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       第4章 ガラスノ牙
            (2007年3月〜5月)

                
             Copyright Shinro Ohtake

月日の流れを大切にしたいので「海亀日記」は新しい日付が下にくるようになっています。



                               070311
 凄いダンスを見た。ぎっしり床にしきつめたガラス片の上で踊りつづけるのだ。ステップを踏むたびに、ガラスは音をたてて割れ、砕けていく。氷上のように、ダンサーはなかば滑りつつ、ガラス片を舞い上がらせながら激しく踊る。ガラスが地吹雪のように光る。これほどまでに <からだ> というものを強く、鋭く、意識させるダンスを見たのは、まったく初めてだ。恐ろしく、それでいて美しい。極限のダンスを見たと思った。勅使河原三郎の「ガラスノ牙」。凍りつくような感動があった。

 およそ八か月、ネットから遠ざかっていた。「海亀日記」もずっと休んでいた。情報を遮断したかった。時局的なことばも封印したかった。霧のように淡くぼやけていきがちな言葉を、沈黙によって凝縮したかった。まあ、甘い断食のようなものだ。そうして、いつのまにか八か月過ぎていったのだが「ガラスノ牙」を見て、急に書きたくなってきた。


                               070314
 池袋の琉球料理店で友人と語りあっているとき、稲妻のような閃きがやってきた。『ぼくは始祖鳥になりたい』『金色の虎』につづく、第三部の構想が、いきなり全体的に見えてきた。浮上してきたのだ。胸中には、いくつか長編小説の構想がある。『焼身』を完成させたあと、創作ノートを読み返しながら、どの構想が熟しているのか、次はどの長編に取りかかるべきか、迷った。書くべき <機> というものがあるから。

 始祖鳥シリーズの第三部(完結編)に取りかかろうかとも思ったけれど、いま一つ、書ける、という確信がもてなかった。どうしてもスタートを切ることができないまま、完結編を先送りにして(いま書きつづけている)長編Xのほうに取りかかった。

 突然やってきた閃きは、コロンブスの卵のようなものだった。友人と語りあっている途中、自分の胸に宿っている二つの長編小説が、ふっと繋がってしまったのだ。それぞれ独立した二つの構想が、なぜか急に交わり、融合してしまったのだ。これで書ける、という直観がひらめき、浮上してきたばかりの新しい構想を、夢中になって友人に語りつづけた。「それを書かなければ神罰が下るぞ」と友人は言ってくれた。ライブの島唄を聞きながら、静かに乾杯をした。

 終電車まぎわに友人と別れ、泡盛の酔いをさましてから、その閃きが妥当なものかどうか、ゆっくり考えてみた。まちがいない、これで書ける。どうして、いままで気づかずにいたのだろう。その二つの長編は、十数年も胸の奥にあって、別々にゆっくり熟しつづけていたのだが、それが今夜、いきなり一つに融合した。早く長編Xを書きあげよう。そしてライフワークの完結編に取りかかろう。書きたいことは、まだ山ほど残っている。大いなるものよ、私に力を与えたまえ。


                               070315
「大航海」の62号が送られてきた。この雑誌のことは、もちろん知っている。ニューヨーク時代に知りあった三浦雅士さんが編集主幹をしているのだから。岸田秀さんの連載もときどき読んでいた。けれど小説家とはあまり縁のない思想誌だから、どうして送られてきたのか不思議だった。あるページに付箋がついている。そこを開くと、青木保氏が「摩天楼から遷化へ」というタイトルで私の作品について論じてくださっていた。

 読み終えて、青木さん、ありがとうございますと空へ向かって合掌した。今回は『グリニッジの光りを離れて』を論じてくださっている。初期の作品では最も愛着のある(事実上、処女作というべき)小説だからとても嬉しかった。引用されている部分が、叙情的なみずみずしさに満ちていて、とても自分が書いた文章だとは思えなかった。いまの自分には、もう書けないだろう。

