ポール(アメリカ)

 

「ピューイ・フュメを飲もうと思うんですが、一緒に飲んでいただけませんか?」

 

場所は旧ソ連中央アジアのとある国からロンドンへ向かう飛行機の中。そろそろ食事のサービスが来る頃だと、配られたメニューをぼんやり眺めていたMethaは隣の席に座っていたポールにそう声をかけられました。

 

仕事で飛行機に乗ると、二回に一回は隣のオジサンに声をかけられます。観光客など滅多に行かない辺鄙な国発着の飛行機に、日本人の顔をしたチビが一人で大きなシートに深々と身を沈め足をぷらぷらさせながらジントニックなどをすすっている光景は、やはり他のビジネスマンから見ると奇妙に映り、声をかけずにはいられないのでしょう。

「お仕事ですか?」とか「この国にはどれぐらいのご滞在ですか?」と切り出してくる人もいれば、「私はこの国初めてなんです。良かったら向こうでどこか案内していただけませんか」とあからさまにナンパしてくる人もいます。「暇だったら食事をご馳走してあげるからぜひ遊びに来たまえ。ワハハハ」という怪しげな宝飾貴金属関係のシャチョーさんもいらっしゃいました。

しかし飛行機の中で「ワインを一緒に飲みましょう」などという声のかけられ方をしたのは初めてです。一緒に飲むも何も、もともと隣の席なんだから結局おんなじやんか!別にアンタがお金を払うわけじゃあるまいし!…とツッコんでも良かったのですが、とりあえず人当たりの良い日本人であるMethaは当然にっこりと微笑み、「喜んで」と答えました。

 

「そうだ、名刺をもらえないかな」

軽く自己紹介をして世間話をしたのち、食事がサーブされるのを待って良く冷えたワインをちびちびやりながらポールはそう言いました。Methaが自分の名刺を渡すと、ポールも自分の鞄をごそごそと探し始めました。

「しまった、名刺、切らしちゃったんだった」

そうわざとらしくため息をつくと、ポールは鞄の中から折りたたまれた新聞紙を取り出し、ボールペンでその余白に自分の名前と電話番号、そしてメールアドレスを書きつけました。

「名刺を切らしちゃったみたいだからここに書くよ。読めるかい?」

Methaは差し出された新聞を受け取りました。それはその中央アジアのとある国で当時としては唯一発行されていた英字新聞でした。その新聞はいつも内容はあまり大したことがなく、その国のメディアで報道されたことを単に英語に訳して転載しているような記事がほとんどなのですが、現地語の読めない我々外国人にとっては貴重な情報源の一つで、Methaも入手できる時はなるべく読むようにしていました。

「ええ、大丈夫です。読めま…」

そう言いながらMethaは、一面のトップに掲載されている大きな写真にふと目を留めました。

 

はれっ?

 

思わずMethaはまじまじとその写真を見、そして再びポールを見ました。ポールは満足そうににやにや笑っています。Methaは思わず苦笑いしました。やられた。

そうなのです。そこには、無数のマイクが設置されてあるテーブルの前に座って記者会見をしている当のポールの姿がでかでかと写っていたのです。見出しには「米国のロビイスト、ポール・○○氏、会見」と書いてありました。ピューイ・フュメと言い名刺代わりのこの新聞と言い、何だかこのオジサン、お茶目でかわいいや。Methaはげらげら笑いました。

「ここに載ってる『○○氏』っていう僕の名字、綴りが間違ってるからね。この新聞社、いつも誤植が多いんだよなあ。今度抗議しなくちゃ」

ポールはわざとらしく憤慨しました。

 

ポールが何者であるのかについてはあまり詳しいことは書かない方が良いような気もするのですが、とにかくポールは非常に「政治的な人(political person)」です。米国防総省に長く勤務した後、某巨大企業の幹部として天下り、その後はそのキャリアで獲得した人脈を活用して米国議会に出入りするようになりました。表向きはロシア・旧ソ連諸国関係の情報を配信する小さな通信社の社長ということになっていますが、Methaから見るとそれ以外の仕事 −ポールは「内職」だと言っていますが− をやっている時のほうが多いような気がします。

ポールが名刺代わりにくれた新聞の記事も、その「内職」のひとつなのです。ソ連から独立したばかりの中央アジア諸国の利益のために米国議会に対して働きかけるロビイスト − それがポールの仕事でした。

