4.アフタンジル

 

自慢ではありませんが、Methaは日本では「ナンパ」という現象に出くわしたことがほとんどありません。渋谷でお友達を待っていたら、「誰か待ってんの〜?そんなのやめて、一緒にどこか行かないぃ〜?」と声をかけられたことがありますが、何せ慣れていないもので「この人、知り合いだったっけ?」とか考えてしまい、じぃぃ〜っと相手を睨みつけたため、その人はあっさりと去ってしまいました。

 

ところが、そんなMethaも一歩日本の外に出れば大モテです。

海外に出たことのある日本女性ならどなたでも理解できる現象だと思いますが、とにかく日本女性は世界中で大人気なのです。決してあなたが突然美人になったわけではありません。突然性格が良くなったわけでもありません。ただ単に、やっぱり日本人の女の子は何かと異質なので目立つ、そして特に見た目が華奢で小奇麗で幼いので、しかもお金を持っていそうなので、声をかけやすいということなのです(それをカン違いしてほいほいとついて行ってしまって泣きを見たり事件に巻き込まれたりする日本の女の子達が後を絶たないそうですが、本人の責任なのでMethaはべつにそれはそれでいい思っています)。

あ、海外と言えばもう一つ思い出しました。ハワイで日本人男性に「ねぇ、海ってどっちかなぁ?」というナイスな質問をされたことがあります。もちろんMethaは真面目に「あちらではないでしょうか」と教えてあげました。それがナンパだったということに気がついたのは3年後でした。

 

というわけで、そんなMethaですらいろんな国でいろんな男性に声をかけられるわけですが、それにしてもアゼルバイジャンで声をかけられる数と言ったらハンパではありません。通りを歩けば50mおきに声をかけられます。白タクに乗れば運ちゃんが自宅の電話番号をくれます(ただしこれは営業活動の一貫でもある)。市場に買い物に行けばこれまた数々の電話番号が入手できるほか、オマケまでしてもらえるという特典つきです。

 

青年アフタンジルに声をかけられたのは、ある暑い日のことでした(気温は42度でした)。その日到着したばかりだったMethaは、市場で野菜、食糧、水などを両手一杯に買い込んでふらふらしながら家に帰るところでした。

「荷物、持ってあげますよ」

いきなりアフタンジルはMethaの横にぴったりとくっつき一緒に歩き始めました。

「えっ、け、結構です」Methaはあわてて両手の袋をアフタンジルの手から取り返します。

「名前、何ていうんですか?僕、アフタンジルです」

「・・・」

「ロシア語、わかりますよね?アゼリ語はわかりますか?」

「ぜんぜん」

何百回も(?)このようにして声をかけられているMethaですが、この時少しだけ「お?」と思ったのは、アフタンジルが非常に丁寧な言葉遣いだったことでした。大抵のアゼルバイジャン人は最初から非常になれなれしくて、いきなり「おまえ」とか「あんた」呼ばわりするのがこれまでの経験だったからです。

 

「名前、何ていうんですか?」「Metha」「どうぞよろしく〜!」「どうも」「どこに行くんですか?」「うち」「どこに住んでるんですか?」「あっち」

 

Methaはロシア語がほとんどわからないふりをしつつアフタンジルと歩きながら、とても困っていました。あと15分ぐらい歩けば家につきます。家までついて来られるのは避けなければなりません。しかし撒こうにも、この大荷物この炎天下でうろうろと遠回りもできません。タクシーに乗るという手もありますが、もうお金がありません。ううーん、どうしようぅ・・・。

 

「歳はいくつなんですか?」

アゼルバイジャンではナンパされると、必ず、必ず歳を聞かれます。

「40歳」「えっ??」40歳だってば

アフタンジルは混乱したような顔であははと笑うと、黙ってしまいました。これは成功したかもしれない!一瞬Methaは思いました。しかしアフタンジルは果敢に次の質問に入りました。

「結婚してるんですか?」

これもアゼルバイジャン・ナンパの大きな特徴です。必ず、必ず既婚かどうか聞かれます。またこれはナンパだけでなく、ただの友達(男女問わず)の場合でもとりあえず必ずこの質問があります。

「してる」行きがかり上、こう答えなければいけないでしょう!

「旦那さんは今どこにいるの?」「うち」「働いてないんですか?」「家で働いてる」「それはへんだなぁ」「家で働く仕事なのです!!」「へんだなあ。本当に家に旦那さん、いるの?」

アフタンジルはにやにやしながら、Methaの顔を覗き込みました。Methaは仕方なく、反撃にでることにしました。

 

「あなたこそ、こんな昼間から何をやっているのです?無職なのですかっ?」

アフタンジルはちょっと怯みました。「いや、仕事はあるけど・・・」

「どんな仕事してるのです?どこかの会社で働いてるのですか?なんでこんな時間に通りで女の子に声かけたりなんかしてるのです?」

Methaはそう聞いているうちに職業病が出てきてしまい、ついつい饒舌になってしまいました。アフタンジルは突然口数が多くなったMethaにびっくりしています。

 

