サイード(パキスタン)
いきなり超アヤシイ男性の写真で、すみません。決してどこかの国のハーレムの写真ではありません。これはお友達サイードとMethaのツーショットです。
主にヨーロッパ方面をうろうろしているMethaは、アジアにはとっても、全然、サッパリ縁がありません。
ましてやパキスタンなど、行ったことはおろか、それがどのような国なのかとんと知りません。
何でも、隣の国インドととても仲が悪くて核実験合戦で意地の張り合いをやってたとか、軍事クーデターとかが起こったりしたとか、国が積極的にイスラム化を推進している戒律の厳しい国らしいとか、貧富の差が激しそうとか、ロンドンにはそう言えばパキスタン人の移民が沢山いるなぁとか、その程度の感覚的な知識しかありません。
その程度の知識しかありませんが、サイードはどうも「普通のパキスタン人とは違うぞ」というMethaの感覚は正しいと思います。
サイードとMethaはもう6年越しの友達ですが、実はMethaはサイードの個人的な生い立ちをあまり知りません。あまり自分の個人的なことは語らないからです。しかしサイードはどう見てもかなりな特権階級の出身です。イギリスのボーディング・スクール(全寮制の一貫教育)で子供時代を過ごし、ロンドン大学を卒業しました。今は家族のもとに戻ってパキスタンに住んでいますが、職業は外資系銀行の「投資顧問」(パキスタンで果たしてそのような職業が成り立つのだろうか?というのがMethaの素朴な疑問ですが…)、趣味はクリケット、1年に何回も「バケーション」と称し世界中を旅行しています。そのせいか、頭の中や生活様式はすっかり「ヨーロッパ」です。
御存知の方も多いことでしょうが、戒律を守るイスラム教徒は1年のある一定の時期に「ラマダン」とよばれる断食をしなければなりません。これは海外で暮らそうが何だろうが、基本的には全イスラム教徒が「イスラムの暦」に従って、全世界的に一斉にやらなければいけないものなのです。しかもパキスタンと言えば、イスラム教国の中でも戒律の厳しい国の一つです。
しかしサイードは「俺は体が弱いからね。健康に問題がある人や妊婦は、ラマダンをやらなくていいんだ」と言って、ラマダン中でも平気でばくばくとご飯を食べています。お酒も強いです。食事前にちょっと寄ったバーで「あ、俺、グレン・モルトの水割りね。氷はいらないから」と、しれっと注文するようなヤツです。こいつの体のどこが悪いんじゃ?とMethaはいつも不思議に思います。
一度だけサイードは個人的なことを少しだけMethaに語ったことがありました。それは、「小さい頃、田んぼのあぜ道を歩いていたら、誘拐された」ということでした。犯人は勿論金銭目当ての誘拐で、ちょっと身なりの良い少年サイードをとっつかまえてお金を取ろうとしたのでしょうか。しかしサイードが自分の苗字を名乗ると、犯人は慌ててサイードを解放したと言います。
「日本でもそうだと思うけど、パキスタンでも、苗字を名乗ると血筋がわかるからな。俺の苗字はすごい苗字なんだ。そこらへんのちんけなヤツラなんかに、俺を誘拐する勇気はないよ。ふん」
「うっひゃー、サイード様、そんなに高貴なお生まれだったんですねぇ〜」
「ふん、まあねー」
「…(冗談じゃなかったのか)…」
ああ、もう一つ、サイードが語った個人的なことがあります。それは恋愛の話しです。サイードが「年に一度の休暇」と称してパキスタンからロンドンに遊びに来て、一緒に食事をした時のことです。
「Metha、もうすぐ俺、うまくいくかもしれん」
「なにっっ!!」
Methaはびっくり仰天です。Methaの知る限り、サイードには女ッ気は全くありませんでした。それなのに突然「うまくいくかもしれん」だとっ!?あせったMethaは根掘り葉掘りたずねました。
「ななな、誰?それ?うまくいくかもしれんって、お見合いでもしたの?」
パキスタンではいわゆる「お見合い結婚」(というか昔の日本社会のように「親が決めた結婚」)が主流だということを聞いていたので、Methaは思わずそう聞きました。
「ちがうよ。俺がお見合いするわけないだろ。しかもまだうまくいったわけじゃないんだから、そんなに驚くな」
サイードはメガネの奥の小さな目を光らせます。
「何てったって、相手はまだ人妻だからな」
「えええええ〜っ!!」
何度も言うように、もちろんMethaはパキスタン社会のことは全然知りません。知りませんが、でも、戒律のキビシイイスラム社会で、人妻との不倫というのは、どうなんでしょうか!?
