旅と創作 星野智幸+宮内勝典 ![]() ☆吹きさらしのなかの単独者 ●宮内 星野さんは生まれはロサンゼルスですね。 ●星野 ええ。父親の仕事の関係で住んでいたんですが、二年半ですから、記憶はありません。 ●宮内 じゃあ、二重国籍なんですか? ●星野 若いときはそうでした。 ●宮内 ぼくはまだアメリカの永住権を持ってるんですよ。アメリカのパスポートを申請したことありますか? ●星野 はい。学生のとき、初めてヨーロッパ旅行に行く際にアメリカのパスポートを使おうとしたんですが、成田の税関で「出国はできるけど、日本人だと証明するものがないわけだから、帰ってきても入国はできないよ」と言われて、すごすご引き返した経験があります。ただそのときは、戸籍謄本を持ってくれば入国できるという特別措置をとってくれて、翌日、何とか出国できましたけど。 ●宮内 そうですか。ぼくもずっと以前、ヴィザのことで大変な思いをしたことがあるんですよ。ニカラグアへ密航したことがひっかかって、アメリカにいられなくなってしまったんです。弁護士に相談したら、ぼくのパスポートをぱらぱらめくりながら「きみはスパイ容疑がかけられている」と、まじめな顔で言うんですよ。たぶん電話も盗聴されているはずだから、「私に相談事があるときは絶対に電話は使わないように」と釘をさされました。よく考えると、ニカラグア先住民のゲリラ組織のリーダーから、しょっちゅうコレクト・コールがかかっているころでしたから、盗聴されているとしても不思議ではない。 結局、ヴィザはだめになって、パリへ行ったんです。パリのアメリカ大使館でヴィザの申請をしたけれど、発行してくれない。妻子をニューヨークに残していますから、どうしてもヴィザを取らなければならなかった。それでリスボンに行って申請したけれど、やはりだめだった。その大使館員が武士の情けといった眼差しで、コンピューターからプリントアウトしたぼくのデータを斜めにして、さりげなく、ちらっと見せてくれた。そしたら全部出ているんですよ。ぼくが税金をいくら払っているか、どれほどひんぱんにアメリカを出入りしているか、妻子のヴィザがいつ切れるとか。そして大使館員はこう言った。 「きみは世界中、どこのアメリカ大使館で申請しても、だめだ。解決方法は、一つしかない。東京のアメリカ大使館にかけあって、このデータを消してもらうことだ」 そこで地球を半周して、東京にもどって、いろんなつてを頼って、アメリカ総領事に個人面談するところまでこぎ着けた。そしてスパイでないことを、いろんな形で証明して(笑)、ようやくヴィザを再発行してもらったのです。 ●星野 国籍のない国からの亡命者になりかけたんですね。ぼくは自分がアメリカ国籍を持っていることが不可解で、子どものころは半ば恥じるように隠していました。国籍や土地がアイデンティティに結びつかなかった。 ●宮内 でも、そのようなアイデンティティの複雑さが、星野さんの文学を生みだしている。『ぼくは始祖鳥になりたい』の反応を見ていて気づいたのですが、この作品に関心を持ってくださった人はほとんど国の外で、吹きさらしのなかに単独者として立ったことのある人たちでした。星野さんもぼくの小説に反応してくださった。経歴を見ると、ロサンゼルス生まれで、メキシコ留学とあった。ああ、クレオール的なものが身に染みている人だろうな、と思ったのです。 ●星野 読む前から、胸を掻きむしられるようなタイトルが気になってしようがありませんでした。単行本化されて読んだとき、ああこれで中上健次なき後の日本語文学は大丈夫だと、救われた気がしました。中上健次が死んでからは文学が文学として成り立っているとは思えなくて、それは言葉が人と人の深い部分で通じていないという事態と同根だと思うのですけど、『ぼくは始祖鳥になりたい』を読んで久しぶりに体に言葉が沁み通っていくのをぼく自身が感じることができたのです。 ぼくが二十代半ばだったら、ジローに倣ってアメリカ大陸を縦断しようと考えたかもしれません。最近、外国を何となく怖がって旅行したがらない若い世代が増えているという新聞記事を読んで、猿岩石のブームは何だったんだろうと思いました。あのころは、「武勲」を自慢たらしく語るために放浪に出る連中が多くて辟易したけれど、出ないより出たほうがずっといい。 ●宮内 その通りですね。でも猿岩石は、ところどころ飛行機に乗って中間を飛ばしてるでしょう。あのやり方じゃ通過できない地域がある。でも、かれらが途方にくれて必死な顔するでしょう。ぼくはあの表情が好きだった。星野さんは、なぜメキシコへ行ったんですか? ●星野 自分の無意識を覗き込みたかったんだけど、日本にいては限界があると思ったんです。日本というものがどこまで自分の中の根本的な存在条件となっているのかを知りたかったし、もし日本が絶対でないのなら亡命できる場所を作っておきたかった。それでその当時のめり込んでいたラテンアメリカ文学とサッカーが決め手となって、メキシコを選びました。 ●宮内 ぼくもメキシコが好きで十回ぐらい行ってます。アメリカで働いて少し金が貯まるとメキシコへ行っていた。アラメダ公園の近くに「モンテカルロ」という安いホテルがあって、D・H・ローレンスの愛人が経営していたホテルですけど、いつもそこに月ぎめで部屋を借りて小説を書いてたんですよ。 ●星野 「モンテカルロ」にはぼくも泊まりました。宮内さんが行かれたのは、もしかすると六十八年のトラテロルコ事件のころかもしれませんね。メキシコ・オリンピック反対のデモ行進をしていた若者たちが、軍によって三方を囲まれた広場に誘導され、いきなり虐殺されたという、メキシコの天安門事件です。広場を囲む高層マンションに逃れた者たちも、その晩のうちに一人ひとり引きずり出されて殺された。しかも、翌朝には広場はきれいに片づけられ、公式には何も起こらなかったことになっている。これに抗議して当時インド大使だったオクタビオ・パスが辞職したりしたんです。 ●宮内 その事件は知りませんでした。ほとんど報道されてないんじゃないですか。チアパス州の事件も、もしインターネットがなければ、何事もなかったことになってた可能性が高い。あっという間に鎮圧されて、虐殺があったことも揉み消されたかもしれない。ぼくはメキシコ先住民のラカンドン族に関心があって、あの事件の一年ぐらい前、ラカンドン族救援のグループと接触したんですが、そのときマルコス副司令官と会っているかもしれないんです。いまは覆面をしているけれど、よく似ているんです、あの覆面からのぞいている顔が。それでインターネットを始めたとき、まっさきに検索したのが「サパティスタ」でした。星野さんが留学していた大学には、先住民もいましたか? ●星野 メキシコ・シティはメスティソが多いですから、生粋の先住民といった人とは知り合いませんでしたが、支援活動をしていた学生に連れられて、出稼ぎの先住民の家に行ったりはしました。彼らは行政を信じていませんから、そのような者同士の協力システムが実にしっかり作られている。誰が信じるに値せず、誰が信用できるかを見分けられるし、その境界をはっきりさせてあるんですね。だからあれほど腐敗の激しい社会でも、信頼は生きている。 ☆アイデンティティを相対化せよ ●星野 宮内さんはおいくつのときに日本を出られたのですか? ●宮内 二十二のときです。十八のとき、すぐ日本から出ようと思っていたのですが、まだ日本のことをなにも知らないでしょう。それで、しばらく国内を歩いていたんですよ。ぼくも外国というか、植民地で生まれたんです。でも、なにも記憶がない。そして、もの心がついたときには南九州にいる。なぜ自分がここにいるのかわからなかった。なにか世界に対して「時差」のような理不尽なものがあった。「日本人」ということに、うまくアイデンティファイできない感じでした。そのころ地球儀が好きで、いつもぐるぐる回しながら、この惑星はどのくらいの大きさなのか実感でつかみたいと思っていました。それだけは知りたかった。ほかのことは本を読めばわかると思っていた。それで大学に受かったと親にニセ電報を打って、入学金ですぐ日本から出ようと計画していたんです。そうして金はせしめたのですが、彼女ができちゃったりして(笑)。 ●星野 ぼくもなぜ自分はここにいるのだろうという違和感に、小学生のころから悩まされてきました。記憶にもないアメリカ生まれというルーツにリアリティは持てないし、転勤族で帰る田舎もないし、土地から見放されてあちこち転々としているのは不幸なんじゃないかと思いつめたりしましたが、そんなときよりどころとしたのが外国文学でした。