ルビー(台湾)

 

台湾出身の有名な映画監督、アン・リー氏の「飲食男女」(英題「Eat Drink Man Woman」、邦題「恋人たちの食卓」)という映画をご覧になったことがある方は少なくないと思います。確か1994年あたりだったと思います。カンヌ国際映画祭のオープニング作品でした。また1995年にはアカデミー賞最優秀外国語映画賞にもノミネートされた話題作です。日本でもおりしもアジア映画ブーム、雑誌などにも盛んに紹介されていました。Methaはその時もイギリスに住んでいましたが、独立系の映画館のあちらこちらで上映され、好評だったのを覚えています。Methaも友達とそろって見に行きました。

ストーリーは、妻に先立たれた台湾で一、二を争う名シェフと、男手ひとつで育てたその三人の娘達、家族それぞれの恋愛、仕事、そして台湾社会に展開する様々な人間模様を、実にゴージャスな家庭料理の数々と共に映像に収めた傑作です。同じ監督で「Wedding Banquet」という映画もありましたが、これも非常に楽しめる作品で、話しの随所に時にさり気なく時に華々しく折り込まれる至福の台湾・中華料理が目を奪います。

 

さてルビーは、Methaがイギリスに初めて住み始めた時からの古いお友達です。

ルビーは実はこの「飲食男女」のモデルになった家族の一員です。ルビーのお父さんは台北で最高級の飯店(ホテル)の料理長を務めた人、またルビーには二人のお姉さんがいます(その下に妹も弟もいますが…すんごい大家族なのです)。もちろんそのような家族、人物設定がモデルになっただけで、あの映画のストーリーは全くのフィクションですが、映画の製作段階でアン・リー監督は何度もルビーのお父さんの職場、つまりホテルの厨房や、ルビーの家を訪れて取材をしていったそうです。「飲食男女」の台湾でのプレミアの際には家族全員がアン・リー監督に招待され、最前列でみんなで口をぽかんと開けて映画を見たとのことでした。

ちなみに映画では主人公のお父さんが途中で病気で倒れてしまうというシーンがありますが、実際のルビーのお父さんも糖尿病を長く患っているそうで、ルビーは台湾に帰省するたびに看病で大変な思いをしています。美味しいものをたくさん作り、食べて飲むことを仕事とも趣味ともする料理人にとっては、糖尿病はある種宿命、職業病とも言えるのでしょうか。

 

…ところが。

ところが、どうしたことでしょう。何の突然変異か(?)運命のいたずらか、ルビー自身は恐ろしいばかりに料理が下手くそなのです!!!

 

初めてルビーの手料理を食べた時の衝撃を、Methaは忘れることができません。それはルビーが企画した「アジアン・パーティー」開催の前日のことでした。そのパーティーには十人ほどの友人達が招待されていて、Methaもご招待を受けていました。「アジア風のお料理を楽しみましょう」とのコンセプトで、日ごろまともなものを食べていない友人達は、それはそれは楽しみにしていたのです。

その前日の夜、Methaはルビーに電話で呼び出されたのです。「ごめんね、ちょっと来てくれる?」Methaはルビーの近所に住んでいたので、すぐに行ってみました。

 

「おかしいのよう、Metha。これ、おいしくないの」

ルビーが困ったように言ってテーブルに乗せたお皿。そこには、何やらぶよぶよにふやけたピンク色の麺がうず高く積まれていました。どうやらルビーは明日のパーティーの下ごしらえだか予行演習だかをやっていたようなのです。

「な、なに…かな、これは…?ルビーちゃん?」

味見をする気にもなれずおずおず尋ねるMethaの顔を、ルビーは真剣な眼差しで覗きこみました。

「スイート&サワー・ヌードルを作ってみたんだけど」

「スイート&サワー・ヌードルって…なに?」

普通、「スイート&サワー」という単語が使われる食べ物と言えば、酢豚(スイート&サワー・ポーク)です。それのヌードル版とは。台湾料理って奥が深いのね。Methaは初めて見るそのピンクの料理に目を見張りました。

「こんなの、食べたことないわ、ルビー。これ、台湾料理なの?」

「うん。私もはじめて作った」

「…」

 

ルビーに作り方を問いただし、その断片をつなぎ合わせ再現してみると、こんな具合です。

 

1.タマゴ麺を茹でるため、深鍋に水を入れ、麺を入れ、それから火にかけて沸騰させる。

2.茹であがった麺を箸ですくいとり、別皿に取り冷ます。

3.フライパンにオリーブオイルを敷き、火にかけ、麺を炒める。

4.市販の「スイート&サワー・ソース」をフライパンに入れ、更に炒める。

5.フライパンに水を入れてフタをする。

6.出来上がり。

 

…ル、ルビー。そら、麺はふやけるわ。しかも具無し(いや、ほんのりオリーブオイルの味が・・・)。

さ、更に、何ゆえ、フィニッシュに水を入れるか!?

