4.カナヤン?
かの高名な、誰もが知っている世紀の大指揮者カラヤン大先生のことを「カラやん」というあだ名だと思っていた関西人がいる、というギャグをお聞きになったことがあるでしょうか(決してMethaのことではありません!)。カラヤンはアルメニア移民の家系だと言われています。その真偽は実はよく分からないそうですが、とにかくアルメニア人のほとんど − 経験的には99%近く − の人が「〜ヤン」という苗字を持っています。関西人のMethaがアルメニア人に妙に親しみを感じるのもそのせいなのかもしれません(あくまでも冗談です)。
このカナヤンおじさんも、下の名前はミカエルというのですが、どうもMethaはそう呼ぶことができません。ついつい「カナやん」と、しかも「ナ」にアクセントを置いた関西風に発音してしまうのです。何故ってカナやんは、風貌も性格も「大阪のおっちゃん」そのままなのですもの。
浅黒い肌に深く皺が刻まれた顔、骨筋ばった腕、ぎょろっと飛び出た侮れない目つき。目の色が青いということを除けば、どこをどう見ても「大阪の下町のおっちゃん」です。なまりの強い自己流の英語で背中を丸めてぽつりぽつりと人生を語るあたり、ますます「いよっ、おっちゃん!」と思わず声をかけたくなるほどです。カナやんの人生はすなわちソ連の栄枯盛衰の物語です。
カナやんは若かりし頃モスクワの大学で情報技術を専攻しました。風貌に似合わず大学で非常に優秀な成績を修めたので、卒業後は推薦を受けソ連軍の情報技術局に職を得ました。当時は米ソ冷戦の真っ只中です。つまりソ連軍にとってはバラ色(?)の時代、軍は米国との技術開発競争に大忙しでした。しかしそれだけに軍は神経質になっており、カナやんの暮らしは全てを軍に管理されていました。ちょっと遠くに出かけたり家族や友達以外の人と会ったりする時には軍の許可がいりました。特に海外旅行と外国人との接触は絶対に禁じられていました。仕事上どうしても外国人に会わなければならないときには、事前の届け出が必要でした。尾行や監視も時々ありました。
全く自由のない悪夢のような生活に、青年カナやんはとうとう嫌気がさしてしまいました。そして4年勤務したところで軍を退職しました。
「えー。すんなり退職させてくれたん?色々と言われたりしたりしたんちゃうの?」
「いや、別に大したことなかったで。4年しか働いてない下っ端やったから大した秘密も持ってへんかったしな。早めに辞めといてよかったわ。ほっほっほっ」
その後、モスクワで数学の分野で学位を取ったり知り合いの仕事を手伝ったりし、30歳になってからやっと結婚してアルメニアに帰ったカナやんは、ソ連通信省の下部組織である「情報技術研究所」のアルメニア支部の支部長になりました。「支部」と言ってもただの小さな事務所ではありません。アルメニアは旧ソ連諸国の中でも一般的に技術水準や教育水準高く、人材が非常に優秀であると言われています。ソ連時代には、軍需産業を中心としたいわゆる「ハイテク分野」でかなりの数のアルメニア出身の科学者、技術者が活躍していました。カナやんもそのうちの一人なのです。そういうわけで、カナやんの「支部」は実はソ連の通信技術研究の最先端を担う場所だったのです。カナやんの抱えるスタッフは総勢2000人もいました。
しかし、ソ連の崩壊は、等しく人々の身にふりかかってくるのです。1991年のことでした。
「ソ連が崩壊して国は大変なことになったけど、研究所の業務はさして変わらへんかったわ。独立して違う国になったとは言っても、モスクワの本部とは何となくまだ同じ組織やっちゅう意識があったしな。でもそれも数ヶ月経ったらじわじわと悪なっていったなぁ・・・」
「何がどう悪なっていったん?」
「モスクワの本部からの指示が全然来えへんようになったから、仕事がどんどん少なくなっていった。それから何よりも、カネが来んようになったんや。銀行システムもめちゃめちゃに崩壊したからな。送金手続きなんかできるわけないやろ。92年から93年にかけてが一番きつかったな。わし、何回か大きなスーツケースを2個抱えて汽車でモスクワの本部に行って、スタッフ全員の給料を札束で貰ってきたりしたで。いやぁ、大変やったわ。ほっほっほっ」
「す、すごい。すごすぎますっ!カナやんっ!!!」
「まあでもモスクワ本部の同僚らはほんまに協力的やったわ。自分らも苦しかったやろうけど、何とかして給料渡してくれようとしたからな。ほんまに感謝してるわ」
そして1994年、カナやんは研究所を閉鎖しました。
新しくできたアルメニアの通信省には研究所をひきとる余裕も体力もなかったのです。カナやんの部下として働いていた優秀な研究者や技術者達は、次々とロシアへ、そしてかつては「敵国」だったはずのアメリカやヨーロッパに流出していきました。カナやんはその全ての人達を見送りました。
「ほんまに悲しかったで。みんなべつに喜んで出て行ったんちゃうからな。あんなに優秀やのに、この国では食っていかれへんねん。でも時代がそうなんやからしゃあないな」
カナやんはもう若くなかったのでアルメニアに残ることにしました。
そして考えつくままに次から次へと様々な会社を興しては、潰しました。肉加工製品の輸出業から始まって、コンピューターソフト開発ベンチャー、貴金属小売り、経営コンサルティング、靴の卸売り…もうめちゃくちゃです。それでもカナやんはそんな人生を楽しいと思っています。
「今、また新しい会社を考えてるねん。これはすごいアイディアやで。アルメニア人の英知を生かせるビジネスやで!Metha、どうや、興味ないか。一緒にやらへんか」
カナやん、52歳。人生、どっこい、まだまだなのです。