「それって、それって」
あうあう、と言葉を失うMethaを尻目に、サイードは愉快そうに状況説明を続けました。
「彼女の旦那と俺は幼なじみなんだよな。だから周りのやつらは皆知り合いなんだ。同じような階級どうしだとコミュニティが小さいんだ。全員が全員を知ってる。日本でもそうだろう。やりづらいよな」
「や、やりづらい…(今の日本ではそうなのかどうかはさておいて)、わかるよ、わかるけどさ…」
「今のところ、彼女は旦那と別居に成功したんだ。いま裁判中でな。判決が出るまであと半年のガマンだ」
「でもさ〜離婚したら、あんたはいいけど、彼女がつらいんじゃない?変な目で見られるんじゃ…?よく知らないけどさぁ〜、浮気がばれたら、それこそ法で罰せられるんじゃないの?腕の一本や二本…」
戒律の厳しいイスラム教国では、既婚男性の浮気は容認されますが、既婚女性の姦通罪はそれはそれは厳しく罰せられます。夫が浮気した妻を殺す事が正当化される国すらあります。
「そりゃあ、ある程度偏見はあるだろうな。でもそのへんは彼女にマイナスにならないように上手くやってるさ。それにその後俺とうまくいったら、そのうち誰も何も言わなくなるさ。ふん」
サイードは決して特権階級を傘に着て威張り散らしている傲慢な人間ではありません。こんなことを言うのは、彼がパキスタンの外の世界で育った故にシニカルにならざるを得ないからでしょう。
彼は自分が特権階級に属していること、普通のパキスタン人からあまりにもかけ離れた自分の立場を理解しすぎる程よく理解している人です。サイードが、笑うに笑えないジョークを言うたびに、まだ見ぬ未知の国パキスタン社会の計り知れない矛盾と、サイードの生い立ちに背景にあるMethaの知らない葛藤を感じるのは、やはり考えすぎでしょうか。
サイードは1998年末頃に、やっとメールアドレスを獲得しました。情報統制や検閲の厳しいパキスタンではインターネットにアクセスできること自体が特権なのではないかと思います。そしてサイードはここぞとばかり、どこかのインターネットサイトで探し出したお下品なジョークや、何かのメーリング・リストで配信されているようなべたべたのアメリカン・ジョーク、笑うに笑えないブラックな四コマ漫画などを毎日毎日、文字通り毎日(時には土日返上で)、Methaを含む数十人の世界中の友達に送りつけてくるのです・・・。
Methaが旅の途中で通信事情が悪く、何度も回線が切れたり通信速度が異常に遅かったりする環境にいる時も、当然そんなものお構い無しです。
「くっそ〜〜、またサイードだな…このメール、ダウンロードに20分もかかってるぞ…」
そしてめでたくダウンロードできたメールの内容はと言えば、例えばこのようなものなのです。
← クリントン大統領夫妻の写真。
ヒラリー夫人:「ビル、この子をモニカって名前にしましょうよ」
がぁぁぁぁ!
これを見るためにMethaは20分も無駄にしたのかっ!!
しかも何でパキスタンくんだりからこんなものを受け取らなきゃいけないんだっ!!
そして1999年春、パキスタンに軍事クーデターが起こったとき、青くなって「大丈夫?」というメールを送ったMethaに対して、
「ん?何か起こったんだっけ?そういえば通勤途中に戦車を見たような気もするが…よくわからんな。気にすんな。そうそう、そう言えば部屋の大掃除をしていたらなつかしい写真を見つけたから送るわ。これって、いつの写真だったっけ?」
というメッセージとともにメールで送られてきたのが、冒頭に掲載されている「超アヤシイ」Methaとの写真でした。
「こいつは核戦争が起こってもゼッタイ死なん」
Methaはその時確信しました。
そうそう、ところで、あれでもサイードはMethaよりも年下なんですよ。
(サイード・おしまい)
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