2001年5月(イギリス・ロンドンにて)

 

ロンドンの銀座とも言われるオックスフォード・ストリートを歩いていたら、前からものすごい勢いで走ってきた男性がMethaにば〜ん!とぶつかってきました。小さいMethaは当然吹っ飛びましたが、彼はMethaに謝る余裕すらなく目配せだけすると、そのまま走って、Methaの少し後方にいたダブルデッカー・バスにしゅばっ!と飛びつきました。

普通、停留所でないところでバスに飛び乗る場合というのは、そのバスが渋滞でのろのろ運転しているか信号待ちで止まっているかのどちらかです。しかし彼が飛び乗ろうとしたバスは、無謀にも「普通のスピードで走っている」ものでした。「普通のスピードで走っている」バスの手すりを両手でつかみ必死で体を引き寄せながら、彼は足をデッキに乗せようとしました。しかしその両足はしゃかしゃかと虚しく空をもがくだけでした。バスは更に加速しました。すると手すりをしっかりつかんだまま、華奢な彼の体はふわりと後方に舞いました。まさに鯉のぼり状態です。

あ〜れ〜…。バスにしがみついた青年はひらひらと舞いながらMethaの目の前を横切っていきました。

100メートルほど走ったところで、バスは信号にひっかかりスピードを落としました。がくん。彼の下半身は地面にたたきつけられ、その真っ白なズボンはずざざざざ・・・とオックスフォード・ストリートをハデな音をたてて滑っていきました。しかし彼の手はあくまでもぎっちりと手すりを握って離しません!偉いぞ!!

バスは完全に停止し、とりあえず体勢を整えた彼はオモムロによろよろと立ちあがりました。そしてズボン(多分破れたでしょう)の汚れをぱんぱんとはたき、それからくるっと回れ右をしてバスに背を向け、・・・何事もなかったかのようにすたすたと、もと来た道をMethaの方に向かって戻って来たのです。そして凍り付いているMethaの横を、長いキンパツを風にそよがせ毅然とした態度で通りすぎていきました。

あ、あ、あのう〜こ、これは…。何かのパフォーマンスだったの?ギャグ?力だめし?それとも青年の主張??

 

だれか、解説、して、ください。


2001年5月(イギリス・ロンドンにて)

 

東欧のとある国に住んでいる日本人の友達がイギリスに来たので一緒にパブに行った。ビールをぐいぐいやりながら話し込んでいたら、突然どこからかマッチ箱が飛んできて、Methaの頭にぶつかって目の前のテーブルに落ちた。ちょっとびっくりして振り向くと、斜後ろのテーブルにいた若い男の子三人グループがこっちを見て笑っている。Methaには、彼等の笑いは「あっ、間違ってマッチ箱とばしちゃった。まずい」という照れ笑いに見えたので、こちらもニッコリかわいく笑って「痛かったわ。ケガしちゃった♪」と(英国風)冗談を言いながらマッチ箱を返してあげようと思った。

しかし一緒にいた友達は猛烈に怒り出した。彼は英語がそんなに得意ではないので、何やらぶつぶつつぶやきながら思いっきり三人を睨み付けるだけだったが、笑っていた三人の若者はすぐに顔をこわばらせて黙り込んだ。そしてMethaが差し出した手から黙ってマッチ箱を受け取ると、こそこそとパブを出ていった。

彼が住んでいる国ではアジア人というのは非常に差別されている。ここ10年間の経済事情の悪化と社会の混乱でネオナチを気取る若者達が増え、アジア人は彼等の不満のはけ口、暴力のターゲットとなる。日本人も例外ではなく、金銭目当てのみならず、とにかく弱そうだからという理由からだけでも殴られる。スーパーに買い物に行っても店員から胡散臭い目で見られ、万引きの言いがかりをつけられたりする。アパートを借りたくても大家から嫌がらせをされる。そんなところで暮らしているから、彼には「やられる前にやる」という防衛手段が身に付いてしまったのだろう。

