| TOP PAGEへ 第16章 あるイラク人から日本人への手紙 (2003年11月〜12月) ![]() copyright Shinro Ohtake 「海亀日記」は新しい日付が下にくるようになっています。 November 1,2003 「海亀通信」の読者のみなさまへ インド・ブータンの旅から帰ってきて、まっさきに掲示板を見て、愕然としました。 一時閉鎖していた掲示板を再開するにあたって、一か月間だけ、なりゆきにまかせて、完全に放置してみようと考えていました。 一か月間だけ、がまんするつもりでした。その結果を見てから、今後どうするか決断するつもりでした。 ところが、以前とまったく同じことがくり返されていました。まともな議論ではなく、相手をやり込めようとする刺々しい言葉が飛び交っています。留守中、掲示板の管理を頼んでいた学生たちも、困り果てていました。 そこで、この掲示板を荒涼とさせている当人に、今後、投稿をお断りしますと書き込んだところ、自分の投稿を全部撤去してほしいという要望がありました。いまさらながら、自分がだれであるか投稿文から特定できるから、というのです。 その要望に応えて、その人の投稿をすべて削除しました。 ゆうに100回以上あると思われる膨大な投稿を、過去にさかのぼって、一つ一つ削除していくのに数時間かかりました。 すると今度は、他の人たちとのやりとりに引用されている自分の文章も削除してほしいという要求がありました。他の人たちが引用している部分をすべて削除してくれというのです。それはできないと断ると「告訴する」といった投稿がつづきました。 「海亀通信」の掲示板に集まってこられる人たちは、真摯です。その人たちとのコミュニケーションを絶やさないために、持久戦、消耗戦をつづけながら、なんとか掲示板を持続させようと試みました。 けれど削除しても、削除しても、「卑劣な奴め」「告訴する」「最高裁まで戦う」といった投稿が延々とやってきました。みなさんには信じられないでしょうが、50回以上、そのような投稿がつづきました。 50回以上も削除しているうちに、こんなことに神経をすり減らすのが、むなしくなり、時間も惜しく、やはり掲示板を閉鎖することにしました。 「海亀通信」の読者のみなさまに、申し訳なく思っています。インターネットには希望がありますが、その弊害、マイナスの側面には、本当にうんざりさせられます。 私が削除したことについて「作家のくせに言論の弾圧だ」といったようなことも言ってきましたけれど、一言、付け加えます。雑誌、新聞に書くときは、かならず、編集者、記者たちのチェックが入ります。冷静な議論ではなく、相手をやり込めようとするだけの攻撃的で、粗雑な、刺々しい <ためにする議論> は、もちろんボツにされます。 掲示板で最近交わされていた一部の議論は、公の場では、むろん通用しません。雑誌、新聞などに掲載されることはありえません。水準以下とみなされてボツにされます。これは「言論の自由」以前の問題です。 インターネットに失望しかかっている自分を少し悲しく思っています。掲示板を閉鎖せざるをえなかったこと、残念です。 「海亀通信」の掲示板を楽しみにしてくださっている方々を、がっかりさせてしまい、本当に申し訳なく思っています。 November 5,2003 ブータンは良い国であった。人びとはおっとりとして、おだやかな気品を感じさせた。決して豊かではないけれど、病院は国民すべてが無料である。むずかしい手術が必要なときは、国が費用を負担してバンコクの病院まで連れていく(バンコクまで空路で2時間)。 教育も、小学校から最高学府まで(寮費・食費をふくめて)まったく無料だという。だれも飢えてはおらず、もの乞いする人など皆無である。インド経由で訪ねたせいか、そのことが実に新鮮であった。 国家収益は、がらがらに空いている谷間で水力発電を行って、その電気をインドに売っている。それが収益の三分の一で、ほかはインドからの援助が三分の一、さらに各国、ユニセフなどからの援助が三分の一。いま建設中の発電所が完成すれば、電気を売ることで国家財政のすべてをまかなえるそうだが……。 教育は、国語の時間だけゾンカ語(チベット語の方言)で、ほかの授業はすべて英語で行われる。だから、子どもたちも英語を話すことができる。街中で、インドよりも英語がよく通じる。知識人たちは(話すのはべつとして)読み書きは英語のほうが楽であるという。 殺人事件は、国全体で、一年間に数件のみ。自殺も同様である。これは国立ブータン研究所のメンバーたちから聞いたことであるが、ブータンに長く住んでいる海外協力事業団や、海外青年協力隊の人たちからも確認している。 南部の亜熱帯の地域に、民族紛争が起こって数万人のネパール難民が発生している。