ぼくは、日本の小説より外国の小説を読むことのほうが圧倒的に多かった。ここではない場所が他に無数にあるとわかると、気が楽になったのです。 宮内さんが国内外を歩いたのには、ヒッピームーブメントの影響はあったんですか? ●宮内 ビート・ゼネレーションの影響のほうが強かったと思います。高校生のころから読んでいたし、友人たちがアレン・ギンズバーグや、ゲーリー・スナイダーと親しくしていましたから。それで片道切符で日本を出ちゃったんです。ロサンゼルス空港に降りたとき、五万円相当のドルしか持っていなかった。ヒッピームーブメントと出会ったのは、カリフォルニアで暮らし始めてからですね。 星野さんは、新聞社に勤めていたころから日本を出ようと思っていたんですか? ●星野 ええ、三年で辞めてどこでもいいから外国で生活しようと思っていました。日本だけでしか生きられない自分がいやでしたし。さっきの学生時代の話ですが、ヨーロッパにアメリカのパスポートで行ったものの、英語が話せない。スペインのホテルで、あいつアメリカ人のくせに英語ができないって言われているのだけ、なぜか分かるんです(笑)。それが悔しくて、その後スペイン語を勉強して、ヒスパニック系日系人と称している(笑)。 ●宮内 いいですね、系が二つもつくんだ(笑)。ロサンゼルスで暮らし始めたころ、自分が何者なのかわからなくて、壁に人類の進化図を貼りつけていたことがあります。昼間は働いていたのですが、夜になると、いつもその進化図を眺めていました。そして、自分なりに結論を出しました。 「おれは、霊長類ヒト科のモンゴロイドなんだ」と。 それ以来、アイデンティティといったことに、あまり悩まなくなりました。 ●星野 それで思い出したけれど、小学生のころよく読んでいたSF小説も、ぼくのよりどころのひとつでした。SFは舞台が宇宙だったり未来だったりするから、地球人以外の知性体やありえたはずの人類なんかが普通に出てくるんですよね。それもぼくの違和感を和らげてくれたと思います。 ともかく、ぼくはどこでも生きられる人間になりたかったし、何者でもあり得る人間でいたかった。そこで、できるものならメキシコ人になってしまおうと思ったんです。いまから思えばロマンティックな思い込みなんですけど。その当時は、次世代の世界のモデルは混血人種の国メキシコだと本気で考えていました。 ところが実際に行ってみると、強い円経済の力をバックに何となく居着いてやがて日系一世となるであろう日本人がたくさんいる。それはそれで面白い生き方をしている人もいるのだけど、日本の延長を少し自由にやっているだけの人も多い。いまは、外国に行ってもしっかり自分の心身を開かないと、無意識のまま日本人でいられる時代だという気がします。 でも、安易にはメキシコ人にはなれないと思い知ったおかげで、メキシコ人と肌身をすりあわせる交流が少しはできたと思います。 ☆メキシコの石、アボリジニの石 ●宮内 ああ、星野さんがメキシコを選んだわけがわかってきました。ぼくも混血人種のメキシコという国に、すうっと紛れ込んでしまいたい誘惑を何度も感じましたから。メキシコ女性と恋愛して定住しかかったことがあったけれど、金をかせぐためにアメリカにもどらなくちゃならなかった(笑)。 星野さんの小説は、舞台が東京であってもメキシコであっても、ラテンアメリカの香りが濃密に漂っていますね。 ●星野 ラテンアメリカの人と日本の人とは全く別の存在などではないという思いから、両者をつなげようと思っているのですが、なかなかうまく行かずに模索している最中です。離人症的な環境にあるいまの日本でリアリティを求めると、ネガティブな方向に行ってしまいますでしょう。リアリティを失わずに日本でもラテンアメリカ的な生は可能だということを示すのは、難しいですね。 ところで、日本とアメリカや中国がまた戦争したら、自分はどうするかとよく考えるんです。ぼくは戦わないで、メキシコに行ってしまうかもしれません。 ●宮内 メキシコはもともと亡命者の多い国ですからね。トロツキーもいたし、映画監督のブニュエルもいた。ガルシア=マルケスも、プイグも住んでいましたね。亡命者にとっては魅力的な国だと思います。 ●星野 若き宮内さんも季節亡命して、モンテカルロで『ぼくは始祖鳥になりたい』の原型をお書きになっていた(笑)。ぼくはアメリカ文化の背景でもあるアングロサクソン的なピューリタニズムが苦手なのですが、これが本当に一神教かと目を疑うようなラテンアメリカのめくるめくカトリックには惹かれるものがあります。最近読んだのですが、小野一郎さんの『極彩色メキシコ巡礼』(晶文社刊)というエッセイなんかも、そのあたりの感覚が実に魅力的に説かれています。小野さんは建築家で、ウルトラバロックの教会建築に魅了されてメキシコにはまってしまったんですね。 ●宮内 メキシコは、本当に迷宮ですね。ウルトラバロックの教会も凄いし、先住民の文化にカソリックが重なって、もうなにがなんだかわからないぐらい重層化している。チアパス州の教会に入ると、外見はカソリックの教会なんですが、マリアもキリストも先住民の民族衣装を着せられて、首に丸い鏡をぶらさげているんです。そして女性たちは、石の床に花を捧げて、石に祈っている。その教会は、もともとマヤ文明のピラミッドだったわけですね。スペイン人がそれを壊して、その石でカソリックの教会を建てた。だから現在のメキシコ人たちは、マリアやキリストだけでなく、石そのものに祈っている。 そんなアイデンティティーの複雑さが日本人にはわかりにくいですね。もし旅になんらかの意味があるとすれば、自分のアイデンティティーを相対化することだろうと思います。ぼくたちは、民族、文化、言語、宗教などでプログラミングされています。それを完全に解除することはできないけれど、相対化することはできますね。 ●星野 宮内さんと同じく満州からの引き上げ組の安部公房が、亡くなる前にずっとこだわって言っていました。生物の脳は閉じられたプログラムによって作られているが、人間は言語という鍵を持っているから、そのプログラムの一部を開くことができる。全部を作り変えることは無理だけど、それをコントロールすることは可能だと。 ●宮内 ええ、言語がなければ、いくら大きな脳を持っていても、まったく役にも立ちませんからね。この十万年ぐらい、人間の脳の大きさは変わっていませんね。十万年前というと、石器時代ですが、そのころから人類は、いまのぼくたちと変わらない一三五〇グラムぐらいの脳を持っていた。だけど、かれらは棍棒や石斧を使っていた。つまり、使い方のわからないスーパーコンピューターを頭のなかに入れたまま持ち歩いて、石器時代の生活をしていたわけですね。そのスーパーコンピューターの使い方を少しずつマスターしていったのは、言語が発達してきたからだろうと思います。 ぼくたちは言語がなければ、ものを考えることもできない。実験したことがあるんですよ。アフリカのサバンナを歩いているとき、自分が日本語でものを考えていることに気づいて愕然とした。自分がプログラミングされていることを思い知らされた。それで日本語を頭から閉めだしてみた。すると考える手段は、英語しかない。で、英語で考えはじめると、自分の思考が、急に中学生みたいになってしまう。そのとき、言語が脳のプログラムを開く鍵なのだと いうことがわかってきました。 アボリジニはいま生きているヒト科のなかで、最も「原始的」だと言われていますね。でも、そんなことはない。アボリジニの赤ん坊をひき取って、ぼくたちの社会で育てると、普通の現代人になってコンピューターを使い始めます。 そのアボリジニが、どんな文化を持っていたかというと、かれらは「ドリーム・タイム」と言います。我々が生きているここは「夢の時代」だというわけですね。かれらはぼくたちのような高度な言語は持っていません。語彙は少ないはずです。でも、かれらは「ドリーム・タイム」のなかを旅しつづけていくための不思議な地図を持っています。紡錘形の石に描かれた、なにか霧がたちこめているみたいな不思議な地図なのです。アボリジニは、オーストラリアの砂漠で聖地巡りしながら、その石を大切にしています。 それはどうも、アボリジニの歌と対になっていて、歌と共に記憶を励起するための地図らしいのです。その奇妙な紡錘形の石を、ものすごく大切にしているそうです。それを失くするとタマシイが迷うのだそうです。そのことを若い友人に話したら、あっ、ぼくもその石を持っていると答えました。