1.パルヴィズ
パルヴィズに出会ったのは、数年前Methaが初めてアゼルバイジャンを旅した時でした。パルヴィズは英語が全然、まったく、ヒトコトも喋れませんでした。だからMethaとパルヴィズの会話は、Methaのへなちょこロシア語と、パルヴィズの奥さんメティヒバリの英語の通訳によって何とか成立していました。しかもパルヴィズはとても口数が少なくて、話しを聞き出すのにMethaは相当苦労しました。
パルヴィズは「アゼルバイジャン石油アカデミー」の出身です。彼はそこで測量技術を勉強しました。まだアゼルバイジャンがソ連の一部だった時代です。パルヴィズの「石油アカデミー」では、学生は卒業するとほとんど自動的に「アゼルバイジャン国営石油公社」という会社に就職することになっていました。というわけでパルヴィズも当然、その公社に職を得て波風の無い人生を歩むことになっていたのです。
しかし就職する前にパルヴィズも2年間の兵役に行かなくてはなりません。彼の配属部隊は遠くて寒いロシアのレニングラードになりました。バクーから汽車で2日も離れているレニングラードで1年半を過ごし、兵役が残すところあと半年となった1991年12月のことです。
ソ連という国家が消滅しました。
それに伴って当然「ソ連軍」というものも無くなるはずです。パルヴィズの兵役の義務は理論上は無くなりました。
「それでどうしたの?部隊は一気に崩壊したの?皆逃げちゃったり?」
「いやぁ。部隊の上層部も今後どうするかについて結構もめたみたいだけど、『とりあえず今までどおり』ってことになった」
「ほぉ〜!」
「だって前日まで普通に訓練や日課はあったわけだし、いきなり兵役を中断して国に帰れって言われても、こっちだって困るし。」
「・・・そんなもんなの?」
「そんなもんだよ」
「むむ〜」
というわけでパルヴィズはとりあえず、存在しないはずの軍隊で兵役期間を全うしました。
そして半年後、もはやソ連の片田舎ではない、新生独立国「アゼルバイジャン共和国」に帰って来たのです。しかし彼を待っていたのは大混乱の祖国でした。
「石油アカデミーに戻ってとりあえず卒業して、決められたとおりに石油公社に就職したけど、実際のところ仕事なんか何にもなかったな。何して良いかも分からなかった。今だって一応身分は石油公社の社員だけど、給料は何ヶ月も出てないし、仕事場にもずっと行ってないよ。そもそもやること無いんだもん」
Methaがパルヴィズと話したその時、本当に彼は無気力な感じでした。ふとした拍子に人懐っこい笑顔を見せるのですが、それもすぐに彼の顔から消えてしまいます。結構体格は良いのに、声は小さくどことなくおどおどした感じがします。会話の最中に目が合うこともあまりありませんでした。Methaは、あまり気乗りのしない話を無理矢理させてしまったかなぁ、とパルヴィズに申し訳無く思いました。
そして2年後。
ある日突然、奥さんのメティヒバリからE-mailが届いたのです。なぬっ、E-mail?まずMethaは不思議に思いました。メティヒバリはどうやってこれを送ってきたのだろう?コンピューターなんか買えたんだろうか?だいたい、送り主のアドレスが何やら会社の名前になっているぞ・・・しかもイギリスの大手石油会社の名前だぞ・・・パルヴィズ夫妻に一体何が起こったのかっ!
興味深々になったMethaは、早速アゼルバイジャンに出かけ、パルヴィズとメティヒバリに会いました。
Methaの泊まっているホテルまでオンボロ車で迎えに来てくれたパルヴィズ夫妻は、一見2年前と何ら変わりないように見えました。しかしっ!!
「Hi,
Metha! How are you doing? Long time no see!」(ハーイMetha、元気ぃ?久しぶりだね!)
パルヴィズの口から、びっくり仰天の流暢な英語が飛び出したではありませんかっ!
「どどど、どうしたの、パルヴィズ、そそその英語はっ!!」
2年前は英語の「え」の字も喋ることができなかったパルヴィズだったのに、今やレベル的にはMethaのナンチャッテロシア語を遥かに凌駕する流暢さではないですかっ!
「いやぁ〜、今の会社では上司が皆イギリス人だからねぇ〜。自然に上達したのさ」
そう言いながらパルヴィズはちょっと胸を張りました。そう思えば2年前より確かにカンロクがついたような気がします。とてもリラックスした雰囲気でMethaと握手なんかしちゃったりしました。
「上司がイギリス人って?」
2年前にMethaと出会ったその直後、パルヴィズは知人のツテを頼って、「アゼルバイジャン石油操業コンソーシアム」というところでガードマンのアルバイトを始めました。
その「コンソーシアム」というのは、アゼルバイジャンで石油開発をしたい西側の大手石油会社とアゼルバイジャンの石油公社が資本を出し合って、油田の共同開発をするために作られた複数企業の集まりです。そのコンソーシアムで一番大きなシェアを持っているのは、イギリスの大手石油会社です。
ある日パルヴィズは仕事仲間から、そのイギリスの石油会社がアゼルバイジャン人の測量技師を探しているらしいという噂を耳にしました。その会社は石油アカデミー出身者をはじめ様々なところにあたったのですが、技師の質があまり良くないので採用活動に行き詰まっていたそうです。
そこでパルヴィズは当たって砕けろで、ガードマンの特権を利用し、仕事が終わったその足でビルの中にあるその会社の事務所を突撃訪問しました。そしてほとんど喋れない英語を振り絞りながら、自分は石油アカデミー出身の測量技師であること、石油公社でも働いていたが仕事が無いので絶望していること、この会社で働きたいと思っていること、ぜひ自分の能力を見て欲しいこと、等々を切々と訴えたのです。
その話を聞いてMethaは仰天しました。ものすごい行動力ではありませんか!まるでアメリカン・ドリームを夢見て田舎からNYに上京してきた若者のようだっ!!
その情熱がさしもの(?)イギリス人の心も動かしたのでしょう!こうしてパルヴィズは、2ヶ月の試用期間を経て、めでたくその会社の現地社員として採用されました(と同時に、こっそりと、まだ籍の残っていた国営石油公社も退職しました!)。また2年間イギリス人技師とともに働くうちに自然と英語も上達し、現在では技術的な通訳もするまでになりました。
現在パルヴィズの給料は月給600ドル。アゼルバイジャンの平均的な家庭の4〜5倍の収入です。昨年の夏休みは、メティヒバリと一緒にドゥバイにバカンスに行き、南国の海を思いっきり堪能しました。そこで日本製のビデオカメラも買いました。
最近、二人目の子供が生まれました。もう一人生まれても経済的にやっていけると判断したからです。
経済的に余裕ができたということもメデタイですが、Methaは何よりも、パルヴィズの表情が2年前とは全然違っていることに嬉しくなりました。2年前のパルヴィズは、何となく暗くて、倦怠感が漂っていました。でも今、カフェでいそいそとMethaにコーヒーとハンバーガーなんぞを奢ってくれたりしちゃっているパルヴィズには、力強い余裕と安定が感じられます。
パルヴィズは恐らく、「生きる目標」というものを手にしたのでしょう。Methaは思わず、これからのアゼルバイジャンの将来を担うパルヴィズの、その幸運を祈らずにはいられませんでした。