これは、もともとジャングルを地帯を開拓してお茶の栽培をさせるために、イギリス人がネパール人を労働者として連れてきたことから発生した紛争である。スリランカでも、イギリス人たちはインド人を労働者として連れてきて、そのインド人たちがスリランカ内部で分離独立を求めはじめたケースとよく似ている。 そのことを除けば、内政的には、ほとんどなんのトラブルもないようだ。殺人事件や自殺が、年間にわずか数件という、世にもまれな平和な国が、ヒマラヤの一角に存在する。 立憲君主制であるが、イギリスで学んだ国王は若く賢明で、みずから国民投票によって王制を廃止できるという法案を提出している。一度は法制化されたけれど、国会がみずから廃棄したという。そこで国王は、法案を再提出して、いまも審議中であるそうだ。私たちにはまったく信じられないような話だけど、事実である。 ちなみに、国王は映画俳優ようなのハンサムで、ブータン国民に敬愛されている。その人気は絶大であった。ダライラマのように「転生してきた生き神」とみなされているのだろう。ブータンにも「リンポチェ」といって、転生によって後継者を決める伝統がある。 山なみも、川も、松、ヒノキ、人の顔、キモノにそっくりの民族衣装、田んぼ、仏教など、これほど日本によく似ている国はほかにないだろう。まるで信州の伊那谷あたりにきて、秋の実りを眺めているような錯覚が起こる。人びとは繊細で、よく、はにかむ。その顔を見ていると、かつての日本もこうだったのではないかと思われてくる。 だが、市場経済やグローバリゼーションの波は、このヒマラヤの国にもひたひたと押し寄せている。3年前から衛星テレビやインターネットが解禁されてる。人口5万の首都ティンプーの通りを走る車は、90パーセント以上が日本車である。 ブータンの知識人たちは、グローバリゼーションの大波にどう対応すべきか、ヒマラヤの一角からじっと世界を凝視しているようだった。 医療・教育が完全に無料であること、環境問題に真剣に取り組んでいること、おっとりと平和であることなど、この国は豊かではないけれど、いわゆる「後進国」ではなく、むしろ先進国のモデルになりうるのではないかという思いさえ湧く。一周おくれの国が、先頭に立っているような感じである。好きな国が、また一つ増えた。 (追記 ブータンで一つだけ、がっかりしたことがあった。蕎麦である。予約を入れてもらい、さあ食うぞ、と食堂に駆けつけたところ、大きな洗面器か金盥のようなものいっぱいに蕎麦が盛ってあった。皿に移して、口に入れたとたん、 「…………」 そば粉を麺にして、ゆがくところまでは同じだけど、ゆで上がった蕎麦に、たっぷり油をかけて、七味トウガラシのようなものが振りかけてあった。以前、油ラーメンというものが流行ったことがあるけど、油蕎麦だと思えばいい。がんばって二皿食べたけれど、それから後、二度と食べる気にはなれなかった。これだけは、がっくり) November 7,2003 素晴らしい贈り物が届いた。見事なカスタム・ナイフだ。贈ってくださったのは、宮尾真という、独立カスタム・ナイフ・メーカーである。その世界ではよく知られた人で、ナイフ専門誌でも特集を組まれている。1997年にはJKG優秀賞を受賞している(JKGは、たぶんジャパン・ナイフ・グランプリの略だろう)。雑誌の特集によると、アメリカで高く評価されていて、海外にもファンが多いそうだ。 宮尾さんはプロレスラーの高山によく似ていている。愛車は、むろんハーレー・ダビッドソン。私の『ニカラグア密航計画』の熱心な読者でもあった。いくつか偶然が重なって知り合ったのだが、当時、雑誌に連載中であった「金色の虎」が完成したら、そのサイン本と、手造りのカスタム・ナイフを交換しようと申し出てくださった。 私の本は2700円で、カスタム・ナイフは一本何万円、何十万円もするから、まったく不平等な交換だ。けれど、その約束を忘れずに、突然、立派なカスタム・ナイフを贈ってくださったのだ。添えられている説明を読むと、 ☆ ナイフのスタイルは、クラシック・セミスキナー ☆ 鋼材は、D2 ☆ ハンドル(柄)材は、サンバー・スタッグ(鹿の角) ☆ ブレード(刃)は、ガンブルー・フィニッシュ(鏡面仕上げではなく、ガンブルーに染めたもの) だから、刃は渋く黒光りしている。刃の長さは、9.5センチ。鹿角の柄は、10.5センチ。試しに、手もとのPR誌に刃先を立ててみると、そのままスーッと全体が切れてしまう。すごい切れ味だ。しかも、頑丈で実用性が高そうだ。がっしりとした革鞘におさまっている。 一緒にニカラグアへ密航したインディアンの指導者が、いつも腰にナイフをつけていたのを思いだす。柄のところに青い石が象眼されている美しいナイフだった。贈られたナイフを手にしながら、これを日常生活で使うために、どこかに引っ越したくなった。