自分に、余裕とそれに裏打ちされた自信 − 例えば良好な人間関係や金銭的余裕、物質的な充足、あるいは社会的地位や保障、身の安全、そして将来への希望 − がなければ人間はなかなか「優しく」はなれない。「つらくても貧しくても虐げられても、清く正しく生きなさい」というのは全くの偽善だ。

 

「そ、そんなに怒ることでもなかったんじゃないの?わざとやったんじゃなかったみたいだよ?」Methaがそう言うと、彼は日本で暮らしていた時とは随分変わってしまった顔に、激しい憎悪を見せた。彼はとても疲れていた。


2001年4月(国境にて)

 

雨が激しくなってきた。だれも迎えに来ない。殺伐とした国境線のこちら側にぽつねんとひとり取り残されるMetha。

とりあえず迎えを手配してくれた人に電話をかける。「迎えの車がこないんだけど・・・。ところで一体誰が迎えに来てくれんの?」言いながら、なんでこんなことを今さら聞いているのかと非常にマヌケな気持ちになる。「ザウルが行くよ」相手はあっさりと答えた…ザウルって誰さ!?「運転手だよ」…あのう、会ったこともないんですけど。「そうそう、言うの忘れてた。国境のポイントは二ヶ所あるんだよ。お前、どっちにいるんだ?」ぎぇ〜!!今言うな!!

 

幸い、正しい方にMethaはいた。「よかったよかった。車はBMW、ナンバーは161。じゃあな!(がちゃん)」・・・とほほ・・・心細い・・・。更に待つこと1時間。

国境の彼方から東ドイツ製の黒いおんぼろトラバントがよたよた走ってきた。車の助手席から巨体の男が降りるや否や、国境線を突破して(い、いいのか!)Methaに向かって突っ走ってくる。「あんたがMethaだな!?迎えに来たぜ!!」「やっと会えた!嬉しい!…あの、BMWって聞いてたんだけど?」「あともうちょっとってとこでエンジンがイカレちゃってな。通りかかった車に乗せてもらってここまでたどり着いたんだわ」「はあ」「今、ザウルが修理してるからよぅ、とりあえずこのトラバントで行こうぜ」

彼と一緒に歩いて国境を越え、入国手続きをするプレハブまでやってきた。「あんた、寒いから先に車に座ってろ。手続きは俺がやってやるからパスポートかしな」…いいの?そんなの。「所持品申告書、書いたか?」「え、外国人は書かなくていいんだよ」「そうだっけ?ま、いいや俺が適当に書いといてやるわ」いいのか、そんなの?!

そうこうしているうちに、向こうの方からまた車がやってきた!「おお、あんたMethaだな。ザウルだよ。相棒には会えたかい?いやー、参ったよ。道がひでぇ上にこの雨だろ。水溜りに突っ込んじゃってなぁ・・・でももう大丈夫だ!」その車は確かにBMWだった…フロントガラスはひび割れているし、ボディはぼこぼこ。まあいいけど。とにかくMetha達は出発した。そっと後ろを振り返ると、残されたトラバントに数人が寄ってたかって大騒ぎしている。どうやら今度はトラバントのエンジンがダメになったらしい。激しい雨の中、彼らは皆で車を押しながら、エンジンの「押しがけ」をしていた。その瞬間、Methaは何故だか笑いが止まらなくなってしまった。「はははははは!!」すると前に座っているザウルと相棒もつられて笑い出した。「わはははははは…」三人の幸せな笑い声を乗せて、BMWは悠々と国境を後にしたのであった…穴だらけの泥道なため、時速30キロぐらいしか出ないけど。

 

それにしてもザウルと一緒に来てMethaの入国手続きを「適当に」やっといてくれた彼は一体誰なのか。最後まで分からずじまいだった。ま、よくあることさ。


2001年4月(某国某所にて)

