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第5回 灯台フォーラム
2008年4月26日(土)

Reported by Y. Fujiki
 2008426日(土)、藤沢産業会館にて、第5回灯台フォーラムが開催された。午後12時過ぎ、7歳から86歳までと、年齢層も様々な約60名の参加者で会場はほぼ満席となる。司会を務められたのは、元第六管区海上保安本部灯台部長であり、社団法人燈光会を退任された後もフリーとしてご活躍中の玉宮隆氏である。趣味のお能で鍛えられたという美声が会場に響き渡り、和やかな雰囲気の中でフォーラムが幕を開ける。

 灯台グッズの店『ライトハウス・キーパー』のオーナーであり、フォーラムの主催者である山口氏が、灯台を愛する人の会『ライトハウス・ラバーズ』の昨年からの活動を報告する。1999年に始まり13回を超える国内外の灯台巡りツアーは、ライトハウス・ラバーズにとっては無くてはならない行事となっている。他では味わうことのできない貴重な体験ができることも、ツアーの魅力のようだ。2007年南伊豆の灯台巡りで船上から眺めた神子元島灯台は印象的な灯台として記憶に新しい。

「神子元島灯台」は、下田港南沖11kmにある神子元島明治3年に建設された。その「神子元島灯台」を近代化遺産という観点からスポットを当てたビデオが上映される。明治時代は、西洋の技術を積極的に取り入れた時代である。近代化遺産と呼ばれる現代建築の多くは、この時代に建設されている。灯台の父と呼ばれる、イギリス人技術者であるブラントンが設計した神子元島灯台は、その近代化の第一歩を担う存在だったという。
今なお専門家や建築家から注目される明治時代の建築物は数多くあるが、この荒波に朽ちた白黒の灯台を近代化遺産として思い浮かべる人は稀なのではないだろうか…。

 そんな想いを誰よりもリアルに感じているだろう人がいる。写真家の野口毅氏である。建築写真を中心に撮影活動を続けていた野口氏だが、灯台の建築物としての美しさに魅了され、数年前から仕事の合間に灯台の写真を撮り始めたそうだ。今回は、彼のプロジェクトである『明治時代の保存灯台66基』のうちの一部を、スライドショーにて紹介してくれた。

 明治時代の灯台に趣があるのは、明治以降の灯台がコンクリートでできている一方で、石、レンガ、木で造られているためだという。ホルンが奏でるバッハの心地よいBGMに乗せて、美しい灯台とその周辺の風景が次々と映し出される。下から見上げた螺旋階段、巨大なレンズ、逆光に浮かび上がる迫力のある姿、点灯直後のレンズと空の色のコントラスト等、灯台の持つ意外な表情にハッとさせられる。要塞の跡や野原で戯れる馬など、灯台ある立地ならではの風景にも野口氏のこだわりが感じられる。会場は美しい写真の数々に息をのむかのように静まり返る。野口氏の口から淡々と語られる撮影時の裏話も興味深い。アクセスの悪い金華山灯台に折りたたみ自転車がボロボロになるほど苦戦して辿りついたこと、フレネルレンズが大きくてフレームに入りきらないこと等、生の体験談が目の前の写真をいっそうリアルなものにする。灯台がこれほど様々な表情を持っていたとは、知らなかった人も多いのではないだろうか。スライドショーが終わると、会場からは大きな拍手と感嘆の声が上がった。

 