「ノートパソコンが、その石だ」と言うんですね。 ●星野 ああ、よくわかります。 ●宮内 ぼくもノートパソコンを持って、またそういう旅に出ようと思っているんです。 ●星野 この石、ときどきダウンするのが玉に瑕ですけどもね。 ●宮内 まったく(笑)。 ☆ダライ・ラマ、ガンジーの系譜 ●星野 家に閉じこもってパソコンに向かっていると、なぜ自分は日本人なのかと悩んだりと、自意識がとぐろを巻く状態になってきますが、旅をすればそれを突破することができる。もちろん、日本や日本で育った自分から逃れられるわけではないけれど。 ●宮内 自意識の迷路は突破できる。この日本環境の外へ、吹きさらしのなかへ出てしまえば、世界はこちらの自意識などかまってくれませんからね。そして自己を相対化できる。 ●星野 限界を体験することが大切ですよね。そのことを肌で感じるだけでも旅はいい。 ●宮内 それだけでOKだと思います。つい先日、ある学校に呼ばれて話をしたのですが、自意識の迷路で苦しんでいる女性がいました。ぼくはどうにも答えようがなくて、とりあえず自分のことはほっといて、いまの日本社会でマイノリティーである在日外国人の手伝いでもしたら、としか言えなかった。ところが、ダライ・ラマは、自閉症で苦しんでいる女性をただ抱きしめた。 ●星野 ぼくもテレビで見ましたが、あれは単なるゼスチュアではなく、「あなたの存在を丸ごと受けとめているよ」という意志表示で、深く感動しました。宮内さんはThink global, act localを、「惑星的な視野で考えそれぞれの持ち場でベストを尽くせ」と訳していらっしゃいますが、ダライ・ラマのあの抱擁もそういうことですね。その女性が「コミュニケーションをとることが大切だとわかっているのに、できない」と訴えると、ダライ・ラマは「それが難しい状態にある時には、人類全体のことを考えてもいいのですよ」と答えた。このメッセージはその女性にしっかりと伝わっており、後のインタビューで女性は、「他人のために自分ができることからしていけばいいと思えるようになった」とのんびり話していました。 ●宮内 星野さんは一貫して、言葉の流通しうる磁場、信じるに足る言語空間をつくりだそうとしていますね。ラテン・アメリカの言語空間さえ、ぼくたちが暮らしているこの場と、内的な言葉の領域としては等価であるはずだと考えている。いや、等価なものにしようと試みています。そうして吹きさらしの場から言葉の奥深い領域へ入ろうとする。それが信じるに足る営みであることを、小説で示そうとしている。だからダライ・ラマの抱擁がスタンドプレーではなく、信じるに足るものであることがわかる。 ●星野 ぼくは小渕首相が国歌国旗法や通信傍受法を成立させ、ガイドライン改訂を行った一九九九年を右傾化元年と位置づけています。今年(二〇〇一年)はもう右傾化三年目だから、日本人であることが自明であるかのような雰囲気が強くなり、それを前提とした発言が相次いでいる。強いカリスマ性を持つ指導者を求める空気は濃くなり、戦争に負けたのが他人のせいであるかのような被害者意識丸だしの教科書を作っても自然に受けとめられるようになった。オウムがあのような形で壊滅してからは、二十代以下の若い人の間にますます右翼的な気分が高まっているように思えます。「日本人であることを引き受けなくてはならない」という発想から、憲法改正に賛成するインテリの若者が増えてますし。ぼくはそのことを批判し自分でものを考えていくために、ダライ・ラマ十四世やガンジーの系譜を突き詰めたいと思っています。 ●宮内 ぼくもそうです。ずっと前にも渋谷でそういう話をしましたね。いまの右傾化に対して、どうすればいいのか。そのとき「ホームページを開いて、互いに発言の場を確保していこう」という話になった。それから星野さんはすぐに『星野智幸アーカイヴズ』というホームページを開いた。ぼくもすぐ始めたかったけれど、パソコンのことがまだよくわからなくて、一年ぐらい過ぎてからようやく『海亀通信』を開いた。 電子メディアを使いながら、ぼくもダライ・ラマやガンジーの系譜を突き詰めていこうと思っています。ガンジーは、当時の大英帝国、いまのアメリカのような世界最強の国を相手に、あのような戦い方をつらぬいて、結局は独立を勝ち取ったわけですから。 ☆ルネサンスへの意志 ●宮内 文学もいま自閉症的になっていますね。 ●星野 特に中上健次の死後は、真空が広がっていますね。その危機感からぼくは小説を書き始めたところがあります。だから『ぼくは始祖鳥になりたい』が出て、ああ、自分が小説を書ける余地が広がったと、呼吸が楽になるような思いがあったわけですが。 宮内さんは以前、ぼくがラテンアメリカを書いているときと日本を書いているときと違うとおっしゃいましたが、これは日本語で書いている作家すべてが直面している問題だと思われますか? ●宮内 うーん、どうなんでしょうね。この日本環境が自明のものであると感じている人もいるでしょうし。星野さんの小説について述べたのは、中上健次の作品が紀州の路地から離れてしまうと、なぜか文体が発動していない。それと似たようなことではないかという印象を受けたのです。 いつも星野さんが言っているように、ここは文学としての言葉が流通しにくい空間ですね。『ぼくは始祖鳥になりたい』の第三部は、日本を舞台にするつもりですが、文体をどうしたらいいか頭が痛いんです。 ●星野 オウム的なものの暴走は、右翼的なメンタリティではなく文学でしか止められないという確信がぼくにはあるものの、追いつかないでいる。象徴的にいえば、ジローといまの日本の若者たちを日本でつなげたいと思っても、うまく結びつかないし、なかなか受け入れられないんですよね。そのとき、どのような言葉で書けばいいのか。 ●宮内 日本を舞台にして小説を書こうとすると、言葉のテンションがあがらない。 ●星野 自意識から発する独り言のようになってしまう。 ●宮内 実在性のある場、あるいは歴史がリアルに動いている場であれば、言葉を強くぶつけられる。けれど、このような空白なところで、テンションの高い言葉を発すると、詩のような言語になってしまう。 ●星野 ぼくも自分の作品を「これ、詩だろ」と言われたことがあって、ショックでした。小説も現代詩と同じ境遇にあるのだと思った。晩年の中上健次があのような文体になったのは、乱作のせいもあったのでしょうが、詩と受けとられてしまう状況を突き抜ける試みだったとも思います。中上はあの時点で、こうでもしなければもう通じないと思ったのではないでしょうか。 ●宮内 あの凝縮したテンションの高い文体が、路地の外では通じにくい、発しにくいと感じていたかもしれませんね。 ●星野 それでもオリュウノオバみたいな紀州の記憶のある者たちが幻影のように登場すれば、他の場所でもかろうじて文体は発動したのですが。問題はその記憶が消えたときです。 ●宮内 そこにぶつかって苦しんでいたと思います。 ●星野 もう一つ思うのは、テンションの高い言葉のうちには必ずコミュニケーションが成立する契機があるわけですが、いまの読者はそもそもコミュニケーションが成立することを信じていないような気がします。つまり、言葉を信じていないということです。だから、言葉は氾濫しているけれど、内実がない。それでも文学は、表面的に受け入れられるのではなく、信用に足る、信用を再構築できる言葉を発し続けなければいけない。 ●宮内 その通りだと思います。ただ、信用を再構築する場がどこにあるかというと悲観的な気持ちです。文芸誌にもそのような意志があまり感じられない。本当に文学を信じてやっているのだろうか。最近は、送ってもらった文芸誌も封を切るのを忘れてしまうことが多いのです。信じるに足る言葉がどこで成立するのか、その場所が移りつつあると思います。いま立花隆さんの『脳を鍛える』を読みかけているところですが、グーテンベルクの印刷革命がルネサンスの本体であったと述べられています。それまで修道院の図書室で、修道僧たちが読むだけであったラテン語の書物が、グーテンベルクによって一般人のものなった。それと同じことがインターネットで起こっている。 ●星野 文芸誌の言葉がラテン語、教会の言説のように届かなくなってしまったんですね。 ●宮内 こういうことを言うのは辛いんだけど。 ●星野 はっきり言ったほうがいいんだと思います。世間の人はもう文学なんてしょうがないと思っているんですから、そのほうが新しい可能性を開けるかもしれない。