 

ここでは水が24時間供給されない。時間制給水なのである。しかし更に悪いことに、一日のうち「いつ」水が出るかはっきりと分からない。みんな、「だいたい午前中に3時間、夕方に4時間かな」という曖昧なことしか言えない。すると何が起こるか。

どこの家でも、水がいつ出てもいいように蛇口の栓を一日中開放しておく。水が出たらバケツや洗面器や鍋や小さなコップにまで、できるだけ水を貯めこむためだ。しかし全員が同じことをするので、地区一帯の水圧が異常に下がる。高層階のアパートには給水時間になっても水が行かない。怒る市民はムキになって更に水を貯めこもうとする。一杯になったバケツを取り替えるためにわざわざ仕事を早退する人もいる。来る日も来る日も同じことを繰り返す。「こんなに苦労しているうえに、どうして信用できないサービスに料金なんか払わなきゃいけないの?」だから誰も水道料金を払わない。すると水道公社にはお金が入らない。お金がないから新規の投資ができない。だから水道システムは永遠に改善されない…というドツボにはまってかれこれ10年。

 

Methaの仕事場の共同トイレの洗面台も、朝は水がじゃあじゃあ出っぱなしである。蛇口が取れちゃっているのだ。そして午後になるとピタリと水は止まる。そしてその後はうんともすんとも一滴も出てこない。さっさと修理しろよ、と思うが、別に自分の家で使う水じゃないからどうでもいい、お金が無くて部品が買えないから修理できない、誰の責任か分からないからどうしようもない、面倒くさい、などなど様々な理由により放置されている。ようはやる気がないんじゃないか。せめて公共の場での水の管理ぐらい徹底させたらどうなんだっ!Methaはいつもトイレに行くたびに怒りに爆発だった。でも誰をつかまえて訴えても「知らな〜い」という返事ばかり。

 

ところが今朝、Methaは我が目を疑った。何と、水が止まっている!新しく蛇口が取りつけられているではないか!!おおっ、やればできるのだ!…実はその蛇口も取り付け方がヘタなのか部品が悪いのか、きちんと最後までは締まらない。どうしても細く水が滴り落ちてくるのだ。Methaはムキになってぎゅうぎゅう締めつけた。「水が止まるということは、かくもすごいことなのだっ!市民諸君よ!見たか、このスバラシイ現実を!!!」

数時間後またトイレに行って見たら、蛇口は開いたまま、水はまたじゃあじゃあ出っぱなしになっていた。何でやねん!!!

すると隣の部屋のおばちゃんが、「誰かが洗面台の蛇口をめちゃくちゃ固く締めるので困る」とグチをこぼしに来た。きぃぃ〜!!てめぇら!!


2001年3月(イギリス・ロンドン)

 

彼女の名はシャーマ。シャーマは読書が好きだ。愛読書は「スターリンとヒトラー」。スポーツジム通いも欠かさない。最近新しいトレーニング用のシューズを買った。しかしシャーマには大きな悩みがある。中国人のボーイフレンドがいるのだが、彼は気に入らないことがあるとシャーマに暴力を振るうのだ。一度シャーマが命の危険を感じるほどまでにエスカレートしたことがあった。シャーマはたまりかねて、夫や恋人の暴力に苦しむ女性を助けるボランティア・グループに電話をして相談した。友達にも何度か助けを求めた。シャーマは実はもう二年もMethaの家に居候している。ところがMethaは、何故かシャーマの姿を一度も見たことがないのだ…。

 

…これはMethaが最近考えているミステリー小説のプロットである。というのは冗談だが、何故こんなことを思いついたかにはワケがある。

Methaがここに住み始めた当初から、一ヶ月に何件か留守電に意味不明なメッセージが残される。それは全部「シャーマ」にあてられたものなのだ。「××書店です。シャーマさまへの伝言です。ご注文の『スターリンとヒトラー』が入荷いたしました」「シャーマさまへ。○○スポーツですが、シューズが出来上がりました」。何と言っても仰天したのがコレ。「シャーマさん?さっきお電話いただいた『女性を暴力から守る会』のクレアです。今そちらに向かっているんだけど渋滞しているから遅くなりそうなの…電話に出ないから心配だわ。無事だといいんだけど」