 野口氏と同様、明治時代の灯台に特別な想い入れのある方がいる。近代化遺産の一つである犬吠埼灯台の研究および保存活動を行う『犬吠埼ブラントン会』の代表幹事を勤める仲田博史氏である。今年、3月末に犬吠埼の霧笛が廃止になった。そのことを受けて、「Lost Sound、百年の吹鳴ここにきわまる」というテーマで、音波信号である霧笛の歴史やメカニズムについて、ご自身の熱い想いを織り交ぜながらお話してくれた。犬吠埼の霧笛は、明治43年4月1日に設置され、98年間もの間、船の安全を守り続けた。日本最後のエアサイレンである霧笛が廃止された理由としては、技術の進歩、灯台の無人化によって手動の霧笛が鳴らせなくなったこと、そして、音達距離が短く、音の方向が確認しづらいという霧笛の持つ弱点が挙げられる。圧縮空気が吹鳴器を通ることによって音を発する霧笛。霧笛の音とは一体どんな音なのだろう?会場の期待に応えて、仲田氏が録音した霧笛の音を披露してくれた。牛の鳴き声によく似たその音は、むせび泣くような切ない余韻の残る音だった。霧笛の歴史を遡ると、鐘、銅鑼、爆発信号に始まり、実に様々な方式の音波信号が存在したことがわかる。発動機の歴史や戦前の霧笛機械など、仲田氏の研究は詳細に渡り、奥深い。当時の写真を投影しながら語る仲田氏からは、霧笛によせる情熱が伝わってくる。講演の最後には、「最後の霧笛によせる想い」と題してNHKが犬吠埼の霧笛と地元の人々の想いを紹介した番組のビデオが上映される。仲田氏を含む、銚子の人々が、鳴らし納めとなる霧笛の音を神妙な面持ちで聞いているシーンが印象に残る。地元の人々にとって、霧笛の音は生活の一部であり、様々な思い出と共にある存在だったに違いない。今後は、国の文化財として霧笛を現状のまま保存する試みを始め、移設保存、部分展示、音の録音など、様々な形で保存支援活動を続けてゆきたいという仲田氏。講演を締めくくる力強い言葉に、会場からは大きな拍手が起こった。

 灯台を巡るノンフィクションに想いを馳せた後は、ガラリと雰囲気は変わって、フォーラムの舞台はフィクションの世界へ…。絵本『おばけ灯台』を製作した、きむらみほさん、奈浦なほさんの姉妹である。妹のきむらさんが絵を、姉の奈浦さんが文を担当している。灯台との出会いは、生まれ育った湘南に足を運んだ際、偶然訪れた江ノ島のライトハウスキーパーだったそうだ。『おばけ灯台』は、子供が不安と向き合い、やがて自分自身のありのままの姿を受け入れて進んでゆくというストーリー。おばけとは、自分の中のおばけ=他人とは異なる自我である。そして、灯台は、象徴的な存在として描かれる。孤立感を抱えた子供たちは、おばけの集まる灯台にたどり着き、やがて自分の中のおばけを受け入れて旅立って行く。灯台は、その道を照らす優しい理解者のような役割を果たしている。

 きむらさんは、三浦半島の剣崎灯台をはじめとする数箇所の灯台に実際に足を運び、イメージを膨らませたそうだ。きむらさんが披露する原画には、暗闇に浮かび上がる白い灯台の圧迫感、下から見上げた螺旋階段が表す気の遠くなるような心情などが、実に効果的に描かれている。これまで、講演者の多くが、灯台を美的観点や文化的な観点から語ってきた。灯台の象徴的な側面にスポットを当てたのは、おそらくお二人が初めてだったのではないだろうか。灯台の魅力は実に幅広く、人の心を照らしだす象徴的な存在でもあることに、あらためて気付かされたような気がした。

 フォーラムの最後を飾る講演者は、かつて、おばけ灯台から旅立った子供だったかもしれない。松田隆氏は、樺太(現在のサハリン)、知来岬灯台で生まれた。

 元海上保安官であり、灯台守である父親は、恵山岬、宗谷岬、塩屋埼など、12箇所の灯台に勤務したという。そのうちの5箇所の灯台で、家族と共に生活したご自身の記憶と灯台守の仕事について、当時の写真を紹介しながら語ってくれた。冬場はマイナス20℃という過酷な環境で生まれた松田氏は、終戦後、家族とともに函館に移る。時代は、昭和18年〜20年。母親の記憶によると、昼間の発砲射撃を避けるために、ソ連軍に連れられて、夜の間に港へ向かったそうだ。函館からバスで一時間くらいの場所に、恵山岬灯台は位置する。松田氏の記憶に残る最も古い灯台である。当時の恵山岬灯台と現在の灯台がスクリーンに映し出される。当時の灯台には、霧笛室、事務所、そして官舎が立ち並び、建物の間には洗濯物が干されている。今では目にすることのない生活の営みの感じられる灯台の写真に、会場は釘づけになる。現在の恵山岬灯台からは、モノクロの写真にある灯台以外の建物は壊され、鉄塔と灯台のみが当時の面影をかろうじて残している。恵山岬灯台で生活する松田少年は、町のはずれの小学校まで片道一時間弱の道のりを毎日歩いて通っていたそうだ。日が暮れる中、熊や狐のいる林の中を不安な気持ちで延々と歩いてゆくと、やがて灯台の光が見えてくる。その光を見ると、ホッとして一目散に走って帰った。そう当時の様子を語る松田氏。灯台の生活を知らない現代人にとっては、まるで映画のワンシーンのように浮かんでくる長閑な光景だが、現実は映画のように生易しいものではなかったようだ。