 青木保氏の『タイの僧院にて』を読みふけったことが思いだされる。この本に刺激されて、ベトナムの古都フエにあるティエンムー寺に入門しようかと考えたこともあった。青木氏とはまだ面識がないけれど、私の知人、友人たちには文化人類学者が多い。山口昌男、中沢新一、今福龍太、植島啓司といった方々だ。管啓次郎さんは比較文学が専門だろうけれど、文化人類学者の側面もある。

 こういう人たちとは関心が通底しているし、話がよく弾む。その理由はよく分かっている。文化人類学者たちは遠い国々の異文化を <人類の現象> として等価に捉える視線をもっているからだと思う。かれらは日本という状況に少しも限界づけられていない。思考は国境を越えて、つねに人類の根源へ向かう。だから話していて楽しく、刺激を受ける。いつもインスパイヤーされる。

 青木氏の「摩天楼から遷化へ」は(上)と記されている。まだつづきがあるのだろう。遷化(せんげ)とは高僧が死去するという意味だから、おそらく『焼身』も論じてくださるのではないかと思われる。心静かに、つづきを待っていよう。


                               070316
 明日の朝、南九州へ発つ。荷造りをしながら、なにか明るい感情が呼び起こされてくる。空港カウンターで搭乗手続きをするとき、いつも口にすることばが、もう胸に浮かんでくる。「進行方向、右側の窓際、翼で視界がふさがれない席をお願いします」

 南へ向かうときは、早めに空港へいって、かならずその席を確保する。四国沖にさしかかったとき、室戸岬が見えるからだ。ほんとうに美しい岬だ。波がひた押しに押し寄せる太平洋の大海原へ向かって、信じられないほど、長く、長く、力強く突きだしている。永遠を感じさせる希有な光景だ。その巨大な岬の先端に、青年時代、空海がひとりこもって修業していた洞窟がある。

 都の大学を中退したあとの空海には、足どりのつかめない謎の年月が隠されている。どこで何をしていたのか、足跡はほとんど残っていない。おそらく山岳修行者となって、巷や、山野を巡っていたのだろう。水銀の鉱山に関わっていたらしいことも、歴史家たちの研究で分かっている。

 水銀は、銅の精錬に欠かせない。いまのITのような、当時のハイテクであった。そして不老不死の妙薬 <仙丹> をつくる原料でもあった。永遠の生をもとめつづけた始皇帝の墓所も、水銀の池に囲まれている。即身成仏してミイラとなっていった東北の行者たちも、水銀を摂取していた。それは毒であったのだが。日本各地に散らばる <丹> という字がつく地名も、かならず水銀に関わっているそうだ。

 空海は謎の年月を経て、遣唐船に乗り込むところから、突然、歴史の表舞台に現れてくる。かなりの量の砂金をもっていったそうだ。そして、大量の経典を持ち帰ってくるが、あれほどの経典を組織的に筆写するには、相当の財力が必要だったはずだ。砂金があったからこそ可能だったのではないか。その砂金は、おそらく水銀鉱山に関わることでもたらされたのではないかと考えられている。

 それだけではない。謎の年月があったからこそ、天才・空海が生まれたのだ。唐に渡ったばかりの空海は、阿闍梨・恵果から灌頂(かんじょう)を受けている。空海が唐にいたのは、わずか二年かそこらにすぎなかった。それでも恵果は、遠い島国からやってきたばかりの若い空海に、国境を越えて法灯を託したのだ。空海がすでに密教の真髄をつかんでいたからだろう。それは書物や教養だけではなく、いかがわしい巷や、山野にあった謎の年月にこそ会得されたはずだ。

 太平洋へ突きだす室戸岬の洞窟にこもっているとき、かれの目には、ただ空と海だけが映る。まさに <空海> である。若い日の空海は、その洞窟で不思議な体験をしている。ある夕暮れ、藍色の空に出現した金星が、かれの口をめがけて、まっしぐらに飛び込んできたのだという。むろん、幻覚に決まっている。だが内的体験として、それが <空海> を誕生させたはずだ。

 明日の朝、進行方向、右側の窓際、翼で視界がふさがれない席に坐って、海上8000メートルの空からその岬を見ることになるだろう。岬の先端にある洞窟へ向かって、こっそり合掌するだろう。明日、雲もなく晴れているといいのだが。