 

ある日のメッセージは男性の声でヒトコト「あー、シャーマ(がちゃっ)」。相手の電話番号が残っていたのでおそるおそるコールバックしてみた。数回の呼び出し音の後、相手が出る。「うぇい?」…中国語だった。Methaは動転しながらも「あのー、うちの電話にそちらの番号が残っていたのでコールバックしたのですけど…」。すると相手は訛りの強い英語で「あ?誰と話したいんだよ?」と怒鳴った。Methaはもう一度同じことを繰り返す。「だから、誰と話したいんだって言ってんだよ!!」電話の向こうの声はろれつが回っていない。Methaはコワくなって電話を切った。

そして今回旅から帰ってきたらやはりメッセージが。「シャーマ!あたしよ。あれからどうなったのか気になって…いいかげんに電話に出なさいよ!」

おお、シャーマに一体何が起こったのか!?

 

…って言うか、シャーマって誰さ?もしかしてMethaは二重人格で、「Metha」が旅に出ている間は「シャーマ」がここに住んでいるんじゃないだろうか…などとミステリー小説の構想は膨らむのであった。


2001年2月(ロンドン 空港から街に向かう電車の中)

 

日本への旅もつかの間の夢、もう小雨降るロンドンに帰ってきてしまいました。空港から市内に向かう電車の中。疲労と時差ぼけと二日酔い(?)でぐったりしてシートに埋もれるMethaの向かい側には、二人のおじさんが座っていました。すごくヘンな格好。一応アタッシュケースなどを持っているからビジネスマンなのでしょうが、二人ともおバカなアロハシャツを着て白い帽子を被っています。そして一人は縁飾りのついたあやしいサングラス、もう一人は短パンにスニーカー。どう見ても、いっちゃってます。

サングラスおやじが携帯電話をかけはじめました。「ハロ〜、いとしのジャスティーヌちゃ〜ん♪ぼくだよ〜ん。ジャマイカから帰って来たよ〜ん。何か僕宛てのメッセージあるかなぁ〜?」どうも自分の秘書か誰かに電話しているようです。なるほど、ジャマイカに出張だったのね。車内の重苦しい雰囲気と彼らのハイテンションのミスマッチぶりにMethaは疲れも忘れて耳ダンボでした。

「じゃあねぇ、ジャスティーヌちゃん。このままオフィスに向かうからねぇ〜ん」携帯は切られ、それからオモムロに二人は無言で、どんよりとした窓の外の景色に目をやりました。Methaもつられてそちらに顔を向けます。そして短パンおやじが深い溜息とともにつぶやきました。

 

「Ah, I hate London (ああ、ロンドンなんか大嫌いだ)…」

 

それからふたりは、Methaの顔を見て力なく笑い、ウィンクをよこしました。Methaは無言で深く頷き返しました。この瞬間、我々三人の間には確かに、人種・性別・年齢・文化的背景、その他あらゆる相違を乗り越えた熱い友情と深い共感が存在していました…。

ああ、ロンドンなんか…ロンドンなんかぁ!!