いったい、どこへ? November 8,2003 イラクに自衛隊を派遣することが、いよいよ日程に上ってきた。旭川の第2師団が中心部隊になり、自衛隊員たちには日当4万円が支給されるそうだ(「海亀広場」の No.856 をご覧ください)。 米兵たちが次々に狙撃され、ヘリコプターが撃墜されている戦乱の真っただ中に、戦うことを禁じられている自衛隊が出かけていくのは、まったく、愚行以外のなにものでもないと思う。 いくら「自衛隊は軍隊ではない」と説明したところで、そんな詭弁がイラクの人たちに通用するはずはない。今回のイラク攻撃の資金も、日本政府がアメリカの国債を買ったことで、大部分が賄われている。 結果的には、私たち日本人が戦費の多くを負担したのだ。それがイラク戦争の、お金のからくりだった。イラクの人たちは、むろん、日本がブッシュ政権に協力していると受けとめている。それは明白な事実であった。 軍服を着ている自衛隊員たちは、当然、軍人であるとみなされて攻撃の対象にされるだろう。いや、軍人ではない国連職員たちも攻撃され、すでに撤退してしまった。赤十字さえ撤退した。いったん派兵を決めていたトルコなども計画を中止している。そんな状況下で、自衛隊を派遣するのは、判断を誤っているとしか思えない。 日本はこの58年間、一度も戦争をしなかった。58年ぶりに戦死者が出るかもしれない。そのことが、憲法9条を変えようとする動きと密接に関わってくるかもしれない。権力者たちは、おおっぴらに戦争ができる国にしたいと考えているだろう。私はそれを懸念する。 November 10,2003 NHKの「ラジオ深夜便・こころの時代」に招かれて、ヒマラヤの洞窟で暮らす聖者たちのことから、宇宙飛行士、地球外知性体探査計画の科学者、アメリカ・インディアン、鬱病、リストカット、海亀塾のことなど、聞かれるまま、いろんな話をした。 話題が多岐にわたりすぎたせいか、二回に分けて放送されるそうだ。放送予定日は、12月7日と、8日。NHKラジオ第1FM。放送時間を訊ねて、びっくりした。午前4時台だそうだ。みんな寝てるだろうなあ。 November 28,2003 ロサンジェルスに住む友人から電話があった。母を看取るために、いま奄美大島に帰っているところだという。ジェームズ・タレルも見舞いにきてくれたそうだ。可奈は元気だという。加計呂麻島の話を聞きたかったが、いきなり、Kが死んだと知らされた。11月23日、長沢哲夫と渋谷で朗読会をやっていた夜に逝ったそうだ。 Kに出会った十六歳のとき、私は初めて天才を識ったと思った。芸術家になるべく宿命づけられていると感じたのだ。目を瞠るほどの才能に嫉妬さえ抱いた。私たちは同じ女性に恋をした。かれは十八歳だった。だが、天才ではなかった。後年、かれ自身も気づいたはずだが、天才らしく生きる以外すべがないほど誇り高く、世知もなく、器用さもなく、ひたすら破滅的に生きた。時代遅れの19世紀の芸術家のように。 ロートレックのような、やや奇形をおもわせる体だった。身長は145センチぐらいだったろうか。顔も醜かった。たった一人の女性に深く愛されることもなかった。 かれが吐血した昨年、私は国立市のアパートを訪ねていった。四畳半と台所だけのアパートに独り暮らしていた。坐るところさえない狭い部屋だった。描きかけの絵は、無惨であった。床には絵の具以外の汚れもあった。血を吐いたばかりのKと、酒を飲んだ。パック入りの安酒だった。「体に悪い」と言うつもりなどなかった。自殺幇助するように、友を殺すように、私も飲みつづけた。それが別れだった。 奄美大島からの長い電話を切って、ひとり歩き回った。安普請のコンクリートやプレハブの住宅ばかり。すべてがベニヤ板の書き割りのようだ。曇り空がメランコリックに垂れさがっている。その冬空だけ禍々しく確かに見えた。11月23日の夜に聞いたばかりの、ナーガの詩一節が胸にあった。 おろおろすることはない 世界はもぬけのからだ ふり返らなくともいい 心はつぎつぎに水に溶けていってしまう 出かけよう そして 旅が終わったら 美しい川のほとりで会おう November30,2003 日本人の外交官が二人、イラクで殺された。追悼の思いはある。だが、きれいごとでは済ませない。世間はテロであると騒いでいるけれど、事件そのものがどこに起因しているのか、ちゃんと考えるべきだ。きれいごとはやめよう。この事件をひき起こした張本人は、ブッシュ大統領にほかならないと私は思う。 権力者の意志によって、この戦争は始まった。少なくとも、アメリカ大統領の最終意志決定によって、一万人近いと推定される人びとが殺されてしまった。その権力者こそが、今回の事件をひき起こした張本人ではないのか? 共犯者は、アメリカの国債を買って戦争の資金を調達して、まっさきにイラク攻撃支持を表明した小泉首相ではないのか? 