パリ便り 2
                        江中直紀


 ごぶさたしました。こんなところで小忙しくしていてもしょうがないのですが、なにしろひさかたぶりの「休暇」ですし、遊ぶのに小忙しい状態がつづいていました。フットボールの EURO 2000がおわれば自転車のトゥール・ド・フランス、わたしはちょっと色川武大さんに似たところがあって、選手いちいちの名や背景があたまにないとおちつかない性分で、TVをみながらメモをとったり、そんなことにも時間をとられてしまいます。
 それにしてもスポーツ番組をみていて、いまさらながら、フランスの、ヨーロッパの「ナショナリズム」にうんざりしました。日本でもやはり自国の選手を応援するのでしょうが、こちらはどこか異質ですし、はるかに強烈です。例のサッカーのサポーターたちなど、紋切型をつかえば擬似戦争のようなものです。これはいくらヨーロッパ統合がすすんでもかわらないでしょう。
 もうひとつ、フランスはずいぶん信者(じっさいにミサにいく信徒)が減っているのですが、神ないしは「神」ということばが生きていることです。EURO2000の決勝で、終了数十秒まえにフランスが同点ゴールをあげたとき、アナウンサーがいかにも感にたえないといった調子で、神さまはやはりどこかでみていらっしゃるのかもしれない、と口ばしったのには思わず笑ってしまいました。相手のイタリアの空には神はいないとでもいうのでしょうか。あの一瞬をのぞいて、89分間、イタリアは完璧なサッカーをやっていたのです。スペインともなればさらにカトリックが生きていますから、こんどのゲームで活躍したポルトガルのルイス・フィゴを、レアル・マドリッドがFCヴァロセロナからひきぬいたときにも、ヴァロセロナのクラブの会長が激昂して、口さきだけヴァロセロナにとどまりたいといいながら、金に目がくらむなんて、フィゴはぜったいに神の赦しを得られないぞ、とののしりました。
 ヴァロセロナとマドリッド相互の敵愾心……そう、「ナショナリズム」と書きましたが、いわゆる「国家」ではなくて、もっとなにかローカルなもの、土着性のようなものが根幹にあるのかもしれません。
 たとえばフランスでいま、コンコルドの墜落事件とならんで、コルシカの話題が連日ニュースのトップになっています。ジョスパン首相の提案のうち、コルシカ議会に一部の立法権をあたえる、というところがいちばんの問題で、これがそのまますんなりとおるかどうかわかりません。しかしとにかく提案がなされたとたん、ブルターニュをはじめ、あちこちの地方分権派が騒ぎだしました。連続テロのスペイン側バスク独立運動とはことなり、いたって平和的なフランス・バスクの代表者も、コルシカのように爆弾テロをやれば分権をみとめるのか、といいだすしまつです。風貌にもバスク的なところはすこしもなくて、ことばも典型的なエスタブリッシュメントのフランス語ですから、ニュースの画面でみていて奇妙な気分になります。彼はもちろんバスク語もしゃべるのでしょうし、コルシカ、ブルターニュにもやはり言語の問題があるのですけれども。
 日本の場合、アイヌはもう無理だとしても、沖縄の独立運動を考えているひとたちはいないのでしょうか。これもTVでサミットの報道をみていて、そんなことを思いました。