 次の赴任地であった利尻島の鴛泊灯台の生活がその厳しさを物語る。冬の間は、岩山に建つ鴛泊灯台から凍る道を、父親が先頭になって兄弟皆で四つん這いになって学校へ通い、そりで斜面を転落しそうになったこともあったという。スクリーンの写真からは、共同生活の賑やかな様子もうかがい知ることができる。お正月に着飾って撮った写真、おかっぱ頭の子供たち、そして、鴛泊から出発する連絡船で別れを惜しむ人々…。町から孤立した灯台での生活は、不自由なことも多く、我々の想像を超える厳しい生活だったに違いない。その反面、松田氏の紹介するエピソードや写真のどれをとっても、人と人とのふれあいや温もりが溢れている。昆布を干したり、レンズを磨いたりして親を手伝ったという灯台の子供たち。モノクロの写真の中の子供たちは、厳しさの中で助け合いながら生きることを自然に楽しんでいるように見える。人と人のつながりが希薄な現代を生きる子供達よりも、本当の意味で幸せなのではないかとさえ思える。

 松田氏は、講演の最後に、『喜びも悲しみも幾年月』のラストシーンを映像で紹介してくれた。灯台に灯を入れて、船の安全を祈りながらお互いのことをいたわり合う夫婦の様子が、松田氏のエピソードと重なる。

 船を守ることは、かつて灯台守に託されていた。今、現代人の私たちに託されているのは、灯台を守ること―壊れゆく古き良きものを残すこと、そして、人と人の間に存在した温もりを取り戻すことかもしれない。松田氏の講演は、そんなメッセージをフォーラムの最後に残してくれた。そして、松田氏同様、灯台守のご家族を持つ参加者からのコメントが、そのメッセージをより強いものとし、フォーラムは幕を閉じた。







第4回 灯台フォーラム
2007年4月21日(土)

Reported by Y. Fujiki

 2007年4月21日(土)江ノ島の女性センターにて、第4回灯台フォーラムが開催された。海の安全を守る灯台を、文化的及び美的観点から考えるこのフォーラムの認知度も年々高まり、今回は全国各地から70名を越える参加者で賑わった。
その顔ぶれも多種多様。海が大好きな方々を始め、海上保安庁に勤務される方、灯台守を親に持ち子供時代を灯台の官舎ですごした方、灯台画家、写真家、灯台をモチーフにした雑貨を作るアーティスト、灯台巡りを趣味にする方等、「灯台」というひとつの共通点を持つ様々な人々との出会いも、このフォーラムの楽しみである。

 12時半、春の心地良い日差しの中、フォーラムの幕開けとなる。ライトハウスキーパーのオーナーであり主催者である山口氏が伊豆半島の灯台巡りやアメリカ東海岸の灯台巡りツアーを始めとするライトハウスラバーズ(灯台を愛する仲間)の活動を紹介。
元灯台守である講演者にちなんで「最後の灯台守」についてのドキュメンタリー映像が上映される。昨年、日本で唯一の有人灯台であった長崎県の女島灯台が無人化された。灯台の無人化はニュースにも取り上げられているが、その灯台と共にある人々のドラマは意外と知られていない。そんな想いを託して、今回は元第六管区海上保安本部灯台部長である玉宮氏を迎えた。玉宮氏が初任されたのは、昭和37年の岩手県トドヶ崎灯台。その後、海上保安庁灯台部、航路標識測定船「つしま」での遍歴を経て、平成12年に第六管区海上保安本部灯台部長をご退任。社団法人燈光会を退任された現在は、フリーとして多忙な日々を送りつつ、ライトハウスラバーズの頼りになる大御所的存在である。周囲6キロに狐と狸しかいない大自然と向き合う日々、一日水瓶一杯という貴重な水を家族で分け合っていたこと、不自由だったトイレのこと。玉宮氏がユーモアいっぱいに語るエピソードは、苦労のない現代社会しか知らない多くの参加者にとっては驚く話ばかりで、会場からは笑いと共に感嘆の声も…。ところが、どのエピソードにも暗い影はなく、苦労を苦労とは思わずに跳ね飛ばしてしまうような、当時の人々の逞しさや明るさに溢れていた。又灯台が政治に巻き込まれてしまう一面があること、アメリカと日本の灯台行政の違いなど、興味深い事実も印象的だった。