日米ジュニアの権力者たちは「テロに屈してはならない」と息巻いているが、どちらがテロを行ったのか? 私の目には、アル・カーイダもブッシュ政権も大差なく映る。 大量破壊兵器を隠しているという言いがかりで(国連決議もなく)一方的に攻撃され、何千という同胞、友人、家族、恋人たちを殺され、いまも国を占領されているイラク人が、どれほど無念な思いでいるか、血の涙を流してきたか、少しは頭を冷やして考えるがいい。 ミサイルを撃ちこみ、劣化ウラン弾を落とし、一つの国を破壊したくせに、なにがイラク復興か。壊した者が、修復すべきである。 いまイラクで起こっている一連の事件は「テロ」というよりも、イラク民族解放戦線のようなものだと考えるべきではないか。たとえ、フセイン残党による犯行であったとしても、イラク民衆にとっては、抵抗運動として受けとめられているだろう。そのように、思いは変わっているはずだ。どんな民族にも、祖国愛や、誇りがある。なにもかもひと括りに「テロ」と呼ぶのは、あまりにも一方的すぎやしないだろうか? 国益を考えるとしても、いま自衛隊を派遣して、産油国であるイスラム全体の敵となることは、避けるべきであると思う。 December 4,2003 早稲田で講義するのも、あと数回だけになった。まもなく任期切れで早稲田大学を去ることになる。研究室の書架にある本を、毎日、少しずつ持ち帰っている。これほど広々とした、眺めのいい部屋にはもう二度と恵まれないだろう。すぐ真下に戸山公園の緑がひろがり、遠くに新宿の高層ビル群が一望できる。 つい先日、なにげなく顔を上げた瞬間、白い峰が光った。 ブータンへ行くとき、ニューデリーからカトマンズ経由で、ヒマラヤの南側を山脈ぞいに飛んだ。小型ジェット機だった。雲海から氷の峰々が突きだし、成層圏の青空に連なっていた。ブータン人のスチュワードが、なぜかコクピットに招いてくれた。パイロットの真後ろからヒマラヤ山脈を眺めながら、延々と飛びつづけた。天上の光景だった。そして最高峰のエベレストを見た。地球の尖端だ。 眼球が凍るような瞬間だった。 富士がそのように見えた。概念としてある「富士山」ではなく、まさに氷と鉱物の塊り、実在の山であった。やがて日が暮れかかってきた。部屋の電気を消したまま、その山が夕闇に溶けこんでしまうまで、八階の窓からひとり見つめていた。それから、ブラインドを降ろし、ビニールバッグに本をつめこみ、研究室から出た。この部屋を失うことはさびしい。 ――――――――【以下、転送・転載歓迎】――――――――――― December 5,2003 あるイラク人から、日本人への手紙【転送・転載歓迎】 NGO活動をしている友人が、バグダッドから送られてきたメールを転送してくれました。Yahoo Japan で、日本のNGO団体のメールアドレスを見つけて発信してきたそうです。 一読して、激しく胸を揺さぶられました。ぜひ、多くの日本人に読んでもらいたいと思っていたところ、友人から二信目が届きました。 バグダッドにメールを送り、本人に確認したところ、公表してもいいという返事があったそうです。さっそく、ここに転載します。NGOメンバーたちによる翻訳を添えます。 訳文では、原文の Please という一語が省略されていました。その Please という言葉に、切実な叫びがこもっていると感じられますから「どうか」という言葉を(原文通り)二か所に挿入しました。さらに、読みやすく改行をほどこし、一部、訳文を補いました。 発信者に危害が及ばないように、名前の部分だけ●●●●で消しました。あとは、すべて原文のままです。文末の Rei とは、空手を習っているというので、おそらく、日本語の「礼」のことだろうと思います。 一人のイラク人の悲痛な声が、日本中に届くことを願っています。みなさん、この「日本人への手紙」を、できるだけたくさんの友人・知人たちに転送してくださいませんか。無断転載も、もちろんOKです。どうか、よろしくお願いします。 宮内勝典(作家) http://pws.prserv.net/umigame/ I have found your email address from Yahoo Japan. My name is Mr. ●●●● and I am a high school teacher living in Baghdad, Iraq. I have learned Karate and Japanese language and I always respected Japan and Japanese people. It was terrible news for us that Japanese Army is coming to Iraq to help