続・あなたの負債
絶対に来るもんか!
…そう思いながらも、Methaは心の底では一縷の望みを捨て切れませんでした。
「もしかしたら。今度に限って大丈夫かもしれない。何かの間違いで(?)ちゃんと来るかもしれない。奇跡が起こるかもしれない…」
しかし、この世に奇跡なんてものは起こらないのです。Methaももういいオトナなんですから、いい加減に現実を知らなければなりません。五時半になっても六時になっても、当然フラットの呼び鈴はうんともすんとも音を立てませんでした。Methaは無表情のまま受話器を取り上げました。
「お電話有難うございます。こちらギャラクシー・テレビ・レンタルでございます」
「もしもし、今日テレビの引き取りをお願いしていた者で・・・」
「大変申し訳ございませんが、本日の営業は終了致しました。当社お客様窓口の営業時間は平日は朝九時から夕方五時、週末は…」
きぃぃーっっ!!!
エリカとMethaは仕方なく、荷物のなくなったフラットにテレビとテレビ台だけを残し、それぞれのスーツケースや荷物を持ってフラットを出ることにしました。二人とも今日から出発の日までそれぞれの友人の家に泊めてもらうことになっていたのです。
「仕方ないわ。インベントリーチェック(荷物を全部出した後、大家さん立合いのもとにフラットの退去状況を確認し、鍵を返す日)は明日の夕方だから、とりあえず朝九時にまたここに来て朝一番で電話して、午前中に引き取り業者をよこすように言いましょう。それで引き取りに来てくれなかったら…」
「なかったら…」
Methaとエリカは顔を見合わせ互いのウンザリしきった表情を見ると、それ以上を言葉にするのをやめました。
翌日。
エリカとMethaは昨日のウンザリしきった顔を引きずったまま、再びフラットに戻ってきました。本来ならこの日は夕方に来れば良かったはずなのですが、どこぞの大バカテレビレンタル会社のせいで、昨日一日を無駄にしたうえにさらに今日の午前中も無駄にしようとしているのです!
今日の電話担当はエリカでした。
エリカがギャラクシー・テレビ・レンタルに電話をし落ち着いた声で事情を説明すると、電話の向こうのオペレーターは(今度はちゃんと)顧客番号を調べ、慌てず騒がず言いました。
「ええ、確かに昨日の引取りで予約が入ってますね」
「それで大変困っているんです。昨日も何度か苦情の電話を入れたんですよ」
「そのようですね。お電話いただいたと記録が残ってます」
「それで、今日の午前中に至急取りに来ていただきたいんです」
「ええと、そうですねぇ、ちょっと業者の方に問い合わせてみないと…」
ああ何故、英語には「関西弁」というものが存在しないのでしょう!Methaはこの時ほど英語における「関西弁」の存在を渇望したことはありませんでした(?)。もし英語に関西弁があったなら、Methaは受話器をひったくってこう言ったでしょう。
「ワレ、なめとんのか!昨日何度も電話して、それでも来るって言うたやないか!そのせいでウチらは昨日一日を無駄にしたんやないか。それともナニかい、あんたんところは客を騙すのが商売なんか!え?この落とし前、どうつけてくれるっちゅうねん。ウチら、もうこの国出て行くねんで!今すぐなんとかせえへんのやったら、このテレビ、ほかしてったるで!」
しかし実際は、エリカが冷静にこう言うにとどまりました。
「本当に約束はきちんと守っていただかないと困ります。私達はもう昨日この住所を引き払ってるんです。国外に転居するんですよ。もし今日の午前中に取りに来ていただけなかったら、不本意ですがこのテレビ、捨てていきますから!」
ところが、ところがです。オペレーターはこのエリカの脅し(?)にびくともせず、逆に確信と威厳に満ちた態度でこう言ってのけたのです。
「ですがお客様。契約をお読みいただければお分かりいただけると思いますが、お客様の『負債』は例えお客様が引っ越されても消滅は致しません。そちらには返却義務があります」
・・・ふ、負債?返却義務????
あまりと言えばあまりの言い草に、Methaとエリカはわなわなと震えました。
ひょ、ひょっとして私たち、逆に脅されてるの?逆ギレ?