 日本の海を守る人々のドラマの次は、太平洋を越えて舞台はアメリカへ。現在上映されているアメリカ沿岸警備隊を舞台にした映画「守護神」の予告編が上映され、元アメリカ沿岸警備隊員のジョン・ステモンズ氏が登場する。奥様による息の合った通訳で、沿岸警備隊として五大湖の灯台を管理していた当時の経験を語ってくれた。特に印象に残ったのは、冬の凍てつく嵐の中、前後に真っ二つに折れた船から冷たい湖に放り出された15名の乗組員全員を命がけで救助したというサクセスストーリー。危険と隣合わせの生々しい経験を熱弁するステモンズ氏からは、コーストガードという仕事に対する誇りと情熱がひしひしと伝わり、会場は圧倒されたように話の釘付けとなる。又、時折会場を巻き込むように、質問を投げかけるシーンも見られ、五大湖で沈没した「エドモンド・フィッツェラルド」を知っているかとの問いかけに首を振る会場に対して、「本当に皆灯台好きなのかい?」「誰も知らないようだから、話をでっちあげてしまおう!」とおちゃめなジョークで会場を笑わせてくれた。

 灯台と一心同体のような人生を送られてきた玉宮氏とステモンド氏の興味深いお話の後は、がらりと視点が変わり、今度は灯台を美的観点から見る後半の部へと移る。灯台が作る光と影に魅了されて、アメリカ東海岸の灯台を描いたエドワード・ホッパー。ホッパーの愛した灯台画の謎に迫るエピソードを紹介したビデオ上映が行われる。灯台を美的観点から見るというのは、多くの日本人にはぴんと来ない概念かもしれない。ところが、感情移入された絵画を目前にしてみると、その建造物としての美しさと興味深さにうなずく人も多いのではないだろうか。そんな魅力を野山にひっそりと佇む油絵の灯台と共に伝えてくれるのが、灯台画家の徳野氏である。16才の時に潮岬灯台と出合い、樫野崎灯台を訪れた昭和47年以降、モチーフを灯台一本に絞り、約30年にわたって描き続けているという。長年にわたる全国各地の取材や個展を通じて、地元大阪の漁師の方々から長島茂雄氏まで多くの恩人に出会い、支えられてきた画家人生について思い出を辿るように語ってくれた。灯台の美にこだわり続ける情熱が人々を集めるのではないだろうか。「将来は灯台の近くに美術館をつくり作品を展示したい」という徳野氏の語る夢に、会場から賛同の拍手が起こる場面も見られた。

 フォーラムの最後を締めくくってくれたのは、フォーラムではお馴染みの寺嶋氏の灯台巡り紀行である。ヨーロッパ各地の灯台を訪れ、撮影を続けている寺嶋氏。その数はすでに数百箇所というから驚きである。今回はフランス編。フランスで最も高くて美しいことで知られるコルドゥアン灯台の内部は、まるで聖堂のようだと語る。寺嶋氏の灯台紀行からは、灯台から垣間見ることのできるそれぞれの土地の文化や風土が興味深く印象に残る。「エジプト、アレキサンドリアのファロス灯台の遺跡をいつか訪ねたい」と今後の抱負を語ってくれた。
午後16時半、陽も傾きかけた夕暮れ時の江ノ島。知的好奇心や創作意欲を刺激されて、お腹もすいてくる頃、参加者は懇親会会場へ…。講演者、参加者、そしてスタッフの全員が気さくな雰囲気の中、飲んで食べておしゃべりに花を咲かせる。ライトハウスラバーズは20代から80代までと実に年齢層が広い。灯台を愛する気持ちはジェネレーションギャップを越えて、不思議な親近感を生むようだ。懐かしそうに再会を喜び合う光景も見られる。くじ引きの景品に一喜一憂する声、そして「灯台守の歌」の大合唱に会場は盛り上がり、やがて江ノ島に夜のカーテンが降りてくる。

 賑やかな面々と別れを告げ、見上げるとそこには見慣れた江ノ島灯台が…。近代的な灯台が光を放つ姿を背に、ふと灯台に想いを馳せる。
有人であった時代の灯台の明かりは、今よりもずっと人の目に強く温かく光っていたのではないだろうか…と。





第3回 灯台フォーラム
2006年3月25日(土)