US invasion. I have never supported Saddam Hussein but US is nothing but an armed robber. They are killing Iraqi every day and no ordinary citizen supports them. Now, more and more people are taking part in resistance movement. They are not terrorists or remnant of old regime, just normal people. Imagine how people would act if any country invaded Japan. Exactly the same thing is happening here. Iraqi should be the one to reconstruct Iraq, not the invaders. Do not come to Iraq as a US allied invasion troop! Iraqi respects Japan but if the army comes now, Japan will become the enemy of Iraqi and whole Muslim. Every Iraqi will feel deeply disappointed to Japan, a great nation who has never been hostile to Muslim in the past. Supporting US is absolutely not worth all these losses including Japanese people’s life. We welcome Japan after the invaders are gone, but strictly not now. Please tell our real feelings to Japanese people. Japanese army should not invade our country! I love Japan so please, please, do not be our enemy. We hope Japan will take the right decision as an independent country. Rei, Baghdad, Iraq 私は、Yahoo Japan で、あなた方のメールアドレスを見つけました。私の名前は●●●●といい、イラクのバグダッドで暮らす高校教師です。 私は、空手と日本語を学びました。私はいつも、日本および日本の人々を尊敬しています。 米国の侵略を支援するためにイラクに日本の軍隊が来るというのは、私たちにとって恐ろしいニュースでした。 私は、サダム・フセインを支援したことはありません。しかし、米国は武装強盗です。彼らは、毎日イラク人を殺しています。そして、普通の市民はだれも彼らを支持していません。今、ますます多くの人々が抵抗運動に参加しています。彼らは旧体制の残党でも、テロリストでもなく、普通の人たちです。 もし、仮にどこかの国が日本を侵略したとしたら、人々がどのように行動するか想像してください。まさしく同じことが、ここで起こっているのです。イラクを再建するのは、イラク人であるべきです。決して、侵略者ではありません。 米国の連合軍としてイラクに来ないでください。イラク人は日本を尊敬していますが、今、日本の軍隊がイラクに来れば、日本はイラク人とイスラム教徒全体の敵になるでしょう。すべてのイラク人が、日本に対して失望するでしょう。偉大な国である日本は、過去の歴史においてイスラム教徒と敵対したことがなかったからです。 米国を支援することに、日本人の生命を含め、あらゆる損失を被るだけの価値はまったくありません。侵略者が去った後なら、私たちは日本を歓迎します。しかし断じて「今」ではないのです。 どうか、日本の人々に、私たちの本当の気持ちを伝えてください。日本の軍隊は、わが国を侵略してはなりません! 私は日本を愛しています。ですから、どうか、私たちの敵にならないでください。私たちは、日本が独立した国として正しい決定をすることを願っています。 ●●●● バグダッド、イラク ―――――――――【転送・転載歓迎、ここまで】―――――――― December 7,2003 上記のイラク人からの「手紙」にもあるように、これまでイスラム世界と日本は、一度も敵対したことがなかった。