                               070317
 桜島から煙がたなびいている。空へ盛りあがる黒いキノコ雲のような噴煙ではなく、うっすらと白い水蒸気である。この活火山もいまは沈静化して、ひそかにマグマを溜め込んでいる時期のようだ。山肌が夕陽に染まっていくまで、ひとりぼうっと眺めていた。海は濃い青から、葡萄色へ変わっていく。自分の遺灰は、やはりこの海にまいてほしい。そして桜島を、私の墓だと思ってくれればいい。


                               070319
 野間岬に一泊して、朝、海ぞいに坊ノ津へ向かった。けわしい断崖がきりたち、照葉樹の森が光っている。檳榔(びろう)島が見える。十代のころ、檳榔樹が密生するこの無人島をモーターボートで巡り、海から断崖の地層を仰いでいるとき、ある啓示的な経験があった。唐岬を過ぎ、鑑真が上陸した海辺で一息入れた。盲目の鑑真は、ここから奈良の都まで歩いていったのか。

 いくつもの入江を過ぎて、ようやく坊ノ津についた。遣唐船の港である。『火の降る日』の登場人物 <鮫津> のモデルとなった友人の屋敷は、石の門柱にロープが張り渡されていた。鉄の扉も、かんじがらめにロープが巻きつけてあった。松林に囲まれた大きな屋敷も、ぐるりと板戸で閉ざされている。行方不明のままだと聞いているが、誇り高い友人のことだ、すでに自殺しているかもしれない。いずれ時がきたとき、このことも小説で書かなければならないだろう。作家にとってケジメをつけるとは、そういうことに他ならないのだから。


                               070324
 小川国夫・随筆集『夕波帖』(幻戯書房)に、このような一節がある。

「よく語る作家は、自分のアイディアや手腕に関心が行っているのです。耳を澄ます作家は、ありのままの登場人物に関心があるのです。そして、作意はそのための障害になる、と感じているのです」

「小説の作者が風景描写をしたり、人物描写をしたりする必要はないのです。全身これ耳となって、ただただ登場人物の声を聞けばいいのです。そのうちに、作者は登場人物と抱き合って、彼が感じるままに我も感じるようになるでしょう」

 耳が痛いなあ。長編Xはすでに600枚を超えているが、長編を書くときはどうしても、構想力、コンセプトの重層性、言語の強度といったものに力が傾いてしまいがちだ。小川国夫の小説がもつ奥行き、形而上学的であり、宗教的でもあり、心理的に映りながら、事物に即した不思議な奥行き、ぴんと張りつめた文章の深さは、耳を澄ますことによってもたらされていることがよく腑に落ちてくる。『夕波帖』を読んでから、パソコンの電源を入れる前に、かならず登場人物の声に耳を澄ますようにしている。かすかに何かが聞こえてきたような気がしたとき、電源を入れる。『焼身』の初稿は手書きだったが、今回は初めからパソコンを使っている。残り時間との闘いだから、時間を加速させる。だが一方で意識しつづけていよう。このパソコンは五億年前の海底の化石の上に置かれていることを。


                               070327
 ものごとに既視感がつきまとうようになった。60か国ほど歩き回ってきたせいか、どの国に行っても、すでにどこかで見た光景のような気がしてくる。国だけではない。出来事にも既視感がつきまとってくる。書物を読んでいても、すでにどこかで読んだような気がする。これは決していいことではない。わたしたちの脳は宿命的に <未知なるもの> に飢えている。胃が消化すべき食物を慢性的に欲するように、脳は思考すべき情報や、出来事などを慢性的に欲している。それが与えられなければ胃は空腹を訴え、脳は退屈を訴えてくる。

 だからこれから先、初めての出来事にぶつかったときは、どんなつまらない些細なことでも、かならず記していこう。今日も初めてのことが一つだけあった。鉄鍋魚翅炒飯(フカヒレあんかけチャーハン)なるものを生まれて初めて食べた。べつに旨くもなんともなかったが、とりあえず <未知なるもの> との遭遇として記しておこう。第一号記念にしては、ちっとも華々しくないけれど。


