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榊博文・説得問題研究会

『日本列島カルト汚染』

榊博文・説得問題研究会:『日本列島カルト汚染』,ブレーン出版,1997.04.27., ISBN4-89242-569-9

書評

カルトの問題を高度な説得手法とその悪用にあるとし,読者の自己防衛を啓蒙している本.悪徳商法や宗教カルトの勧誘について具体的な手口と対策を解説している.平易でかつ実利的であり,もっと広く読まれるべき本だと考える.

著者の榊氏は社会心理学者で慶応義塾大学文学部教授.共著者の説得問題研究会は氏とともに説得効果に関する研究を行っている団体.

(1998.04.26.記)(199910.06.修正)

佐貫亦男

『人間航空史』

佐貫亦男:『人間航空史』,中公新書,1974.08.25., ISBN4-12-100370-5

書評

佐貫先生独自の視点による,人間の側から見た航空の歴史.

ライト兄弟が飛行機を発明した動機は自転車に次ぐ新商品の開発にあり,あくまで金儲けのためだったという,ドライな考察が光る.他に,さまよえるオランダ人ことフォッカーや,ボーイングなどの人物像や,事故をめぐる解説と考察などが書かれている.

『奇想からの発想』

佐貫亦男:『奇想からの発想』,PHP文庫,1988.09.16., ISBN4-596-26167-1

書評

PHPらしく,発想法ということで書かれた本.とはいえ,アイデアを出すための実利を求めるより,この本は佐貫先生の,そして技術者のものの考え方を理解するのに役に立つと思う.

特にその特徴が際立っているのは,人が死にかけるような衝撃的な体験をするとき,走馬灯のように人生の様々な場面がよみがえってくるということに関する考察.「衝撃的な入力はあらゆる周波数の波の合成であるから、出力もまたあらゆる周波数を含んだ波となる」(P.129).

人間の不思議な体験を自動制御の理論から考察するというのは,ラジカルで分かり易く,感嘆する.もちろんこれは比喩だから,現象のすべてを説明しているわけではないが.

『追憶のドイツ』

佐貫亦男:『追憶のドイツ』, P.112-113,酣燈社, 1991.05.30., ISBN4-87357-018-2, \1456+税.

書評〜ドキュソ戦〜

独ソ戦でドイツ人がソ連軍にえらい目にあわされてたのは知ってたが, ソ連に攻め込んだドイツ軍もここまでやってたのか.

90 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/05/03 16:30
>>85
ナチはスラヴ人種を劣等扱いしていたので西欧と東欧では扱いが違う。
ソ連占領計画では最初からウクライナの穀物をドイツに搬入して
北部ロシアの都市住民を餓死させ、
残りをシベリアに追放して3000万から4000万のロシア人を 絶滅させる予定だった。
フランス・オランダは単なる戦争による占領地
>ドイツはマジで占領地で強姦略奪虐殺やりたい放題
強姦はしらんが略奪虐殺はまあほんと。
ドイツが都市を占領して「ユダヤ人は○○日○○日に××に集合。
従わないものは死刑」なんて布告が出る。
で、死刑になりたくないから集まったユダヤ人は郊外に連れて行かれて、
殺される。そんなの日常茶飯事

ソ連にもスターリンに反感持ってたのがいたから, それをうまく使えば勝った可能性もなくはないとは言われていたが, ハナから無理だなそりゃ.

佐貫先生の本に,下宿の家政婦として徴用されたウクライナ娘の話が出てて それはあまり悲惨な感じじゃなかったし, 一等自営業閣下の本でも見たことなかったので, ここまですごいとは知らなかった.東部戦線てのはホントに恐ろしい.

以下がその佐貫先生の記事.1943年夏.ドイツ人の女性は, 出征していった男に代って郵便局員や車掌などの仕事に駆り出されていた.