私はイスラム世界の十数か国を歩いてきたけれど、日本人であるからといって不快な思いをしたことは一度もない。日本人に対して、みんな友好的であった。ラマダン(断食の月)のときは、日没後、初対面の人たちからよく夕食をもてなされた。 日本はかつて、アジア各国を侵略した。アジアの人びとはそれを忘れていない。虐げられた者は、決して忘れない。その歴史が、いまも日本への不信の根となっている。 だから、日本は経済的なスーパーパワーをもちながら、アジアのリーダーになることもできない。日本を国連の常任理事国にすべきだという声も、アジアから湧いてこない。これは淋しく、恥ずかしいことではないか。 「どうか、私たちの敵にならないでください」 という一人のイラク人の声に、耳を澄ませるべきだ。いま自衛隊を派遣して、イスラム世界の敵になれば、かならず歴史的な遺恨を残すだろう。産油国、イスラム社会の敵になることは、国益にも反するはずだ。長期的な目で歴史を見すえながら、冷静に、賢く対処していくべきだと思う。 「あるイラク人から、日本人への手紙」を、どうか一人でも多くの友人知人たちに転送してください。 December 8,2003 H・M・エンツェンスベルガーの『スペインの短い夏』を読んだ。友人のFさんが一冊まるごとコピーを取って送ってくださったのだ。スペイン内戦の指導者のひとり、あるアナーキストについての本だが、独特の手法で書かれている。 共に戦った名もない老アナーキストたちへの厖大なインタビュー、証言、スペイン内戦当時の資料などを、一つ一つレンガのように積みかさねて構成されているのだ。トロツキーや、シモーヌ・ヴェーユの著作からの引用もある。そうした断章の集成によって、一冊の本が成りたっている。 ドキュメントと呼ぶべきか、伝記と呼ぶべきかわからないが、読み終えたときの感触は、まぎれもなく <文学> そのものであった。いま私が書きかけている小説も(手法はまったくちがうけれど)小説なのか、ノンフィクションなのか、紀行なのか、哲学的エッセイなのかわからないまま、やはり <小説> としか言いようのない奇妙なものになりそうだ。 December 14,2003 サダム・フセインが捕まった。二メートル四方の、狭い穴の中に隠れていたという。オウム事件のことを思いだす。逮捕されたときの麻原彰晃を連想する姿だった。 米軍が公開したビデオを見ると、ぼうぼうと髭がのびっぱなしで、眼光が鋭く、威圧的な気配が濃い。素人目にも、サダム・フセインにまちがいないだろうと思われる(DNA鑑定には時間がかかるから、まだ確定はしていないはずだが)。 フセインが捕まったことを、ただ単純には喜べない複雑な心境だ。むろん、フセインが独裁者で多くの人びとを苦しめてきたことは事実であろう。だからと言って、大量破壊兵器を隠しているという根拠のない言いがかりで、国連決議もなく、一方的に戦車で攻め入り、巡航ミサイルや、劣化ウラン弾など火の雨を降らせ、一国の大統領をこのように追いつめ捕らえることが、はたして許されるのか。私には、どうしても釈然としないものが残る。 アメリカは石油欲しさに、初めから国際法も、国連もまったく無視しているが、このような超法規性が許されていいのか? 超大国の横暴がまかり通っていいのか? フセインのような独裁者は、ラテン・アメリカにはいくらでもいた。だが、アメリカはそうした独裁者たちの後ろ盾になってきた。利権がらみだった。ラテン・アメリカの現代史を調べれば、枚挙にいとまない。イラン・イラク戦争の頃には、フセインの後ろ盾でもあったはずだ。 こんな理不尽なことがあっていいのだろうか? たしかにフセインは恐ろしい暴君であり、毒ガスを使ってクルド人たちを殺した。クェートに侵攻した。敵対するイラク人たちを虐殺した。フセインは許しがたい。だが、米軍のイラク攻撃によって死んでいった犠牲者の数は、それを遙かに上まわっているはずだ。 勝ち誇るブッシュ大統領や、副大統領、国防長官、ネオコンの面々たちの、してやったりとほくそ笑む死神のような顔を想像すると、にがにがしさが込みあげてくる。同胞や、家族、恋人、仲間たちを殺され、いまも母国を占領されているイラク人のレジスタンス(抵抗運動)は、フセイン逮捕のあとも果たしてつづくのだろうか? December 15,2003 テレビ局から電話があった。自衛隊のイラク派遣について特別番組をつくりたいのだが「あるイラク人から、日本人への手紙」の、そのイラク人の名前・連絡先などを教えてほしいとのことだった。本人に危害が及ぶかもしれないから、それはできない、と答えた。むろん私は名前を知っているが、バグダッドにはフセインの残党もいるはずだから、うかつなことはできない。 せめて、メッセージが送られてきたNGOの連絡先だけでも教えてほしいと食いさがられたけれど、やはり、それもできない、と答えるしかなかった。 