                               070331
 坂本龍一さんの新しいCD『cendre』が送られてきた。大の字になって目をつむりながら聴いていると、舟か筏に乗って、音の海、音の波間を漂っているような気がしてくる。そして音に揺られているうちに、いつのまにか世界が音だけになっていくような、音だけでつくられた世界を漂流しているような不思議な感覚に包まれる。世界が音だけになってしまうという感覚は、初めてのことだ。ピアノと電子音が、緊張しつつ響きあっていく。自然とデジタルが共鳴する。その波動がもう一つの世界をつくり、私は音の波間に揺られていく。勅使河原三郎の「ガラスノ牙」を見たときのような感動があった。ひとりの音楽家が名声にあぐらをかくことなく、初心をつらぬき、本当にやりたいことをやっている。創造している。私もいい仕事をしよう。


                               070401
 修理に出していたノートパソコンを受け取りに、秋葉原へいった。なぜか電源を入れても起動しなくなったのだ。仕事柄、何台かのパソコンを使っているが、この IBM Think Pad は小説を書くためのもので、旅にも持っていかない。ウイルスから死守するため、一度もネットに繋いでいない。完全に孤立したパソコンだ。だからウイルスが侵入したはずはない。原因はついに分からずじまいだった。ハードディスクが壊れていたそうだ。

 修理が終わったパソコンは、すべてのデータが消えて、まっさらになって帰ってきた。これまでに書いた『金色の虎』『善悪の彼岸へ』『裸の王様、アメリカ』『焼身』『麦わら帽とノートパソコン』など、何冊分かのデータが霧のように消えてしまった。秋ごろ岩波書店から出版されるはずの新刊書も、まるごときれいに消滅してしまった(すでに編集者にフロッピーを渡してあるが)。

 いま書きつづけている長編Xだけは、奇跡的に助かった。パソコンが壊れる前夜、眠りにつく前にふっと気になり、数か月ぶりにバックアップを取ったのだ。虫の知らせだろうか。おかげで無傷のままだった。こんなことは初めてだ。

 秋葉原は、異様なところだと思う。沖縄や、ほかの国々から帰ってくると、いつも東京の電車や地下鉄の中がぶきみに映る。ずらりとならんで無言のまま携帯を眺めている光景が、心療内科の待合室のように見えてならないのだ。秋葉原は、それ以上にぶきみである。

 十字路の片隅に腰かけて、電気街を埋めつくす群集の顔をしばらく眺めていた。ほとんど表情が感じられない。だれも笑っていない。だれも怒っていない。悲しんでもいない。光りの消えた目から視線だけがふわふわと漂っていく。うつろな国の、うつろな時代の夢遊病者たちの群れのように見えてならなかった。これほどまでに空虚を感じさせる光景はめったにないだろう。電子の森はにぎやかだが、パソコンも、ネットもこうした電子的なものは結局のところ、人間に覚醒をもたらすようには作用していないのではないか。


                               070405
 新刊書(まだ品切れになっていないはずの本)は、ネットではなく、なるべく書店で買うようにしている。書店をぶらつくのが好きだし、好きなところはぜひとも生き延びてほしいから。だが資料をさがすときは、ネットの古本屋がありがたい。まず見つからないだろうなと、あきらめ半分で検索すると、遠い地方の古本屋さんに一冊だけ残っていたりする。そんなときは飛びあがるほどうれしい。

 その古本の代金を振り込むため、郵便局へいった。順番を待つあいだ谷崎潤一郎の「刺青」を読んだ。谷崎についてエッセイを書く約束になっているから。読みだすとたちまち引き込まれ、郵便局から離魂して、いつのまにか別の宇宙をさまよっていた。二段組でわずか七頁の短篇小説なのに、しかもどんな話か知っているのに、すごい引力だった。処女作にはその作家のすべてがあるといわれるが、まったくその通りだ。大谷崎のエッセンスが、わずか七頁の小宇宙に凝縮されていた。


