2000年6月(ロンドンにて)

イギリスに戻ってきました〜。それにしてもこの天気の悪さは一体なに?ふざけんな〜。寒いぞ、何とかしろ〜!

しかもしかも、昨日買い物をしたら、何とクレジットカードがリジェクトされた。何で??と青くなってすぐに銀行にかけこんだら、何と銀行側の手違いでクレジットカードは無効手続きがされてたの。「手違い」って何さ、「手違い」って?お金を扱う銀行にこんな手違いがあっていいのか?こんなにいいかげんな商売でいいのか?Methaは銀行のカウンターで怒鳴り散らしてきたさ。

何だかイギリスにいると怒ってばっかり。天気、銀行、地下鉄、レストラン。どいつもこいつも・・・。

と思ったけど、イギリスよりひどいはずのアルメニアやグルジアでは全然怒る気がしないし、苛々もしない。どうしてだろう?きっとイギリスに対してはMethaの期待値が高すぎるんだ。だから期待どおりに行かなくてムカツクんだ。よし。わかった。これから決してイギリスには期待しないぞ。何も。


2000年5月(ウクライナ・キエフにて)

キエフにいます。一昨日は朝から雨、午後もどんよりした感じで気が滅入ったけど、昨日から一転してとっても良いお天気、めちゃめちゃ暑いです。今日一日外回りをしていたら、日焼けしちゃいました。明日の土曜日はドニプロ川の遊覧船にでも乗ろうかなあ・・・。

キエフは何も変わっていないように見えます。もちろん店は増えたしレストランも中々レベルの高いのができました。でもそれだけです。ここに何年か住んでいる外国人は「この1年でもすごく変わった」と言いますが、Methaにはその変化が分かりません。街も同じ、人々も同じ、彼らのメンタリティも全然変わってない・・・。やっぱり大きな国は変化の速度が遅いのでしょうか。ウクライナはまだそんなに「絶望的」な国(経済的にも、社会的にも?)じゃないだけに、人々の間の危機感もないのかもしれません。変化するのが絶対的に良いことだとは思わないけど、でもその「危機感のなさ」っていうのがかえって絶望的だ。そう思わない?


2000年5月(アゼルバイジャン・ショラールにて)

アゼルバイジャンとロシア・ダゲスタン共和国の国境に近いショラールというところにいます。ロシアとアゼルバイジャン国境はほとんど閉鎖状態なので、今ではこの辺の幹線道路を通る車輌も少なく、さびれた村です。

ご飯を食べようと思って、ドライバーをしてくれているブガールに、道端で野菜を売っているおばちゃんに「食堂はないか」と聞いてもらいました。そしたらおばちゃんは「ご飯が食べたいの?うちにいらっしゃい」と言ってくれました。すごく行きたかったのですがおばちゃんも仕事中なので辞退して、教えてもらった村で唯一の「レストラン」に行ってみました。

私達がたずねていくとレストランの主人は「客が来るとは思っていなかったので何も食材がない」と言いました。そしてブガールは主人を車に乗せて市場に買出しに行きました。その間、従業員(と思われる)若い男の子は隣の家に走って行って七面鳥をゲットしてきて、しめてくれました。しめるのはMethaも手伝いました(ほとんど役に立たなかったけど)。

全部で3時間かかったお昼ご飯でしたが、とても楽しかったですよ。ウォッカやワインも沢山出してくれました。ブガールちゃんには申し訳なかったけどしこたま飲んじゃいました。ははは。


2000年4月(グルジア・トビリシにて)

今日は大統領選挙でした。街の様子を見ようと思ってふらふらと3時間ぐらい歩いてみました。大して混乱もなく普通どおりでしたよ。投票所も見学したかったのですが、さすがに中に入る勇気はなく入り口で見てました。でもあんまり人は来てなかったなあ。投票率低いのかな。

そう思いながらさらにふらふらルスタベリ通りを歩いていたら、誰かが尾行してくるのに気づきました。Methaが公園で腰を下ろすと、そいつも遠くの方でベンチに座ります。歩き始めると、新聞で顔を隠しながらずっとついてきます。内務省の尾行かなとも思いましたが、それにしてはあまりにもヘタクソなのと、結構弱そうなので、角を曲がったところで待ち伏せしてそいつをとっ捕まえました。「あんた、何か用なの?」って。

そいつはちょっとどきどきしていたみたいですが、「外国人と友達になりたいのです」と言いました。でもさらに彼の所持品を巻き上げ(?)調べてみると、どうも政治活動をしている青年だったみたいです。Methaを相手に「愛国主義とは何か」ということを長々と演説したあげく、自分の支持していた大統領選挙の候補者が「当局の陰謀」により立候補資格を取り下げられたと語ってくれました。今日の大統領選挙に行ったかどうかを聞くと行っていないと言うので、Methaは、「入れたい人がいなくても、白紙票を投じに選挙に行きなさい。それが民主主義国家というものです」と説教して別れました。

