1.ギヴィ

ギヴィとMethaはもうかなりのマブダチです。Methaがグルジアに行くときは必ずギヴィと飲みに行きます。とてもいいやつです。陽気でベタベタでディープなグルジア人です。でも自分では、クールでおしゃれで現実的な男だと思っているところが、またオカシイのです。
そんなギヴィですが、時々ぎょっとするほどシニカルになる時があります。それはソ連の崩壊の前後にグルジアが経験した混乱と内戦のことを話す時です。
ギヴィのお父さんは、ソ連時代はばりばりの共産党幹部でした。だからギヴィの家はとても裕福でした。車を3台、家具付きのマンション、そして別荘を共産党から貰っていました。またお父さんは顔が広いので、いろんなところでコネが効きました。ギヴィは何不自由無い少年時代を過ごしました。しかしギヴィが高校教育を終えて、共産党に正式な党員として入党するかどうかを選択しなければならなくなった1986年、お父さんは言いました。
「共産党はもう今のままではいられないと思う。党に入るよりも、自分の力で将来を切り開く方がお前のためだ」
こうしてギヴィは党員になるのはやめました。
1989年、ギヴィがグルジアの首都トビリシの大学で勉学に励んでいたとき、ソ連内務省軍の戦車が侵攻してきました。ソ連軍は街頭に出て抵抗するグルジアの人々に毒ガスを浴びせました。数百人の市民が殺されました。しかしギヴィは大学の教室で勉強を続けました。
1991年、グルジアは混乱の中で一方的にソ連からの独立を宣言しました。国は妙な高揚感に包まれていました。人々は通りに出て狂喜乱舞し、独立宣言を祝いました。それでもギヴィは大学の教室で勉強を続けました。
その後ソ連が崩壊し、本当の独立が達成されました。
しかしその年末、今度はグルジア人同士が闘いを始めました。グルジア軍を中心とする当時の大統領反対派がクーデターを起こしたのです。市街戦が勃発しました。通りのあちこちで手榴弾が投げられ、銃声が絶え間無く続きました。ギヴィの友達の多くは、自ら志願して銃を取り戦闘に参加しました。多くの友達が命を落としました。あるものは戦闘で、そしてあるものは、武器の扱いを知らずに、事故で。しかしギヴィは大学の教室で勉強を続けました。
そして1992年、グルジア北東部のアブハジア自治共和国で内戦が勃発しました。イスラム系のアブハジアが、グルジアからの分離独立を主張したのです。ギヴィの友達はグルジア軍に参加して戦車に乗りました。知り合いの医者達も従軍医師としてアブハジアに入りました。
ギヴィはそれでも勉強を続け、奨学金をもらって海外に留学しました。
「もしかしたらMethaは、戦わなかった僕のことを蔑むかもしれないけど」
ギヴィはMethaを真っ直ぐ見つめて言いました。
「でも僕はもっと別の方法でこの国を良くしたかっただけだ。武器を取るだけが戦いじゃない。死んだらそれで終わりだ。死んだら、何もできないんだ。だから誰が何と言おうと、僕は死にたくなかった」
留学して、そのままグルジアに帰らないという選択肢もギヴィにはあったはずです。グルジアの経済・社会はまだ混乱の淵から完全に復活はしていません。電気も水も満足に得られません。病院にはシーツも毛布もありません。貧富の差は恐るべき速度で拡大しています。
しかしギヴィはちゃんとグルジアに帰ってきました。
「この国はもっと先のことを考えなくちゃだめだ」
そしてその言葉どおり、今ギヴィはグルジアを良くするために働いています。給料はほとんどありません。