                               070408
 昨夜、といっても夜明け前だが、眠りに落ちそうになったとき、なにか閃きがあった。アイディアとも啓示ともつかないものが頭蓋の暗がりをかすめていく。それを掴もうと、手を伸ばして書きとめておきたかったが、起きあがることができないまま眠りへ沈んでいった。目ざめたとき、あれは何だったのか気になってしかたがない。だが、どうしても思いだせない。忘れてしまったのだから、たいした閃きではなかったのかもしれない。いや、そうでもないだろう。目ざめた瞬間、まっさきに閃きの残像のようなものが意識に浮かんできたのだから。そんなふうに頭蓋の暗がりをよぎっていく彗星のようなもの、泡のように湧いてくるものがある。それは思弁や、意思によって為すこととはまったく別の営みだ。


                               070419
 バージニア工科大学で乱射事件が起こり、32人が死亡した。犯人は韓国人の青年だという。8歳のとき家族と共に渡米して、15年間アメリカで暮らしていた。永住権も持っている。32人を殺したあと、青年は自分の頭を撃ち抜いて自殺した。

 いろいろ考えさせられることが多く、この事件が頭にこびりついて離れない。私も4歳の息子をつれてアメリカに移り住み、10年近く過ごしたことがあり、やはり永住権を持っていたから、どうしても他人事に思えない。いったいなぜなのか、青年の内面に思いが向かってしまう。さらに、もう一つ腑に落ちないことがある。

 このように無差別大量殺人を起こすのは、これまでほとんどの場合、白人の男性であった。映画「羊たちの沈黙」のモデルとなったプロファイラー、ロバート・K・レスラーは『FBI心理分析官』(早川書房)という著書で述べている。性的快楽を目的とした連続殺人や、無差別大量殺人を起こすのは、まず白人男性であると。レスラー氏自身が白人であるにもかかわらず、そのように明言しているのだ。同書の巻頭にかかげられている大量殺人犯の写真もすべて白人男性ばかりである。

 コロラド州コロンバイン高校の事件もそうだった。私がアメリカで暮らしていた13年間、学内に入ってきて銃を乱射する事件がいくつかあったけれど、犯人はいつも白人男性であった。ただ一つの例外は、退役軍人の中年の黒人男性が、学内ではなく、改造した車の中から路上の一般人を狙撃した連続殺人事件だけであったように記憶している。

 こうした動機のよく分からない犯罪は、世界が高度に抽象化した先進国の病である。オウム事件も先進国特有の犯罪であった。このような社会病質者を生みだしてしまう世界の抽象度といったことを、オウム事件、酒鬼薔薇事件と関連づけて、『善悪の彼岸へ』で言及したこともある。だが、バージニア工科大学の事件は、白人ではなく、アジア系の青年によってひき起こされた。まったく例外的な事件である。

 青年は最初に2人を殺したあと、テレビ局にビデオテープを送っている。それを見ると、自分を十字架のキリストになぞらえたり、やはり精神を病んでいたように思われる。そして私をたじろがせたのは、青年の凄まじいほどの憎悪の激しさであった。富裕層への憎しみをぶちまけていたけれど、それは人種的な差別を意味するのか、まだよく分からない。もう少し情報が出てくるのを待っていよう。


                               070423
 バージニア工科大学事件の犯人像について、そろそろなにか突っ込んだ情報が出てくるだろうと思って新聞をひらくと、朝刊に、地もとの警察本部長の談話が小さく載っているだけだった。夕刊はゼロ。次の日の朝刊、夕刊もゼロ。これほどの大事件なのに、いったい何をやっているんだろうな。

 アフガン空爆やイラク戦争のときも、アメリカからの情報をたれ流すばかりで、あとは下請け会社に任せたきり、戦場に特派員さえ送らないジャーナリズムにあきれはてて、新聞の購読をやめてしまった。だが最近、若い人たちと接する機会がふえてきたので、話題を共有するため、何年かぶりに新聞をとることにしたけれど、これではまったくどうしようもない。

 この事件には(だれもが気づいていながら明言できないように)差別のもんだいが潜んでいると思われる。だが、黒人の入学さえ認めない大学があった時代とちがって、いま、差別はそれほど酷くはない。奨学金などマイノリティーへの配慮もあり、UCLAなどでは白人学生たちが「逆差別だ」と騒ぎだすことさえあった。