市販のソースを使ってここまでエキセントリックな味になるとは。

 

「ヨーロッパの人は、たいていスイート&サワーが好きだって思ったから、このメニューにしたの。飲茶とかに行くと、みんな酢豚を頼むでしょ?」

確かにあの甘酸っぱい味は、オリエンタルな味の典型として白人にも受け入れられています。

でもだからって別に、ヌードルにしなくてもよかったんじゃ…。

 

「じゃ、じゃあさ、ルビー、いっそのこと酢豚にしてみたら?本当は豚を揚げたりしなきゃいけないんだけど、それはちょっと省略してさ、そしたらすぐにできるよ。それから市販の『スイート&サワー・ソース』は、水で薄めなくてもいいんだよ…」

Methaは一生懸命その場でアドバイスをし、簡易レシピを紙に書き、その日は家に帰りました。

 

しかしヒジョーに不安の残ったMethaは、次の朝早く起きて、やおら料理をはじめました。Methaが見せられたのはヌードルだけだったけれど、あのままパーティーの料理を全てルビーに任せていたら、きっとパーティーでは食べるものが無いに違いない!!!

せめて何とか十人分のお腹をごまかせるだけの料理を作っていかなければ…!!!

 

Methaは巻き寿司といなり寿司をつくりました。鳥のから揚げをつくりました。全然アジアの料理じゃないことは百も承知で、ラザニアを焼きました(メモ:ラザニアは大皿でどかんと焼けるので、パーティー料理に最適であります!)。冷蔵庫の残り物をひっぱり出して、和風ポテトサラダ(と言っても調味料に醤油を加えただけ)をつくりました。

すると案の定(?)、昼過ぎに再びルビーから電話が入ったのです。

「Metha、お願いがあるんだけど、パーティーの料理を一皿か二皿、持ってきてもらえない?私ひとりじゃどうしようもなくなってきたの」

「オッケー、大丈夫だよ(こうなることは分かってたし)。ところで酢豚の調子はどう?」

「ああ、それは大丈夫。すごく美味しくできた!!」

電話の向こうのルビーの声は達成感と自信に満ち溢れていました。Methaは少しほっとしました。

パーティーを企画した張本人のルビーが結局酢豚しか作れなかったことは、もうこの際目をつぶることにしましょう。何事も学習です。学習、学習。

 

そして夜。ルビーの家に三々五々人が集まり始めました。ルビーと手伝いのMetha(いつのまにか手伝いに・・・)はラザニアを温めたりお寿司を盛り付けなおしたり、最後の仕上げにおおわらわです。そのうちMethaは気付きました。

「あれ、そう言えばルビーの酢豚は?」

「あ、それは、あそこ」

ルビーが指差したテーブルの上には、何故だか、ハンバーガーがお皿に盛られています。

「??」

理解できないままに、Methaはその山盛りのハンバーガーに近づきました。しかし次の瞬間、ハンバーガーの上のパンをめくってそこに挟まれている具を目にしたMethaは、恐怖の叫び声をあげてしまったのでした。

 

わあああああああああああーーーーーっ!!

ばかばかばかぁぁーーー!!!

 

ご想像の通りです。それは「酢豚バーガー」でした。ご丁寧に、にんじんとパイナップルの角切りもちんまりとカワイラシク挟まっています。

なぜ、なぜ、なぜなんだルビー!!何故、せっかくの酢豚をパンに挟むんだ!!!!(しかもパンの切り口にはしっかりバターが塗ってあるぞッ)ここまでたどりつくのにあんなに苦労したじゃないか!!「すごく美味しくできた」って、あんなに誇らしげに言ってたじゃないか!!何故ヒトコト、「パンに挟んでもいいかしら?」ってMethaに相談してくれなかったんだぁぁぁぁぁ!!!!

 

こうして「アジアン・パーティー」の夜は和やかに深けていきました。

しかし実際のところ、その晩のMethaの最大の絶望は、実はルビーの「酢豚バーガー」そのものではなく、それを「これ、すごい、うまい!デリシャス!!」とか言ってばくばくと平らげた友人達(国籍は敢えて言いません)なのかもしれません…。

 

おまえら、その同じ口でこのいなり寿司、食うな!

何度もMethaは叫びそうになりました。

 

台湾という国は、中国との関係で、国際的に実に中途半端な立場にあります。台湾を正式な「国」として認めている国は世界中にほとんどありません。日本も認めておらず、従って正式な外交関係もありません。日本人にとって地理的にも経済的にも文化的にも、そしてアジア人としてのメンタリティもこんなに近いのに・・・。Methaも一度だけ台湾に行った事がありますが、そこらへんのコンビニで日本の女性雑誌が買えるぐらい「日本」そのものが浸透しているのに驚愕しました。どうしてこの国と日本の間に「正式な関係が無い」と言うのか?

 

このような政治的な理由から、台湾国籍というのは、いくら正統な理由があってもイギリスの滞在ビザを延長するときには色々と「当局」からのいじめを受けてイヤな思いをするそうです。ビザ延長の時いつもルビーはブルーになっています。それでもルビーは台湾には帰らないと言います。

「イギリスには自由がある。台湾では私は自由が無い。色んな人が色んなことを言う。いつも誰かが私を見ている。やりたいことができないの」

ルビーはいつもそう言います。

 

その言葉を聞くとMethaは、ああ、あと数年はルビーのあの「実験料理」を堪能する機会があるのだなと安心し、ちょっと複雑な気持ちになるのでした。

いやいや、がんばれ、ルビー。料理も、イギリスでの生活も。

 

(ルビー・おしまい)

 

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