その後友達と飲みに行って「選挙に行った?」って聞いたら、5人中5人とも「行ってない」と言ってました。ああ・・・。


2000年3月(アルメニア・アレニにて)

昨日のアルメニアテレビで、「現在、アルメニアにはもう200万人ぐらいの人間しか残っていない」という推計が発表されました。公式統計上のアルメニアの人口は380万人です。この推計はパンの消費量とかエネルギー消費量といった指標をもとに計算されたらしいですが、この200万人という数字は少々極端であるとしても、アルメニアからどんどん人が出て行っているのは確かなようです。数年前に仲良くなった人達はもうほとんど残っていません。みんな留学とか赴任とか言ってヨーロッパに出て行き、そのまま帰ってきていません。

少し前まで「別に外国に知り合いもいないし、出て行く気はないよ」と言ってた友達まで、最近はMethaに「イギリスで何か仕事ないかなあ」と聞いてきます。アルメニア人は国の状況が悪くなるとすぐに海外移住を考えてしまうらしいです。彼らはその苦難の歴史の中で世界に散らばり、世界のあらゆる国に大きな「アルメニア移民コミュニティー」を持っています。アルメニア以外の国にいるアルメニア人は450万人。アルメニア国内の人口よりも多いです。

どうして皆国を捨てて行くのだろう?人がいなくなってしまったら、アルメニアは国として存在していくことができるのだろうか?  


2000年2月(トルコ・アンカラにて)

あま〜いトルココーヒーを飲んで頭痛がしております。さっきちょっとだけ街に出て遅い夕食を食べました。カフェみたいなところでショーケースに並んでいるお惣菜を指差して選ぶのです。何だかよくわかんないけどナスとトマトと肉の煮込みみたいのとサラダを食べました。結構おいしかった。トルコは食べ物がおいしくてよろしいですなあ。野菜も豊富だし彩りもすてき。

それにしてもトルコ人はどうしていつもいつもあんなに濃いんでしょう。入国審査の時も、わざと時間をかけてパスポートをねちねち見られ、どうでもいい質問をされ、最後はウインクされた。鼻で笑ってやりました。さっき街に出た時も日本語で「こんにちは〜」「うつくしいですね〜」です。トルコに魅了されてはまってしまう日本人女性は多いって聞くけど、この「人懐っこさ」がいいのかなあ。Methaにとっては、ぎゃああああ!近寄るなあ!って感じですが。


2000年2月(ロシア・モスクワにて)

今年のモスクワの冬は暖冬みたいです。今日はなんと、プラス1度。雨が降っていました。冬のモスクワで雨なんて!ちょっと信じられません。

今日はボリショイサーカスを見に行きました!初めてです。ロシアのサーカスもソ連崩壊後の資金不足のせいで質がものすごく落ちたそうですが、そうなのかなあ?結構楽しめました。ただし最後にボリショイの代名詞とも言えるクマが出てきたときは、そのあまりの痛々しい姿に涙がでましたが・・・。ちなみに入場料は150円ぐらい、子供はタダです。ロシアの懐の深さを感じるねぇ。

サーカスが終わり会場を出ると、後からまだ十代ぐらいの若い兵隊さんたちが続々と出てきました。つかの間の休暇でサーカスを楽しむ・・・。軍服姿が若々しくもあり悲壮感もあり。チェチェン紛争はまだ続いています。友達から聞いた話ですが、コソヴォ停戦後多くの若い人達が停戦監視軍として狩り出された時、皆はものすごく嫌がったそうです。しかしチェチェン紛争が再開したらコソヴォに志願する若者が急に増えたそうです。彼らの間では「チェチェンで戦うぐらいならコソヴォは天国」なのだそうです。


2000年1月(ロンドンはテムズ河畔にて)

大晦日から新年にかけて、テムズ河畔で年越しをしました。覚悟はしてたんだけど殺人的な人込みで、この世のものとは思えませんでした。新年のカウントダウンがはじまるまでサルサのライブステージの前で盛り上がり、それからカウントダウン。新年の瞬間、河畔のあらゆる場所から花火が打ち上げられ、これでもか、これでもかというぐらい。「きれい」とか鑑賞している暇などありません。やりすぎだよ〜。ただ数ありゃいいってもんじゃないんだし。最後にはクビが痛くなりました。

それにしても、その後がすごかった。みんなが一斉に帰りはじめたのです。ウエストミンスターのあたりから、もう一歩も動けませんでした。誰かが遠くのほうで悲鳴をあげ、「押すな!」とか「子供が潰される!」「いいかげんにしろ!」の叫び。隣には何故か額から血を流している人がいるし、救急車は来るし。誰かが「これが究極のHuman Selfishnessだ!おお神よ!」と言ったのには妙に納得しちゃいました。靴はどろどろ、お気に入りのウサギのマフラーを無くしました。あんなところにおしゃれして行くもんじゃないわね。

明け方のトラファルガー広場は、まるでNATO軍爆撃後のコソヴォという感じでした。

 

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