 犯人がNBCに送ったビデオテープを見るかぎり、あの韓国人青年の胸で激しく煮えたぎっている憤怒は、あからさまな差別ではなく <傷つけられた自尊心> ではないかと思われる。ストーカー行為で警察で取り調べを受けたこともあったそうだ。一人の男性と見なされず、ただなんとなく薄気味わるいアジア人として、他者、異物として、存在をやんわり無視されていたのかもしれない。性がからむだけに、それは自尊心の根っこをぐしゃぐしゃに屈折させる。青年がゆがみ、病んでいった原因はそこにあるのかもしれない。

 心理学者アブラハム・マズローが <欲望のピラミッド> で述べているように、人間の欲望はどこまでも、上昇しつづけていく。まず生存の欲求から始まり、性欲、食欲……といったふうに、とめどなく急上昇していく。それらが満たされるたびに、さらに次の階段を登り(最終段階ではないが)やがて自我の欲求にぶつかる。自分の存在を認められたい、きちんと評価されたい、しかるべき社会的地位にいたいという欲望がやってくる。先進国の欲望は、この段階にきている。それが無自覚の神経症や、病理を生む。

 無差別大量殺人を起こした韓国人青年は、決して裕福ではなかったかもしれないが、いちおう名門のバージニア工科大学に在籍しているのだから <欲望のピラミッド> を登っていく途上にあったはずだ。かれは <自我の欲求> の段階でつまずいてしまったのか。おそらく精神を病んでいたのだろうが、あの憎悪の烈しさを思うと(脳の物理的な疾患だけではなく)なんらかの心因性があったはずだと考えるしかない。その文脈や、心因性をつかみたいと私は思う。

 いま日本で暮らしながら(欧米人以外の)多くの外国人たちも、いま <傷ついた自尊心> に苦しみ、烈しい憤怒を抱えているはずだ。ひっしに、なんとか日本に同化しようとして、ボロボロになり、犯罪者になる一歩手前で、かろうじて歯を食いしばり、踏みとどまったタイ人を私も知っている。このような犯罪が、いつ日本で起こっても少しも不思議ではない。
  

                               070425
 欧州南天文台が、太陽系外惑星の中で「最も地球に似た惑星」を発見したそうだ。忘れないようにその記事をメモしておこう。てんびん座の方角、地球から20.5光年離れたところにあり、直径は地球の1.5倍、重さは5倍だという。太陽よりも小さな恒星(赤色矮星)を、13日間の周期で回っている。平均温度は0〜40度で、表面は地球のように岩や海でおおわれている、とみなされているそうだ。

 http://www.asahi.com/science/update/0425/TKY200704250059.html

 その惑星に生命が誕生しているかどうか、むろん分かっていない。かりに原初的な生命が誕生していたとしても、知的生物がいる可能性はきわめて低いことは、素人の私にも見当がつく。ラジオや、テレビ、通信技術をもつ地球の文明は、つねに電波を宇宙空間に放っている。とくにテレビの電波は強力だという。もしも外部から地球を観察すると、ずばぬけて明るい電波星として輝いているはずだ。ここに知的生命が存在するというシグナルは、つねに地球から放射されている。だが、発見されたばかりの「地球に最も似た惑星」は電波を発していないようだ。もしも発しているならば、一大ニュースとして、まっさきに報道されるはずだから。

 もちろん、生物の発生には時間的なズレがある。かりに文明が生まれたとしても、それが私たちと時を同じくして栄える確率は、かぎりなく低いだろう。何百億年という宇宙史のなかで、私たちが電波技術を手にしたのは、ごく最近のことだ。惑星の文明がどれほど持続するものか、なんのデータもない。それに宇宙の距離だけはどうしようもない。20万光年離れた星を観測しているとき、私たちは20万年も過去の光りを見ているのだから。かりに知的生命や文明が発生していたとしても、20万年の間に滅びているかもしれない。