…しかしそれは建前上のことに過ぎません。ポールが本当にやっていることは、ソ連が崩壊した後に独立した言わば「空白地帯」の中央アジアの国々において、いちはやく米国の覇権 −特に軍事的な力− と資源採掘権などの権益を拡大するために暗躍(?)することなのでした。それはもはや公然の秘密、中央アジア諸国の政府にとっても暗黙の了解でした。彼らにとっては、ロシアの政治圧力や軍事的脅威から逃れるためには、世界のスーパーパワーであるアメリカに頼るしか選択肢は無いのです。彼らは好んで大国アメリカと手を結ぼうとしました。のんきな我がニッポンは「シルクロードの昔から我が国と中央アジアの国々は文化的に結ばれており、我々の絆は深いのであーる」などとのたまっているらしいですが、アメリカはそんなお題目などすっとばしてこれらの国にどんどん人を送り込み、「合同軍事演習」を実施し、援助をするかわりに軍事基地の使用を許可させ、そうやって確実にこの地域に勢力を伸ばしてきました。その影の立役者がポールのような人達なのです。それがアメリカのやり方であり、また実力でもあります。

 

飛行機を降りて別れた後も、ポールとはたまにメールをやりとりしたり電話をしたり、はたまた彼が仕事でロンドンに寄った時には一緒に食事をしたりする中になりました。Methaは個人的にはもちろんポールは好きです。話しやすいし面白いし、一般人は普段知ることのないペンタゴン(国防総省)のことなど興味惹かれる話題も豊富です。またポールの紹介でいろんな国のアヤシイ人物と面会できたりもしました。

しかしそのうちMethaはあることに気がつきました。それはポールの裏表のない「アメリカニズム」です。

 

「キューバっていいよねー。近いうちに行ってみたい」とMethaが言うと、

「なに、キューバ?何であんな国へ?あの国はカストロの国だぞ」

 

「ロシア社会の混沌はいつまで続くのかしら。まあこの混沌さがまた良い味出してるんだけどね」

「いいや、ロシアは犯罪国家だ、悪の国だ。あの国が世界中に武器を撒き散らしているんだ!」

 

「中央アジアへの進出でアメリカは何をやろうとしているの?」

「彼らはアメリカを必要としている。アメリカの力を必要としているんだ。ロシアの脅威から守ってやる必要がある」

 

もちろんこれらの言葉でポールがその考えの全てを語っているわけではないでしょう。それでも、個人的な会話における感情の入ったこのような台詞は、彼の思想のある程度の方向性は示しているように思えます。

彼はメディアなど表の報道に左右されざるを得ない選択肢の無い「普通のアメリカ国民」とは違い、様々な経験もキャリアもあり年齢もそれなりに重ね、軍部に通じ政界の泥沼を知っています。教養もあり世界中で仕事をし、アメリカという国を内から外からも眺めてきた人です。しかしそれでもポールはこういった物事を語るとき全く迷いを見せません。それがMethaには驚異でした。

 

本当に信じているのだ − しかも「アメリカのパワー」に直接に関わる立場に身をおいている人が。

Methaは改めて目の覚める思いでした。何を根拠にそのような強固な信念を持てるのか。世界に出てものごとを知れば知るほど自分の価値観がぐらぐらに揺らいでしまう、色んな人の意見を聞けば聞くほど何も言えなくなってしまうMethaにはどうにも理解できないことでした。しかしそれでもポールは「普通のアメリカ国民」と同じように「信じて」いるのです。Methaがポールの話に対して腑に落ちないような顔をすると、今度は逆にポールのほうが不思議そうな顔をするのです。ポールはMethaがアメリカの正義を理解しないことが理解できません。

良くも悪くも、裏表の全く無い「アメリカニズム」。きっとポールの周囲の人々、すなわち国防総省そして米国議会の権力と権威ある人々も恐らくポールと同じような口ぶりでものごとを語るのでしょう。そして彼らはそれを「本当に信じて」いるのです。いくら高度に専門的な分析がなされようとも、いかに高度に綿密な政治戦略が立てられようとも、また例えその過程で何らかの「陰謀」があるのだとしても、突き詰めればその根底に流れるものはこのシンプルな「信念」だけなのかもしれない。つまるところ、このようなあらゆるレベルでの無数の「信念」がアメリカを支えているのでしょう。それだけを礎に実際にあの巨大国家を運営している彼らはある意味で賞賛すべきなのかもしれません。

 

2001年にブッシュ政権になった後、ポールは政界から一旦退きました。ポールはクリントン政権下で広い人脈を持っていたのですが、ブッシュ政権になってしまうとホワイトハウスや議会、その他政界関連の勢力図ががらっと変わるのであっという間に人脈がなくなるのです。ポールにとっては、次の政権までしばしの休戦というところです。

そんなある日、ヒマにあかせてなのか、ポールは突然アメリカから仕事中のMethaに電話してきました。

 

Metha、ポールだよ。久しぶり。元気?」

「あらー、ポール?久しぶり…電話してくるなんて珍しいじゃない。今ロンドンにいるの?」

「いや、DCだよ。仕事場からなんだ。…ところでMetha、実は早急に五百万ドル必要なんだけど、あてはないかなあ?」

「ごひゃくまんどるぅ?」

 

