3.ヴァルダン
ある日の午後、ホテルのMethaの部屋の電話が鳴りました。「こんな時間に電話がある予定はないぞ・・・?」Methaは不思議に思いながらも受話器を取りました。
「ハロー?」受話器の向こうから若い男性の声が聞こえてきました。ものすごくなまりの強い英語でした。
「ハロー。マイ・ネーム・イズ・バルダン。空港で働いています」
「はあ?バルダンさん?」
「これからあなたの部屋に行ってもいいですか?」
「はあ???」
顔も知らない人にいきなりこのようなことを言われて驚かない人がいるでしょうか。Methaは絶句してしまいました。しかしそこは修羅場を潜り抜けてきたMetha、すぐに気を取り直し質問を開始しました。
「あなた、今どこから電話をかけてるの?」
「・・・家、から」
「どうして私の部屋に来たいの?」
「え、え・・・えーと」
バルダン君はそこで詰まってしまいました。そして電話の向こうでロシア語でぶつぶつ言い始めました。
「なんて言うのかな、えーと、友達、友達・・・・」
どうやらバルダン君は辞書をひきながら電話をしているようです。ぶつぶつ言っているのがロシア語だったので、Methaはロシア語に切り替えました。
「私と友達になりたいの?」
「ダーダー!今からホテルに訪ねていってもいい?」
バルダン君はロシア語でとても嬉しそうに叫びました。
「いや、ホテルに来られても・・・。あまり嬉しくない。ところで、どうやって私のことを知ったの?なんでこのホテルに泊まってるって分かったの?」
「昨日、空港であなたを見たんだ。外国人だったらこのホテルに泊まるだろうと思って電話した。友達になりたいんだけど」
おおおお!
Methaは感動してしまいました。この無邪気な好奇心、ストレートな行動力、ほとばしる情熱!
というわけでMethaはついつい「じゃあいらっしゃい」と言ってしまったのです。果たしてバルダン君は20分もしないうちに、ホテルのフロントから電話をかけてきました。
「ハロー。来ました。部屋に行ってもいいですか?」
「だめっ!今、ロビーに下りていくからそこで待ってて!」
さすがのMethaも部屋に見知らぬ青年を部屋に入れるほど平常心を失ってはいませんでした。しかし、あたふたと身なりを整えているうちに、ドアがノックされました。バルダン君は部屋まで上がってきてしまったのです!
恐る恐るドアを開けると、バルダン君はそこに立っていました。
バルダン君は背の高い、アルメニア人には珍しい金髪の少年でした。まだ10代のように見えました。彼は顔中でにこにこして、好奇心が押さえられないようにMethaを熱心に見つめています。
「バルダンです。部屋に行ってもいいですか?」
バルダン君は再び英語で喋り出しました。Methaはとりあえず廊下に出て、後ろ手にドアを閉めました。
「部屋には入れられないわ。歩きながら話しましょう」
バルダン君は部屋に入れなかったにもかかわらず、はちきれんばかりの笑顔でMethaと一緒に階段を降り始めました。
「で、昨日空港で私を見たのね?」
「うん。僕は手荷物検査係をしてるんだ・・・。昨日、空港に着いたでしょう?その時見たよ。あなたはどこから来たの?アメリカ人?」
「へっ…?アメリカ人に見える?日本人だけど」
「日本…?日本…」
バルダン君はいまひとつぴんとこないようにぶつぶつと繰り返しました。どうやらバルダン君にとっては「外国人=アメリカ人」のようなのです。…一昔の日本の子供達のようですね。
「で、お友達になりたいの?」
「そう。友達。あなた、いつ帰るの?」
「あさっての早朝」
いまひとつ話がかみ合わないまま、Methaとバルダン君はロビーまで降りてきました。Methaはロビーのバーでお茶でもしようと思ったのです。ところがバルダン君は満足そうな微笑を浮かべて言いました。
「わかった。じゃあ、あさってもう一度空港で会えるね。さよなら」
…そしてバルダン君は意気揚揚とホテルから出て行きました。あっけにとられたMethaを残して。
その後バルダン君にはとうとう会えませんでした。帰りの飛行機には普通とは違う搭乗口から乗ることになってしまったので、通常の手荷物検査は通らなかったのです。それからも何度もアルメニアに行っていますが、彼に会うことはありません。
もう彼はあの国を出て、憧れの国アメリカに行ってしまったのかもしれません。