 だが「地球に最も似た惑星」は、わずか20.5光年しか離れていない。欧州南天文台は(光学天文台なのか、電波天文台なのか記事ではわからないが)惑星から反射してくる20年ぐらい前の光りをとらえたのだ。私たちの地球でいえば、1987年ごろの光りである。だから時間のズレは、ほとんどないに等しい。もしも「地球に最も似た惑星」に知的生物がいて電波技術をもっていたならば、かならずキャッチされるはずだ。その惑星には、おそらく知的生命はいないだろう。生命が誕生しているかどうか、それは今後の観察を待つしかない。

 それでも、こうした惑星発見のニュースにふれるたびに、いつも不思議な思いが湧いてくる。みずから光りも電波も発しない小さな惑星は、恒星の圧倒的な光りや電波に隠されてしまって、いまも発見がきわめてむずかしい。核融合で燃える恒星は物理の場であり、生命が生まれ意識が発生してくる惑星は意味の場ではないかと私は思っているのだが、「地球に最も似た惑星」には、まだ名前がついていないようだ。

「地球に最も似た惑星」は、だれに見られることもなく存在しつづけていた。暗く冷えきった宇宙に、ただ在りつづけていた。海もあるそうだが、その海はだれに見られることもなく、何十億年も、ただ(むなしく?)うねりつづけていたはずだ。重力で海は干満をくり返し、岩だらけの岸には波が打ち寄せ、くだけ、波しぶきの霧が流れていく。そんな日々のくり返しが、何十億年もつづいていたにちがいない。だれにも見られることのない天体。みずからを認識する目も、意識もないまま、ただ在るだけの宇宙。私は、それ以上の孤独や虚無を想像することができない。
 

                               070512
 奇妙な夢を見た。モスクワらしい大きな街の公園の片隅から、枝状のサンゴを絡みあわせた坂道がつづいていく。幅50センチぐらいの細い道だ。登りつづけていくと、バナナの幹をロープで組んだ梯子のような道へ変わっていく。どうやら、ここは鞭打派かなにか秘教的な少数者たちが通っていく道らしく、いつのまにか空中の吊り橋に変わり、鍾乳洞へ入っていく。かつての教え子(海亀塾のメンバー)たちも合流している。鍾乳洞のなかには、ぴかぴかのエレベーターがあり、ならんで切符を買っているとき、ふらりと横道に入ると、そこは壮麗な遺跡で、おびただしい横穴がある。エローラの石窟寺院のように、かつては人が住んでいたようだ。歩き回るうちに海亀塾のメンバーたちのことが気になってひき返していくと、もうだれもいない。切符売場の人に訊ねると、地下鉄かバスで帰っていったという。行き先は、ロサンジェルスのような地名だった。


                               070513
 昨夜の夢を精神分析医に話したら、いったいどんな解釈をするだろう。原稿を書くあいまに、そんなことをぼんやり考えた。
「モスクワに行ったことがありますか?」
 と、まず最初に訊かれそうな気がする。
「いいえ、まだ行ったことがありません」
「ふうん」
 精神分析医は、そこから <鞭打派> という言葉に耳を尖らせ、
「ロシアの去勢派というのを知っていますか?」
 と、さりげなく訊き返してくるかもしれない。それから、枝状のサンゴ、バナナ、吊り橋、鍾乳洞、横穴、石窟、上昇するエレベーターなどに、一つ一つ隠された性的なメタファーを読みとっていくのではないか。
 うわあ、かんべんしてほしいな。これだから精神分析的な夢判断は、どうも苦手なのだ。以前は克明に夢日記をつけて、いろいろ自己分析を試みていたけれど、いまはもう夢は夢として、うっちゃっておくようになった。ただ忘れないようにするだけでいい。この夢はたぶん、孤独や孤立感に弱音を洩らしかけているだけではないか。まあ、そんなところだろう。


                               070515
 国民投票法が成立して、ついに外堀が埋められてしまった。憲法9条を変えていく動きがいよいよ具体化していく。そして今朝、十七歳の高校生が母を殺し、切断した母の生首をもって自首した。熊本では、開設したばかりの「赤ちゃんポスト」に、三歳の幼児が捨てられていた。できごとに関連性はないけれど、この国はなにか、臨界のようなものを超えつつある。