ラテン語化した文学より、インターネットで自分たちの言葉を流通させるほうがずっと信じられている。ぼくはインターネット上の言説に対抗できる言葉でないと、もう表現として成立しないと思っています。こちらの意識を変えないと。ルネサンスであり、宗教改革です。 ●宮内 そうですね。文学の特権も一切ないという等価性に向き合っていますね。これから間違いなく大変動が起きるでしょう。 もう一つの技術革命は、翻訳ソフトがパソコンに標準装備されるようになることだと思います。先日、サンタフェ研究所から来た手紙を翻訳ソフトで訳してみたら問題はなかった。ビジネスレター程度のものなら、もう大丈夫ですね。 ●星野 技術翻訳の世界では既に、翻訳ソフトを駆使しながら翻訳する技術者を養成する学校などができています。でも、文学の翻訳はまだ難しいと思うけれど。 ●宮内 コンピューターは、最終的には、あらゆる言語を等価にする方向へいくだろうと思います。でも、面白い時代になってきた。乱や変化は望むところです。 ●星野 加えてクローン技術や大脳生理学の発達がある。これからはアイデンティティの問題や差別はもっと複雑になるでしょうが、それに文学がどう立ち向かうか。ヒトゲノムの数はハエゲノムの二倍だか三倍だかでしかなかったけれど、遺伝子の数以上に人間が複雑なのは、やはり言語を持ったことも一つの鍵だろうと、ぼくは何となく思っています。いま、外部から文学に存在意義があるのかどうか問われているんだと思います。 ●宮内 科学と突きあわせて、なおかつ文学に存在理由があるかどうか試されてしまう。もう純文学といったカテゴリーに閉じこもっていてはどうしようもない。SFなども思考実験の一方法としては面白いと思います。日本の文学はテクノロジーや科学に対して、あまりにも無関心すぎると思いませんか。科学や医学が直面している問題に比べて、小説の世界のなんと小さなことか、自意識のたわごとばかりではないかと読者は失望しているかもしれない。 NASAの科学者にSETI計画(地球外知的生命体探索計画)のインタビューをした際に、他の星の生物が知性体かどうかをどう判断するのかと尋ねたら、ある科学者が「その生物が内部の遺伝子に気づいているかどうかだ」と答えた。その言葉はまさに文学のテーマでしたね。ぼくはとても元気が出た。たとえ日本で私小説を書くとしても、宇宙の吹きさらしの中にいるんだということを自覚していればいいんだよ。 ●星野 自意識を慰めるような方向に収斂していくと、文学はそこはかとない情緒とともに死滅していくでしょうね。 ●宮内 旅をした人はそういうことをよく知っている。世界はこちらの自意識などには、かまってくれませんから。 ●星野 自戒を込めて言うと、小説を書く人も旅をすべきだと思います、物理的にも精神的にも。いま書かれている現代日本の小説と一部の欧米人の小説だけを読んで、全てを語ろうとしている文学者も多い。翻訳書がこんなに出ているんだから、読んで実際に出かけると。ぼくはいまでも、小説は良かれ悪しかれ、その土地や文化の格好のガイドだと信じているんです。 ●宮内 それに物理性を突き詰めるほど、言葉の問題が先鋭的に浮かび上がってきますね。 ●星野 ええ。一回物理性に還元し、それでも残るものから再び創り上げようとしないと、既に消滅している意味にナイーブにこだわるような小説しかできませんよね。 (初出『文藝別冊』2000年7月) ────────────────────────────── 星野智幸(ほしの・ともゆき) 1965年 ロサンゼルス生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 1997年『最後の吐息』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。 2000年『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社)で三島賞を受賞。 『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社) 星野智幸アーカイヴズ http://www.ne.jp/asahi/hoshino/tomoyuki/ |