 下宿のドイツ人女中は、通い女中を除いてみな代り、 ウクライナ娘が新しく来た。髪は黒いが、白く細い顔の娘で、 ドイツ語はほとんどわからない。用を頼むには身ぶりよりほかに方法はない。

 ドイツ軍の占領により強制徴用で連れてこられたのである。 片言のドイツ語でいうところによると、 父はオデッサの銀行に勤めているらしかった。

 下宿の主婦は容赦なしに使い、過ちがあると厳しく叱った。 そして私に説明するには

「あれはジーメンスの工場で働いていたそうですが、 女中にまわされるようでは、どうせ少し足りないんですよ」

 私の見るところでは、ドイツ人の生活の様子が分からず、 たとえば電話のスイッチの切りかたをまちがえたといって、ひどく叱られていた。 このような善意の過失でも、わざといたずらをしたといっては責めた。

 ドイツ人がいかに美点を持っていても、 このような思いやりが欠けているため他民族から厭われる。 ドイツ人はまた頭からソ連人を劣等民族とみているので、叱りようもきびしい。 ドイツ人に無事に使われるためには、あらゆる仕事の手順を先に説明させて、 もし自分の責任ではない事故が生じたときは、 管理の手落ちを猛然と反撃しなければならぬ。 これは他民族にはなかなか実行できないことである。

佐貫亦男:『追憶のドイツ』, P.112-113,酣燈社, 1991.05.30., ISBN4-87357-018-2, \1456+税.

それなりに厳しく扱われていたのは分かるが, ドイツ人の扱いにソ連人を絶滅させてやろう,という意図までは感じられない.

対称的に,ユダヤ人がどのように扱われていたかがこれのすぐ後にある. ウクライナ娘の扱いはずっとましである.

「鬼め! 地獄に落ちるぞ!」

 驚いて顔を上げると、顔見知りの日本人が三人ばかり罵っていた。 相手は銃を肩にかけた、草色の軍服に、骸骨の帽章をつけ、 黒えりの武装親衛隊員であった。いま一軒の住宅から、 よぼよぼの爺さん婆さんが引き出されてトラックに乗せられるところである。 みな黄色い布片にJと書いた標識をつけているからユダヤ人である。 腰の曲がった婆さんがトラックのステップにようやくしがみついて 上っていくところは見るに忍びなかった。しかし、 横に立っている親衛隊員は冷酷にそれを眺めているだけで手を貸してやらなかった。 もちろん日本人の日本語の罵倒が通じるはずもない。 石のような表情は骸骨の帽章の下でゆるぎもしなかった。

 私はかねて噂に聞いたユダヤ人の強制収容所への旅立ち、 そこには毒ガスと墓穴が待っているであろうが、 それをいま目の前に見ていることを覚った。

 何か声にならぬ言葉が私の口から出ようとしたが、車上の老人たちを見ると、 そのまま押しつぶされた。小さいトランクを一つずつ持って、 トラックの上に並べたベンチに身を寄せあって腰をかけ、 少しも騒ぐようすはない。あきらめているのか、 遠出のドライブに行く前の様子と変わりはない。 何の表情も見せない顔にはかえって氷のように冷たい感情がみなぎって、 亡霊の車のように思われた。私はぞっとして急いで立ち去った。

 若い男や女のユダヤ人は強制労働に連れ去られて、もう国内にいないのである。 残っているのは老人と子供だけだ。彼らにはバターも肉も配給されない。 交通機関を利用することも許されない。 病気になったらユダヤ人の医者にしかかかれない。

 これをまた住居から追い立てる。 理由は連合軍の爆撃にユダヤ人が責任を負うべきだという。 親衛隊員を責める前に、「民衆のそばに敵を見つけてやる」小さい悪魔の扇動者 ゲッペルスのいうことを聞く必要がある。彼はいった。

「よいユダヤ人と悪いユダヤ人とを区別しようと考えることが、 そもそもまちがいである。ユダヤ人の悪には例外がない!」

佐貫亦男:『追憶のドイツ』, P.114-115,酣燈社, 1991.05.30., ISBN4-87357-018-2, \1456+税.

一方,日本はどうだったかというと, 例えば渡辺洋二氏の『遥かなる俊翼』など見ると 朝鮮名の将校が司令官だったり,朝鮮人の士官がいたりする. 当時は日本人だから当然か.

対戦国の中国に対しては,30万人虐殺は向こうのプロパガンダだとしても, かなりシャレにならない悪事を働いただろうことは確か. 根本敬の漫画にもそういう話がある.