2001年2月(日本・東京にて)

 

日本に帰ってから、どうもテンポが合わない。人込みの中での歩き方が分からない。階段でよくコケる。Methaの方向音痴は今に始まったことではないが、それにしてもよく迷う。

それから、ある特殊な種類の日本語が喋れない。仕事でしゃべったりお友達と喋るのには全然不自由しないのに、例えば映画のチケットを買うとき「あのー、●●という映画の切符を三人分買いたいのでありますが」。例えばスーパーで「ええと〜、ミネラル・ウォーターの瓶はどこで見つけることができますでしょうか」。言ってしまってから「その言い方はヘンだろー」とひとりでツッコミを入れる。どうやら「日常よく使う決まり文句」というものを忘れてしまったようだ。それは聞き取る方も同じ。

コンビニに行って小さなおやつを一個買ったら、レジのおじさんに聞かれた。「おてさげ、いかがしますか?」「????」全然意味がわからず凍りつくMetha(…それにしてもわからないですよね、この言い方)。そんなMethaを見て、おじさんは横にあったビニール袋を取り出しながら明るく大きな声で言いなおした。「フクロ、おっけぇ〜?」

がーん。

でも臆せず果敢に英語(?)を喋ってくれたおじさんを、コミュニケーションにかけるその情熱を、ひそかにスゴイと思うのであった。「フクロ、おっけぇ?」の方がよっぽどストレートに伝わったもの。


2001年2月(イタリア・ローマにて)

 

こぢんまりとしたトラットリアでみんなでご飯を食べた後、飲みに流れることになった。ローマっ子にも人気の英国風パブ(何でローマまで来てこれやねん)。金曜夜のパブは大混雑で、Metha達五人グループはとてもじゃないけど座れない。そこでファブリツィオとタフィークの男性二人が別のバーの様子見に出かけ、パブにはマリア、シモーナ、Methaのギャルズ(?)三人が残された。

男性陣が去ってまさに五秒後、横のテーブルを占領していた三人の男の子達が「チャオチャオ、かわいこちゃんたち、ここ空いてるからおいでよ」と、いそいそと椅子を空けてくれた。おどおどするMethaを尻目に、マリアもシモーナも「あら、親切じゃなーい」と言ってさっさと腰を下ろす。シモーナが我々のビールを買いに席を立つと、男の子のうちの一人がさっとシモーナの後を追いかけ、ビールを運ぶのを手伝ってくれた上におつまみを奢ってくれた。「ちょっとお、彼、いいと思わない?」シモーナはうきうきしている。…しかし何の運命のいたずらか、彼はどうやらMethaに興味を持ったらしい。彼はMethaの隣に座り、「チャオ、ベッラ。僕はパオロ。君はいったい何者なの?どうして君みたいに素敵なひとがこんなところに?」とかなんとか、歯が浮いて溶けて腐りそうなセリフを並べ立てた。そっと横目でシモーナとマリアを見ると、これまた別の男の子たちが一生懸命話しかけている。Methaは心の中でシモーナに手を合わせ(?)、パオロとお喋りすることにした。幸い彼の英語が流暢だったので会話は弾んだ。

 

ところが、Methaがロンドンに住んでいることが発覚したのち、パオロの口数は徐々に少なくなっていった。

そのうちファブリツィオとタフィークがバーの偵察から戻り(どこも混んでいた)、遅れてやって来た他の友達も勢揃いし、パオロ達も含めてみんなで飲みなおした。大騒ぎして歌って踊って、そうしてローマの夜は更けていった。

深夜二時、パオロ達と別れてパブを出ると、シモーナがにやにやしている。「ふっふっふっ、来週の火曜日、パオロとデートの約束しちゃった」「なにぃー??」そう言えばパブを出る時、パオロとシモーナは何やら話しこんでいた。イタリア語だったので全然分からなかったけど、あれはデートの約束だったのか。

 

イタリア男、パオロよ。キミは初志貫徹、首尾一貫という美しい言葉を知ってるか?!いいけどね。ぷんぷん。


2001年1月(アルメニア・エレヴァンにて)

 

知る人ぞ知る、アルメニアは世界で一番最初にキリスト教を国教として定めた、由緒正しい世界最古のキリスト教国家であーる。だからアルメニア人のキリスト教に関するプライドは並々ならぬものがある。更に今年は何と、アルメニアにキリスト教がやってきてちょうど1700年。昨年のミレニアム騒ぎも何のその、今年こそアルメニアにとって百年に一度の大イベントの年なのだ。このエレヴァンでもあちこちに意味不明の(?)モニュメントが造られ、新しく建築した大教会もそろそろ完成であーる(写真)。