もし政府筋からにらまれたら、そのNGO団体は資金面で支障をきたすことになる。現実に、あるNGO代表者が族議員から恫喝された事件もあった。イラク人からのメッセージは、Dear.●●●●と、NGOの一個人に名指しで送られてきている。そのNGOは、イラクでも活動していたのだった。だから、どうしても情報源を明かすわけにはいかない。 夕方、朝日新聞・西部本社の福島建治さんが、博多から訪ねてきてくださった。玄界灘の牡蠣(かき)が手みやげだった。知りあいの漁師さんに頼んでおいて、今日、それを受け取ってから飛行機でやってきたのだという。 コートを脱ぐなり、軍手をはめて、その牡蠣をひらく作業に取りかかってくださるではないか。それを肴に、玄界灘の海の香りを楽しみながら、ワインを飲み、仕事の話はそっちのけで延々と語り合った。友、遠方より来たる。極上の楽しい宵であった。 December 24,2003 「ペシャワール会報」が届くたびに、うなだれてしまう。中村哲さんは医療活動のかたわら、いまも用水路をつくる灌漑工事をつづけている。砂漠の2000ヘクタールを潤すために。もう井戸を堀るだけでは、アフガンの旱魃に追いつけないのだろう。 インダス河の支流であるクナール川から、用水路を引こうとしているのだ。支流といっても、河川敷の幅1キロの大河だという。 ヒンズークシュの連山から雪どけの水が流れてくるため、季節変動が激しく、夏と冬の水位差は3.5メートルもあるそうだ。この冬に取水口を仕上げなければ、工期を一年延ばすことになってしまう。いまが正念場だという。 完成すれば、砂漠の中に十数キロのグリーンベルトが出現する。驚いたことに、今年の11月2日、突然、米軍のヘリ二機が旋回して、作業中の人びとに機銃掃射を加えてきたという。いったい、なんということだ。そんな状況の中で、中村哲さんはいまも600人を超える作業員たちの陣頭に立っている。こんな凄い人もいるのだ。私は恥ずかしく、ただうなだれるしかない。 ペシャワール会 〒810-0041 福岡市中央区大名1-10-25 上村第2ビル307 電話 092-731-2372 郵便振替 01790-7-6559 December 26,2003 朝日新聞・西部版の「新春エッセイ」を、やっと書き上げることができた。掲載予定は、2004年1月10日。「新しい多元的な世界へ」というタイトルで、去年の秋、インド・ネルー大学で講演したときの経験や、そのとき考えたことを書いた。 メールで原稿を送ってから、深夜、ひとり荒川土手を延々と歩きつづけた。夜の川がにぶく光っていた。ガンジス川の洪水が思いだされる。たまらなく水音を聴きたかった。渇くような、飢えるような思いがあった。水辺に降りて、冷たい水に触れた。アメリカ・インディアンたちと暮らしていたとき、氷まじりの川の水を惑星のネイティヴの夢の水源から流れてくるのだと感じたことを思いだして、泣きたくなった。水辺にへたり込んだまま、しばらく動けなかった。 なんの予定もない旅に出たい。ひたすら砂漠を歩きたい。川霧が流れてくる深いジャングルを歩きたい。「もしも独立できたなら、きみをまっさきに国賓として招待するよ」と語っていた隊長ウーラックにも再会したい。いま長距離トラックの運転手をしているそうだ。かれの銃身には、独立をなし遂げたときの新しい国旗が巻きつけてあった。ハンカチほどの小さな旗であったが、ついに掲げられることはなかった。幻の旗で終わったのだ。私が抱きかかえていた機関銃の銃床には、ナイフで、AMOR(愛)と刻まれていた。深い旅をしたい。生き直したい。 December 27,2003 帝国が出現すると平和がくるが、それは偽りの平和である。 December 29,2003 たまらなく新宿を歩きたかった。年に何回か、そんな日がある。長い小説を書きつづけているとき、ふっと、野にもどりたくなる。今日はそんな一日であった。新宿の人混みのなかを、ひたすら歩き回った。 December 30,2003 新しい小説の第二稿目にきた。この小説はあまり長くせずに、350枚ぐらいに抑えようと思ってる。長くとも、かならず400枚以内に収めよう。着想を抱いたのは、ニューヨークで暮らしていた頃であった。自分はこの作品を書くために作家になったのだと昂ぶったことを、いまも鮮明に記憶している。これは長いこと果たせなかった夢の一つだ。 ★ 12月5日の日記に掲載されている「あるイラク人から、日本人への手紙」を、一人でも多くの友人・知人たちに転送してくださいませんか。無断転載も、もちろんOKです。一人のイラク人の悲痛な声を、日本中にひろげたいと願っています。どうか、よろしくお願いします。 ★ 以下の文章は、中日新聞(2003年4月23日)に掲載されたものです。 