医療と代替医療とを区別する鋭い線は,科学の線である.しかし,その線は 横切ることもできる.厳密な科学的な手順で試験され,安全で効果的である ことが分かれば,どんな代替療法も本流の医療へと編入されるはずだ.それは 一線を越えたのだ.一方,本流の医療の本堂において合法的に提案され, 始められた療法でも,科学的に試験された際,実際には価値がないと分かった 場合は,捨て去られるべきである.ほとんどのそのような捨て去られた療法は, 医療研究の年代記の中の忘れられた脚注となる運命にある.しかしながら, いくつかは代替医療の実践者により引き上げられる.そのような療法は, その一線を反対の方向に超えていってしまい,擬似科学へと降下して いってしまう.
知的障害に対する精神運動性パタニング(psychomotor patterning)の手法は, そのような療法の一つである.それは30年ほど前に,大まかに言えば知能の遅れ, 脳障害,学習障害,そして他の認識に関する障害のための新しい療法の, モダリティーのための科学的概念として合法的に始められた.この手法は, 対照テストにかけられ,価値がないことが分かった.最終的に医学的な共同体が, パタニングが治療上有効な役割をもたない間違った概念として捨て去られるべき だという総意に達する1970年代初めまで,それは科学的な文献の中で討論された. しかし,このパタニング技術を使うことは,私たちの目の前にあるように, 死に絶えることはなかった.
パタニングの概念は,Glenn DomanとC. Delacatoにより1960年代に考案された. そしてそれは,時にDoman-Delacato技術として参照されるようになった.1 彼らの理論は,第一に,個体発生(有機体が単細胞から成体への発達する様々な段階) は系統発生(種の進化的な歴史)を繰り返すという古い概念を拡張したものである. このため,正常な子供の発達における腹這い,高這い,よちよち歩き,そして成熟 した歩行の各段階の神経系の発達は,直接に人の進化上の祖先である両棲類, 爬虫類,そして哺乳類それぞれに関連づけられる.2
DomanとDelacatoの知能の遅れに対する概念は,正しい系統発生の段階を経て 発達することを個体として失敗したものだということだ.このため,彼らの 療法のモダリティーは,各段階での正しい発達を刺激するように設計されている. そしてそのどの段階においても,次の段階に進むことが可能となるためには, その前の段階に熟達しなければならない,この刺激は,パタニングとして知ら れる手法を通して成し遂げられる.
パタニング療法は,患者が現下の段階の方法で繰返し動くことを必要として いる.例えば「homolateralな腹這い」段階では,患者は腕と足を曲げたの同じ 方向に頭を曲げ,反対側の手と足は伸ばして,腹這いで歩く.自分自身でこの 訓練が実行できない患者は,スムーズに行ったり来たりできるように,4〜5人 の大人の支援により,このやり方で受動的に動かされる.これは,少なくとも 5分間,1日に4回繰り返される必要がある.この訓練の目的は,正しい 「パターン」を中枢神経系に刷り込むことである.療法プログラムの全て において,訓練は感覚刺激と脳への酸素の流れを増すよう設計された呼吸訓練と, そして大脳半球の優勢を促進するように設計された拘束することと動きやす くすることのプログラムの組合せである.3
この技術に関するDomanとDelacatoおよび彼らの支持者の主張は,この治療法 を通して,知能の遅れや脳障害をもった子供達が,空間視覚の課業の領域での 発達,筋肉運動の共同,社会的な技能,そして理解力において,改善され, 正常になったものさえいるというものである.彼らはさらにその主張を拡張し, その技術で正常な子供達の発達をも促進することができるという考えまでも 主張している.4
精神運動性パタニングの理論的な基盤は,このようなわけで,個体発生は 系統発生を繰り返すという発生学者の理論と,受動的な動きは脳の発達と構造に 影響を与えうるという信念の,二つの主要な原則にのっとっている.Delacato 自身はこう書いている.「人類はよく知られるようなパターンで系統発生学的 に発達してきた.系統発生学的な過程による一般的な発生学における正常な 人間の個体発生的な発達.我々は正常な発達から外れた,(深刻な脳障害 をもった)子供を対象として,正常な動作と挙動のパターンという外因性の 負荷を課すことで,彼らに十分な神経学的な組織化を可能とした.そして彼ら は,腹這いし,高這いし,歩くという,人間本来の発達過程に戻ってくるこ とができた」3
医学的な療法は,二つの規準から評価される.理論的な基盤と,経験主義的 な価値だ.パタニングは,二つの規準ともに,科学的な共同体から排斥された. 発生学的な理論は,完全に受け入れられたことなどないものであり, 1960年代に入るまでには既に,進化学および生物学の科学者により捨て去 られている.