                               070523
 一週間ほど前、五月十五日の未明、福島で十七歳の高校生が母を殺し、首を切断した。母を殺すこと自体は、べつに珍しい事件ではないけれど、母の首を切断するというのは、めったにあることではない。

 こちらは業の深い小説家だから、猟奇的な殺人事件についての本、あるいは「異常心理学」「犯罪心理学」など、いろいろ読み漁ってきた。酒鬼薔薇事件のときは、あるルートで入手した少年Aの精神鑑定書も読んだりした。けれど母の首を切断して、その血まみれの首を持参して自首するという事件は、まったく聞いたことがない。もしかすると人類の犯罪史上、初めてのことではないだろうか。

 北海道新聞にエッセイを書くことになり、いちおう書きあげたのだが出来映えに満足できず、自主的にボツにして、別の原稿を書いた。もう一度読み返してから、あとは送信するだけになっているとき、福島の事件が起こった。どうしてもそのことに言及したくなって、三回目の原稿を書いた。近日中に掲載される予定だが、新聞という公共の媒体だから、病的な闇の奥へ踏み込むことができなかった。

 そこで自分のサイトで述べようと、一晩かけて長い文章を書いたけれど、やはり自主的にボツにすることにした。真の動機を理解するには、まだ情報が少なすぎる。それに私が考えたことはあまりにも毒が強すぎるから、普遍的に語れるようになるまで黙っていることにしよう。

 ただ、この不可解な犯罪には(ロバート・K・レスラーが語っているような)病的に蓄積された <空想> があることだけは疑えないだろう。それは母の右腕を切断してから白く塗り、植木鉢にさしたということ、あるいは遺体を天井から吊るそうとしてロープやフックなど準備していたということからも想像がつく。だがいちばんの急所は、なぜそのようなことを <空想> するようになったのか、ということだ。母子間の癒着、分離のむずかしさ、やっかいさから、人格障害も多くなっているように思われる。


                               070525
『原典 ユダの福音書』という偽典の翻訳が出ていると知って、ひさしぶりに書店へいった。正統的なものよりも、どうも私はグノーシス主義のような異端思想のほうへ関心が傾いてしまいがちだ。小説家の業なのだろうか。結局、さがしている本は見つからなかったが、十誌ぐらい、ざっと週刊誌に目を通してみた。

 福島の少年の事件について、かくべつ新しい情報は出ていなかった。切断した母の右腕には(塗ったのではなく)白いスプレーが吹きつけてあったそうだ。植物のない土だけの植木鉢に、真っ白の手が、まっすぐ立てるかたちでさしてあったという。活花のように、オブジェのように、母の片手を飾ったのだ。指は、人さし指と小指を立てるかたちに不自然に曲げられていたという。悪魔崇拝のかたちであるそうだが、そのことよりも、ノコギリや、ロープ、天井に打ちつけるフック、スプレーなどを準備していたらしいことに凍りつく思いだった。土だけの植木鉢も準備していたのだろうか。

 書店から帰って、統合失調症や、うつ病や、境界性人格障害の人たちのコミュニティ・サイトを延々と読みつづけた。暗い声が地にひしめいている。わたしたちは鈍感であってはならない。もっと深く、慄然とすべきなのだ。


                               070526
 インドネシアの海でシーラカンスが釣れたそうだ。体長は1.3メートル、重さは50キロ。水深70メートルのあたりで釣れたという。私は釣りについてはよく知らないけれど、水深70メートルというのは、意外なほど浅いような気がする。シーラカンスは光りの届かない暗い水底にひそむ深海魚だと、なんとなく思いこんでいた。写真を見ると、わき腹のひれが異常なほど発達して、ほとんど手のように見える。太くなって、あきらかに肉がついている。4億年前に出現した古代魚で、すでに絶滅したと思われていたが、南アフリカ沖、西インド洋などでも見つかっている。インドネシアで釣れたは、三回目だという。恐竜たちは、6500万年年前に絶滅した。隕石衝突という宇宙的な異変があったにせよ、恐竜たちの寿命は、たしか一億数千万年であったはずだ。種の時間。生命エネルギーとしての神。



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           第5章へつづく