アルメニア人と言えばユダヤ人と並び称される商売上手で知恵のある流浪の民。多くのアルメニア系実業家、政治家、学者、医者等々が世界中に散らばって活躍している。海外のアルメニア人は実はアルメニア国内の人口よりも断然多い。今年の1700年祭は、そんな全世界数百万人の同朋が続々とアルメニアに「帰省」することが見こまれる、大事な大事な年なのである!!ソ連崩壊で独立したアルメニアが、この10年にわたる経済社会の混乱を乗り越え、見事に復活するチャンスでもあるのだ!!国をあげての意気込みはカナリなものである。

 

Methaはクリスチャンではないが、普段からお世話になっているアルメニアに一応の敬意を示そうと、お散歩がてら街のはずれの小さな教会に行った。中に入ると十字架のついた黒い頭巾をかぶったお坊さんが、お弟子さんたちと共に隅っこの椅子に座っている。

「おはようございます、司教さま。わたくし、旅の者でございます。今年はとても大事な年だと聞きました。つきましては司教さま、このアルメニア教会の特徴、および東方正教会との違いというものについてお教え願えればと…」司教さまは少しも動じず、顔も上げずに厳かなアルメニア語で何やら静かにお答えになった。とりまきのお弟子さんが通訳してくれた。

 

「忙しいからあっち行けって」

 

よく見ると、彼は弟子の一人とチェスのようなボードゲームに夢中になっていた。眉間に皺を寄せて考え込んでいる。

って言うか、司教。いいんですか。1700年祭。


2001年1月(ロンドンにて)

 

こんなMethaでも、時には白馬に乗った王子様と末永く幸せに暮らしてみたいと夢見ることもあるの。

 

7時40分。いつもならふかふかのお布団にくるまれてぐっすり眠っている頃なんだけど、「彼」がやってきた。「うぃーっす、ビルダーでーす。壁、塗りにきやしたー」Methaはいそいそとドアを開け、彼を中に入れる。「おはよーっす。元気っすか?」彼は土足でずかずかとラウンジに乗り込む。うふ。

Methaは仕事に行かなければならないので、ビルダーに鍵を渡す。「終わったら大家さんに電話してね。それから鍵を閉めてポーターさんとこに預けといてね」「がってんしょうちっす」彼は何度も来ているしここの専属の業者さんだから大丈夫だとは思うけれど、やっぱり彼を残して家を空けるのはいい気持ちがしない。だけどMethaは一人暮らしだからしょうがないの。

夕刻、帰宅してドアを開け、靴を脱ぎ捨てるのももどかしく家中をチェックする。

まずラウンジのゴミ箱から頭をのぞかせているサンドイッチの食べかけを生ゴミ入れに移す。窓際に置きっぱなしになっていた使い捨てのペイントローラーもゴミ箱へ。寝室では化粧台の位置が変わっているのを確認、その上にあった化粧品がめちゃめちゃに倒れているのをもとにもどす。キッチンにはチョコレートバーの包み紙が。バスルーム・・・あああ、洗濯物を干したままだった!そしてトイレを見ると・・・二日前に取り替えたはずのトイレットペーパーが芯だけになっていて、便器にはなにやらこびりついている。しくしくしく・・・泣きながらトイレ用洗剤とスポンジを取り出す。

一人暮らしのつらさが身にしみるのはこんなとき。この広い世界のどこかにいる白馬に乗った素敵な王子様、Methaと一緒に暮らして、ビルダーのために早起きしてドアを開けたりビルダーに靴を脱げと注意したりビルダーにものはやたら動かすなと叱ったりビルダーに食べたものはちゃんと片付けろと言ったりビルダーに出したゴミは全部持って帰れと言ったりビルダーのトイレの後始末をしたりして欲しいの。お願い。


