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備忘録2003年1月




「アルジャーノンに花束を」[1月28日(火)]

一昨日の日曜日の午後はずっと「アルジャーノンに花束を」を読んでいました。読むのは2度目で、最初に読んだのは20代の頃。そんな遠い昔ではないのだ。ほんの十数年前(笑)

どうしてもう一度読んでみようと思ったかというと、本屋さんに並んでいた文庫本の帯に印刷されていたユースケ・サンタマリアの写真に惹かれてなのでした。
なんでも、テレビドラマ化され、主人公のチャーリーをユースケさんが演じるということでした。
私はユースケさんのファンというわけではないし、名前を知っている程度なのだけど、写真で見る限りではチャーリーのイメージにぴったりのような気がして。

チャーリーは知的障害があるのだけれど、自分をからかう人も含めてみんな友だちだと思っている心優しい32歳の青年。
それが、実験(外科手術とホルモン注射)によって高い知能を持った天才になるのだけれど、そのために、友だちからは「近寄りがたい存在」「自分たちを見下しているんじゃないか」と思われるようになり、友だちを失い孤独になってしまう。

天才になったのも束の間。自分と同じ手術を受けて頭が良くなったねずみのアルジャーノンの経過から自分に施された実験の欠点を発見し、自分の知能は再び低下してしまうことを予測してしまう。
そして、それは現実となり、ものがたりは終わる。

そんな役柄をどう演じるのか、知能と情緒面のアンバランス、無邪気と苦悩をどう演じているのか、とっても気になりました。でも、残念ながら、番組は2002年10月からの放映で、もう終わってしまってました。

もし、再放送されることがあったら是非見てみたい、読み終わってさらにその気持ちは強くなりました。


他人に対して思いやりを持つ能力がなければ、そんな知能などむなしいものです。

これは、作者ダニエル・キイスが文庫本の序文に記した文章です。
物語に流れているのは、人間の価値は知識や知能にあるのではなくて、他人を思いやる気持ち、他人に共感する心にあるんだということ。

それがとても大切だということは、わかっているはずなのに、自分のなかで隅っこに追いやっている、忘れてしまっているんじゃないかと、ちょっぴり不安になりました。

それは、時間のあるなし、余裕のあるなしの問題じゃなくって、普段から身についているかどうかなんだろうなと思うのです。
知識の量や頭のよしあし、効率性だとか経済性だとか、そんな側面からしか物事を見ることができなくなったら、そんな悲しいことはないだろうなと思うのです。


・・・何度読んでも、このチャーリーの最後の文章に涙してしまいます。

ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。





「遺伝子医療への警鐘」
 [1月11日(土)]


年末、柳澤桂子さんの「遺伝子医療への警鐘」を再読してみました。

この本は1996年に単行本として発行されました。たまたまその時期に、自分の病気のこともあって「生命」ということに興味を持ち始めており、新聞広告を見てすぐに買って読み始めた1冊です。

以前、相模原市に住んでいたこともあって、北里大学病院に通院した時期がありました。大学の構内にある書店には医学の専門書も並んでいて、理解できないなりにもつらつら眺めることもできたし、一般向けの病気の解説書も何冊か読んでみたりもしました。
そんな本は病気に関する知識をあたえてくれても、私の心の問題の解決にはならないし、知れば知るほど沸き起こってくる「なぜ」には答えてくれませんでした。

そんなこんなで、すこしづつ生命科学の分野に興味が傾きつつあった時期でした。

本の内容もタイトルにあるとおり、生命科学のこと、DNAの発見から解読、遺伝子工学に到るまで、いま生命科学の分野でなにがおこっているか、なにが問題になっているかなどが、科学的な知識をもたない人にも理解できるよう苦心されて書かれています。
それでも、高校の生物の知識以上のものを持たない私には理解できていない部分も多かったと思うのです。読んでいても1度で理解できず、本を手にしたまま1ページも進まずに眠りに落ちるなんてことがざらでした。

決して気軽に楽しく読めたわけじゃないけれど、この本が柳澤桂子さんの著書との出会いになり、このあと柳澤さんの著書を読み始めるきっかけとなりました。

昨年、文庫本としても発行され、再読してみて改めて思いましいた。柳澤さんの著書に惹かれた理由は、生命科学の知識や情報を得たいためじゃないってこと。
それは、この本の終わりのほうに記されているこの文章に要約されているんじゃないかと。


「人間とは何か」「われわれはどこからきたのか」という問に一つの答えをあたえてくれたのは科学である。地球がまわっていることや宇宙について教えてくれたのも科学である。病気の原因や治療についてもいろいろな知識をあたえてくれる。しかし、科学が万能ではないことも知らなければならない。

けれども、もし心から科学を愛するなら、科学が一部の人々の私利私欲のために利用されることを絶対に許せないであろう。人間の精神の所産としての科学を、文化としての科学を愛することこそ、いま私たちに求められてることではなかろうか。科学も文学や哲学とおなじように、人々の想像力をかきたてることができるし、感性にも訴えることができるものである。科学の枝葉にまどわされて、幹の太さを見失ってはならない。

しかし、科学は私たちの未来については何も教えてくれない。また、「人間はいかにあるべきか」ということについても答えてはくれない。けれども、そこに希望と私たちの努力の余地が残されていると私には感じられる。

(中略)

人類にとって、宇宙をふくめた地球の生態系は、自分の延長である。私たちは、36億年かけてつくられた生態系の中でしか生きられない生物である。人類の存続を願うことは、地球上の生態系の保全をも願うことである。DNA環境の保全を願うことである。


  
 「遺伝子医療への警鐘―岩波書店」 7 遺伝子工学の嵐のなかで  より


それで、この本を読んで、私のなかにあった「なぜ」への答えが見つかったのかというと、そうとも言えるしそうでないとも言える、というあいまいな答えしか出ません。
ただ、「なぜ」に対する直接的な答えを得たわけじゃないけれど、「生命」というものを考えることによって、自分の命というものをもっと広い意味で捕らえなおすことができたように思います。
広い意味で生命を考える事ができた結果として、自分の病気とそれに付随したものも、あるがままに受け入れられたし、翻って自分の生命というほんのちっぽけな存在の重みにも気づいたように思うのです。

そしてなによりも、現在の生命科学が抱えている問題点を指摘しながらも、科学を愛する気持ち、科学の限界を知りつつそれでも科学を愛する気持ちがこの本から伝わってきます。これまで、科学に無縁だった私ですが、「人間の精神の所産としての科学」を愛する気持ちになるのです。


子どもの頃、宇宙のすべてがわかったらその瞬間に死んでしまってもかまわない、なんて思ったことがありました。その頃は宇宙というと太陽系があって銀河系があって、無限に広がっていく宇宙空間があって、なんて、そっちの面からしか考えていませんでした。

あれから数十年たったいま、150億年前のビッグバン(あってるのかな?)によってできたとされる宇宙の物質から地球上に生命が誕生し、36億年かけて語り継がれてきたDNAの文字が自分をつくっている、そんなことに想いをめぐらす、、、
そんな瞬間、子どもの頃願った宇宙のすべてのほんの僅かでも理解できたような幸福感に浸っています。
私って単純かな(^_^ヾ