「ええ、もちろんですとも。ですから返却義務を果たしたいと思って、こうやって引き取りのアレンジをお願いしているんじゃないですか!!そんなこと言うなら、このテレビ、引越し荷物と一緒に持って行きますから、日本にまで引き取りに来て下さいよッッ!!」
これにはさすがにオペレーターも言葉に詰まったようでした。そしてくすくすと笑い出したのです。
「うふふ、それはさすがに無理ですわねぇ」
『うふふ』じゃないだろ、『うふふ』じゃっ!
オペレーターはまたしても「職業人」から「素の個人」になってしまったのです。
「ねぇ、本当にお気の毒です。私としても何とかして差し上げたいんですけど、何しろ運送業者のアレンジが可能かどうかまだ分かりませんので…」
オペレーターはすっかりお友達口調になって言い訳を始めました。エリカはこめかみに青筋を立て、業者の電話番号を直接教えてくれるよう迫りました。最初はオペレーターは「お客様が直接交渉なさるのはチョット…」としぶっていたのですが、結局エリカの粘り勝ちでした。
我々はすぐに入手した業者に電話を入れました。
業者は昨日引き取りに来なかったことについては全く触れもせず、当然謝りもせず、あくまでもふてぶてしい態度でした!
「とにかく今すぐ来てください。午前中にですっ!」
「だめですねぇ、一番早くて午後二時です」
「ダメです!午前中です!」
「…なんとか努力してみますけどねぇ」
業者が来たのはそれからほんの一時間後でした。
典型的なパターンです。本当はできるくせに、まず最初はとにかく「できません」と言うのがイギリス流のビジネスマナーなのです。
ナメとんのかワレ!
黒人二人組みのその業者は、ずかずかと土足で乗り込んでくると「これだな」とかナントカ言いながらテレビを動かしはじめました。エリカとMethaは黙ってその様子を見ていましたが、ふとその二人組みが、テレビと一緒に持って行ってもらうはずのテレビ台には見向きもしていないのに気付きました。テレビの色んなコードをはずし簡単な梱包をすると、二人組みのうち一人が言いました。
「このテレビ台、欲しけりゃ持ってていいから」
「へっ?」
エリカとMethaは言われたことが理解できませんでした。
「ギャラクシー・テレビ・レンタルから引取りを頼まれたのはテレビだけなんだ。テレビ台は返却する必要ないって」
「???だって、さっき電話でテレビとテレビ台を返却するって確認しているんですよ」
「関係ないよ。俺達が頼まれたのはテレビだけなんだから」
業者のニイチャンはそう言ってポケットから一枚の紙を取り出しました。
「な、ここにテレビ一台としか書いてないだろ。テレビ台は返さなくていいんだよ」
「????」
Methaもエリカも全然わけがわかりませんでした。
「困ります。そこに何と書いてあっても事実借りたのはテレビとテレビ台なんですから。後になって文句とか言われたら困るのでとにかく持っていってください!」
「いいんだよ!」
「よくない!」
「いいって!」
「そんなこと言われても!」
「だから無理なんだよ!」
「どうして!?」
「もう俺達のトラックにはスペースがないんだ!持っていけないんだよ!!」
「……」
トラックのスペースがない。そ、それはMethaたちがテレビ台を返却しなくて良いということの理由と、一体全体どんな関係があるのでしょうか?
我々に全く責任のないそんな一方的な理由を極めつけの切り札のようにして出すなんて、Methaたちにこれ以上どうしろと?!「まぁーそれは大変!それじゃあテレビ台は私達が引き取るのが義務だわね」とでも言えばいいのでしょうかっ???
…呆れました。呆れ果てました。
エリカはむっつりと黙って書類にサインし、二人組みのニイチャンは取り繕うような曖昧な笑いを向けながらテレビを抱えて出て行きました。
そしてがらんとした広い部屋には、くたびれきったエリカとMethaだけが残されました…。
インベントリーチェックが終わり大家さんに鍵を返し、そしてエリカとMethaの二人がそそくさとフラットを去ったあと、近くのゴミ捨て場にはエリカとMethaの「負債」であるところの豪華なテレビ台がひっそりと置き去りにされていたことは言うまでもありません。
暑い暑い、夏の日の午後でした。
(「あなたの負債」・おしまい)