中日新聞の許可を得て、メールで流すことにしました。 ぜひ、若い人たちに読んでもらいたいと願っています。 もしも共感されたら、どうか友人たちに転送してください。 ―――――――――【以下、転送・転載歓迎】―――――――――― 戦争を止めることはできなかったが 【転送・転載歓迎】 宮内勝典(作家) http://pws.prserv.net/umigame/ アフガン空爆のとき、毎週、ピース・ウォークに加わっていた。まだ人出は少なく、雨の日など二百人ぐらいしか集まらないこともあった。ところがイラク戦争が切迫してくると、一気に、四万人にふくれあがった。私も長い列に混じり、東京の路上を歩いていた。ジーンズ姿の高校生や、家族連れ、老夫婦も歩いていく。世界中で、一千万を越える人びとが路上に出て反戦の声をあげた。地球規模の津波のようだった。こんなことは歴史上、前例がないことだ。 これまで空々しく、口にするのも気恥ずかしかった「世界市民」という理念が、いまようやく実体化しつつあるのではないかと思われるほどだった。 だが、戦争を止めることはできなかった。 バグダッドは空爆され、戦車部隊が砂漠をひた走っていく。二百年前に『永遠平和のために』を書いたカントや、国際連盟、国連など、人間の理性による世界を構築しようとしてきた長い営み、一千万人の声をあざ笑い踏みにじるように、戦車は走っていく。私たちは敗れたのだ。若い人たちは幻滅しただろう。何をやってもむなしいと、いま無力感にさいなまれているにちがいない。 だが、私は幻滅していない。あの程度の反戦デモで戦争の歯車を止められるとは思っていないからだ。いや、そんなはずはない、ベトナム戦争を止めることができたではないかという人もいるだろう。しかし、それはちがう。私は二十代のころ「イマジン」を聴いていた世代だが、自分たちのかつての幼稚さ、甘さへの自戒として、いまはこう考えている。あの血みどろの戦争を止めたのは市民運動ではなく、ベトナム人だったのだ。かれらがアメリカに勝ったからこそ、戦争は止まったのだ。 それでも、あの運動が無意味だったとは思わない。アメリカには原爆投下というオプションもあったのだ。そんな馬鹿なと思うかもしれないけれど、当時、私はロングアイランド海岸の会員制リゾート・クラブで働いていた。バーテンダーの見習いだった。 客層はいまのネオコンのような金持ちばかりだった。週末を海辺で過ごすために、ヘリコプターで飛んできては、私がつくったカクテルをすすりながら「何ぐずぐずしてるんだ。ハノイに原爆一つ落とせば、けりがつくじゃないか」といった会話を、ごく当たり前のように交わしていた。若い私はカウンターの内側に突っ立ったまま、凍りついていた。 だが核という切り札を使わないままアメリカは敗れ、東南アジアから退いていった。全米を揺るがす若者たちの反戦運動や、国際世論が、ぎりぎりの抑止力になったからだと思う。現在、私たちはもっと複雑な状況にいる。 血に飢え、石油に飢え、利権に飢える、肉食恐竜のようなブッシュ政権は、人間の良心や理性など、歯牙にもかけず戦争に突入した。いまのアメリカは武力・軍事力において、かつてのローマ帝国を遙かに凌いでいるだろう。破壊するだけなら、地上と宇宙をむすぶ電子誘導システムの前に坐り、ミサイルの発射ボタンを押すだけでいい。コーヒーをすすりながら一国を壊滅させることもできる。 その力に対して、私たちはおびえている。いま安易な希望など語るべきではない。自分たちの無力さ、むなしさをかみしめるべき時だ。だが、ひざまずく必要もない。ローマ皇帝のような大統領さえ、権力の座からひきずり降ろすことができる。湾岸戦争に勝利した父親のほうのブッシュ大統領も、次の選挙ではあっけなく王座から追われていった。恐竜の時代が永遠につづくことはありえない。 この春、初めて路上に出て反戦の声をあげた若い人たちと語り合いたいと思う。今回、私たちは敗れた。まったく無力だった。だが理性による世界を構築しようとする営みが終わったわけではない。世界中で一千万人が同時に声を発したことによって、かすかではあるけれど「世界市民」というものも見えかかってきた。それは従来の国という枠からあふれだしていく人間精神の声なのだ。 以前、何人もの宇宙飛行士に会い、話を聞いて歩いたことがある。宇宙遊泳しているとき、地球の一角で小さな花火のように明滅する戦火が肉眼でも見えたそうだ。人びとが暮らす都市の明かりもくっきりと見え、それがヒトの目覚めているあかしのように思えてならなかったという。私たちはちっぽけな一千万の豆電球だ。反戦デモも、路上の声も、決してむなしくはない。世界はゆっくり変わりつづけていく。恐竜はいずれ滅びる。あきらめてはいけない。人間精神の試みはつづく。 ―――――――――【転送・転載歓迎、ここまで】―――――――― 第17章へつづく |