戦争を止めることはできなかったが 宮内勝典【転送歓迎】 http://pws.prserv.net/umigame/ アフガン空爆のとき、毎週、ピース・ウォークに加わっていた。まだ人出は少なく、雨の日など二百人ぐらいしか集まらないこともあった。ところがイラク戦争が切迫してくると、一気に、四万人にふくれあがった。私も長い列に混じり、東京の路上を歩いていた。ジーンズ姿の高校生や、家族連れ、老夫婦も歩いていく。世界中で、一千万を越える人びとが路上に出て反戦の声をあげた。地球規模の津波のようだった。こんなことは歴史上、前例がないことだ。 これまで空々しく、口にするのも気恥ずかしかった「世界市民」という理念が、いまようやく実体化しつつあるのではないかと思われるほどだった。 だが、戦争を止めることはできなかった。 バグダッドは空爆され、戦車部隊が砂漠をひた走っていく。二百年前に『永遠平和のために』を書いたカントや、国際連盟、国連など、人間の理性による世界を構築しようとしてきた長い営み、一千万人の声をあざ笑い踏みにじるように、戦車は走っていく。私たちは敗れたのだ。若い人たちは幻滅しただろう。何をやってもむなしいと、いま無力感にさいなまれているにちがいない。 だが、私は幻滅していない。あの程度の反戦デモで戦争の歯車を止められるとは思っていないからだ。いや、そんなはずはない、ベトナム戦争を止めることができたではないかという人もいるだろう。しかし、それはちがう。私は二十代のころ「イマジン」を聴いていた世代だが、自分たちのかつての幼稚さ、甘さへの自戒として、いまはこう考えている。あの血みどろの戦争を止めたのは市民運動ではなく、ベトナム人だったのだ。かれらがアメリカに勝ったからこそ、戦争は止まったのだ。 それでも、あの運動が無意味だったとは思わない。アメリカには原爆投下というオプションもあったのだ。そんな馬鹿なと思うかもしれないけれど、当時、私はロングアイランド海岸の会員制リゾート・クラブで働いていた。バーテンダーの見習いだった。 客層はいまのネオコンのような金持ちばかりだった。週末を海辺で過ごすために、ヘリコプターで飛んできては、私がつくったカクテルをすすりながら「何ぐずぐずしてるんだ。ハノイに原爆一つ落とせば、けりがつくじゃないか」といった会話を、ごく当たり前のように交わしていた。若い私はカウンターの内側に突っ立ったまま、凍りついていた。 だが核という切り札を使わないままアメリカは敗れ、東南アジアから退いていった。全米を揺るがす若者たちの反戦運動や、国際世論が、ぎりぎりの抑止力になったからだと思う。現在、私たちはもっと複雑な状況にいる。 血に飢え、石油に飢え、利権に飢える、肉食恐竜のようなブッシュ政権は、人間の良心や理性など、歯牙にもかけず戦争に突入した。いまのアメリカは武力・軍事力において、かつてのローマ帝国を遙かに凌いでいるだろう。破壊するだけなら、地上と宇宙をむすぶ電子誘導システムの前に坐り、ミサイルの発射ボタンを押すだけでいい。コーヒーをすすりながら一国を壊滅させることもできる。 その力に対して、私たちはおびえている。いま安易な希望など語るべきではない。自分たちの無力さ、むなしさをかみしめるべき時だ。だが、ひざまずく必要もない。ローマ皇帝のような大統領さえ、権力の座からひきずり降ろすことができる。湾岸戦争に勝利した父親のほうのブッシュ大統領も、次の選挙ではあっけなく王座から追われていった。恐竜の時代が永遠につづくことはありえない。 この春、初めて路上に出て反戦の声をあげた若い人たちと語り合いたいと思う。今回、私たちは敗れた。まったく無力だった。だが理性による世界を構築しようとする営みが終わったわけではない。世界中で一千万人が同時に声を発したことによって、かすかではあるけれど「世界市民」というものも見えかかってきた。それは従来の国という枠からあふれだしていく人間精神の声なのだ。 以前、何人もの宇宙飛行士に会い、話を聞いて歩いたことがある。宇宙遊泳しているとき、地球の一角で小さな花火のように明滅する戦火が肉眼でも見えたそうだ。人びとが暮らす都市の明かりもくっきりと見え、それがヒトの目覚めているあかしのように思えてならなかったという。私たちはちっぽけな一千万の豆電球だ。反戦デモも、路上の声も、決してむなしくはない。世界はゆっくり変わりつづけていく。恐竜はいずれ滅びる。あきらめてはいけない。人間精神の試みはつづく。 中日新聞(2003年4月23日) |