ユタカさん
ユタカさんはMethaに果てしなく大きな影響を与えた人です。Methaがいま世界中のへんな場所を訪ねて世界中の「へんなひとたち」に話しを聞くのが好きなのも、もとを辿ればユタカさんの影響です。
ユタカさんは見た目は柔道選手かプロレスラーか、はたまたヘルズ・エンジェルス(ヨーロッパを国境を超えて走り回るオジサン暴走族)のメンバーか、という感じです。実際、勤め先にはもう10年以上愛用しているハーレーダビッドソンで登場します。
「ご職業は何ですか?」と聞かれると、ユタカさんは必ずにやりと笑って答えます。
「ちょっと危険な仕事です」
相手がびっくりして、それはそれは、で、具体的にどのような…などと言うと、さらににやにやしながらユタカさんは答えます。
「大学教授です」
ユタカさんの口癖は、「本質」と「根っこ」です。
「Metha、本質を見なさい。全ての事象には理由と原因がある。物事の根っこの部分にあるものは何なのか、それをギリギリと詰めて考えることで、事象の全体が明確になる。そのためにはMetha、自分の足で歩きなさい。自分の頭で考えなさい。自分の言葉で喋りなさい。結果として誰かと同じ結論にたどり着くとしても、『自分で』出した結論は絶対に揺るがない」
Methaがユタカさんに出会った時、ユタカさんは「ソ連、中・東欧諸国の政治」が専門でした。ユタカさんはその分野でかなり独創的な研究者として有名です。他の研究者とは全く違った情報源を持ち、しかも「一定の研究手法」というものにこだわらないので、必然的に彼の研究成果は「変わってる」ように見えるのです。しかし彼の研究は恐ろしく「本質」を捉えていました。それは彼の研究上の「敵」でもしぶしぶながら認めざるを得なかった程です。
時が経つにつれて、ユタカさんの興味はもっと人間の奥深いところに巣くう暗い衝動、すなわち「戦う」という現象に向けられ始めました。1989年からソ連と中東欧で一気に民主化の気運が高まり華々しく世界が変わると見られていた反面、「国家」というたがが緩んだことによって、これまでにアフリカやアジアなどでは見られなかったタイプの地域民族紛争が噴出し、それがユタカさんの心を捉えたのです。ユタカさんは、戦火のボスニアを歩きました。血なまぐさいチェチェンにも行きました。バルト諸国をビザ無しで国境超えしようとして強制送還されました。
そんなユタカさんを見て、人々は「かっこいい」と言いました。「自分の足で歩く。現場主義というのはこういうことです」と。またある人は、顔をしかめました。「ただ単なる目立ちたがり屋じゃないのか。戦争好きで戦争ばかり追いかけるジャーナリストと同じだ」と。
Methaはどちらの言葉もユタカさんの本当の姿を見ることができていないと思います。確かにユタカさんは「現場主義の学者」であるし「目立ちたがり屋」でもあります。しかし、彼がそのような行為をした後何を成果として残したかということについては、ほとんどの人が無関心であるように思います。大切なのは、ユタカさんが戦争を追いかけてあちこち飛び回ったとか、国境でモメたとか、留置場にぶちこまれたとか、そういうことではなく、そこから彼が「何を生み出したか」ということではないでしょうか。
ユタカさんが考えていたのは、「紛争はほとんど必ずといって良いほど再発する。再発を防止するためには、紛争に関わる底辺の人間・・・すなわち『戦闘員』を、二度と紛争の現場に帰らせないことである。そのためには、きちんと彼らの武装解除をさせ、彼らが社会に復帰し職を得て普通の生活に戻ることが必要なのだ」ということでした。
ユタカさんはその理論を実践する場として、紛争がくすぶりつづける旧ソ連中央アジア地域のタジキスタンという国を選びました。そこでユタカさんは国連の平和監視団の一員としてゲリラの武装解除を支援する仕事をしていたのですが、その仕事故にゲリラの標的となってしまったようです。
ユタカさんは1998年7月、タジキスタンの山岳部ガルム地区で、ゲリラに襲撃され殺害されました。
ユタカさんはタジキスタンに赴任する前にMethaにE-mailをくれていました。
「タジキスタンに、行きます。帰ってきたらぜひ話しをしましょう。楽しみにしています。Methaも苦しいでしょうがガンバッテ下さい。能力あるものは、多くを負わなければならない。苦しむのは、それを受け入れるだけの能力があるからです」
タジキスタンで仕事をすることについてユタカさんは相当悩んで迷い、苦しんでいたということを、彼の死後、身内の方や親しかった方達から聞きました。Methaはそのユタカさんの苦しみについては全く気づいていませんでした。
Methaがこのメールを見たのは、ユタカさんが死んでからでした。Methaは1週間、泣きつづけました。
ユタカさんの死があまりにも突然だったのとドラマチックだったせいで、またしても人々は「ユタカさんがゲリラに襲われて紛争地で命を落とした」ということを騒ぎ立てました。
でもやっぱりMethaは、「ユタカさんが殺された」ことよりも、「ユタカさんが何を残そうとしていたのか」ということについて、これからもずっと考え、背負っていこうと思っているのです。淡々と。

Photographed
by K Hirose
(ユタカさん・おしまい)