演を終え、後に脚本を少し手直しして2回目の公演もやりました。
その時は、私のいじめ役の部分に、不良になってしまった心の背景が少し見えるシーンが加わりました。

数ヶ月の経験でしたが、バイタリティあふれるメンバーの、演劇への思いがビンビン伝わってくる中でいっしょにやれたこと。稽古の後の焼き鳥とビールが本当に旨かったこと。稽古場に近い人の部屋に押しかけていって、明け方近くまでわいわい騒いでいたことなどを、懐かしく思い出します。
下手な演技でも最後まで見放さずに見守ってくれた演出の方、メンバー、スタッフのみんな。そんなすべてが私の心の財産です。

今でも、東京にかぎらずあちこちで、演劇に音楽に、若く熱い想いを胸にいっぱい抱えた人たちが、パワフルに活躍しているんだろうな。 そんな人たちに、そっとエールを送りたいです。

※BBSにりょうさんがこんな言葉を書いてくれました。
「本当にプロフェッショナルな一流の舞台俳優は、お客さんが来てくれるからやらせてもらっているとわかっているし、照明さんやチケット扱っている人とか、そういう裏方さんが自分を舞台に立たせてくれているって理解していると思う。」
本当にそうだと思います。ここでの、 「本当にプロフェッショナルな」 というのは、いわゆるプロかアマかということとは別の次元で、社会人の演劇集団でもそういう意味の「プロフェッショナル」な人、たくさんいました。


10月9日(水)      日記とは名ばかりで

あーー、やっぱり1週間たっちゃたなぁ。「日記」をやめて「週記」にしなきゃいけないかな。
ページを作った時は、書きたい事がいっぱいあったはずなのに、何故か日頃の忙しさを口実にサボっているのです。

仕事のことは極力書かないって決めたんですけど、毎日の大半の時間を占めているのが仕事だし、次が通勤時間で往復2時間30〜45分ほどかかります。その二つを除くと何時間残ってるんだろう。でも仕事のこと以外に話題が無かったりするっていうのは、けっこう寂しい話だと思う。だからこそ、何かを書くことで少しは日々の出来事を考えるきっかけになるかな、なんて思ったんですけど。
現実は、、、。

私の場合は帰宅もわりと遅いほうです。だから、帰ったらすぐに夕食の仕度を始めて、食べるのと片付けるのとをあわせて10時には終わるようにしたいと思っているのです。そうすると、夕食は(かなりの)手抜きになってしまいます。
そんな手抜きでも、疲れている日は、始めようと思っても体がついていかなくて、冷蔵庫の前にへたりこんでしまうこともあります。それでもって、乳飲料を一気のみしてから始めます。(ドリンク剤でないところが良いでしょ) 乳飲料の冷たさに生き返る瞬間です。
それにしても体力つけなきゃ。
そうだ、こんなのとしてないで、早く寝ようっと。


10月2日(水)     通勤電車

今朝は(”も”、でしょうが(~_~))、ちょっと出遅れてしまったので、急行電車に乗ることになってしまいました。
ぎゅうぎゅう詰めの電車って苦手なんですよね。(って得意な人がいるわけないか。)
某グルメまんがの原作者は、雨の日の出勤がいやで会社勤めを辞めたっていうし。

今朝も、誰かが電車のドアにバッグか本人かが挟まれてしまったみたいで、ホームを駅員さんが全力疾走していました。

ドアに隙間があると電車が発車できないシステムになっているということらしいので、駅員さんが必死に走りよって、なんとか(無理やり・力ずくで)バッグなり人なりを押し込め、ドアを閉めます。ほんの数分、そのために必死で走り寄る、、、、そんなたいした時間じゃないジャン、と思うのですが、ぎりぎりの電車に乗ってそれが5分遅れただけで「遅延証明書」をもらってしまう我が身の悲しさ。

ぎりぎりの電車に乗った場合の難関は他にもあります。
私が降りる駅は、車内はまだ混んでいるのに降りる人が少ないというところなのです。
だから、開くほうのドアの近くにいないと、下手をすると降りられなくなっちゃうのです。おまけに、そのドアが開く一つ前の駅は、大きな乗り換え駅でいったん車外に出なければなりません。出された後に乗るタイミングがまた難しいのです。
早過ぎると反対のドア側に押し込まれてしまう、遅すぎたりすると乗れない事だってある。。。

それから、満員電車ほど他人とぴったりくっつく事ってまず無いと思うのです。あれも不思議ですよね。もう物体Xとしか見ていない。それが、仮に知っている人だったら逆に恥ずかしくってたまりません。単なる物体ではなくなってしまうのですよね。だから、朝の通勤時に知ってる人とは会いたくないんです。(寝ぼけた頭、顔ででお話したくないっていうのもあるんですけど。)

後は、電車の中ってけっこう孤独な時間にもなります。
友人が母親を亡くした時、泣ける場所がなくて、通勤電車の中で泣いたと言っていました。それって分かる気がします。
家でも職場でも周りの目がある。電車の中だと、泣いている人を見かけたら、「どうしたのかな」と思うことがあっても、みんな放っておいてくれますものね。

そんな通勤電車、唯一の楽しみはウォークマンで音楽を聴くことです。あまり条件の良くない(いやいや、かなり悪条件の)リスニングルームと化してます(笑)


10月1日(火)     台風の日

今日は、一番風雨が強い時間に帰ってきました。
最近は、台風が来たからといって停電になることはあまりないと思っていたのですが、今日の台風で停電になったところがあったみたいですね。

私が子どもの頃はよく停電しました。
台風の日の必需品はろうそくと懐中電灯です。
停電になると、家の中の明かりは居間のろうそくだけになります。
火の入っていない掘りごたつに家族が集まり、ろうそくの明かりだけを頼りに夕ご飯を食べ、寝るまでの時間をそこで過ごします。

テレビを見ることが出来ないので、子どもだった私は大人たちの語る昔話や戦争体験に耳を傾けました。
ろうそくの明かりだけの家、ごうごうと吹き荒れる風の音は、昔話を聞くのにふさわしい雰囲気を盛り上げてくれます。
語りの内容は、詳しく覚えていないことのほうが多いのに、暗い部屋の中でそこだけ温かい光を放っていたろうそくと、薄暗いそれでいて家族の温もりのある部屋の中は今でもはっきりと目に浮かびます。

戦時中たまたま東京に行っていて空襲にあい、火の中を逃げ惑った恐怖、山道で吹雪に巻き込まれた時のことなどを、今まさに目の前で繰り広げられているかのように語る大人たち。

停電と外の嵐が作る、日常とちょっと違った空間は、テーマパークのアドベンチャーのような刺激はないにしても、十分に子ども心のスリルと冒険心を満たしてくれたように思います。
それは、自分の家だけの、ある意味とても贅沢なアドベンチャーゲームだったのかもしれません。

唸る風の音を聞きながらそんなことを思い出しました。