2001年1月(モンバサ→ナイロビ→ロンドン)

 

初めてのアフリカで衝撃が大きかったせいか連日飲み過ぎたせいか、ロンドンへの帰路ではちょっぴりお疲れ気味。喉ががらがら、何となく体もだるい。「風邪ひいたかなあ」と思うMethaの頭を「マラリア」という単語がよぎる。ご存知、マラリアは熱帯地域特有の、蚊が媒介するコワーイ病気だ。「まさかあ〜、あははは」…そう笑いながら、思い出した。モンバサでの最後の晩、あろうことか部屋のテラスを開け放って眠ってしまったことを。

ロンドンの家にたどり着き暖房を入れるがなかなか暖まらない。ぞくぞくしながらベッドにもぐりこんだらあっと言う間に眠ってしまい、目が覚めたのは夜中。びっしょり汗をかいている。一度も使ったことのない体温計を探し出して熱を測ってみると38度。ごそごそと起き出してインターネットで「感染症」のサイトを探してみた。

「熱帯地域で体調に変調をきたした場合、まずマラリアを疑うこと」「潜伏期間は1〜2週間、初感染者の場合もっと早く発病する場合もある」「初期症状は頭痛、筋痛、倦怠感、食思減退など。幼児の場合は咳が頻繁」「次に激しい悪寒がして体温が40〜41度に上昇、重篤な状態になる」…青くなるMetha。頭痛はないが肩が少しだるいかも!食欲はあるけどお腹の調子は良くないかも!幼児じゃないけど咳が出る!まだ体温は38度だけど、ちょっと悪寒がするかも!!

マラリア歴のある友達を求めてイタリアに電話した。「ちょっとあんた、マラリアになった時、どんな症状だったっ?」「うーん、最初は風邪だと思ったんだよね。一旦熱は下がったんだけど、次の日また発熱してさ〜。気づいたら重体だったわ。即入院よ。でもMetha、ちゃんとマラリア用の薬、飲んでたんでしょ?」「…飲んでない…」「えっ…(沈黙)」

 

マラリアが相手では、Methaの得意技「知らなかったの、ごめんなさい攻撃」も、「話せばわかる、とにかく座りなさい攻撃」も通じない。これがアフリカのすごさなのか。かの地の人々はMethaの小賢しい知恵や過信が逆に命取りになるような、大いなる何かの中に存在しているのだ。それが彼らの生き方でありパワーの源であると同時に、死との共存でもあるのだ。Methaがかの地で感じたのは、美しい夜明けの後ろに常にぴったりと寄り添う暗く冷たいもの、それを日常として受け入れる彼らの淡々とした強靭さだったのだろうか。

 

…などと盛り上がっている場合ではない。


2001年1月(ケニア・モンバサにて)

 

飛行機から降りたらそこは真夏だった。

初めてのアフリカ大陸、赤道直下の国ケニア。北国の人(?)Methaにとっては見るもの聞くもの触るものにおうもの、すべてが「へん」だ。

そこいらにさり気なく生えているバナナやマンゴー。ハイウェイから見えるシマウマの群れ。道端に突然うつぶせになって昼寝している若者。姿も見えぬ動物たちに囲まれて夜を明かしたサバンナの中のツリーハウス。一日サファリをした後の服に染みつく大地のにおい。原始的な姿をした奇妙な潅木やサボテン。黒い肌を光らせて血走った目でじっとこちらを見ているおじさん。太鼓とラッパの音に白い歯をむき出して戦闘の踊りを踊るダンサーたち。何もかもが「ヘン」だ、ヘンすぎる!!

Methaは、それらを語るに十分な言葉をまだ見つけられない。だから感じたままに叫んでみるのだ。

うおぉぉ〜!!

 

 

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