2006年3月25日(土)、民間の灯台を愛する人たちの会、
「ライトハウス・ラバース」主催の第三回灯台フォーラムが
江ノ島かながわ女性センターにて開催されました。
灯台を文化的、歴史的、そして美的観点から見つめ、
語り合うことを目的としたこのフォーラムは、2004年にスタート。
毎年全国各地から様々な職業と年齢層の方々が参加し、
その数は年々増加傾向にあり、灯台好きの人々の交流及び
灯台文化普及の場として恒例の行事となりつつあります。
今年も実に個性豊かな4名の講演者の方々に恵まれました。


 フォーラムの最初を飾って頂いたのは、海上保安学校灯台課を卒業後、襟裳岬灯台、とどヶ埼灯台、犬吠崎灯台などの勤務を経て、平成16年銚子海上保安部航行援助センター所長を退任されたという経歴をお持ちの鈴木照秋氏。親子2代で灯台守をされてきた40年間の思い出を当時の時代背景を織り交ぜながら、感慨深い面持ちでお話してくださいました。初めて船からの交信を受けた時の緊張感、襟裳岬を大きな荷物を抱えて訪れる「かに族」と呼ばれた若者達(現在で言うバックパッカー)の様子、能登半島はじめ各地の伝統や文化に触れた体験など、厳しい灯台守というお仕事をされてきた中、各地の人々との温かい交流を垣間見ることのできる素敵なお話でした。


 そして、日本を代表する映画としてあまりにも有名な「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌をはじめ、「伊豆の踊り子」、「野菊の如き君なりき」、そして最近では水戸黄門の主題歌「水戸黄門漫遊記」の作曲家である木下忠司氏からは、撮影中や作詞、作曲中の貴重なエピソードの数々と九十歳というご高齢とは信じがたいようなユーモアのある軽快なお話し振りに会場が盛り上がりました。一週間後に控えているロケのために、俳優が簡単に覚えられる曲を作るように依頼された木下氏。それに応え、ほんの1日か2日で楽に書き上げて意外にも大ヒットしたのが「喜びも悲しみも幾年月」だ…というエピソードには、気取りのない飄々としたお人柄が表れており、会場からは笑いがこぼれました。そして何より映画監督であり実兄である木下恵介氏との素晴らしい信頼関係が、歴史に残るような良い作品に結びついたのだということをあらためて感じ取ることができました。

 今回のフォーラムでは、映像を取り入れることで参加者の皆様にイメージを膨らませてもらうという試みを取り入れたのですが、「喜びも悲しみも幾年月」の部分的な映像は、古くからの灯台守の生活を知る参加者にとっては、感慨深く、暫しノスタルジックな気分に浸る時間となったようです。又昨年上映されたフランス映画「灯台守の恋」の予告編は、断片的ながら、海中にそびえ建つジュマン灯台での厳しい灯台守の生活が伝わる美しい映像で、会場が静まり返りました。

 そして、まさにジュマン灯台を含めたフランスの灯台巡りを現在計画されているのが、今回で2回目の講演になる寺嶋正泰氏です。日本各地の灯台巡りから始まり、東南アジア、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地の灯台をご夫婦で訪れ、ここ数年はヨーロッパの灯台に魅せられているとのこと。今回は「ヨーロッパの灯台事情」について、デンマークの灯台を中心にスライドで写真を交えながらお話しして頂きました。形も色もユニークな灯台の数々は、どれもデンマークという国の異国情緒を感じさせられるものばかり。特に、砂の侵食を受けながら砂地に建つ灯台には、芸術的な印象さえあり、灯台の建造物としての美しさに会場は釘付けとなりました。


 陸から数々の灯台を眺め続ける灯台博士の寺嶋氏の次にフォーラムのアンカーを勤めてくださったのは、海から灯台を眺め続けるヨットマンの田久保雅己氏。田久保氏は、大学時代にヨット部に所属され、主将としてクルージングやレースで活躍され、ご卒業後は雑誌「KAZI」を中心とする出版業務に従事。現在は株式会社舵社の常務取締役編集局長をされている。25カ国をヨットで巡った体験談は、聞いているこちらまでハラハラドキドキとするような緊迫感と共に、海から見る灯台の偉大さが実にリアルに伝わってくる内容でした。
しけの中で、漁師に教えられた方向に必死の思いでヨットを何時間も進め、やっと灯台の光を見たときの気持ち―「母の導きのような優しさ」、「頼りになる兄貴の『こっちだぞ!』という声」―という表現が大変印象に残りました。そして、「海から見る灯台の風景は、無国籍である」という田久保氏と木下氏の両氏から発せられた言葉には多くの参加者が共感したようです。