ごひゃくまんどる。五百万ドルと言えば六億円ぐらいでしょうか。

早急に六億円必要。あてはないか、だって?こ、これは何と答えたらよいのでしょう。いや、考えるまでもありません。もちろんあてはありません。ないに決まってます。

「いきなり五百万ドルはきついわぁ。あはははー…。(沈黙) …ど、どうかしたの?」

「いや、実は…」

 

ブッシュ政権になってヒマになった(?)ポールは、何を思ったか航空会社を設立することにしたらしいのです。しかも中央アジアに。

ポールがざっと説明してくれたところによると、すでに会社の籍を置く国の政府当局からは会社の設立と就航の許可を取得してあるそうなのですが、現地での採用もパイロットの訓練も機材の調達も全て目途がついた最後の最後の段階で、出資を前向きに考慮してくれていたとある企業が「やっぱりダメ」と言い出したそうなのです。しかし相手国当局との取り決めで、あと一ヶ月以内に一定程度の投資を実施しとにかく何便かを就航させなければライセンスが無効になってしまうとのことでした。そこでとりあえず必要なのが五百万ドルというわけなのでした。

「せっかくここまで漕ぎ着けたんだよ!ここでコケたら全部パーだ!」

電話の向こうでポールがわめいていました。

「えー、でもー、そんなこと言われてもー」

Methaはおどおどと言いました。本当に、まさに、「そんなこと言われてもー」という心境です。ポールはまさか本気でMethaがポンと五百万ドル貸すとでも思っているのでしょうか。それともMethaにでもすがりつかずにはおられないぐらい切羽詰った状況なのでしょうか。

「だからMetha、誰かロンドンでも東京でもいいから、こういうベンチャービジネスに早急に資金を出してくれるようなところ、知らないだろうか。必要とあらば世界のどこへでも説明に出かけていくよ!頼む!知り合いの日本の銀行とか商社とかに聞いてみてくれぇぇぇ!」

「…」

 

こんなポールに、今日本企業はどれだけ不況で苦しんでいるかとか、日本の銀行がアメリカのベンチャーが中央アジアに設立する会社に融資なんてお茶目なことするわけないとか、たとえ万が一にもあったとしても一ヶ月で融資審査をして用立てしてくれるわけがないとか、そういうことを懇々と説明しても無駄です。Methaは政治家のように「善処致します」と言って電話を切りました。

 

そして程なくして、あの9月11日の貿易センタービルテロ事件が起こりました。

Methaはポールの「アメリカニズム」をぼんやりと思い出していました。

 

電話は全く通じなかったので、Methaはメールを出しました。ポールのオフィスは貿易センタービルの直後に攻撃されたペンタゴンのすぐ隣だったのです。

二、三日してようやくポールから返事のメールが来ました。

「メール有難う。僕は大丈夫だ。オフィスの窓から飛行機がペンタゴンに突っ込むのが見えた。信じられないような光景だった。今でも信じていない…」

ああ、ポール。飛行機が突っ込むところを間近で目撃したなんて。さぞショックも大きかったでしょうに。信念のアメリカニズム、アイデンティティの崩壊かも。しばらくは立ち直れないんじゃないかしら…ポール…。

「…ところでMetha、例の航空会社の件だが、未だ融資先は確定していない。関心を示してくれているところはいくつかあるのだが…。Methaも引き続き有望な融資元があったらぜひぜひ紹介してほしい…」

 

…タフやな…。Methaは思いました。

 

しかし結局、ポールの野望は頓挫したまま復活することはなかったようです。それも当然のことかもしれません。あの衝撃的なテロ事件の後、航空業界はとりわけ大打撃を受けました。たとえそれが小さなベンチャービジネスであっても、「航空」と名のつくものはとにかくマイナスのイメージしか湧かなくなってしまったのです。ポールはとりあえず大人しく本来の肩書きであるところの「中小通信社の社長」に戻りました。今でもジミに毎日、Methaのところに旧ソ連諸国関係のニュースを配信してくれています(ちなみにMethaはポール社長のお友達なのでタダにしてもらっています。ふふふ)。

 

一方アメリカは、あのテロ事件を踏み台にしてますます軍事的な覇権の拡大を実行し始めました。

皮肉にも、クリントン政権下でポールが推し進めようとしていた中央アジア諸国への米軍の進出も飛躍的に拡大しました。ポールはこの事態について一体どのような感想を持っているのでしょうか。恐ろしくて(?)まだ聞いたことはありません。今のところMethaとポールは

「どう、元気?今度ガールフレンドとニースでバカンスを過ごすんだけどMethaも来ない?」

「お金がない。ごひゃくまんどるくれたら行く」

などという暢気なメールを交換し合うに留まっています。

 

(ポール・おしまい)

 

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