個体発生は系統発生を繰り返すという理論の本質的な欠陥は,進化の直線性 という間違った概念に基礎を置いていることだ.進化の線は連続的に枝わかれし, 脇道にそれ,系統関係の複雑な灌木を形成する.決して系統のはしごは直線的で はない.発生学的な発達過程は,この進化の灌木における遠方の枝の成熟した 段階を反映しない.発達する胎児の発生に関する研究もまた,代々の段階各々が 進化の祖先の姿を反映するという証拠を明らかにはしない.
「パターン」が脳の皮質の成長に刷り込まれるという信念もまた,理論的な 基盤が存在しない.脳の発達は遺伝学的に推し進められるものであり,細胞の 成長,移動,組織化,そして計画的な細胞死をも含む,複雑なシーケンスを 包含している.この過程での異常は,遺伝学的な欠陥や,毒物や,感染や, あるいは生化学的な異常により引き起こされる恐れがある.これらの本質的に 異なる原因のいずれついても,首や手足の受動的,どころか能動的な動きでさえ, 影響を与える事ができるというモデルは存在しない.30年来の神経学,発生学, そして医学の進歩は,DomanとDelacatoの原理に力を貸すことも,理論的な支援を することにも失敗してきた.
脳への酸素の供給を促進させるための,呼吸訓練を使ったそれらの実践は, 承認された理論的な基盤を欠いている.脳と心血管系は,脳細胞への酸素の 流れに最高の重点を置いて設計されている.精巧で強力なフィードバック機構は, 十分な引渡しを確実なものとしている.このケースにおいて成し遂げられる 呼吸法を通して,二酸化炭素を保持することが脳への血流を増すことは正しい. しかし,そのような増加した血流が,脳の発達の助けになるということが 信じられる理由は,まったく存在しない.
パタニングが理論的に破綻しているにもかかわらず,パタニングが神経学的な 発達を改善するという経験的な証拠がもし存在するなら,それは受け入れられ, 使用されるようになっただろう.理論的な基盤の完全な理解が欠けていても, 現代的な医療の場で採用されるよう,多くの本流において売り込みがある. 内科医は彼らの心から単独で実践し,行うべきものがあれば行う.しかし, 彼らは売り込みが実際に働き,安全であるという証明を要求する.
この理由において,パタニングはまさに引渡されなかった.60年代から70年代 初めまでのおよそ10年という時間を経てなお,療法を与えられないが,統制の ために同様の量の介護を与えられたグループに対し,パタニング療法を与えた 発達の遅れた子供達のグループにおける改善を比較するための,何ダースもの 臨床的な試行がなされている.2,5-7 ほとんどの研究が,かなりの方法論的な 欠陥をもっているにもかかわらず,いくつかは非常に良く設計されている. 完全なものは存在しないが.より重要なのは,DomanとDelacatoの主張に沿って いないということだ.いくつかの研究は,運動能力か,空間視覚において, over controlsな,控え目な改善があることを示している.知能の発達では改善 は示されていない.いくつか見つかった肯定的な結果は,印象に残らない程度の ものか,再現性がないものであった.結局,そのような臨床的な試行は,その 療法が見えない裏通りであるとして棄却されたため,止められた.この時点で, パタニングは,科学から擬似科学へとあいまいな交差点を渡っていった.