しかし,「民族浄化」なんてことはやっぱり日本人には無理.

むしろ,大卒の人員も徴兵したら一兵卒にしてしまうような, 徹底した平等主義こそ日本人の特徴だろう.これはこれで, 工場の熟練工を徴兵して兵器の質を低下させたように,けっこう危険な特性だ.

『ドイツ道具の旅 終わりに近く』

佐貫亦男:『ドイツ道具の旅 終わりに近く』,光人社, 1992.12.29.,ISBN4-7698-0643-4

書評

毎年出しておられたドイツおよび周辺国への旅行の紀行文の最終回.ここではナチスの強制収容所に関する「喪の終章」が圧巻.あと最後の「日独4人の天才」もお薦め.

収容所の見学はよほど印象深かったらしく,日大の航空研究会のご好意で拝聴させていただいた講演会でも熱く語られていた.とくにこの一言は印象的.

どんなにボンクラな政治でも,独裁政治よりはいいですね.独裁政治は必ず強制収容所を作ります.

独裁政治といっても,皆さんご存じの近所のあの国のことは触れられなかった.けれど私は伝聞を思い出してうなずいていた.もちろんボンクラでいいということもないだろうけど.

独裁国家の強制収容所がいかに酷いものかは,以下のエピソードから伺える(P.193-194).

 私はこのあとミュンヘン科学博物館内でイスラエルからきた六人ほどの年配男女ユダヤ人と口をきいた。その男性が、終戦とともに強制収容所からアメリカ軍によって救出されたといった。私は驚いて、どこの強制収容所でしたかと聞いた。彼は私の日記帳にその名を書きながら、ハラハラと涙をこぼした。私がそれを読むと、なんとこのマウトハウゼンであった。名を書くだけで落涙する。これでその恐怖がわかる。終戦時にまだ二四歳と若かったからこそ生き延びたのであろう。

ユダヤ人大虐殺はなかったなんて言ってる連中もこれくらいの情報には触れておくべきだろう.

なお,私事ながら,佐貫先生の著作は,私が工学部に進むことに大きく影響した.

追記:「終わりに近く」と書いてから約5年.1997年6月30日に佐貫先生は永眠なされました.ご冥福をお祈りします.

佐貫亦男先生,日大航空研究会講演会にて.1991年12月.

『旅と道具』

佐貫亦男:『旅と道具』,グリーンアロー出版社,1994.05.01., ISBN4-7663-3160-5

書評

旅行の道具の紹介とともに,佐貫亦男先生の旅も紹介する本.[極寒の旅]に記された,戦時中のシベリアを鉄道で横断し,日本に帰国するエピソードは圧巻.

カメラについては[写真撮影の決断]にて.戦後の佐貫先生の旅はライカIIIf,IIIg,ミノックス35ML,そしてビッグミニが同行している.先生の文章では道具を神聖視することはまずないのでライカ教にはまる心配はない.しかし私は28mmのレンズにはすっかりハマってしまった(先日(970808)ついにGR1購入).やっぱり35mmじゃ画角が狭いというのは同感.晩年ビッグミニを携行されていたけれど,あのときにティアラとかGR1とかの優れた28mmコンパクトがあればなぁとフト思う.といいつつ,ヒロミックスも使っているビッグミニも少し気になる.

『ドイツカメラのスタイリング』

佐貫亦男:『ドイツカメラのスタイリング』, グリーンアロー出版社,1996.09.05., ISBN4-7663-3189-3

書評

ブームに敏感なグリーンアロー出版が,クラカメブームに乗って出版した本.著者に佐貫先生を選んだために一風代わった本になった.なにしろこれらのクラカメの現役時代を生きてきた方なので,目線が懐古趣味ではなく現用機器のごとく実用の方を向いている.

現在傑作と評価されているM3も含めて,ライカのM型が酷評されているのは面白い.

カメラか著者のお好きな方には,ライカ・コンタックス論争を現役で体験した人の話ということで,一読されたい.

(1998.04.26.記)(199910.06.修正)



Written by Spangle Maker.