聞けばアフタンジルは、アゼルバイジャン国営石油公社で働いているとのことでした。

今アゼルバイジャンでは、外国の石油会社が参入してカスピ海の海中油田(オフショア油田)を華々しく開発中です。アゼルバイジャン国営石油公社も、自前ではお金も無く最新の技術も持っていませんでしたが、今は外国の会社の助けを借りて結構な殿様商売をしています。

しかしそんな華々しい海中油田開発の陰にオンショアの油田 − つまり地上の油田 − はすっかり隠れてしまいました。19世紀に開発されてから手当たり次第掘り尽くされてきたオンショア油田。大発明家ノーベルや富豪ロスチャイルドはこの油田で富を築いたのです(ということはノーベル賞の賞金はもとを辿ればアゼルバイジャン石油のお陰ということになりますね!!)。しかし今ではほとんど枯渇しており、Methaはもう掘削は行われていないのだと思っていました。しかし数年前に始めてアゼルバイジャンに来た時にオンショア油田地帯を通りかかり、恐ろしく古ぼけた掘削機械がまだ苦しげに動いていること(それも50機に1機ぐらいの割合でしか動いていませんでしたが)、見渡す限りのだだっぴろい油田地帯にぽつんと立てられた小屋で2、3人の年老いた技師さん達が何をするでもなく気が抜けたように座ってMethaの方を見ていたことを強烈に覚えています。掘り尽くされた油田はまるで、人間が欲望の限りをつくして暴力的に搾取したあとに投げ捨てたボロ布のようでした。

アフタンジルはそのような「忘れ去られた油田」で働いているのです。仕事の内容を聞いてみましたが、言ってくれませんでした。

 

「今景気いいんじゃないですか?石油価格、高騰してるでしょう」

「そうなんですか?知らない」

「給料、出てるんですか?」

「一応、給料は毎月出てますよ。でもすごく少ない」

「いくら貰ってるのですか?」

「月に5万マナート(10ドルぐらい)」

「働く気なくすよね、それじゃ」

「そうですねー」

「それで昼間っから通りで女の子に話しかけてるわけですね」

「そうそう。これが僕の仕事なんです」

「わははは・・・」

 

笑いながらもMethaは何とも言えない複雑な気持ちでした。アフタンジルに「例え10ドルでも働かずに貰っていたら給料ドロボーだ。仕事しろ」と言おうかと思ったのですが、それは彼に言うべき適切な言葉でないような気がしました。

他の旧ソ連の国と同じように、アゼルバイジャン国民の貧富の差は恐ろしい早さで拡大しています。特に「産油国」という特殊性はアゼルバイジャンの事情を更に複雑なものにしています。汚職ははびこり、富める者は富みつづけ、持たない者は失いつづけるのです。アフタンジルも恐らく、大多数の「失いつづける人々」の一人でしょう。彼らに自衛手段はありません。それはソ連崩壊の後に出来上がった「無秩序と言う名の秩序」にうまく乗ることができなかった人間の宿命なのです。そんなアフタンジルが仕事に意欲など持てないのは当然のことのように思えました。そしてそれについてアフタンジルは責められるべきでないでしょう。むしろあのボロ布のような油田から逃げて通りでナンパでもしているほうが健全なのではないかと思えました。

 

そうやってMethaがアゼルバイジャン経済の行く末を案じているうちに、とうとうMethaはアフタンジルと一緒に家の前まで来てしまいました。Methaの家は、主に外国人が住むために造られた巨大な新しいマンションで、入り口にはちゃんと24時間の警備体制ができています。

「ああ、ここに住んでるんですか・・・そうだと思いました」アフタンジルもこのマンションのことを知っていました。

「そうです。ほら、あそこにケーサツの人がいるでしょう。もう帰って下さいね。さよなら。そしてできれば明日は仕事に行って下さい」

アフタンジルはおとなしく帰って行きました。

 

そして次の朝。

仕事に行こうと外に出たMethaが目にしたもの、それは・・・警備員から死角になる木の陰にひっそりと立っているアフタンジルでした。

普通ならばこういうのはストーカーと言うのでしょう。そして通常であればMethaだって恐いと思ったでしょう。実際アゼルバイジャン、特に首都バクーの治安は決して良いとは言えません。ソ連が崩壊してから治安事情は格段に悪化しました。強盗やひったくりの一般犯罪もレイプなどの性犯罪も日常茶飯事です。外国人の金銭を狙った犯罪だって数え切れません。

しかし何となくMethaには、アフタンジルのことは「恐い」とは思えませんでした。

 

アフタンジルはMethaの姿を見ると近寄ってこようとしました。しかしMethaは仕事だったので、アフタンジルの方には行かずに玄関に迎えに来てくれていたタクシーに乗りました(そのタクシーも実は昔たまたま乗った白タクで、電話番号をもらった運ちゃんのものでした!)。

タクシーに乗る前に目が会ったアフタンジルに、Methaは叫びました。

「今日は仕事に行ってね!!」

そしてアフタンジルは、Methaを迎えに来てくれていた白タクの運ちゃんから、Methaに解らないアゼリ語で何やらどなりつけられながら、走って逃げて行きました。

 

 

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