この物語の悲劇は,パタニングが誤った理論であるということに留まらない. 脳障害をもつ,または発達に遅れのある子供達に対して,最も歓迎されるどんな 合法的な治療法のためにも,パタニングが将来のあるものとして引き渡される ことがないことは惜しむべきことである.しかし,DomanとDelacatoが彼らの 主張を,彼らの理論が科学的に証明される前に,新しい劇的な療法であるとして 公表した時から,現実の悲劇が始まった.
常温核融合の大失敗を髣髴とさせるこの振る舞いは,職業的な無責任さ以上 のものである.物理学においては,そのような行いはただお行儀が悪いという だけでしかない.脳障害のある子供をかかえた,絶望的になっていた両親にこれが 届いた時,かなり残酷なことになった.DomanとDelacatoは彼らの立証されざる 主張を公表したことにより,傷つきやすい両親や彼らの苦しんでいる子供達に 偽りの希望を与えたことにより,広範に批判されていた.
しかし,この大河ドラマは,パタニングの科学的な死で終ることはなかった. DomanとDelacatoとその関係者達は,パタニング技術を取り入れた人間能力 開発研究所(IAHP)を設立しはじめた.そしてそれは,フィラデルフィアにおいて 1950年代に設立した.彼らは宣伝と,科学的な論戦と,過去の科学的な有罪の 宣告を通してさえ途切れることのない,パタニングの権利の使用を続け,現在に 至っている.
私はもう一つの公的機関,ユタ州ハンツヴィルのThe National Academy for Child Developement(NACD)にも在籍しているが,そこでは,彼らの治療法の プログラムの一部としてパタニングを提案している.NACDはGlenn Domanの甥 であるRobert Domanにより運営されている.両方の機関はそれぞれ,現在の 二人になんの関係もないことを強く指摘しているが.
1996年8月8日に,NBCは,Kathy Lee Giffordの司会で「奇跡の赤ちゃん」 というタイトルの番組を放送した.その番組には中位の知能の遅れに苦しんで いる子供の見かけ上の「奇跡的な治療」を紹介する場面があった.専門外の 報道機関に典型的なこととして,懐疑のためのヒントさえ含まずにその効力を 褒め称え,Kathy Leeは感動的に,魅力的に,しかし完全に批判することなく, パタニング技術のプレゼンテーションを配信した.NBCが背景に対する調査的 な報告と,彼らが番組に働きかけているという仲介の検証を行っているという 明らかな証拠はない.
しかし,間違った理由のために,その場面では両親に絶望は映されなかった. どんな親でも,彼らの子供が正常に発達しないことを最終的に受け入れる必要が あることにより,彼らは明らかに打ちのめされている.その絶望の中では, 彼らはどんな積極的な希望でも探している.IAHPによる彼らへの提案でさえも. しかし,彼らが購入する希望は,重い代償となってしまう.経済的, 心情的双方の.
IAHPとNACDのどちらも,パタニング療法の手法の最初の配達員として, 家族に重く頼っている.彼らの子供が積極的な治療プログラムを適用できる 段階に届くようにするためでさえ,彼らは最初に,買った品物と音響テープの セットを聞くことにより,両方の機関のために始める訓練と,進化の道順を 完了している必要がある.IAHPはその教本で,最もひたむきで有能な両親だけが, 療法の最後の段階を行い得るということを書いている.NACDはそれほどの 要求はしないが,同じような方針を追っている.
最終的な結果は,両親と患者の他の家族の生活が,パタニングの訓練, 呼吸訓練,そして感覚刺激の日々のプログラムをこなすための生活に変貌する. Kathy Leeにインタビューされた母親は,精神的および物理的な消耗の末に彼女の 人生を支配する程に,そのプログラムが要求高いものだと語った.パタニング 手法の法外な要求は,進化的パタニングの危険性(明白な損害のために, それが効果的であるという都合のよい証拠を除き,その療法が事前に勧告される かどうかを保証するべきであろう)に関する医学的な記述の中で引用される 第一の理由である.
