Methaはもう涙も出ませんでした(いや、最初から泣いてやしなかったのですが)・・・。

と、とにかく大家の代理人のおばさんにだけは、この状況を説明しておかなければ。そう思ったMethaは翌日、日曜日で悪いと思ったのですが、おばさんのケイタイに電話を入れました。

「Methaですけれど・・・」

「Methaさんっ!どうだった?ビルダーは来たのかしらっ??」

どうやらおばさんも心配していた様子です。

「来なかったんですよっ!もう、一体全体、これはどうしたらいいんでしょう?わたくし、もう途方にくれちゃいますわっ!マネジメントに直接文句を言おうかしら?」

「そうね、Methaさん、ビルダーは所詮雇われだから、マネジメントに文句を言った方がいいわね。アタシからも月曜日電話しますけど、Methaさんからも直接苦情を言ってもらった方がいいわね」

「わかりました。そうします。月曜日になったらあの『マネジメントのフィル』に電話して・・・」

Methaがそう言いかけた時です。おばさんは思い出したようにMethaの言葉を遮りました。

「あらMethaさん、フィルはもういないのよ」

「へっ?」

 

Methaのフラットのドアにお風呂の栓が入ったスーパーの袋をぶらさげていった「マネジメントのフィル」はすでにその会社を辞めていたのです。

「そもそも、一番最初にビルダーの予約をとったのはフィルだったのよ!あの男、ほんっとに役に立たないわ。この間文句を言おうと思って電話したら、『もうフィルは辞めました』って言われたのよッ!Methaさん、結局あの男はお風呂の栓を届けただけで逃げたのよっ!!!」

おばさんは興奮して喋りつづけます。

「あ、あの、と、とりあえず、後任の担当の人の名前を教えてください・・・」

Methaはおばさんから「レイチェル」という後任の人の名前を教えてもらい、電話を切りました。

 

そして月曜日。Methaは「マネジメントのレイチェル」に電話をかけました。

「レイチェルさんをお願いします。●●通り●番地に住むMethaと言います」

すると電話の向こうの声はこともなげに答えました。

「あ、レイチェルは辞めました。」

なぬっ!!??

Methaは絶句しました。

「あの、あの、確か、前にいたフィルの後任の方だとうかがったんですけど、あの・・・」

「ええ。ですから、もうここでは働いていないんです」

「いや、じゃあ、あの、その後任の方は・・・」

「・・・あのぉ〜、一体どぉいうご用件なんですか?」

動転してしどろもどろになっているMethaに向かって、電話の声はちょっと面倒くさそうになってきました。なんでMethaがこんなに邪険に扱われなくてはいけないのだっ?いったいMethaが何をしたと言うのだ?悪いのはてめぇの会社ではないのか??

だんだんむかついてきたMethaは、「もういいですッ!」と言って電話を切ってしまいました。

 

「銀行編」でも少し書きましたが、イギリスの労働市場の流動性 − つまり人の入れ替わり − といったらそりゃもうびっくりするぐらい高いです。

現在日本では「日本の労働市場は、終身雇用制の神話が揺らぎ始めてきたとは言え、未だ欧米に比して硬直性が高く人材の自由な移動が困難である。もっと人材を流動化させる政策をとるべきだ」などという議論がもっともらしく語られています。言いたいことは要するに、人間一つの会社で一生を過ごすのではなく、様々な技術や経験を持った人々が企業間、業種間を自由に渡り歩くことができたら、最終的には個人としてもハッピーだし、さらには日本の経済ももっと活性化するんじゃないか、ということですね。

 

しかし、そんな脳天気な議論をしている人達(主に、机上の理論しか知らない経済学者と世間知らずのお役人の方々)は、一体この「素晴らしく流動性の高い労働市場を持つイギリスの現状」をご存知なのでしょうかっ!?

この「気軽に転職できちゃう環境」のもとでは、決してプロフェッショナルな人間など育たないのです!少しでも高い給料、良い条件のところがあれば、後のことなど考えずさっさと転職するイギリス人。今の仕事でうまくいかなくなったらさっさと辞めちゃうイギリス人。やつらはそれを「キャリア・アップ」だなどとのたまっているのです。自分さえ良ければ後のことなどどうでもよいのです。

あの、風呂の栓を近所の店で買ってくるしか能のない中年オヤジのフィルが、今ごろ別の会社で「ワタクシ、不動産会社でマネジメントの経験がゴザイマス」なんて言って、高い給料をふんだくっていることを想像すると、Methaは怒りの震えが止まらないのでした!!こうなったら全然顔も見たこともない「レイチェル」に対しても「どうせワガママでイヤな女に違いない」などと思ってしまうではないですか!

 

そうやってMethaがイギリスの労働市場についてやり場の無い怒りにうちふるえている間にも、壁の亀裂はどんどんと大きくなっていきました。どうしてそうなるのかよくわかりませんが、雨が降る日には壁から水が滲み出してきて滴り落ちるまでになってきました。

そして、ついには、天井の塗装が剥がれ落ち、はらはらと玄関に降り積もるまでになってしまったのです・・・。

 

(つづく)

 

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