 講演終了後は、海に面した江ノ島ならではの立地、懇親会の会場である「レストラン カイ」へ移動。燈光会の玉宮孝氏のご祝辞、犬吠埼ブラントン会代表幹事の仲田博史氏からの乾杯のご発声とともに懇親会の幕があがり、この日を楽しみに遠方から参加された常連の方、ライトハウスキーパーのお客様として初参加の方、共通の趣味の和を広げようと参加された方など、実に様々な参加者の方々が交流を深める賑やかな宴となりました。


 そして、今年もフォーラム懇親会の最後を締めくくった「喜びも悲しみも幾年月」の合唱。
この曲には、有名な映画音楽だというだけでは語りつくせない、灯台に携わってきた人々の深い想いがあるということを、私自身(スタッフでありながら)今回のフォーラムでお聞かせ頂いたエピソードを通して初めて知った思いがします。

 特に印象的だったのが、懇親会の後の三次会の席で、昔ながらの知り合い同士と思われるお二人とたまたま同席した際、偶然耳にしたエピソードです。大谷氏と松田氏は、意外にも第二回灯台フォーラムを通して出会ったばかりの「親友」でした。そして、出会ったばかりのお二人を瞬時に親友に変えたのは、松田氏が辿っていた灯台守であるお父上のルーツと、燈光会の玉宮氏の記憶だったそうです。昭和20年代半ばに北海道の恵山岬灯台で灯台守として勤務されていた松田氏のお父上。そして、その厳しい灯台での勤務と官舎での生活を共にしていたのが、当時新婚だった大谷氏のお父上でした。樺太(サハリン)の灯台で生まれて横浜で就職された松田氏と北海道の白神岬灯台で生まれて海上保安庁に勤務されている大谷氏は、数十年の後、まるでお二人のお父上同士が引き寄せたかのように第二回灯台フォーラムで出会い、今もなお、当時の灯台での思い出話、苦労話、お互いのご両親の話など、話は尽きることがないそうです。

 フォーラムを通して、新しい出会いと感動を求めてゆきたいと語る松田氏。そんな彼の言葉を受けて、灯台の歴史と共にある「人の歴史」を伝えてゆく場として灯台フォーラムが定着してゆくことを祈りつつ、第3回灯台フォーラムのご報告を終わらせたいと思います。講演者の皆様をはじめ、参加者の皆様、今回も灯台フォーラムを盛り上げて頂きどうもありがとうございました。

   ライトハウスラバース  スタッフ 
藤木裕子


 




第2回 灯台フォーラム
2005年4月23日(土)

4月23日(土)に江ノ島、かながわ女性センターにて
第二回灯台フォーラムが開催されました。
参加者はなんと65名、老若男女、さまざまな人々が一同にあつまり
皆の関心のまと、灯台についてのお話を伺いました。
講演者も多彩で銚子市のプラントン会会長仲田さん、
海上保安部航行援助センタ ー長の天野さん、
「遠い海までてらせ」でおなじみの童話作家青木さん、
そして国 際ヨットレースに多数出場の白石さん等に
楽しいお話をお聞きし、皆大満足でした。
フォーラムの後は恒例のパーティ、ヨットハウスにてのめやうたえの大騒ぎ!
特にシンガーソングライターのKaruuさんの素晴らしい歌の後は、
彼女の伴奏で 皆で喜びも悲しみも幾年月を大合唱、
老いも若きも肩を組んで大いに盛り上がり ました。
最後はライトハウス・キーパーからの
プレゼントをいただき帰路についたのでし た。

灯台太郎






第1回 灯台フォーラム
2004年3月7日

江ノ島の女性センターにて33名の参加者で開催されました。
宮城の寺嶋さん、海上保安部の幕田さん、
北海道の山崎さん、逗子の三野さん、
それにビデオでエドワードホッパーと灯台も上映されました。
各講演者はそれぞれがそれぞれの切り口で灯台への
思いを語っていただきすごく勉強になり大感激でした。

また、燈光会様からはいろいろと資料のご提供もあり、
皆さん大喜びでした。
後半はヨットハウスにて会食、懇親会がひらかれ、
ノミニケーションも進み、お友達もたくさんでき、
最後はビンゴゲームで空クジなしで皆さん、
景品をお持ち帰りいただきました。
ぜひ秋には第二回を開催したいと考えています。

灯台太郎





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