そのプログラムはまた,その有効性での逸話的なものと科学的な進化の違い という,パタニング現象の他の重要な側面を描き出す.理解するための一つの 重要な事実は,ほとんどの子供達は,重要な知能の遅れのある子供達でさえ, 平均よりゆっくりとした曲線であってもなお,成長し,発達する.このために, 治療法のプログラムを適用されたどんな子供も,時間と彼らの自然な発達の 結果として,必然的に前進するはずだ.治療法のプログラムが完全に価値の ないものであったとしても.そのために,適当な統制下にない場合,その類の どんな治療法も評価ができなくなる.もちろん,Kathy Leeと番組でのその 子供の両親は,目にみえる進歩を報告した.しかし,治療法がいくらかでも 役割を演じたかどうかは,知ることができない.しかし,視聴者は,奇跡的な 治療を目撃したという感覚とともに,彼岸に渡っていってしまった.
NACDとIAHPの文献はどちらも,個人により結果は異なると警告する. ひたむきで有能な両親のための要求であること強調して,彼らはまた, 患者が有意な進歩をすることに失敗した場合,その責任を両親自らが負う ような状況を作り上げている.両親は今や,彼らの障害をもった子供を助け たるために不十分な感覚という付加的な罪をもってしまう.
代替医療の実践者のほとんどは,代替的な治療法の多くの異なる形式を 実践するか,少なくとも認めている.この事実による結果として,代替的な モダリティーに関して,もし人が科学を軽視するか,さらには敵視する 姿勢がある場合,他のモダリティーに対しても同様の姿勢を示すものと考え られる.もちろん,NACDが他の科学的に疑問のある実践を行っていたとしても 驚くには当たらない.
例えば,NACDは彼らのWebサイトで,食事に関する感受性もまた評価し, 試行していると宣伝している.ここでは,この複雑な問題に対して十分な 紙幅がないが,食事に関する感受性は最善の議論を尽くされねばならず, 確かに科学的な承認を欠いているということを言うに留めておく.下のサイト の囲い書きの抜粋にてはっきり書いてあるが8,三つかそれ以上の兆候を 示さない多くの子供達がいると私は疑っている.NACDもまた, 「正常生体分子論を専門とする内科医」による診察を進めている.もう一度, 私はこの記事は詮索しないが,「内科医」が誰かは本流である外部に 明快にするべきだとは言っておく.
証明されていない治療法は,直接の毒物によるまたは肉体的な被害だけでなく, 多くの点で有害だ.その効果に関して大胆な証拠のない主張を行う研究機関 による,精神運動性パタニングの促進は,重大な経済的,そして精神的な 損害を招くであろう.そのような主張は,罪と失望に常に苦しめられている ような人々に,偽りの希望を浸透させる.それを行うことにより,絶望した 両親の失望を粉砕するために,不適切というより大きい罪を負わせてしまう. その過程で,彼らの時間,エネルギー,感情,そして金銭という資産の大部分を 彼らは費やさなければならない.これらの資産,もしこの行程に彼らを誘惑した 素晴らしい主張のためでなければ彼らが決して費やさなかったであろう資産は, 彼らの他の子供達と彼らの人生の他の重要な一面から遠くに持ち去られてしまう. 彼らはまた,他の実践的な方法と,脳に障害を持つ,または知能の遅れをもつ 子供をもつという現実の家族として,心理的に理解することを受け入れること について分別をなくしてしまう.実際に,彼らが偽りの治療に従事している間は, 隔離された常態におかれるために,彼らは勇気づけられる.
Doman-Delacatoのパタニング技術は擬似科学である.なぜなら,破綻し, 捨て去られた理論を前提としている.また,より重要なのは,統制された 状況下ではいかなる有意な効果も証明することに失敗していることである. しかしながら,恐らく治療法として,それは革新的で効果的な方法である ということで提供され続けている.IAHPとNACDはそれらがしている主張を支援 することはできない.そのため,それらは悪意ある詐欺である.現行の規制は, その手の虐待を防ぐべきであろう.しかし不幸にも,FDAなどのような 公的機関は人手が不足していて,適切にそのような規制と,(無防備さ, 病気,そして絶望のために犠牲者が増えつつある)代替医療という現代的な 衣をまとったガマの油売りから,人々を守るという彼らの役割を満たすこと を施行する歯も不足している.
参考文献: